第二十七話 朧の勘助 五
大岩屋は、商店の多い行平町にある。
水路沿いの船着き場から近い大きな店だ。人通りの多い位置に店を構えている。
「どうしますか?」
晃志郎は店の見える位置まで来ると龍之介に問いかけた。
「なんとかなるさ」
肩を軽くすくめて、龍之介は暖簾をくぐった。幸い他に客はいないようで、番頭らしき男と小僧がひとりいるだけであった。
「いらっしゃい」
店内に入ると、番頭らしき男がニコリと座敷の上から笑いかけた。
「封魔四門の水内である。お優に聞きたいことがある」
「え?」 男はびっくりしたように目を見開く。
「案ずるな。お優に何か疑いがあるわけではない」
龍之介の言葉に、男は少しだけ安堵したように軽く頷いて、慌てて奥へと引っ込んでいった。
しばらくして、お優ではなく、恰幅の良い男が奥の方から現れた。おそらく大岩屋の主人『
年のころは四十くらいか。脂ぎった肌で、目つきが鋭い。いかにも曲者という感じの男である。
「お役人さまが、うちの女房にどのような御用で?」
ことば遣いこそ丁寧であるが、目がギラリと龍之介を睨みつけた。
「お優の昔馴染みについて、少し話が聞きたいだけだ」
龍之介の言葉に、不機嫌そうに佐平は顔を歪めながら、じろじろと龍之介と晃志郎の顔を見た。
しかし、さすがにそれ以上逆らうことはせず、「こちらへ」と、龍之介と晃志郎を座敷にあげ、奥へと案内する。
板張りの渡り廊下の脇の中庭のつつじが蕾を持ち始めている。昼下がりの暖かな日差し。商店の密集地である行平町にあるというのに、随分と広い。しかも手入れが行き届いているのからみても、商売が順調であるというのが、この風景だけでも理解できた。
「どうぞ」と案内された座敷の障子を開けると、美しい年増の女房が針仕事をしていた。番付に載ったというのも、頷ける。佐平よりは若いであろうが、それでも三十路すぎの女のはずである。しかし、肌は少女のようにきめ細かく、つややかだ。若い女よりもやや崩れた感じもあるが、それゆえの丸みを帯びた柔らかそうな体躯は男を誘う艶がある。
お優は客人の姿を認めると、袖から覗く白い腕を隠すかのように小袖の口をふりしぼって、手を膝に置いた。
部屋に入った途端、晃志郎は背筋にチリリとしたものを感じ、龍之介の方に目を向けると、龍之介も険しい表情を返してきた。
「お役人が、おまえにお話があるそうだ」
主人が不機嫌そうにそう言うと、お優は手を止めて、龍之介と晃志郎を見上げてから、頭を下げた。
「お優でございます。何の御用でございましょう?」
甘い媚びを売るような声だな、と晃志郎は思った。おそらく無意識であろうが、これでは、主人が『男の客』を会わせたがらぬ訳だと、納得する。
「同席してもよろしゅうございますな?」
主人は、当たり前のようにそう言って、龍之介と晃志郎に座布団を薦めたあと、自分はどかりとお優の隣に腰を下ろした。
「ご主人には席を外してもらいたい。それがかなわぬのなら、詰所に来ていただきたいのだが」
龍之介は渋い顔でそう告げた。晃志郎は不満げな主人を見ながら、
――マズイな
と、思った。お優と勘助が会ったのは、ひと月前。順次が間に立って、少なくとも『お優と勘助が幼馴染』という関係であったことに疑念を持たなかったことも考えると、お優と佐平の間にすきま風が起きていたとしても不思議はない。お優としても、佐平に疑われるような男の話など、したくはないはずだ。佐平が同席していては聞ける話も聞けなくなるであろう。
「ご主人、奥方が心配なのはよくわかる。しかし。これから奥方にお伺いするのは、奥方の昔の知人についてのことだ。奥方が正直に話されたとしても、ご主人がいては話せないことがあるのではないかと、こちらが邪推して何度も聞きほじりに参ることもあり得る。こちらとしては、その手間を省きたいのだ」
晃志郎は、なだめるようにそう言った。
「私には、だんなさまに隠すようなことは何も」
お優はか細い声でそう言った。晃志郎は、いかにも、という体で頷いた。
「奥方がどのように正直に話されたとしても、疑うのが、俺たちの役目」
晃志郎はそう言って佐平の方を見た。
「席をお外し願えますかな? 」
