第二十五話 朧の勘助 参

 朧の勘助は『雪思路』近くの俵町たわらまちの裏通りの長屋に住んでいたらしい。もっとも、市井奉行の調べによれば、ほとんど家に帰ってはおらず、盛り場を転々としていたということだ。

 晃志郎と龍之介は長屋の様子をうかがった。井戸端には、長屋に住む三人の女房たちがたらいを置いて洗濯をしている。どこの長屋でも見られる、ごく普通の光景である。

「俺に任せてください」

 晃志郎はそう言うと、ふらりと女房達の方へと歩いていく。龍之介は、門の外で様子を見守ることにした。こういった女房達は、役人には口が堅い。役人に話すような内容は、既に市井奉行所の調べでわかっている。

「あの」

 晃志郎は女房達に遠慮がちに声をかけた。

「こちらに勘助という男が住んでいると思うのですが」

 女房達は手を止めて、晃志郎の顔を見る。

「あんた、誰だい?」

 一番気の強そうな目をした女が、晃志郎の顔をジロリと見た。

「赤羽晃志郎と申しますが……姉を、捜しておりまして」

 晃志郎は、沈痛な顔でそう言った。

「お姉さん?」

 女房達の顔が好奇の色を浮かべる。

「はい。姉が嫁ぎ先から消えまして。なんでも、こちらの勘助と逃げたと」

「あらあら。兄さんのお姉さんなら、きっと別嬪さんだろうに、あんなゲスな野郎に騙されるなんて」

 先ほどの女房が、面白げに、しかし言葉だけは気の毒そうにそう言った。

「女は、何人かいたみたいだけど、この家にいついた女はいないわよ」

 洗濯の手を止めずに、地味な印象の女房が答える。

「そんなに、女性関係の激しい男だったのですか?」

 晃志郎は眉を寄せる。

「それほど、イイ男ってわけじゃないけど、金回りは良かったみたいだから」

 一番若そうな女房がそう言った。

「金、ですか」

 晃志郎は、小さく呟いた。それほど意図した言葉ではなかったのだが、女房たちの想像力を刺激したらしい。

「あんたのお姉さん、ひょっとして金づるにされたの?」

 晃志郎は、応えず、曖昧に口を歪める。

「勘助は、今、奉行所にとッつかまっているから、ここにはいないわ。残っていた荷物も奉行所が全部持って行ってしまったから、家探やさがししても何もないわよ。でも、勘助は捕まっているのに、アンタのお姉さん、家に戻っていないの?」

 心配そうに、地味な印象の女房が晃志郎の顔を見上げた。

「ひょっとしたら、どこかの女郎小屋に売られちゃったかもしれないわよ。あいつ、なんかやくざとつるんでいたみたいだから」

「……人相の悪い男が訪ねてきたりしたのですか?」

 晃志郎は驚いた顔で訊ねる。

「え? 違うわよ。山峯町やまみねまちの近くで、歩いているのをたまに見かけたの」

 気の強そうな女がそう言った。

「山峯町……」

 山峯町は『やばね』をはじめ盛り場が多い。

「私たちね、山峯町にある『白花びゃっか』っていうお店でお茶を買っているの」

 『白花』はそれほど大きくもない、茶葉の専門店らしい。高級品というよりは、庶民がふだん飲むことが出来る程度の、手ごろな値段の商品を多く取り扱っているということだ。

「そうなの。白花に行くと、高確率で勘助を見たわ。挨拶なんてしたことないけど」

 そもそも、長屋にいた時でも勘助は挨拶をしないような人間だったらしい。

「白花の近くにもう坊主がいない荒れ寺があって。そのあたりは、昼間でもやくざがたむろっているという噂なの」

「荒れ寺、ですか」

 晃志郎は頷いた。放棄された寺というのは、賭場になったり、無宿人たちのたまり場になったりもする。しかも、もともと霊的な場所であったがために、よどみが多く、虚冥も巣食いやすい。

