第二十六話 朧の勘助 四

 勘助が御用となった酒屋は、『酔』という店である。

雪思路ゆきしろ』の大門が見える位置にあり、もっぱら、量り売りと、立ち飲み専門の店だ。

当然、つまみなどなく、長居する客はほぼいないらしい。

それに、さすがに、まだお昼時だけあって、客の姿はない。

 店主は田吾作たごさくという親父だが、無口で、愛想というものをどこかに置き忘れてきたかのような男で、顔見知りですら、世間話をするようなことはない。『聞き込み』の相手として、これほど不適当な人物はいないのではと思える男である。

「親父」

 と、龍之介は店に入ると、にこやかに声をかけた。

「封魔四門の水内だが」 言いながら、有無を言わさぬ眼光で、親父を見る。肝の小さな小悪党なら、震えあがりそうな威圧感であるが、どうして、親父には効果がないのか、じとり、と親父は龍之介に目を向けただけであった。

「ここで、お縄になった朧の勘助について、聞きたい」

 龍之介の言葉に、親父は首を少しすくめた。何もない、と、モノを言わぬ口が語っているようだ。

「勘助は、ここにはよく来たのかね?」

 龍之介の言葉に、田吾作は面倒くさそうに頷いた。

「主に量り売りだ。ここで飲んでいくこたあ、あまりなかった」

「勘助の知り合いを知らんかね?」

 龍之介は頷きながらそう訊ねると田吾作は立ち飲み用の机に雑巾をかけながら首を振る。

「この店は、みな、一人で来て、一人で飲む」

「金払いは良かったかね?」

 晃志郎が横から口をはさむ。

 親父はちょっとだけ眉を傾けたが、龍之介が何も言わないので、晃志郎も役人なのかと納得したようだ。

「悪くないって程度だ。溜まったツケを、気前よく全部清算したら、あっという間に御用になった」

 わしは関係ないと、田吾作はそう言いながら首を振った。

「それはひと月ほど前かね?」

「そうさね……ああ、そういえば、順次じゅんじのやつと随分とご機嫌に飲んでいた」

 田吾作はふうっと息を吐く。

「順次?」龍之介の問いに、田吾作は「しまった」というような顔をした。

「一緒に飲んでいたからといって、盗人とは限らないさ。それに……そうだとしても、親父さんが話したとは誰も言わないから安心しな」

 晃志郎はにやり、と笑いながら低い声でそう言った。

「でも、知っていることを話さないことで、お上の心証を悪くする必要はないと思うがね」

 暗に、この店にも後ろ暗いところはあるのだろう? という口ぶりで晃志郎はそう言った。

 田吾作は仕方ないというように首を振る。

「船宿の『うつせみ』という店の船頭だ」

「よく来るのかい?」

 晃志郎の問いに、田吾作は「ほどほどにな」と答えた。

「そいつは、勘助と違って、かたぎかね?」

 龍之介に問われて、田吾作は肩をすくめた。

 それ以上は答える気はないらしい。少なくとも定職についているという点では、勘助と違って、まっとうな生活をしているのかもしれない。

 龍之介は懐から財布を取り出し、五文、机の上に銭を置いた。

「仕事だから飲めぬが、酒代だ。親父が代わりに飲んでおけ」

 この店の立ち飲みは、三文からの量り売りである。田吾作の愛想のない顔がやや、ニヤリと歪んだように見えた。

「順次には、『はる』というおんながいる」

 ぼそりと、田吾作は呟いた。酒代の『代価』というわけらしい。

「ありがとうよ」

 龍之介は礼を述べて、晃志郎とともに店を出た。

「あの親父、市井奉行には何にも話さなかったらしいが」龍之介はニヤリと口を歪めた。

「あのぶんじゃあ、本当はもっとネタをたくさんもってやがるな」

「そうかもしれませんね」

 くっくっと、思わず笑いながら、晃志郎は答えた。

「ああいう、無口なひとは、無関心のようで、周りをよく見ていますから」

 二人は雪思路の堀沿いに歩く。

「その辺りだな」

 龍之介が大門から影になる位置にある堀を指さした。

「お蝶はそこで浮かんでいたらしい」

「世捨て稲荷の裏側ですね」

 大門のすぐそばに、『世捨て稲荷』と呼ばれる女郎たちの信仰を集める稲荷の祠がある。この稲荷の裏側には、雪思路に張り巡らされた壁がない。もっとも高台になっているため、脱走を試みて飛び降りても、命はないだろう。

