第十三話 穢れだまり 壱

「星狩りの拠点を突き止めたそうだな。ご苦労だった」

 穴平は、機嫌よさげに労をねぎらう。

 旅装束もそのままに、晃志郎たちは和良比に帰ると、四門の詰所へと戻った。日は既に傾き始めており、障子戸から差し込む光は、だいぶ柔らかいものに変わりつつある。

 既に早馬で報告の一部はされており、四門全体が蜂の巣をつついたような騒ぎになっているらしい。

 捕えた者たちの取り調べは、現在稲鳴で簡単に行われており、数日内に和良比に護送されることになっている。

 意識のない術者は未だ霧水神社で保護、監視している状態ではあるが、こちらも四門の取り調べ管轄にうつる予定だ。

「風守の羽田からも報告が来ているが、秋虎の連也と交渉したそうだな」

 くくっと笑いながら、穴平は晃志郎を見る。

「金山家への不満を直訴したとか」

「直訴とは心外です。腹を割って、お願いしただけです」

 晃志郎の言葉に、穴平は面白そうに目を細めた。

「まあ、特に金山家から抗議も来ておらん。随分と、気にいられたみたいだな」

「……話の分かる御仁でしたゆえ」

 穴平はふむ、と頷いた。

「それで、北浦の件はどうであった?」

「北浦親子は、何者かに追われていたようですね」

 龍之介が口を開く。

「北浦の同僚の話では、お蝶は、須美の連れ子だったそうです。それから、風守で、須美がある女性に仕えていたという可能性が出てまいりました――つまり、北浦親子は、おそらくお蝶の出生のことで、何者かに追われていた可能性があります」

「ふむ」

 穴平は煙管を引き寄せて唸った。

 お蝶が、北浦誠治郎と須美、どちらの子供でもないとして、その女性の使用人たちが呪殺されたことを考えると、お蝶は『生まれたことを知られてはいけない』子供だったのかもしれない。

 遊里に隠れ潜み生きてきたお蝶は、朧の勘助に殺された。その殺しは、お蝶が何者かを知ったうえでのことだったのか、あるいは、調べから逃れるための単なる口封じだったのか、判別はつかない。

