第二十一話 くぬぎ 四

 なつめが指定したのは、緑坂町の料亭『うぐいす』。

 いつも晃志郎が行く店とは違う。格式が高く、一見の人間がふらりと行って入れる店ではない。客は、役職を持った武士や、裕福な商家の旦那衆だ。

 武家屋敷のような門構えをしていて、玄関までは石が敷かれている。ぽつんと灯された提灯に浮かぶ文字のほかは、のれんひとつ見えない。

――場違い感が、半端じゃない。

 晃志郎は大きくため息をついた。

 もちろん、四門の務めをするようになってから、身なりは幾分マシになった晃志郎ではある。怪我をした晃志郎の着がえとして、なつめが水内の家に上質な着物を何着も差し入れたこともあり、晃志郎の着衣はかなり身ぎれいなものになっている。

――仕事でもないのに。

 もちろん、大きな意味では仕事ではあるのだが、晃志郎がこういった店を訪れるのは、たいてい店側から乞われてのこと以外にない。

 戸口でおとないを入れながらも、どことなく居心地の悪さを感じる。

「赤羽晃志郎さまですね」

 にこやかに笑む女性に案内され、長い廊下を歩く。中庭は、見事な枯山水。庭の灯篭が、暮れ始めた夕闇の中でゆらゆらと火を燃やしている。

「こちらでございます」

 案内されたのは、奥の座敷だった。

「晃志郎さま?」

「実成どの?」

 中で待っていたのは、堀田実成だった。身なりは、宿屋の親父というよりは、商家の旦那、といったところか。

「いつ、和良比へ?」

「ついさっきですよ。いやあ、久しぶりに馬を飛ばして帰ってきました」

 まだ武家姿に戻っていないということは、臨時に呼び出されただけで、鳴上村に戻る予定なのか、それともさらに、別のところに潜入捜査でもするのだろうか。

「……そうか。お寺社のえらいさんが来るのか」

 晃志郎は得心した。

 おそらくは、もともと、実成となつめ、そしてもう一人の誰かとの会合に、晃志郎が入り込んだのであろう。

「まさか、晃志郎さまがおいでになるとは、驚きました」

「俺も驚いた」

 なつめは忙しい人間である。晃志郎が実家に立ち寄りたくないのを知っていて、ここに晃志郎を呼んだのであろう。

 もっとも、実成が来ているということは、星蒼玉がらみ。四門の晃志郎から情報をついでに仕入れたいという意図もあるに違いない。

 部屋はそれほど広くはないが、床の間には立派な掛け軸がかけられ、見事な花が活けられている。

 行灯の炎は明るく、置いてある座布団はかなり分厚くて上等な品だ。

「お座りになってはいかがです?」

「あ、ああ」

 実成にすすめられ、晃志郎は実成の隣に座布団を外して、腰を下ろす。

「正式な場ではないのですから、そのように遠慮なさらずとも」

 くすくすと実成が笑う。

「どう考えても、部外者だろう?」

 晃志郎は肩をすくめる。

 鴬張りの床がきしみ、人がやってきた気配を知らせる。

「こちらです」

 すらりと障子が開く。現れたのは、四十すぎの恰幅の良い男性と、なつめだ。

 今日のなつめは、小袖に袴の男装姿だ。もっとも、男装にしているのは変装のため、というよりは、動きやすさを念頭に置いているのだろう。

 晃志郎は慌てて、頭を下げたまま平伏する。

「おおっ、実成、息災であったな」

 男は、実成の方に目をやり、にやりと笑った。

「おかげさまで」

 実成は丁寧に頭を下げる。

「そちらが、なつめの弟か?」

 気安い口調で声を掛けられ、晃志郎はさらに深く頭を下げる。

「赤羽晃志郎と申します」

「赤羽?」

 少し不思議そうに、男は首を傾けた。

「ふむ。複雑だの。頭を上げよ。儂は、寺社奉行、和泉棟吾いずみとうごじゃ」

「寺社奉行……」

 晃志郎は小さく呟く。なつめの上役であろうとは思ったが、まさか奉行とは思わなかった。顔をあげて、なつめの顔を見ると、ニコリと笑う。晃志郎の顔色を見て、満足そうだ。

なつめは和泉が席に着くのを待ってから、晃志郎の隣に座った。

「弟は、今、四門の探索方におりまして、先日は実成とともに星狩りの本拠地をつきとめました」

「その件に関しては、お手柄であったな」

 和泉はふむ、と頷く。

「正直、自分がなぜここに居るのか、理解が追い付いていないのですけれども」

 晃志郎は、まっすぐに顔を上げ、和泉の顔を見る。

 場違いなのは間違いないが、こんな機会はめったにない。羅刹党と対するのに、寺社奉行との連携は必須だ。もちろん、それは穴平がうまくやるとは思うが、自分に出来ることがあるなら、やっておくべきだろう。

