第三十二話 虎金寺 五

 学んではいるが、実際に『浄化』という技を、龍之介は使ったことはない。

 目の前で、焔の中に溶ける獣を目にして、思わず目を見張った。

 敵も、味方も。またと見られぬ封魔の術に魅せられ、凍り付いたように美しい朱雀を凝視する。

「ぐわああ」

 黒い獅子を駆っていた術者が絶叫した。

 妖獣は術者の一部である。失うことは、場合によっては死を意味する。

 龍之介は、我に返り、蛟を行使しながら、全員を捕縛する様に指示を出した。その場に残っていたものの多くは戦意を喪失し、素直に縄を受けていく。

 朱雀が旋回を終え、虚冥の気配が消えた時、晃志郎が、崩れ落ちた。

「晃志郎っ!」

 龍之介の言葉に、晃志郎は応えない。

「赤羽殿っ!」

 田所が、晃志郎を抱き起した。

「虚弾を受けています! 早く処置しなければ、命が!」

 田所が晃志郎の背中に突き刺さったものを見て、悲痛な声を上げた。

「虚弾」

 龍之介は心臓が冷えた。

 虚弾というのは、虚冥そのもの、といっていい。しかも、受ける側の霊力に比例し、毒性が強くなるといわれている。

「晃志郎!」

 龍之介は、田所に抱えられた晃志郎のもとへと駆け寄った。青白い顔で、深い息をする晃志郎の脈をとり、その弱さに驚愕する。

「龍之介さま」

 晃志郎が、蚊が鳴くような声で呟いた。

「俺はダメです……。俺が死んだら……『かめや』の『なつめ』に……」

「晃志郎っ!」

 龍之介は、がっくりと力を失った晃志郎を、うつぶせに寝かせた。

 龍之介は辺りを見回す。用心棒たちは既に抵抗を止めた。夢鳥は逃げたものの、雷太と呼ばれた術者は、虫の息ではあるが、確保している。

 一瞬、夢鳥を追うべきかどうか迷う。しかし、追って捕まえられるものならば、包囲している人間で何とかなるだろう。

 それよりも、晃志郎をこのままにしておけば、確実に死ぬ。ここで、死なせるわけにはいかないと龍之介は思った。

「田所、あとの指揮を頼む」

「水内様、何を?」

 龍之介は、黒い塊にえぐられている傷口を見て、目をしかめた。

「荒療治だ」

 田所は龍之介の意図を組み、夢鳥の去った方角の捜査を指示し始める。田所自身も負傷してはいるが、動けないほどではない。

「蛟よ」

 龍之介は蛟を手元に寄せた。大きかった瑞獣が、小さく身体を縮めていく。

 龍之介は、意識を晃志郎の傷口に集中した。するすると、蛟が傷口へと入り込んでいった。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 九字を唱える。虚弾がつくる虚冥が、渦を巻いていた。それを、ゆっくりと瑞獣が清めながら、範囲を狭め、封じ込めていく。