晃志郎の言葉に、佐平は渋々立ち上がる。その目に憤怒の色がある。お優と佐平の間はかなり拗れているらしいと感じられた。
――よどみがある。
晃志郎は出て行く佐平の背中に、いやなものが漂うのを感じた。
嫉妬や憎悪は、虚冥を引き寄せる。星蒼玉や術者の有無にかかわらず、強い負の感情というのは、虚冥の門を開いてしまうことが往々にしてある。そして。この僅かに肌を刺す感覚。間違いなくこの家のどこかに僅かに星蒼玉の力が働いているのを感じる。強いものではない。しかし、虚冥を呼ぶ負の感情は満ちていると言っていい。
晃志郎の懸念をよそに、龍之介は佐平が出て行くとお優に向きなおった。
「勘助という男を、知っているな」
「え?」
お優はびくり、としたように顔を上げた。
「ひと月前、勘助から託されたものはないか?」
「なんのことでしょう?」
ややおびえたように、お優はそう言った。
「最初に言っておく。勘助という男は人を殺した疑いで捕縛されておる。お主が勘助から何か託されているとしたら、後々、お主は共犯者ということになりかねない」
龍之介が、感情のこもらぬ声でそう告げると、お優は、少なからず衝撃を受けたように見えた。
「勘助は、あなたの幼馴染ですね?」
晃志郎が畳みかけるように横からそう言うと、お優は目を見開いたままコクリと頷いた。
「同じ長屋に住んでいました。人殺しだなんて、そんなこと」
お優は型通りの言葉を言いかけ、龍之介の鋭い眼光に、言葉を止めた。
「幼い頃はとても仲が良かったのは事実です。そのころのあのひとは、優しい人でした。でも、私が大岩屋に嫁いで後、相当に悪くなったと人づてに聞きました」
「勘助は、あなたに惚れていたのですね?」
「……どうでしょうか?」
龍之介の問いに、お優は曖昧にそして怯えた声で答える。晃志郎は眉をひそめた。襖の向こうに、人の気配がある。佐平本人、もしくは佐平の指示で誰かが聞き耳を立てながら潜んでいるに違いない。
「奥方は、今、幸せですか?」
突然の晃志郎の問いに、お優はビクリと震えた。そして、自らの二の腕に視線を落とす。
晃志郎はその表情を見て、ふうーっと溜息をつきながら、すっと襖の方へと歩いていき、ためらいもなく襖を開いた。
開いた襖の勢いで、どさっと、腰を落としたのは、佐平であった。明らかに盗み聞きをしようとしていたらしい。晃志郎はためらいもなく、抜刀して、白刃を佐平の鼻先へと向けた。
「席を外してほしいと言ったはずだ」
「ひぃっ」
佐平は、じりっと、床に腰をおろしたまま後退する。
「夫婦の問題に、口をはさむつもりはなかったのだが」
晃志郎は大きく息を吐いた。
「龍之介さま。お優の二の腕を確かめてください」
晃志郎の言葉に、さっと青くなったお優の腕を、龍之介は『ごめん』といいながら、ぐっと握り、お優のそでをめくり上げた。真っ白な腕に、赤いやけどのような跡があった。
「あ、あのこれは……」
お優は怯えたように震えた。
「ここ、だけではありませんね?」
龍之介は、お優の顔をじっと見た。お優は震えて、答えない。
「お、お優は俺の女房だ。勝手にひとの女房の腕を見るなんて」
佐平は、晃志郎の顔を見ながら、そう抗議した。晃志郎は、ぐいっと佐平の鼻先に向かって刃を伸ばす。
「席を外せ、と、言ったハズだ」
晃志郎はカッと佐平を睨む。
「お主、このひと月、奥方に折檻を繰り返していたのだろう?」
「な、なにを証拠に」
「証拠を、ここで突きつけるのは簡単だが……」
龍之介はお優の手を離し、ため息をつく。
「お優、この火傷は、佐平にやられたな?」
龍之介の問いに、お優はブルブルと震えた。青ざめた顔のまま、否定も肯定もしない。
「お優、そなた、ひと月前に、勘助と会ったな?」
じっと龍之介の目をみつめ、お優はこっくりと頷いた。
「お、お前、やはりっ!」
佐平の言葉とともに、グワンと大気がゆがんだ。黒いもやのようなものが、プシューっと音を上げながら佐平の身体から吹き上げる。
「朱雀!」
晃志郎の声とともに、朱金の輝きをまとう瑞獣が姿を現す。
「……やはり、術者は、いないな」
虚冥が開き、佐平の負の感情を闇が喰らう。しかし、その背後にそれを導く力はない。
