第三十三話 雌伏雄飛
「どうですか? 赤羽どのは?」
土屋は、取り調べの調書をまとめながらそう言った。
「今日で、三日目だが……意識が戻らん。ただ、悪くはなっていない」
龍之介は土屋の傍らに積んである書類の束に手を伸ばし、パラパラとめくる。
「昨日、晃志郎の姉から、着物やら米の他に、大量の薬草が届いた。よくわからんが、晃志郎の実家というのは、相当な名門のようだ」
「薬草ですか」
土屋は目を見開いた。
薬草と言っても、魂鎮めで使用するものは、いわゆる普通の治療には使われないため、農家はほぼ栽培しない。薬屋でも扱いが少なく、入手が困難だ。武家の場合、自宅で栽培することが多い。
まとまった数の薬草を手にするためには、かなり手広く栽培しないと無理であり、それが出来るのは、一部の寺社だけといってもいい。
土屋は首を傾げた。
「赤羽殿は、ひょっとすると
「焔大社か……」
焔大社というのは、焔流の総本山といっていい。和良比でも、かなり有力な神社で、五つある封魔の流派の中でも最強と呼ばれ、政治的影響力も大きい。
「確かに、大社なら、薬草を自由にできるな」
龍之介は得心する。
大社ゆかりの名家出身であれば、晃志郎の封魔の術が基本に忠実で、しかも洗練されているのも納得である。
「そういえば、雷太と呼ばれていた男ですが」
土屋はひょいと、調書を龍之介に渡した。
「この男、和良比に来たのは最近のようですね。どうやら、和良比の外の出身のようです」
「意識が戻ったのか?」
龍之介の問いに、土屋は首を振った。
「いえ、他の用心棒たちの証言です。雷太の意識が戻るかどうかは、五分五分といったところでしょう」
土屋はふうっと息をついた。
「用心棒たちの話では、虎金寺を仕切っていたのは、夢鳥と、『すず』という女だったそうです」
「女?」
捕縛した人間は、男ばかりで、女はいなかった。
「田所さんの話では、女が一人、間違いなくいたそうです……どうやら、どこかに抜け道があったようで」
土屋は首を振る。
「夢鳥が逃げたのも、その抜け道を使ったのでしょう。今、田所さんが調査をしていますが……」
「思った以上に、用意周到だったな」
ふうっと、龍之介は息をついた。
「遠隔の呪術攻撃も本気ではないにしろ、かなりありました。私も、穴平さまも、防ぐのがやっとで、反転まではとてもできませんでした……ある意味では、完敗でした」
土屋は手にした筆を丁寧に置く。
「もし……穴平様のおっしゃるような呪術組織があるのだとしたら、今のままではダメですね……」
「俺たちは、『集団』で攻められることを想定したことは、ほぼなかった」
龍之介は、書いたばかりの土屋の調書を受け取り、目を通しながら頷いた。
「四門の組織そのものから、見直さねばならぬかもしれぬ」
土屋は、ふうっと息を吐いた。
「何にしても。動ける人間は、手がかりを追いかけるしかありませんね」
追うべき組織の大きさも、目的もわからない。しかし……。
「四門はそのための組織だからな」
龍之介は、静かにそう呟いた。
「わあっ、綺麗な鳥」
少年は、宙に現れた朱金の鳥の姿に見惚れた。
うららかな春の日差し。青い空の中、朱金の鳥がすうっと庭を旋回した。
「ねえ、これ、僕にも呼べるようになるの?」
見上げる少年の頭の上をかすめるように飛んで、キラキラと光るその鳥は、ふわりと父親の伸ばした腕に留まる。
「呼びたいか?」
父は少年の顔を覗きこんだ。
「うん。僕も、呼べるようになりたい!」
目を輝かせる少年に、父親の眼差しは暖かい。
「……修行は辛いぞ、晃志郎」
「僕、頑張るよっ!」
晃志郎の肩に、大きな父親の暖かい手が載せられた。
ずいぶん懐かしい夢だ……と、晃志郎は、自分が夢を見ていることを自覚した。
修行を始めたのは、六つのころ。
美しい父の朱雀に憧れ、封魔や、瑞獣が何なのかも知らずに、始めたのだった。
――騙されたみたいなものだな。
父の朱雀を目で追いながら、晃志郎はぼんやりとそう思う。もっとも、父は、息子に自分が教えることのできる、『生きるすべ』を叩きこもうとしたのは間違いない。
不意に。甘いかおりが晃志郎のそばに立ち込めた。
――なんだろう。
まるで、春の訪れを感じさせる柔しい香りに、晃志郎は心地よさを感じた。
「晃志郎さま」
震えるような女性の声がして、唇にやわらかなものが押し付けられた。
口内に甘い液体が広がる。
晃志郎はそれをごくりと飲みほした。身体に、しっとりと力が流れていく。
唇に押し当てられた柔らかな感触に、酔うような甘さを感じた。
やがて。甘い香りが、晃志郎から離れていく。
晃志郎は、甘美な夢を追うように、手を伸ばした。
「晃志郎さま?」
柔らかな手の感触をにぎりしめたとき、晃志郎は夢から目覚めた。
「沙夜……さま」
視線の先に。
泣き笑いの表情を浮かべた沙夜の姿があった。記憶より、痩せているようにも見える。
「晃志郎さま!」
沙夜は、ぼろぼろと涙を流し、布団に伏している晃志郎の身体に抱き付いた。
晃志郎は、状況がつかめないまま、甘やかな香りのする沙夜の背にそっと、手をまわしたのだった。
「沙夜さま……大丈夫ですか?」
しゃくりあげる沙夜の背を、晃志郎の手がゆっくりと撫でる。
その言葉に、沙夜は自分が横たわっている状態の晃志郎に抱き付いていることに気が付いて、あわてて身を起こした。
「す……すみません」
沙夜は、思わず顔を赤くする。
自分の状況が理解できないらしく、視線を泳がせいる晃志郎に、沙夜は、ゆっくりと状況を説明した。
「そうですか……随分ご迷惑をおかけいたしました」
晃志郎は、身を起こそうとして、顔をしかめた。
「まだ動いては」
沙夜は、晃志郎を制すると、晃志郎の手が沙夜の頬にふれた。
「沙夜さま……」
晃志郎の大きな指が、沙夜の頬にたまった涙をぬぐう。
「命を救っていただいて、本当にありがとうございます」
にこりと優しい笑顔を晃志郎は浮かべた。
「生きていて良かったと、こんなに思えたことはありません」
晃志郎の指が沙夜の唇に触れ、沙夜はドキリと心臓の音が跳ね上がるのを意識した。
晃志郎の瞳は柔らかく、沙夜は晃志郎の手に思わず自分の手を重ね……はっと我に返った。
「お医者様を呼んで来ます。あと……兄にも連絡を」
「はい」
取り繕うように立ち上がった沙夜を、晃志郎は眩しそうにみつめていた。
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