第七話 星の邑 壱

 ひとばん雪虫に泊まり、晃志郎たちは夜明けとともに宿を出た。

「しかし、宿の方は大丈夫なのですか?」

 土屋が心配そうに掘田を見る。

「大事ありませんよ。私がいてもいなくても、大差ありません」

 堀田は軽快な足取りで山道を歩く。身なりは宿屋の主人そのものであるが、その動きは鍛え上げられた人間のものだ。

寺社勤めを黙っていてほしいといったくせに、ただの『宿屋の親父』の偽装をするつもりは全くないらしい。もっとも、なつめの知り合いで、晃志郎の兄弟子だとは二人に話してあるのだ。

 普通の町人のはずがあるわけがないことくらい、土屋も龍之介も承知している。

「あの岩からは、道から外れます」

 堀田は参道に突き出た岩を指さした。

「この道をまっすぐ行くと、ぐるりと山を周回して鳴上村の反対側に出ます」

「この先に登っていく道はないのか?」

「山が険しいので、この先はほとんど人が立ち入りません」

 晃志郎の問いに答えた堀田は、ふっと笑みを浮かべた。

「おかげさまで、木の実、きのこに山菜と、実に豊かでして、モノ好きが山遊びをするのにはもってこいでございますよ」

「なるほどな」

 晃志郎は、緩斜面になっている山を見あげた。木々は生い茂り、ざわざわと木の葉が揺れる。

「しかし、案内してくださるかたがいて、本当に助かります」

 頭を下げた土屋に、堀田は苦笑した。

「四門のお武家さまが、宿屋の親父に敬語など不要でございますよ」

「そうだな」

 にやりと、龍之介が笑う。

「下手に誰かに聞かれたら、堀田どのも今後やりにくかろう」

 龍之介の言葉に、堀田が頭を掻いた。

 龍之介の言う通り、この仕事が終わっても堀田はしばらく鳴上村で駐在することになる予定だ。宿屋の主人の仮面はまだ必要なのである。

「しかし、晃志郎の兄弟子が宿屋の親父というのは、ずいぶんな話だ」

「その話は、いずれ晃志郎さまからお話頂くとして」

 堀田はゆっくりと緩斜面を昇り始める。ここからは、道なき道だ。

「比較的緩やかなところを登ると湧水池に出ます。それを越えたら、尾根まではすぐです」

 足場の良い場所を選びながら、先導する堀田に続いて三人は歩いた。

 どこかで鳥獣の鳴く声が山全体に響いている。

 道なき場所を昇るため、行程はひどく骨が折れた。山の木々は高く、昼間だというのに薄暗い。

 空が開けたような場所に出ると、下生えが生い茂って歩きにくく、そうでない場所は、木の根がでこぼこと張り出している。

 さらさらと水の流れが現れた頃には、日はかなり高くなっていた。

 空がぽっかりと空いた湧水池から、小さな流れが斜面に沿って続いていく。

 額に浮いた汗をぬぐいながら、晃志郎たちは、ごつごつした岩に腰かけて小休止をとった。

「甘いものでもいかがですか?」

 堀田が差し出したのは、綺麗な色の金平糖であった。

「晃志郎さまは、これがお好きでしたなあ」

「……いつの話をしている」

 いささかムッとしながら、晃志郎が答えた。

「まだ、お小さい頃の話ですよ」

 ニコニコと堀田は笑い、みなに金平糖を手渡すと、自分も口に放り込んだ。

「よく、なつめさまのおともで買い求めにいったものです」

 くすくすと懐かしそうに目を細めた。

「……晃志郎は、どんな子供であった?」

 龍之介の問いに、堀田はニコリと笑った。

「いわば天才です。五つ離れた私と、すぐ対等に剣を交えられるようになりましたし、封魔の術については、あっというまに、基本の術を習得されて」

「実成殿、嘘はいかん。そんなこと、思ってもおらぬくせに」

 困ったような顔で晃志郎は口をはさむ。

 照れているというのではなく、兄弟子に褒められて、戸惑いをかくせないようだ。

「晃志郎さまは、もっと自信を持たれるべきですね」

 堀田はそう言って、湧き水に手を伸ばして、のどを潤した。

「姉ぎみのなつめさんはどのようなかたで?」

