第三十一話 虎金寺 四
雨音に紛れながら、晃志郎と田所は、足音を立てぬように板張りの廊下を歩く。
すでに、外は闇に包まれている。廊下の伸びた先の障子から灯りがおちていて、人の気配がした。
チリチリとする肌が、星蒼玉の気配を伝えている。
田所は目配せをして、通路脇の襖を慎重に引いて、何もない部屋へと入っていった。ここからは、二手に分かれ、外の応援が来るまで、人を逃がさぬようにしなくてはならない。
十人、と田所は言ったが、相手の実力は未知数だ。
灯りの傍まで身を寄せると、晃志郎は笄を抜いた。ふうっと大きく深呼吸する。
カチャカチャと中から音がしている。おそらく、術具を作っているのであろう。
「もう少し、だな」
男の声がする。
「まだ、穢れが足りぬ」
晃志郎は意識を集中する。人の気配は間違いなく、十人ほどだ。
「誰だ!」
誰何の声が響いた。晃志郎に、ではない。
おそらく、田所が見つかったのであろう。
グワン、と大気が歪んだ。虚冥が開いたのだ。
「朱雀っ!」叫びながら、 晃志郎は、目の前の障子の戸を滑らせた。
晃志郎の言葉で宙に朱金の光が生まれる。
黒い蛇がとぐろを巻き、田所を睨んでいた。田所の前の空間がキラキラと煌めき、白金の光が生まれた。
白い猫であった。
田所を睨みつけているのは、見覚えのある鋭い目の男。蛇は、男が操っているのであろう。
「夢鳥」
晃志郎は呟く。
しゅるっ。
晃志郎の前に、黒々とした四足の獣が躍り出た。黒い獅子である。舌なめずりをするかのように、獣は、晃志郎を睨みつけた。
「
「死にぞこないの指示は受けぬ」
雷太、と呼ばれた男は、晃志郎の前に立った。
「術者は、ふたり、か」
残りの八人のうち、六人が剣を抜いた。見るからに用心棒のような身なりで、いずれも、剣に覚えがある動きである。後のふたりは、どうやら職人らしい。手に術具を持ち、逃走を狙っている。
最初に動いたのは、獅子であった。
獅子は大きな体躯から想像できない敏捷性で、床を蹴ると晃志郎に躍りかかった。
晃志郎は、腰を落として体をひねり、獣の突進を紙一重でかわしながら抜刀し、目の前に迫った白刃を薙ぎ払って、自分に切りかかった男の足を引っかけて床に叩き落とした。
それを見て、田所の方へと逃走を図った職人であるふたりの男の足を田所が斬る。絶叫と、血が飛び散った。
「ふっ」
夢鳥が嗤い、黒い蛇が田所の瑞獣をからめとって、締め上げ始めた。
虚冥が開き、瘴気が噴き出した。気温が下がり始める。床に霜が降り始めた。
「朱雀」
晃志郎の声に答え、朱雀はざっと宙を舞い、白猫を取り込もうとする黒蛇へと突撃をする。
グギャーと、この世のものでない声を黒蛇があげ、のたうった。
「よそ見をするなっ!」
雷太と呼ばれた男が叫び、黒獅子が再び、晃志郎へと躍りかかる。
刃を持った男たちが、晃志郎の退路を断ったのを見ながら、晃志郎は、白刃を獣の喉元へと突き立てた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
晃志郎の唱えた九字に、黒獅子が苦悶の叫びをあげた。
「夢鳥どのっ!」
ドタバタと足音が鳴り響いた。襲撃者を察知して、寺のあちこちから人が集まってきた。
「鼠め」
雷太が憎々しげに吐き捨てるように印を結んだ晃志郎を睨んだ。晃志郎は念を凝らす。既に、瑞獣を使用しているだけに、簡単には散らせない。
「ぐわっ」
叫び声がした。目をやれば、数人の男に囲まれた田所の肩から、血が流れている。
「俺に構うなっ!」
足を向けかけた晃志郎を制するように、田所が叫ぶ。
虚冥の瘴気が噴き出しているせいで、肌がヒリヒリと痛む。さすがにこれだけの人間に取り囲まれた状態で、封魔の技に集中するのは、難しい。しかし、今、この集中を解けば、黒獅子は自由を取り戻すだろう。
背後に、殺気を感じる。晃志郎の後ろにも、人の気配があった。
「職人を逃がせ。最優先だ」
夢鳥がそう口を開くと、足を斬られ、それでもようやくに部屋の隅まで這いつくばっていった、ふたりの人間を男たちがかつぎあげる。
グオン。
大気が揺らめく。
もともと、大きな虚冥が開いた場所である。そして、寺というのは、呪術的な力が溜まりやすい『場』だ。
――マズイ。
吹き上げる瘴気が、黒き妖獣たちに力を与えていくのだ。
「くっ」
田所の呻き声が洩れる。肉体的な負傷を抱えながら、瑞獣を駆るのは、かなりの負担である。晃志郎としても、手を貸したいのはやまやまであるが、ふたつの妖獣相手、しかも、刃を持った人間に囲まれた状態では、これ以上は手を貸すことが出来ない。
ちりちりと肌が痛む。
夢鳥と雷太は、獣を操りながら撤退を始めた。大きくなる虚冥の穴のために、妖獣の力は増していく。
――いちか、ばちか。
晃志郎は、自分と田所の距離を測る。ふたりをへだてるあいだには、白刃を持つ人間が三人いる。四門の人間が突入するまで、あとわずかとはいえ、自分はともかく、田所は持ちそうもない。
「朱雀ッ!」
晃志郎の言葉のともに、朱雀が激しく発光した。眩い朱金の輝きが生まれ、そこにいたものの目を、一瞬、焼いた。
晃志郎は、その隙をついて、三人の男を切り倒した。
「させるかっ!」
夢鳥が叫ぶと、黒い蛇がのたうって、その口から黒塊を飛ばした。
「田所さんッ!」
晃志郎は、黒塊の先に立っていた田所を自分の身体をぶつけて、突き飛ばした。
「ぐっ!」
晃志郎の背後の左の肩に、黒塊が突き刺さった。
「虚弾、か」
晃志郎の顔が苦悶に歪んだ。晃志郎の全身に痛みが走る。
「貴様は目障りだ。死ね」
夢鳥がそういうと、もう一度黒い蛇は、黒塊を吐き出した。
田所からの合図を待って、龍之介たちは、寺へと侵入を開始した。
逃走を防ぐために、出入り口を固めつつ、足音を極力潜めて雨の中、境内をすすむ。
――虚冥が開いた!