「宝仙寺に取り調べに行きましたら、虚冥が開いておりました。住職の宗玄どのによれば、昨今、非常に穢れが溜まりやすくなっているとのこと」

「宝仙寺から報告は聞いておる。四門の封魔士が来て助かったと言うておったが、そなたであったか」

 和泉は、目を丸くする。

 今日の出来事が、既に奉行の耳に届いているということは、非常に組織の風通しが良い証拠であろう。

「宗玄どのは、十五年前にも似たようなことがあったと危惧しておられました。ここのところ、和良比のそこかしこで穢れだまりが出来ておるとの噂を耳にしております。そのあたりの詳細を、ぜひお教え願いたいのですが」

「十五年前?」

 和泉が眉根を寄せる。

「瑠璃の方さまの事件があった時、似たようなことがあったとおっしゃっておいででした」

「……それは聞いておらんかったな」

 ちろり、となつめの方に和泉が目を向ける。

「報告は聞いておりました。記録と照らし合わせている最中です。申し訳ございません」

 なつめが頭を下げる。

「さようか」

 和泉は頷く。今日の報告に間に合わなかったからと、責めるつもりはないようだ。

「穢れだまりは、ここのところ、ひんぱんに和良比各所の寺から報告が入っている。さすがに虚冥が開いたとまでの報告はなかったのだが」

「正確には、いつくらいからですか?」

 晃志郎は真っすぐに和泉を見る。

「このひと月くらいの話だ。和良比全土の寺から報告が入っている」

「ちょうど、晃志郎が寝込んでいたあたりからよ」

 なつめが脇から口をはさむ。

「虎金寺に、四門が踏み込んだことと無縁ではないと、私は考えております。そのことで羅刹党が動きを活発化させた、もしくは、彼奴等が何事かを焦っていると考えても良いかと」

「……ふむ」

 和泉は眉根を寄せた。

「ならば、星狩りの本拠地を押さえられて、さらに彼奴等は大きく動いた可能性もあるということだな」

「大きく何かをたくらんでいるということでしょうか?」

「そう思ったからこそ、そなたはここにきたのであろう?」

 和泉に問いかけられ、晃志郎は静かに頷く。

 その何かが、何なのかはわからないが、羅刹党は明らかに事を起こそうとしている。

「我ら寺社、それに四門の捜査は間違いなく、彼奴等を追い詰めているのではないかは思う。ただ、我らは未だ奴らの影をつかんではいない。追い詰められた彼奴等が何をしようとし、狙っているのか、想像がつかぬという現状は、前よりかえって危険だ」

 和泉は大きくため息をついた。

 鴬張りの床が音を立て、障子に人影が写る。店の者たちが、料理の膳を運んできたのだ。

「それにしても、久しぶりの和良比。いやあ、懐かしゅうございますなあ」

 突然、実成が口調を変えて、にこやかに笑う。

 障子が開き、静かに頭を下げて、膳を並べていく使用人たち。

 この四人の組み合わせはどう見ても奇妙であろうに、眉一つ動かさない。

 もちろん、それが高級料亭の使用人の心得なのだろう。

「田舎暮らしになじみすぎたせいで、歩くのにも苦労いたします」

 実成は当たり障りのない、世間話を続ける。使用人たちは、黙々と仕事をし、全く聞いてはおらぬようにふるまう。

 店の者が、客の話に入ってくる下町の飯屋とは、全然違う。

「しかし、こちらは暑いですね。山の中で生活していたせいか、本当に暑くてかないません」

 実成は懐から手ぬぐいを出し、そっと顔をぬぐった。

「もうじき、川開き。夏本番でもあるからな」

 和泉がにかっと笑いながら答える。

「ああ、そのような時期でございますなあ」

 使用人たちが出ていくのを見送りながら、実成は頷いた。

「……用心深いですね」

 足音が遠ざかるのを聞きながら、作られた膳を前に晃志郎は思わず呟いた。

「念には念を。そうでなければ、役所で話をしているわ」

 なつめがそっと肩をすくめた。

 それはそうかもしれない。晃志郎はともかく、寺社の人間である実成との会談を役所の外でしなければいけないというのは、複雑な背景があるのであろう。

「恥ずかしい話ではあるが、寺社奉行所は、一枚岩ではない」

 和泉は顔をしかめる。

「儂が奉行になって、三年。未だ、内部を立て直すことが出来ん」

前任の寺社奉行は、汚職が発覚し、罷免された。和泉は、その人柄から寺社奉行所の立て直しを期待されて皇帝から任命されたのだが、その病巣は奉行の首を切っただけで癒えるものではなかったようだ。