「お蝶は、絞殺されたのでしたね」

 晃志郎は首をひねる。

「どうしてわざわざ、堀へ落としたのでしょう?」

 自殺を装うという意味はあるのかもしれないが、絞殺をすれば隠しきれない絞め痕が残る。

「……そういう依頼だったそうだ。おそらく、封魔奉行の管轄になるのを恐れたのであろう」

 雪思路で事件があれば、場所柄、虚冥の穴が開きやすいため、事件の取り調べは封魔奉行所が行うことになっている。しかし、堀は、ギリギリ市井奉行所の管轄になるのだ。

「お蝶を呪殺しなかった理由は、どう見ますか?」

 晃志郎は堀の水面に目をやりながら疑念を口にする。

「桃楼郭は、外から呪殺をかけるのは、かなり守りが堅い……誰かさんの札がしっかり張られている。常和のように星蒼玉を直接飲ませるくらいしないと無理だ」

 龍之介がニヤニヤしながら答えると、晃志郎は嫌そうに口を閉ざす。

「……思うに、勘助が奪った品に関わりがあるのではないだろうか?」

 龍之介はふうっと息をついた。

「ちょうど『うつせみ』は、詰所へ帰る途中にある。寄っていこう」

「龍之介さまは、仕事熱心ですね」

 晃志郎は苦笑いをした。

「昼時です。『うつせみ』に行く前に、飯屋にいきたいですね」

 晃志郎の言葉に、龍之介は空腹を思い出したらしい。

「確かに、腹が減っては、戦は出来ない」

 にやっと龍之介が笑う。

「相手が相手だ。いつぶち当たっても対応できるようにしておかねばならんな」

「龍之介さまは飯を食うのでさえ、イチイチ、マジメですね」

 晃志郎は、苦笑いを浮かべた。



 船宿というのは、船を何艘か所有し、貸し船を手配したり、運送をなりわいとしている。ちょうど桜のこの時期、船宿は繁盛期である。

 和良比の東西に流れる堀と、和良比の西側を流れる清流『美涼川みすずがわ』沿いには美しい桜並木が数多くあり、舟遊びや、花見の足として船を利用する者が多いからだ。

 『うつせみ』も例外ではなく、ふらりと暖簾をくぐると『船は出払っているよ』と、座敷の上から、年増の女が煙草をふかしながら答えた。女の後ろでは小僧が熱心に帳面をつけている。

「客じゃないのかい?」

 不服そうに、女は龍之介と晃志郎を睨んだ。

長い髪は、結い上げずに、後ろで一か所に束ねている。三十半ば、といったところか。肌は、陽に焼けており、白粉は塗っていないようだ。男のような太い眉。意志の強そうな黒い大きな瞳。大きめの口には、艶やかな紅がさされていた。

この女性は、この船宿の女あるじ、『おこう』であろう。亡くなった吉兵衛きちべえがお香のきっぷの良さを気にいって、のち添えにと、飯盛り女であった彼女を見受けしたらしい。吉兵衛亡き後、先妻の息子が後を継いだものの、実質はこのお香が取り仕切っているとの噂である。

「封魔四門の水内だが、順次という男について聞きたい」

 龍之介は単刀直入に口を開いた。飯屋でお香の評判を聞いた龍之介は、小細工は逆効果と判断したのだった。

「順次はうちの船頭ですが、どうかしましたかね?」

 ちろり、と龍之介に視線を向けながら、女はそう言った。

「順次っていう男は、どんな男だ?」

「船頭としての腕は、悪くないね」

 龍之介は「なるほど」と頷いた。

「人物としては、問題アリ、ってことかい?」

 龍之介の言葉に、女は慌てて否定した。

「ちょいと遊び好きなだけで、根は臆病な奴さ。お役人にお世話になるようなマネができるほど度胸はないね」

 女は、煙管を口にする。

「その役人に世話になる男と親しくしていた件で、話がしたくてね」

 龍之介のことばに、女は眉を寄せた。

「何したンだ、あの阿呆は」

 明らかに不機嫌に口を歪め、「順次を呼んできな」と後ろの小僧に声をかけた。小僧は、弾かれたように立ち上がり、奥へと走っていく。

 小僧と一緒にやってきた男は、どこか落ち着きのない顔をして女を見た。

「女将さん、お呼びでしょうか」

「あたしじゃないよ、そっちのお役人さまが、用事があるそうだ」

 お香は不機嫌にアゴで龍之介をさす。

「お役人?」

 順次は屈強な身体に似あわぬ、怯えた表情で龍之介の方を見た。

「勘助、という男を知っているな」

 龍之介の言葉に、順次はこくりと頷いた。

――確かに、この男には、大きな悪事は出来そうもない。

 晃志郎は、内心でそう呟く。

「……会ったのは、二、三回です。よくは知りません」

「どこで会った?」

 龍之介の言葉に、順次はちらりとお香の顔を盗み見た。お香に睨みつけられて、順次は慌てて龍之介に向きなおる。

「山峯町の賭場で……深裏神社ふかうらじんじゃです」

 賭場、というのは、本来ご法度だ。しかし、山峯町には、賭場がいくつも開かれているらしい。もちろん、お上もある程度は知っているが、叩いても叩いても、根を断ち切ることは非常に難しい。