「鳴上村で、お蝶と親しかった娘が、和良比に嫁いでいると聞きました。明日にでも、会いに行ってまいります」

「そうか――いや、ご苦労であった。今日のところは、ゆっくり休め」

 三人にお茶とまんじゅうを食べていくように言って、穴平は、他の仕事へ戻っていった。

「疲れたな」

 ぽつり、と龍之介が呟く。

 結果として十日の間、緊張を強いられていた三人は、さすがに心身くたびれきっていた。

 穴平が席を外すのをみて、大きく伸びをする。

「さすがに、湯屋にいきたいですね」

 埃っぽい身体を眺め、晃志郎は呟いた。

「ああ、そうですね。落ち着いて風呂に入りたいです」

 土屋はくるくると肩をまわした。

「土屋はともかく、晃志郎は帰っても飯がないだろう? うちで食っていかぬか?」

「さすがに……このなりでは、ご迷惑ですから」

 晃志郎は苦笑する。もともと古着の着古しを着ているような晃志郎ではあるが、砂や汗に汚れた旅装束で、封魔奉行の屋敷に行くのは、仕事でない限りためらわれた。

「晃志郎の顔を見ると、沙夜も喜ぶが」

「そのようなことをおっしゃっては、沙夜さまにご迷惑です」

 晃志郎はあわてて、龍之介をたしなめる。沙夜は嫁入り前の娘である。縁談の妨げになる悪い噂になりそうなことを、兄の龍之介が軽々しく口にするのは、どうかしている。

「晃志郎は、沙夜の顔を見るのは、嫌か」

「……そういう問題ではありません」

 どこか面白そうな龍之介を、晃志郎は睨んだ。

 沙夜と会いたいかといえば、会いたい。顔が見たいかといえば、見たい。

 しかし、会えば、触れたくなる。そして、一度触れれば、触れるだけではすまなくなる。

 そうなっては、自分の命を救い、信頼してくれている沙夜や龍之介に申し訳が立たない。

 晃志郎をからかう龍之介は、沙夜と接する時、晃志郎の自制心がどれほど費やされているかを知らないのだ。

「一番大切なのは、そこだと、俺は思うのだがな」

 龍之介はポンと晃志郎の肩を叩く。

「意味がわかりません」

 晃志郎は饅頭に手を伸ばし、かぶりついた。




 風が少しひんやりとしはじめた。

 傾きかけてはいるものの、陽はまだ眩しい。

 手荷物を抱えて、沙夜は玉砂利の道を歩く。

湖龍寺の参道は、春に比べて人影はまばらだ。

「魂鎮めの儀も、あとわずかですね」

 護衛である谷本が沙夜に声をかける。

「はい。あと三回ですね。お世話おかけいたします」

 沙夜は、谷本にそっと頭を下げた。

 魂鎮めの時に、人さらいにあいそうになってからこのかた、護衛を伴って出かけてはいるが、あれからあのようなことはない。沙夜としては、もう護衛などいらないのでは、と思うのであるが、父の兵庫からは、『その油断が一番危うい』と言われ、しかも、近頃は和良比の中で、年頃の娘をさらう人さらいが横行しているという話もあって、谷本の護衛は続行となっている。

 正直に言えば、沙夜は谷本が未だに苦手である。

 非常に優秀な人物であるのもわかる。人当たりも悪くはない。だが、谷本の目は、いつも鋭い。護衛という役目ゆえ、当然といえば当然なのだろうが、口元に笑みを浮かべていても目は笑わない。

 どこか、危うさを感じるのである。守られているはずなのに、少しも安心が出来ない、そんな感じなのだ。

ニャー

 参道の灯篭の影から顔をのぞかせたネコが小さく声を上げた。

――ああ、そういえば。

 ここで晃志郎と再会したとき、晃志郎は小さな猫を抱いていたな、と沙夜は懐かしく思い出す。

 子猫を捜して、煮豆を礼にもらって、そんな仕事が好きだと言っていた晃志郎は、今、兄と同じ封魔四門で働いている。二月ばかりの歳月で、晃志郎を取り巻く環境は激変した。

 そのはじまりが、あの夕方――もともとは、料理屋である『鳩屋』の封魔現場に居合わせたことがきっかけではあったが。

 藍前町に入り、武家屋敷が並び始める。土塀が朱色に染め上げられ始めていた。

 晃志郎とは、もうかれこれ十日以上も会っていない。その前の十四日ほどは、晃志郎が動けなかったこともあって、四六時中そばにいただけに、ずいぶんと会っていないような気がする。

「沙夜さま。いずれ、お奉行からお話があると思うのですが」

 谷本の声に、考えに沈んでいた沙夜はハッと顔を上げた。

「……なんでしょう?」

「実は、沙夜さまを妻にむかえたいと、お奉行に申し上げました」

「え?」

 目を見開いたまま沙夜は谷本を見る。

 谷本の顔は、淡々として、特に表情の変化は見られない。

「なぜ?」

「なぜとは心外です。私は、ずっと沙夜さまをお慕いしておりました」

 谷本は口元に笑みを浮かべる。

 突然の告白に、沙夜は言葉を失う。どうしたら良いのかわからない。そもそも、谷本からそんな思慕の情熱を感じたことは一度もなかったように思う。

「色よいお返事を、気長にお待ちしております」

「私は……」

 戸惑う沙夜をよそに、谷本は頭を下げ、水内の屋敷の前から去っていった。

 谷本の唐突過ぎる告白は、ときめきより、疑念を抱かせた。そして、不安の影を沙夜の胸に落とす。

 谷本は、封魔奉行である父のお気に入りでもある。谷本の実家は、間中家につながる名門だときく。家柄的にも申し分がない。沙夜の意志を尊重すると言っている父ではあるが、相手が谷本であれば簡単に断れないだろう。

 沙夜は、谷本の背を見送りながら立ち尽くした。

「どうした、沙夜」

 びっくりして振り返ると、龍之介が立っていた。

「兄上」

 沙夜は慌てて笑顔を作る。

「お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」

「……どうかしたのか?」

「なんでもありません」

 不審げな兄の声に頭を振り、沙夜は空を仰ぐ。

 黄昏の空に、一番星が輝いていた。



 さすがに和良比の夜は明るい、と、晃志郎は思った。

 鳴上村は別として、風守も稲鳴もそれなりに人は住んではいるのだが、これほどまでに夜の道に灯りは落ちていない。にぎやかな夜の街明かりが行平の水路に落ちて、てらてらと輝いている。