「捕えろ」

 蛟は、龍之介に応え、黒塊に巻き付いた。そしてそのまま、それを外へとえぐり出す。

 コロン、と、黒い塊が転がり落ち、シュッワァと音を立てて、塊が消えていく。

 が。塊が消えたことで、傷口から、激しい出血が始まった。

「くそっ!」

 思いのほか、傷口が大きく、ドクドクと血が流れていく。龍之介は小袖を切り裂いて、晃志郎の傷口を縛り上げて圧迫した。

「死ぬな、晃志郎」

 唇を噛みながら、龍之介は晃志郎の血を、必死で押さえ続けたのだった。




 早朝。乱暴に引き戸を開ける音で、沙夜は目が覚めた。

 兄の龍之介が帰ってきたのであろうが、いつになく殺気立った物音に、沙夜は上着を羽織り、慌てて玄関へと出た。

 茂助も、跳ね起きたらしく、大慌てで、玄関へと現れた。

「座敷に、布団を用意しろ」

 龍之介は茂助に叫ぶ。

「え?」

 沙夜は息をのんだ。

 龍之介は、土屋と一緒だった。ふたりが戸板にのせて運び込んだのは、身じろぎ一つせぬ、晃志郎であった。

「赤羽さま?」

 晃志郎は、意識を失っているらしかった。肌の色は青白く、呼吸はひどく弱々しい。

「虚弾をくらった。処置はすんでいるが……かなり危ない」

 龍之介の言葉に、沙夜はガクガクと震え、血の気が引いていくのを意識した。

「沙夜、『霊幻糖れいげんとう』を作れるか?」

「はい」

 霊幻糖というのは、五つの薬草と、酒、さらに霊力を練り合わせた薬湯で、『魂鎮め』で学ぶ技のひとつである。

 激しく虚冥に痛めつけられた肉体を回復させる効果がある。

「頼む。もう……他に方法がない」

「すぐにも」

 息を整え、沙夜は弾かれたように、庭へと飛び出した。

 夜着、そして素足のままであったが、そんなことは、どうでも良かった。

 立ち止まったりしたら、晃志郎が死ぬかもしれぬという恐怖で固まってしまいそうで……沙夜は、朝露の浮かぶ薬草を震えながら必死に摘んだ。


「虚弾か……」

 源内は、厳しい顔で、横たわる晃志郎と、龍之介たちを見た。

「虚弾そのものは摘出した。傷口も詰所で、医者に縫ってもらってきたのだが」

 座敷に晃志郎を運び込むと、起き出してきた源内に、龍之介は事情を説明した。

「何しろ、虚弾を喰らった状態で、妖獣を浄化するなどという無茶をした」

「浄化を……」

 源内が驚いたように目を見開く。経験豊かな源内でさえ、『浄化』の技に立ち会った機会は数えるほどしかない。

「医者も、霊幻糖を飲ませはしたが、変化は、ほぼなかった」

「赤羽どのは焔流。樹燐流の霊気を練った『霊幻糖』のほうが、効果が高いかもしれないということになったのです」

 龍之介の言葉のあとを、土屋が受けて続けた。

 五行の法則によれば、『火』を育てるのは『木』である。焔流である晃志郎の霊気は『火』の力が強いといえる。

 水内家の樹燐流は『木』が強い。

 五行の相性などは、術者の霊力の大きさ、薬の薬効に比べれば些細なものではある。しかし、もはや、そこに望みを掛けるしかない状態であった。

「加えて言えば、赤羽どのは独り身で、家に帰っても、面倒を見る人間がいないから、水内さまが、いったんはこちらに連れ帰ると」

「なるほど」

 源内は、頷いた。応急手当の段階ならともかく、いつまでも四門の詰所に寝かせておくわけにはいかず、かといって、家に連れ帰ったとしても、意識のない状態の晃志郎を放置するわけにはいかない。

「源ジイ、悪いが、しばらく晃志郎を頼む。俺たちは、まだ、役目が立て込んでいる」

「わかった」

 源内は頷いた。

「親父には、後から説明すると、伝えてくれ」

 立ちあがる龍之介に、源内は首を振る。

「赤羽晃志郎殿は、わしの客。兵庫に文句は言わせんよ」

 龍之介と土屋が仕事に戻っていくのを見送り、源内はふうっと息をつく。

「頼みは、霊幻糖か……心もとないな」

 血の気のない晃志郎の顔を見ながら、源内は大きく頭を振ったのだった。



 昼過ぎ。

 龍之介は、『かめや』の暖簾をくぐった。

「いらっしゃいませ」

 にこやかに出迎えた女中に、声をかける。

「封魔四門の水内である。なつめ、という女性はいるか?」

 龍之介が問うと、女中は一人の女を龍之介の前に連れてきた。

 やや年増ではあるが、美しい女だ。女は、龍之介の顔を見て、やや顔を強張らせている。

「なつめは、私ですが、何か?」

 龍之介は、声をひそめた。

「赤羽晃志郎が、死んだら、そなたに連絡せよと」

 龍之介は首を振る。女の顔が驚愕に歪んだ。

「あわてるな」と、龍之介は言った。

「死んではおらん。しかし、瀕死の状態で、藍前町の俺の家で預かっている」

 女――なつめは、龍之介の顔をじっと見つめた。

「赤羽様は、簡単にやられるようなお人ではありませんが?」

 なつめはそう言った。龍之介の言葉の真意を探っているようだ。つまりは、晃志郎の実力を知っていることがわかる。

「虚弾を喰らった」

 龍之介の言葉に、なつめは目を見開いた。手がぶるぶると小刻みに震えている。

 しかし、なつめは、それ以上、表情を変えはしなかった。

「藍前町の、水内様ですね?」

 なつめの言葉に、龍之介が頷くと、何事もなかったかのように、営業用の笑みを浮かべた。

「後ほど、お伺いします」

 なつめはそれだけ言うと、「それでは失礼します」と頭を下げ、店の奥へと引っ込んでいった。


 沙夜は祈りを込めながら、霊幻糖を作った。霊力を練り込んだ薄緑の液体に劇的な効果などないことは、わかっていても、これしか方法がないのである。

 沙夜は出来上がった薬湯を急須に入れて、湯呑と薬さじをもって、座敷に入った。

 部屋は障子が閉められていて、薄暗い。源内は、席を外しており、部屋には晃志郎と沙夜だけである。

「赤羽さま」

 沙夜の言葉に、晃志郎は応えない。のべられた床に横たわったままだ。

 沙夜はおそるおそる、青白い晃志郎の頬に手を振れる。

「……つめたい」

 その感触に、沙夜はふるえながら、上下する胸元に目をやる。呼吸はある……でも、とても弱い。

「赤羽さま……飲んでください」

 頭を支えながら、口元に薬さじを運ぶが、薬湯は流れていくばかりだ。

 沙夜の言葉も願いも、晃志郎には届かない。このまま、永遠に届かなくなってしまうのだろうか。

 そう思うと、沙夜の胸は痛んだ。

 ――晃志郎さま

 沙夜は薬湯を口に含み、そのまま唇を晃志郎の唇に押し当てた。

 ――生きて。晃志郎さま……生きて……。

 沙夜は、自分が泣いていることにも気が付かず、何度も晃志郎の唇に薬湯を含ませ続けたのだった。



 雷太、と呼ばれていた術者は、命はとりとめたようだが、意識はなかった。

 残念ながら、夢鳥は逃走を果たしていたが、虎金寺からは、大量の穢れた星蒼玉が発見された。

 とりのがしたものもあったが、それでも、それなりの成果はあった。もちろん、晃志郎の他にも負傷した者もあり、四門側にも甚大な被害が出ている。手放しで喜べる状態ではない。