 龍之介は「深浦ね」と呟いた。「素人なら、簡単にひんむかれる場所だ」そう言って、じっと、順次を見る。

「あんた、また、『はる』を泣かせるようなことを」

 怒りを隠しきれない口調で、お香はそう言った。

「お、おれは後ろ暗いことはしていねえ」

 慌てていい繕う順次に「賭場への出入りはご法度だ」と、龍之介は厳しく言い放った。

 順次は顔を青くして震えはじめた。

「勘助に関して、知っていることを全部話せ。場合によっては、今回は目をつぶってやる」

 賭場に出入りしていたことがわかったところで、大した処罰にはならないのではあるが、それを教えてやる義理はないな、と晃志郎は少しだけ意地悪く思った。

「逢引きの手伝いをしただけです」

 消え入りそうな声で、順次はそう言った。

「逢引き?」

大岩屋おおいわやの女房と勘助の逢瀬の手伝いをすれば、賭場の借金を持ってくれると」

 順次の言葉に、お香は眉を寄せた。

「大岩屋の女房って、順次、あんた、不義密通の手助けをしたのかい?」

 大岩屋というのは、大きな呉服問屋である。大岩屋の女房というのは、番付にも乗ったことがある評判の美女だ。艶めかしい女で、悪いうわさが絶えない女らしい。しかし、匂い立つ色香と、したたかさで、大岩屋の主人を虜にしているという話である。

「あんた、大岩屋の旦那に、義理があるだろう? 恥ずかしくないのかい?」

「へ、へえ」

 順次はお香の剣幕にさらに身体を小さくした。

「……女房と勘助は知り合いなのか?」

 龍之介はお香をなだめるように口をはさんだ。

「お……幼馴染だと。その、ずっと好き合っていたと勘助が」

 しどろもどろになりながら、順次がそう言った。

「女房のおゆうにわたりをつけたとき、女房の方も喜んでいるように見えまして」

「生木を裂いたのは、大岩屋の旦那の方だと、お前は思ったのだな?」

 龍之介の言葉に、順次は首をコクコクと振った。

「お優さんは美人だから、そういうこともあるかもしれないけど、人の道に外れることじゃないか」

 お香は苦虫をかみつぶしたような顔をして、唇をとがらせた。

「それで、逢引きの手助けをしたのはいつ頃だい?」

 晃志郎は順次に話を促した。

「へえ。ひと月ほど前でございます。なんでも、良い仕事についたとかで、『酔』のツケも気前よく払っておりました」

「……順次、馬鹿だね。そんなふうに突然、金回りの良くなった男、ろくでもないにきまっているじゃあないか」

 お香はパシッと、自らの額に手を打った。ふうっと息を吐き、煙管を煙草盆に戻した。そして、座敷から立ち上がり、土間へと降りる。姿勢を正してたたきに座り、手を添えながら頭を下げた。

「お役人さま、どうかお慈悲でございます。この男の女房のはるは、身ごもっております。あたしがよく言って聞かせますので、堪忍してやってください」

 土下座をするお香の姿に慌てて順次もその隣で、額を地に擦り付ける。

「顔を上げな、別に、すぐにおめえをしょっぴいたりはしないから」

 龍之介は苦笑して、二人に顔を上げさせた。お香はともかく、順次は青ざめた顔で、ぶるぶると震えている。

「勘助とは深浦の賭場で会ったと言ったが、勘助は深浦にはよく来ていたのかい?」

 晃志郎は、座り込んだ順次のとなりに屈みこんで問いかけた。

「いえ、深浦で見かけたことはありませんでした。勘助は話によれば、いつも虎金寺の賭場に行っていたそうです」

 晃志郎は苦笑した。『見かけたことがない』といえる程度には、賭場に頻繁に出入りしていたらしい。

「勘助は人殺しだ。おぬし、一歩間違えば、不義密通の手助けではなく、人殺しの手助けをさせられていたかもしれないのだぞ」

 龍之介の言い聞かせるような言葉に、順次は首を何回もふって頷く。

「女将、この男が、再び賭場通いなどせぬように、しっかり監督してやってくれ」

 龍之介はそう言って、順次の頭をポンと叩いた。

「今日のところは、女将に免じて仕置きなどはせぬ」

 龍之介の言葉に、二人はほっとしたらしく、身体から力が抜けたようだった。

「必ず、言って聞かせます――ありがとうございました」

 お香は、我が事のように何度も頭を下げ、順次はぺたりと額を地に貼り付けるのをみながら、店を出ると晃志郎はニヤリと笑った。

「龍之介さまもお人が悪い。随分と脅しをかけられましたね」

「これで、二、三年は、賭場に行く気はなくなるだろうよ。その間に、遊び癖が治れば良いのだがな」

 龍之介の言葉に、晃志郎も頷く。

「大岩屋か……噂の番付の美女にご対面だな」

「……勘助とお優は本当に幼馴染なのでしょうか?」

 晃志郎はふうっと息を吐いた。

「そればっかりは、会ってみないとわからんな」

 龍之介はそう言って、大岩屋へと足を向けた。

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