 晃志郎は喧騒を抜け、湯屋へと向かう。

――毎度、姉に会うためだけに、こんなに苦労するとは。

 藪裏町の湯屋にしてくれれば楽なのに、とつい思いながら、晃志郎は湯に浸る。

 旅の疲れが湯に溶けていき、久しぶりにさっぱりして、二階に行けば、既に若衆姿のなつめが片隅に座って待っていた。

「またせたな」

 晃志郎は、なつめの前に腰を下ろした。

 なつめの男装はあいかわらず艶やかで、人目を引く。変装としては、かなり間違っているのではないかと、晃志郎は思う。

「実成殿からだ」

 晃志郎は、いいながらそっと書状を渡す。

「ありがとう」

 低めの声で、なつめは答えた。

「今回、お手柄だったわね」

 言いながら、書状を大事そうに襟元へとしまった。

「実成は、元気だった?」

「宿屋の親父が、意外と板についていた。まさか、あんなところで会うとは思わなかった」

「鳴上村には、ろくな寺社がないから、おおっぴらに人をやることが難しいけれど、なんといっても星蒼玉の闇取引を探ろうと思ったら、あの村を無視できないでしょう? 調査だけでなく、いざというときに一人でも戦える人間は、寺社の役人の中でも、そうはいないわ」

 なつめは、どこか誇らしげにそう言った。

「……ただ、実成がいないと、和良比が手薄になってしまうのよ。早く、和良比に戻してほしいわ」

「それだけか?」

「それだけ?」

 晃志郎の問いに、なつめは首を傾げた。

「……なんでもない」

 晃志郎は、実成になつめのことが問えぬように、なつめにも実成のことが問えない。

 二人の間に、幼馴染以上の感情があるのか、ないのか、それすら、晃志郎にはわからない。

 わかっているのは、なつめは二十五で、嫁にも行かずに寺社の与力として働き続けており、堀田実成もまた、独り身だということだけだ。

「星狩りは、これでしばらく落ち着くといいのだけど」

 なつめは、ふうっとため息をついた。

「それとは別件だけど、最近、穢れだまりが多いという報告があって……関連が気になるわね」

 和良比のように人口が密集する土地の場合、どうしたって、憎悪や嫉妬などの負の感情は多くなる。ひとつひとつは、虚冥をひきよせるほどのものではないにしろ、そういったおのおのの心の穢れを和らげるのも寺社の役割ではある。そして、寺社には相当量の星蒼玉があることもあり、穢れが自然に集まってくる場所でもあり、それを浄化する役割も担っている。

 たいていは、日々の僧たちの勤めで浄化していくものであるが、まれに『穢れだまり』とよばれるものができることがある。これは、放置すれば、近いうちに虚冥を引き寄せるものとなっていく。

 もっとも、星蒼玉を穢し、虚冥を引き寄せるより効率が悪い。呪術的にというには、あまりにも漠然としたことではある。

「そうそう。ようやく、寺社の星蒼玉の横流しと勘定奉行の関係が見えてきたの」

 にやりと、なつめが笑う。

「そろそろ、食堂で働く必要はなくなってきたわ。次の仕事は決まってないのだけど」

「……いい加減、草みたいな仕事はやめたらどうだ? 仮にも与力だろう? 」

「いやよ」

 即答して、なつめは大きくため息をつく。

「兄上みたいなことを言わないで」

「……悪い」

 晃志郎は頭を下げた。

「私とつなぎを取りたければ、緑坂町の『雪原堂せつげんどう』というお茶屋の作平さへいという男に言いなさい」

 なつめはそう言って立ち上がる。か弱そうに見えても、隙がない。

「もっとも、家にくれば、いつでも会えるわよ」

「雪原堂の作平だな」

 晃志郎がそういうと、なつめは微笑した。

「頑固よね、晃志郎は」

「……あんたの弟だからな」

 晃志郎が答えると、なつめは満足そうに頷いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る