第四話 鳩屋 四
母屋の座敷に床をのべ、ただちに医者が呼ばれた。
伍平は、ほどなく意識を取り戻した。
重湯を口にすると、気力が戻ってきたようにみえる。
伍平は晃志郎とおあき、源内と沙夜から事の顛末を聞き、自らに降りかかった災厄に驚いたようだった。
「あの絵を見たとき、頭の中で誰かが、いつも声をかけてくるような感じがしました」
伍平が静かに口を開いた。
「それからだんだん、自分の意識がなくなることが多くなったように思います」
「水臭いぞ。伍平。その段階で、なぜわしに相談しない? 封魔の奉行に言えというのではないぞ。隠居のわしであれば、丸く治めることもできたのに」
源内は苦々しい顔をした。
「呪術に惑わされるとは、冷静な判断を失うということです。ご隠居もよくご存知のはず」
「赤羽殿は厳しいのう」
たしなめる晃志郎に、にやりと源内は笑った。
「あの、先ほど若旦那の姿を見たように思えたのですが」
おあきの問いに晃志郎は優しい目を向ける。自分に向けられたものではないのに、沙夜はどきりとした。
「あれはこめられた思念に映った鏡のようなもの。つまり、呪術の術者の姿です」
晃志郎がそう言うと伍平の表情が曇った。
「熊田屋の若旦那が、本当におあきを好いてくださっていたのは、存じておりました。しかし、おあきにはもう許嫁がおりましたし、一人娘です。ですから、店の跡を継がせるから嫁には出せぬとお断り申し上げました」
伍平は、目を伏せた。
「ご理解いただけたと思っておりました。まさかこのようなことになろうとは……」
「今回の真相は、あの男のおあきさんへの強い想いが伍平さんへの憎悪に捻じ曲げられ、呪術者に利用されたと思われます。念の強さに比べ、技そのものは稚拙でしたから」
晃志郎は淡々と語る。
「それで、若旦那はどうなるので?」
やや怯えた表情で伍平は問いかけた。
「大丈夫ですよ。込められた念を返しましたから、二度とあなたがたに付きまとうことはないと思います。彼も死にはしません。当分悪夢を見続けることになりましょうが」
伍平とおあきの顔が、ほっとしたようにやわらいだ。
「しかし、見事な反転の術。市中で浪人をしているなど、もったいない腕前だ」
祖父がここまで人を褒めるのはめったにないと、沙夜は思った。沙夜自身も多少は封魔の心得はある。念で生まれた魔物を倒すことより、それを返すことはとても難しい。
「いえ。欲張りすぎて、大物を取り逃がしました。まだまだ未熟です」
晃志郎は沙夜に渡した掛け軸を指さした。描かれていた黒猫が消えている。
「おそらくは星蒼玉目当てで、世間知らずの熊田屋の若旦那をけしかけたのでしょう。自らの手をほとんど使わない手口、厄介です」
苦い笑みを浮かべ肩を落とす。
「鳩屋さんの災厄はお払いになられたのですもの。そんなに卑下なさる必要はありません」
沙夜は思わず、そう言った。
「そうじゃ。若いころのわしでもおそらく逃げられた。今のわしなら、伍平から払い出すだけで精いっぱいじゃよ」
「そう言っていただけると、安心してお代をいただくことができます」
冗談めかして晃志郎が笑うと、はじかれた様におあきは立ち上がった。
「すみません。すぐご用意いたします」
「待たれよ、おあきどの」
慌てるおあきに、源内が声をかける。
「わしは腹が減った。そもそもわしは、ここに飯を食いに来たのだ。食事の用意を頼む。赤羽殿にもぜひ鳩屋の料理を味わってもらいたい」
「いや、俺は……」
「遠慮なさるな。あれほどの朱雀。そうは見れるものではない。ぜひ、わしに奢らせてくだされ」
固辞しようしたものの、晃志郎の腹がぐうと鳴った。微笑ましそうに伍平が笑った。
「おあき、お料理をご準備しなさい。お熱いのもお付けしてな」
「はい。お父様」
ぱたぱたと去っていくおあきを見送ると、晃志郎は頭を掻きながら沙夜の隣にどかりと腰を下ろした。
「どうにも、カッコ悪いなあ」
自嘲気味に笑う。沙夜はその表情に憎めない愛嬌を感じた。
「私も、赤羽様とお食事がご一緒できてうれしいですわ」
晃志郎は沙夜と目が合うと、あわててそっぽを向いた。顔が少し赤くなっている。
「赤羽殿にその気があるなら、
源内の言葉に、さらに困ったように晃志郎は頭を掻いた。
「沙夜さま。その掛け軸と星蒼玉は、お持ち帰りください」
「よろしいのですか?」
沙夜はびっくりした。
「これだけ大きな星蒼玉。寺社に持っていけばかなりの金額になりますよ」
星蒼玉は、虚冥のもつ強い力を引き出し、増幅する。呪いや魔物をつくる呪具や、それを浄化したり封印したりするための術具を作るのに使用する。文字通り蒼く透き通った浄化された星蒼石の価値はとても高い。
「逃げた呪術者の痕跡はこれしかありません」
晃志郎は苦く笑う。
「放置しておいては癪に障ります。しかし、ここから先は俺の手に負えません」
両手を上に広げ首をすくめた。
「お奉行によろしくお伝えください」
真摯な眼差しに口惜しさが宿っている。負けず嫌いなのだわ、と沙夜は思った。それに、封魔の技を持つものとして必要な強い正義感を感じる。
「必ず、父にお渡しします」
背筋を正し、沙夜はしっかりと頷いた。
ほっとしたように、晃志郎は微笑んだ。
「みなさま、お食事をご用意しましたので、お部屋をおかわりください」
パタパタと、おあきの足音がした。
「それでは、お言葉に甘え馳走になります」
晃志郎は源内と沙夜、伍平に頭を下げた。
「五百文に、飯二回。もらいすぎかもなあ」
晃志郎の呟きに、沙夜は思わず笑みがこぼれた。
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