不意に、ぐわんと大気が歪んだ。術者が、遠隔地から狙うものとは違う。虚冥の力を練り込んだ妖獣の気配だ。
「土屋! 結界だっ! 外からの術を防げっ!」
穴平が叫んだ。土屋はその場で扇をとりだし、大きく結界を張る。今、外からの術者が加勢するようなことがあっては面倒である。
龍之介は、寺の周りを見まわす。背後にあるはずの山が黒々とのしかかってくるようだ。龍之介は、ぞわりと肌が冷えるのを感じた。
「穴平さまっ、山を! 山にも結界をっ!」
龍之介の言葉に、穴平は山の方角を見上げた。暗闇の向こうに、常ならぬ力がわずかに押し寄せる気配がする。
「水内、俺は山を抑える。寺はお前に任せた」
穴平は土屋と同じ黄央流。つまり、結界の専門職だ。穴平が相手であれば、そう簡単に後れを取ることはない。
「よしっ、他のものは、俺について来い!」
龍之介は、虚冥の気配に向かって走った。もはや、足音など気にしない。玉砂利と、水が跳ね上がる音が鳴り響く。既に夜の闇が辺りを覆っていた。
クギャー
この世のものならぬモノの叫び。
続いて、たくさんの人間が移動している気配がした。
膨れ上がっていく虚冥の気配が、はっきりと術者の位置を示している。
本堂から伸びた長い通路の向こうから、灯りが洩れていた。
「田所さんっ!」
晃志郎の声がした。
庭木をよけ、ようやく視野に飛び込んできたのは、苦悶に歪んだ晃志郎の姿だった。
「貴様は目障りだ。死ね」
男がそう言うと黒い蛇の形のした妖獣から黒塊が吐き出された。
「蛟よっ!」
龍之介の叫びに答え、妖獣の塊を、青い燐光を放つ蛟が受け止めた。
「なっ」
男の顔が驚愕に歪み、現れた龍之介たちの姿を認めた。
「封魔四門である。全員、神妙に、お縄についてもらおうか」
龍之介は、抜刀しながら言い放った。
龍之介の姿を認め、晃志郎は力が抜けかけた自分の身体を必死で保つ。まだだ、と、自分に言い聞かせ、意識を集中する。
「逃げるぞ、雷太」
「しかしっ」
夢鳥と雷太が交わす会話を聞きながら、精神を集中する。
夢鳥が力を注いで、虚冥の穴から闇が吹き上げた。その闇を吸い上げて、ふたつの妖獣の体躯が大きくなっていく。
黒蛇は、白猫から離れ、夢鳥の退路を確保しようとのたうち、黒獅子は、術者ふたりの背を守ろうと大きく吠えた。
「なめるなよ」
晃志郎はそう言って。
「朱雀っ!」
渾身の力で瑞獣を呼ぶ。朱雀は、朱金に輝きながら、大きく部屋を旋回した。
「行くぞ、雷太、放っておけ」
「クソっ!」
黒蛇に躊躇した囲みを突破して、夢鳥たちが移動する。
「朱雀」
晃志郎の言葉に、朱雀は、黒獅子の喉元へと突入する。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
晃志郎は九字を唱え、印を結び、念を凝らす。朱雀の羽が一枚一枚、キラキラと光を放ち、黒獅子の身体から朱色の焔が立つ。
「浄化せよっ!」
晃志郎の命で、妖獣の黒い身体が発火した。闇色の獣は叫びを上げながら、焔の中に溶けていく。
「ぐわああ」
雷太と呼ばれる男が絶叫する。
「虚冥よ、閉じよ」
朱雀が瘴気に満ちた大気をその内なる炎で、焼いていき、そして。
晃志郎は、全身にしびれを感じて、そのまま倒れ落ちた。
もはや、指一本、動かない……そう思った。
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