第二十四話 くぬぎ 七
会議に熱が入っていた時。突然、入り口が騒がしくなった。
「穴平さま、宝仙寺のかたがお見えです」
入り口に詰めていた男が慌てて奥に入ってきた。
「宝仙寺?」
宝仙寺といえば、晃志郎たちがつい先日、虚冥を封じた寺だ。
「こちらへ、案内してくれ」
「はい」
男が連れてきたのは、若い僧だった。
かなり急いでやってきたらしい。汗をかいていて、さらに厳しい表情をしている。
「
「して、どうなさった?」
穴平がたずねた。
僧の様子にただならぬものを感じて、そこにいた全員が固唾をのんで見守っている。
「虚冥が、どこかで大きく開いております」
竜庵は、重々しく口を開いた。
「先日から穢れだまりが酷く、浄化が追い付きません。この前のように寺で虚冥が開いているわけではないのですが、状況から見て、周辺に虚冥が開いているとしか思えないと、宗玄さまのお考えです」
「寺の周辺?」
穴平は眉根を寄せた。
「はい。ただ、虚冥が開けばそれがどんなに小さくとも、騒ぎになるはずです」
竜庵は首を振った。
虚冥そのものは、そうと知らないものが見ても危険なものだ。気づかないということは、まずないと思われる。
「寺の知る限りは、辺りは平穏なまま。とすれば、事故で開いたのではなく、何者かが意図的に隠れて開いているのではないかと」
「何者かが、意図的にか」
穴平は顎に手をあてた。
「くぬぎではないでしょうか?」
晃志郎は口を開く。
「間中さまの元お屋敷だけあって、敷地は広く、結界もありました。あの中で虚冥を開いたとしても、周囲にはわかりにくいかと」
「……確かにな」
穴平は頷いた。
「私どもは穢れが溜まることがないように全力を尽くしております。ですが、それ以上のことは出来ません。ここは四門さまのお力をお借りしたいと宗玄さまはおっしゃっておられます」
「左様か」
穴平は頷いた。
寺社奉行に知らせるのでなく、四門にと宗玄が思ったのは、先日、寺で虚冥が開いたときに晃志郎と龍之介が居合わせた縁もあるのだろう。
それに、封魔にまつわる捜査の権限は寺社より四門の方が強い。
「よし。虚冥が開いたとなれば、ためらってはおられん。行くしかあるまい」
穴平は煙草盆に煙管を置いた。
「……上の許可はいかがいたしましょうか?」
田所が穴平に問う。
「咎めを受けるいわれはない。虚冥が開いたとなれば、四門はどこにでも行くのが職務だ」
穴平はにやりと笑った。
「赤羽、水内、土屋は、先行して、くぬぎの様子をさぐれ、田所、人を集めよ」
「はい」
晃志郎たちはそろって頭を下げた。
穴平たちは人を集めてから合流することになり、晃志郎は龍之介と土屋の三人でくぬぎの跡地へと向かった。
実際のところ、本当にくぬぎの敷地で虚冥が開いているかはわからない。ほかの場所の可能性だってあるのだ。
「何かある感じはしますね」
くぬぎの高い塀に沿った道を歩きながら、晃志郎は辺りを見回す。
首筋がちりちりとする。
この前歩いた時よりも、嫌なものが中にあるのを感じた。
「しかし確実に開いているという確信は持てません。ここの結界はかなり強いですから、中の様子はわかりませんね」
土屋が塀を見つめる。
空は青く、額に汗をかくほどの暑さだ。道を歩く人影はまばらだが、風景は平穏そのものである。
「この辺りをただ歩いていても埒はない。正面に回ろう」
龍之介は足を速めた。
嫌な空気はあるものの、虚冥がはっきり開いているという感触はない。
ひょっとしたら、ここではないのかもしれない。その可能性がある以上、ここと決めつけのも危険ではある。それに三人だけで、無理やり突入するのは無謀だ。
「しかし、立派な門構えだな」
龍之介が呟く。
塀沿いに歩いていくと大きな門が見えてきた。
手入れはあまりされていないようだが、元のつくりが贅を尽くしたものだけあって、ちんぴらのねぐらとはとても思えない。
くぬぎの門は、元武家屋敷だけあって、かなり堅牢なものであった。
扉に耳を押し当てた晃志郎は、人の気配がないことを確認し、両扉の片側をそっと押してみた。
微かな音がして、扉が開く。かぎはかかっていなかった。
開いた扉の向こうに、奥の屋敷が見えたが、しんと静まり返っていて、やはり人の姿はなかった。日はさんさんと照っているというのに、見える景色はどことなく薄暗い。わずかに流れてくる空気は、ひりひりとしたものを感じた。
「どうしますか?」
「さて、どうするかな」
晃志郎の問いに、龍之介は思案顔だ。
「試しに結界の中に一度入ってみませんか?」
「中に?」
龍之介はさらに迷うそぶりを見せる。中にひとがいれば、ちょっと入ったでは済まなくなるだろう。穴平たちが来るまで待った方が安全ではある。