「ところで……勘助が、最後に家に戻ったのは何時か覚えていませんか?」

 勘助は雪思路の大門のすぐ脇にある酒屋で二十日前に御用となったと聞いている。

「ええっと」女房達は顔を見合わせた。

「……そうよ、カンちゃんがお熱を出した時よね」

「そうそう。ひと月くらい前かしら」

 一番若い女房が指を折るように首を傾げる。

「なんか、陽が沈んだころに帰ってきて夜中過ぎまで、何かしていたみたい。今思えば、荷物をまとめていたのだと思うわ」

「荷物?」

 晃志郎が首を傾げると、女房たちが頷いた。

「お役人たちが部屋を調べた時には、本当に、ほとんど何もなかったらしいの。欠けた茶碗くらいしかみつからなかったって話よ」

 晃志郎はふうっと息をつく。

「ここに女性が訪ねてきたというのは?」

 女房達が顔を見合わせる。

「そうねえ、半年くらい前までは、あの男、結構、家に帰ってきていたのよ。何人か女を連れ込んでいたわ……いつも違う女だったけど」

 晃志郎は沈痛な顔で頷いて、女房達に礼を告げ、木戸の外に待っていた龍之介のもとへと戻る。

「……晃志郎の聞き込みの腕は、たいしたものだな」

 龍之介の賛辞に、晃志郎は肩をすくめた。

「そうでしょうか。封魔士なら誰でもこれくらいはすると思いますが」

 封魔士というのは、術をやり取りする以前の情報収集が重要なのである。

「しかし、たいした話は聞けませんでした」

 晃志郎は苦笑いを浮かべた。

「山峯町でたむろしていたことと、おそらく女がいる……くらいですね」

 雪思路と山峯町は近い。しかも山峯町には夢鳥が住んでいた『やばね』がある。

「荒れ寺……おそらく虎金寺こきんじだろう。十年以上前に住職たちが変死して……以来、放棄されていると聞いている」

 龍之介は、考えながら、そう告げる。

「寺へ行きますか?」

 晃志郎の言葉に、龍之介は首を振る。

「いや……まずは、周辺を固めよう。安易に踏み込むのは危険だ」

「では、御用となった酒屋へ行きましょう。確実な足取りを追う方が簡単ですから」

「そうだな」

 晃志郎の言葉に、龍之介は頷いた。



「あら」

 お茶の手習いに出かけた帰り、沙夜は、女性に声をかけられた。

 吊り目の大きな瞳。気の強そうな女性である。

「えっと、確か赤羽さまとご一緒だった?」

「ええ。杉山美和すぎやまみわです。お買い物ですか?」

 美和はそう言って、頭を下げ、沙夜の一歩後ろに下がって立っている谷本にも頭を下げる。

「いえ、手習いの帰りです」

 沙夜がそう言うと、美和は人懐っこい笑みを浮かべた。

「少し、お話できます?」

「ええ?」

 目をキラキラさせながら美和は沙夜を向かいにあったお茶屋へと連れていく。

 店内の床は三和土たたきで、草履のまま椅子に腰かける様式になっている。

「ここの、お茶菓子が最高に美味しいの。でも、一人ではなかなか、ね」

 確かに、若い女性が一人で茶店に入るのは目立つ。

「谷本様?」

 沙夜は遠慮がちに谷本の顔をうかがうと、谷本は相変わらず口元だけに笑みを貼り付けて、「よろしいですよ」と答え、沙夜たちに遠慮する様に、離れた位置に座った。

「ごめんなさい。忙しかったですか?」

 美和の言葉に沙夜は首を振った。

「私は全然。忙しいのは、護衛の谷本様の方なの」

 美和は面白そうに沙夜を見た。

「谷本様というのは、お役人さま?」

 小声で美和は尋ねる。

「ええ。父の部下なの。本来は別にお役目があるのだけれど」

 沙夜は苦笑する。仕事が山ほどあるであろうに、沙夜が外出するたびに、護衛を言いつけられる谷本が気の毒である。