「舞え!」
晃志郎の命を受け、朱雀は佐平の身体をまっすぐに貫き、さらにぐるりと舞い、お優の身体をも通り抜けた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
晃志郎は、刀を鞘にもどして、九字を切った。
バサリ、と朱雀が晃志郎の肩に戻ってくる。
吹き上げた闇は朱金の光に焼かれ、大気に清浄さが戻ってきた。
キエッと朱雀がひと啼きすると、コロンと芥子粒のような星蒼玉を吐き出したのだった。
気を失ったままの佐平を寝所へと運ばせ、お優は晃志郎と龍之介に、巾着袋と小さなサンゴのついた玉簪を差し出した。
「ひと月前、勘助さんが私にくれたものです」
お優の言葉に、龍之介は品物を改める。
巾着袋の中には、蓋のついた陶器の入れ物が入っていた。蓋を開くと玉虫色の輝きを放つものがびっしりと入っている。
「これは……
艶紅というのは、紅花からつくる最高級の紅である。良質なものほど、乾燥した状態では玉虫色に光ると言われており、これはまさしく、最高級のものと思われた。
晃志郎は、龍之介が置いた陶器のふたを手に取る。
「
「そうだな……しかも、この紅には、僅かだが星蒼玉が練り込んである」
龍之介はそう言って、「しかも、穢れているな」と、眉をしかめた。
「この紅を、差しましたね?」
龍之介の言葉に、はい、とお優は頷いた。
紅というのは、飲み物に混ぜるほど確実に体内に入るものではない。しかし、ほんのわずかな量でも体内に星蒼玉が入っていれば、暗示にはかかりやすい。おそらく、この紅はお蝶に夢鳥が何らかの理由をつけて渡したものであろう。
微量のため、この星蒼玉の量では術者の特定は無理だ。逆に、術者もこの紅を捜すことは無理であったと思われる。
「間違いなく、奴らが捜していたのは、こちらの紅ですね」
晃志郎はそう言った。
蓬莱の印が入った艶紅というのは、和良比でも買える人間が限られた高級品だ。星蒼玉から辿ることは無理でも、この器から、お蝶にこの紅を贈った人間を特定することができるかもしれない。
「それで……奥方は、これから、どうする? 星蒼玉の影響ということもあっただろうが、影響下を脱したからといって、ご主人との夫婦仲が一気に改善するというものでもない」
「……勘助さんは、こうなることをわかっていたのでしょうか?」
お優は少し寂しそうにそう言った。
「いや、星蒼玉が紅に混ぜ込まれていたなどとは、露ほどにも思っていなかったであろうよ」
龍之介の言葉にお優は少しだけ微笑んだ。
「勘助さんは……まとまった金が手に入ったから、和良比から一緒に逃げようって言ってくれたんです……でも、私、それを断りました。どんな経緯があったにせよ、私は大岩屋の女房だから、と」
自らの身体を抱くかのようにお優は腕をくんだ。
「勘助さんは思い出にと、これを私に渡して……帰っていきました。旦那様は私が勘助さんに会ったことに気が付いて、お怒りになられて」
嫉妬に駆られた佐平はお優に折檻を繰り返した。
お優は寂しさのあまりに、勘助の持って来た紅をさし、そのことが、佐平とお優の体内に少しずつ星蒼玉が取り込まれる結果となり、佐平は負の感情により支配されるようになっていったのであろう。
「何かあったら、市井奉行を頼れ。悪いようにはならんだろう」
龍之介の言葉にお優はコクリと頷いた。なんにせよ、夫婦の問題は、封魔四門の仕事ではない。しかも、龍之介も晃志郎も独り身であり、こじれた夫婦の関係について語ることは全くできないと言っていい。
「こちらの簪は、魂鎮めの術具だな」
龍之介は、サンゴの簪に手を伸ばし、すうっと目を細めた。
「晃志郎」龍之介は、簪の足を示した。
鈍く光るそこに『虎金寺』という文字が入っている。
「お蝶は、十三には親を亡くして十六で身を売っている。これは、お蝶が魂鎮めの修行の時に作ったものではないな」
「お蝶の父親は、事故死でしたね……」
なにか符号のようなものを感じて、晃志郎はふうっと息を吐いた。
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