「羅刹党、というのを聞いたことがあるか?」

 穴平は、龍之介を呼び寄せて、そう言った。

「先日、桃楼郭の庄治郎から聞きました。なんでも呪術を請け負う集団だそうで」

「ああ」

 穴平は、苦い顔で頷いた。

「呪術者とは徒党を組まぬもの……そんな先入観で、噂と決めつけていたが」

 現に、夢鳥は、雷太という術者とともにいた。少なくとも、呪術者の共闘を否定することはできなくなった。

「今回、どうやら俺たちは羅刹党のしっぽをつかんだのかもしれぬ」

 穴平の言葉に、龍之介は頷いた。

「本来なら、一気に行きたいところがが……四門も満身創痍だな」

 ふうっと穴平は息をついた。

「水内、お前も、一回、家に帰って休め」

 穴平は、龍之介の肩にポンと手を置いた。

「酷い顔をしているぞ」

 穴平の言葉に、龍之介は首をすくめた。

「今、お前に倒れてもらっては困る」

 穴平はそれだけ言うと、仕事に戻っていった。龍之介は、軽く頭を下げ、詰所を後にする。

 夜の闇が町に降り始め、通りに灯が灯りはじめた。

 龍之介は重い体を引きずるように、家路を急いだ。

 家の門までやってきたとき、籠が横づけにされているのを見た。

「水内様」

 籠から降りてきた女性は、龍之介に気が付いて、深く頭を下げた。

 服装は町娘というよりは、武家の女ふうであるが、間違いなく、『なつめ』であった。

 龍之介は、玄関の戸を開き、なつめを招き入れた。

「まずは、晃志郎の様子を」

 龍之介はそう言って、座敷へと案内をした。

 座敷には、既に行燈に火がともり、憔悴した様子の沙夜と、源内がこんこんと眠る晃志郎のそばに座っていた。

「晃志郎っ!」

 なつめは、晃志郎を一目見ると、青ざめ、そして駆け寄った。

 突然現れた女性に、沙夜と源内は、驚きの表情を隠せない。とくに、沙夜は大きく動揺したようであった。

 なつめは晃志郎の脈をとり、顔をしかめ、そして龍之介たちに向きなおった。

「このたびは、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 なつめは、額がつきそうなほど、頭を下げた。

「あなたは?」

 沙夜の問いに、なつめは、柔らかい笑みを浮かべた。

「赤羽晃志郎は……私の弟でございます」

「晃志郎さまの……お姉さま?」

「はい」

 なつめはそう言って、沙夜に話しかける。

「霊幻糖を処方して下さったのは、あなた様ですか?」

「はい」

 頷いた沙夜に、なつめは丁寧に頭を下げた。

「勝手を承知で申し上げます」

 なつめは懐から小さな包みを差し出した。

「十両、あります」

 なつめは厳しい顔で包みを沙夜の前に置いた。

「しばらく、晃志郎をここに置いていただくことはできませんでしょうか?」

 なつめは、額を床にすりつけるように頭を下げる。

「本来ならば、私が家に連れ帰り、面倒を見るべきが筋。しかし……」

 言いにくそうに、なつめは言葉を切った。

「晃志郎は、現在、訳あって家出中の身。もちろん、連れ帰ることはできますが……おそらく、本人はそれを望みません」

 なつめは、そう言って首を振る。

「それに……晃志郎には、まだ、お嬢さまの霊幻糖が必要です」

「私の?」

 びっくりした顔の沙夜に、なつめは頷く。

「水内様にお世話いただけたことは、晃志郎のいのちをつなぐ唯一の希望でございます」

 そう言って、もう一度頭を下げた。

「つまり、樹燐流ゆえ、ということか?」

 龍之介の問いに、なつめはニコリと笑って肯定した。

「必要なものは、全て、後からお届けいたします。どうか……わがままをお聞きいただけないでしょうか?」

「しかし、それでは、ご実家の親御さんはご心配なさるのではないかの?」

 源内が口をはさむ。

 なつめは、苦笑いを浮かべた。

「どうか、我が家の事情については、私にお聞きくださいませぬように。晃志郎が、話したくなれば、話すこともございましょう」

「どうする? 沙夜」

 龍之介は、沙夜を見る。沙夜は、意を決したように表情を引き締めた。

「お引き受けいたします。どうか、晃志郎さまのお世話させてください」

 なつめはもう一度、額を床に擦り付けて無言で頭を下げたのだった。


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