「中に少しだけ入れば、たぶん虚冥が開いているかどうかわかるはずです。それに、ここは私有地ではありませんから、少し入ったところで咎められることはありません」
「……理屈ではな。どう思う、土屋?」
龍之介は苦笑し、土屋に顔を向けた。
「見たところ、この辺りには誰もいないようですから、一歩足を踏み入れるくらいなら大丈夫ではないでしょうか?」
門の向こうは静まり返っていて、のぞき見える屋敷の戸も閉まっている。
「ただし、赤羽どのはやめた方がいいでしょう」
「なぜですか?」
土屋はあまり似合わない人の悪い顔を作った。
「何かあっても、なくても、赤羽どのは止まることができないからです」
「違いない」
龍之介が頷いた。
「では、俺が」
「いえ、私が参りましょう」
入って行こうとした龍之介を土屋は制した。
「結界は私の専門。中に入れば、結界がどの程度の規模なのかもわかります」
「しかし」
「私は、水内さまや赤羽どのよりずっと弱い。だからこそ、無理はしません」
土屋はふっと笑みを見せる。
むろん、土屋も四門の人間で、決して弱いわけではない。
「龍之介さま、土屋さまにお任せしましょう」
能力というより、性格的なものだと晃志郎は思う。土屋なら、確かに無理はしない。
結局、土屋が一人で門をくぐった。
晃志郎と龍之介が見守る中、土屋は辺りを見回した。顔がますます険しくなる。
「化け物がいます!」
土屋が叫んだ。
土屋は一点を見つめたまま、扇子を取り出す。土屋のただならぬ様子に、晃志郎と龍之介も中へ飛び込んだ。
敷地に入った途端、ひんやりと気温が下がったようだった。
大気がまとわりつくような、嫌な感じだ。空が急に曇ってしまったかのように、どこか薄暗い。
肌がひりひりと痛んだ。そして微かに異臭がする。
晃志郎は、土屋の見ているものに目をやった。
手入れをされず、伸び放題の木の木陰に、どろりと闇が解けたようなものが蠢いている。大きさは、幼い子供ほどだ。
しゅうしゅうと何か音を立てている。
「虚冥から出てきた化け物でしょうか」
「……間違いありませんね」
土屋に頷いて、晃志郎は笄を手にした。
すぐそばに虚冥の気配は感じないが、ここの大気は既に虚冥の影響を受けている。
「……このぶんでは、ちんぴらどもはすでに逃げたか、もしくは虚冥に喰われたかもしれんな」
龍之介が呟く。
自然に開いたものなのか、術で開いたものなのかはわからない。だが、かなりの規模の穴が開いているのは間違いない。
ここには虚冥の風は吹いていない。だが、大気もよどみ、そして異界の生き物が現れている。非常に危険な状態だ。
「屋敷の結界が効いているうちに、手を打たねばなりません。羅刹党のやつに気取られるかもしれませんが、結界が壊れたら大惨事になる。猶予はありません。行きます」
二人の返事を待たず、晃志郎は化け物に向かって走り出す。
近づくにつれ、鼻につんとくるような異臭が強くなった。
「朱雀!」
晃志郎の命に応え、炎をまとった鳥が現れた。
化け物は、晃志郎に気が付き、うねうねと大きくなる。不定形の黒い塊が、晃志郎を飲み込もうと飛びかかってきた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
晃志郎は九字を切る。当たりを照らすかのように、朱雀が輝いた。
「焼き払え!」
朱雀は旋回し、黒い塊の中へ飛び込み輝く。だが、朱雀の炎をもってしても、焼き切ることは容易ではなかった。
相手は異界の生き物である。
封魔士の本来の相手ともいえるが、晃志郎としても実際に相手をしたことはない。
術者のあやつる妖魔とは違うのだ。
もっとずっと強い力の塊で、人の理解できない『意識』を持っている。
「くっ」
晃志郎は自分の力を朱雀に注ぎ込む。さすがにきつい。
「蛟よ!」
龍之介の声がして、黒い塊に緑色の蛟が巻き付いた。
「龍之介さま」
「相変わらず、止まらん男だな」
晃志郎の隣に立ち龍之介はにやりと笑った。
黒い塊は細く長く伸びて、蛟から抜け出ようとする。
「浄化せよ!」
晃志郎が叫び、朱雀が金に輝く。
塊は光に焼かれるように消えていった。
「さすがに手ごわいな」
「全くです」
晃志郎は頷く。
虚冥の生き物と戦ったのは初めてだ。かなり勝手が違う。
「虚冥は、おそらく屋敷の中ですね」
土屋が指をさす。もはや、一刻の猶予もない。
三人は迷うことなく、屋敷へと足を向けた。
星蒼玉 秋月忍 @kotatumuri-akituki
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