「寺社の内部は腐っておるが、腐り方にも種類があってな」

「種類?」

「単に私腹を肥やすために、寺や神社の人間とともに星蒼玉を横流ししておる一派と、勘定奉行の一部の輩とつながり、何事かを企んでいる一派。これらは、同一ではなく、それぞれが組織を作っている。一方を叩いている間に、片方はどんどんと隠れて大きくなっているという感じで、誠に厄介なことよ」

「横流しの一派については、ほぼ壊滅できたと思ってはいるのだけれど」

 なつめが口をはさむ。

「勘定奉行の輩とつながっている者は、私腹を肥やすという目的でない人間が多くて、そういう人間は、公務に対して、勤勉で人柄も真面目なの。見極めるのが難しいわ」

「主義主張で、寺社奉行を裏切って、内通しているということですか?」

「簡単に言えば、羅刹党だ」

 和泉が口の端をゆがめた。

「寺社奉行は役目柄、星蒼玉と関わりがある。もちろん、和良比の結界の要を守る要職でもある。羅刹党が、星蒼玉を使って、国家に反するには、まず、寺社の内部を切り崩すというのは、常套手段であったと思う」

 和良比の結界は、寺院や神社によって、補強されている。直接的に虚冥と向き合う部署ではないが、備えとしては、第一線と言っても良い。

「四門と違って、寺社の場合は、各寺や神社とのつながりが大きくなるため、なんというか、利権がからみがちだ。また、そこから私腹を肥やす輩が生まれやすい構図ゆえ、厄介なことに、真面目な人間ほど、羅刹党に取り込まれやすくなる」

「真面目な人間ほど?」

「世の中を変えたい、と切に願う。その心を利用されるのだ」

「世の中を変える……」

 その言葉は甘美な魅力を持っている。

 正式な法手続きは、遠回りで時間がかかる。特に上層部の癒着や腐敗は、下っ端からは声を上げることすら難しい。

「奴らは非常に巧妙で、『選ばれている』という意識を植え込んでいくの。世の中を変えるために選ばれた人間であるという意識は、人の心をくすぐるわ」

 なつめの言葉は苦い。

「そして、一度そう信じこんだ人間は、なかなか、こちらの話を聞こうとはしなくなる」

「ゆえに、私腹を肥やす奴らに比べて、対応が難しい」

 和泉は眉根を寄せ、膳にのっていた徳利を傾けた。

「実成、して、鳴上村はどうなっている?」

「……そうですね、山中の虚冥はその後、開かなくなりました。現在のところ、採掘場に異常もありません。何より、霧水流、黒河家が動いてくださったおかげで、かなり現場は楽になりました。もっとも、私は、かなり顔が知れてしまったので、さすがに宿屋の親父でいるわけにはいかなくなりましたが」

 実成は苦く笑った。

「そのこともあって、そなたを呼んだ。実はなつめから、ある報告を受けた」

 和泉の目が晃志郎の方に向けられた。

「虎金寺の件に噛んでいた女が、勘定奉行の屋敷に入って行ったらしい」

「すずが?」

 なつめがゆっくりと頷く。

「間違いないわ。今、詳細は調査中だけど」

 さすがに、まだ詳しい関係までは割り出してはいない、となつめは肩をすくめた。

「それから、北浦という男を雇っていたという片桐という同心だけど、三年ほど前に、寺社をやめているの。今は隠居していらっしゃるから、直接聞きに行くといいわ」

 なつめは懐から小さく折りたたんだ紙を取り出して、晃志郎に差し出す。

「今、書類の方を調べているのだけど、虎金寺の事件は、かなりうちの調べも怪しいものがあるわ」

「意図したものか、単なるずさんさからなのかが、判別し難いというのが、情けない」

 和泉は肩をすくめた。

「なんにせよ、羅刹党の件、寺社の内部にかなり食い込んでいることがわかっている。四門と連携をとるには、まず、身内から情報が流出しないことを徹底せねばならん。ということで、実成、そなた、しばらく仲立ちをせよ」

「……仲立ちですか?」

「四門の面々も、顔を見知った相手の方がやりやすかろう。それに、穢れだまりから虚冥が開くような事態であればなおさら、実成、そなたは和良比にいてもらわねば困る」

「御意」

 実成が頭を下げる。

 晃志郎はそっと、なつめの方に目をむけると、その目は実成を映していた。


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