「晃志郎さまを護衛にしてはダメなの?」

 美和はさぐるような目で沙夜を見る。

 沙夜は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「……赤羽さまには断られました」

 言いながら。沙夜は、晃志郎を名前で呼ぶ美和の姿に心がざわつく。

「それに……赤羽さまは四門でお仕事をされることになりましたから」

「え? 晃志郎さまが仕官?」

 美和は驚いたように目を丸くした。

「みずくさい。なんで、言わないのかしら。お祝いぐらいしたのに」

 美和はそう言って一瞬、哀しげに目を伏せる。そうして、ふーっと息を吐いた。

「まあ、でも、父には言いにくいかしら」

「お父上?」

「そう。父は、晃志郎さまに道場をつがせたいのよ」

 美和は苦笑した。それは、晃志郎を婿入りさせるということだ。沙夜は自分の顔がこわばるのを意識した。

「晃志郎さまにその気はないわよ? 晃志郎さまは弟の太一が継ぐべきだって、ずっと言っているから」

 美和は店員にお茶と茶菓子を注文して、淡く微笑んだ。

「父は、晃志郎さまの剣に魅了されているの……その気持ちはわからなくもないし、晃志郎さまが道場を継いだら、うちの道場の名は上がるわ。でも、晃志郎さまは剣士であると同時に、優れた封魔士ですもの。道場なんかで埋もれたら、もったいないわ」

「美和さんは……それでいいのですか?」

 沙夜はおそるおそる、口を開く。

 美和は苦笑して。運ばれてきたお茶を手に取った。

「晃志郎さまは嫌いじゃないわ。父に嫁げと言われたら、素直に従うと思うけど」

 美和は湯呑のお茶をごくんと飲みほした。

「でも、晃志郎さまに、その気がないのだから」

 その言葉はどこか寂しそうに見えた。

――美和さんは赤羽さまがお好きなのだ。

 美和のなかに、自分と同じ想いを見つけて、沙夜の胸に複雑な想いが広がる。

「いやだわ。誤解しないでくださいね。私と晃志郎さまは何でもないですよ」

 ぱたぱたと慌てたように、美和は手で仰いだ。

「お声をかけましたのは、この前、沙夜さまとお会いした後の、晃志郎さまの様子が気になったからです……でも、仕官したというなら、晃志郎さま、本気ということですね」

 美和は一人で納得したように頷く。沙夜は、何のことだかわからなくて、首を傾げた。

「本気とは?」

 沙夜の言葉に、美和は首を振る。

「そんなことは、晃志郎さまから聞いてください……って、まだ言えないのかもしれませんね。沙夜さまは水内家のお姫さまですもの」

 ふーっと美和は息を吐いた。そして、何かが吹っ切れたような笑顔をになった。

「お話できてよかったです。晃志郎さまにお会いしたら、父に仕官のこと、話に来るようにお伝えいただけますか?」

「あの、その……赤羽さまが、お話をされていないのは、まだ、正式に仕官が認められたわけではないからだと思います」

 沙夜は、慌ててそう言った。仕官を決めたのは、本当にここ二、三日の話だ。恩師に報告に行く暇すらなかっただろう。仕官の話を自分が知っていて、美和が知らなかったのは、単純に晃志郎が兄の龍之介といっしょに仕事をしていて会う機会があったという違いだけだ。沙夜が晃志郎にとって、特別だから知っていたわけではない。

「沙夜さま、敵に塩を送る必要は、ないですよ」

 くすり、と美和は笑い、茶菓子を口に運ぶ。

「……なんか、晃志郎さまのお気持ちが手に取るようにわかってしまう、自分が嫌ね」

 美和は首をすくめ、大きく息を吐いたのだった。

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