 土屋が遠慮がちに口を開く。ほんの少しだけ晃志郎の顔色を見ながら、というのが土屋らしい。

「なつめさまは、鬼才というべきでしょうか」

 堀田はニヤニヤと笑った。

「とにかく、ひとづかいが荒いかたですな」

 言葉とは裏腹に、それが嫌ではないというのは表情で見て取れた。

 晃志郎はふうっと息を吐く。

「なつめと実成どのは、いわば幼馴染で……まあ、気の毒なくらいいいように姉に使われていた」

「まあ、そうですかね」

 堀田は少しだけ複雑そうな顔をする。

「幼馴染と呼ぶのは多少抵抗がありますが」

 その顔に浮かんだ表情はやや苦いように見えた。

 晃志郎はその表情の意味をずっと長いこと堀田に問えないでいる。

 おそらくは、聞いてはならないことなのだろう。

「水を補給しておいてください。ここから先は、いつ手に入るかわかりませんから」

 言いながら、堀田は水筒に水を汲み入れる。

「違いない」

 龍之介は頷いて、湧き水に手を入れた。

 きらきらと水面が太陽の日差しを反射する。

「ここから先が、本番だな」

 晃志郎はポツリと呟く。

 青い初夏の空に白い雲が浮かんでいた。



 夕刻が近づいたころ。

 四人は、尾根伝いに歩きながら、比較的見晴らしの良い崖へとたどり着いた。

 堀田が以前から目星をつけていた場所だ。

 いよいよ日が沈むと、四人は、用心深く崖のふちから、暗闇にのまれつつある山肌を観察する。眼下には、黒い木々がどこまでも伸びていた。

「煙?」

 崖から見渡せるぎりぎりの位置の山裾に煙が立ち上っていた。

 位置的に見て、地図では、誰も住んでいないはずの場所だ。

「山火事でなければ……誰かいるな」

「行こう」

 龍之介の言葉に頷き、ゆっくりとその方角の方へと四人は山を下り始めた。

 道なき道を、方角だけを頼りに夕闇を歩く。

 幸い、僅かに月明かりがあった。まだ、朔から間近な月であるから、宵になる前に落ちてしまう。が、今しばらくはまだ細長い光を天に残している。

 どれくらい歩いたのであろうか。

 先行していた堀田が歩みをとめ、後方へと振り返った。

 晃志郎たちは音を立てぬように、静かにその背へと近づく。

 堀田がそっと指で示した先に、山道があった。そして、道脇の木々の向こうの一段低い位置に木々に埋もれるかのように作られた建物から灯りがおちている。

 大きさは、鳴上村より小さいが、ちょっとした集落のようだ。山小屋のようなものではなく、確実に多数の人間が生活している空間だ。立ち上る煙。洩れる灯りからみても、人の気配がする。

 用心深く山道をたどっていくと、目の前に大きく開けた広場のようなものがあった。

 集落の入り口となっているようで、物見やぐらが見える。目を凝らしてみれば、やぐらの上には人の姿があった。

 広場の向こうにはいくつかの建物があり、わずかながらに小さな生活音も聞こえてくる。

 月は既に沈み、辺りは星灯りに包まれ始めた。

 弱い風にカサコソと木々の葉が揺れ、音を立てる。

 晃志郎たちは、一度広場から離れた。そして、先ほど山道を見つけた場所へと戻る。

 山道の先は、ぐるりと集落を回るようにして、集落から少し離れた位置で消えていた。

 岩がごつごつしたその場所は、集落を見下ろす位置にあり、鳥居が見える。小さな参道の灯篭に明かりが灯されていて、短い石階段がのびていた。

 石階段の先に、拝殿は見えず、かわりに大きな岩が見えた。灯篭の明かりに照らされた先に、人が立っている。

「……ん?」

 四人は、眉をしかめた。肌を刺すようなヒリヒリとした感触。

 まぎれもない、『穢れた星蒼玉』の感触だ。幸い、というべきか。虚冥の気配はない。

 見張りは一人のようだ。それ以外に、人影はなく、集落から少し離れているため、灯りは灯篭のモノだけである。

 晃志郎は、龍之介に目配せすると、堂々と石階段を昇っていった。

 見張りは、大きな長槍を持って立っていて、人の気配に、槍を一度構えた。

「ごくろうさま」

 晃志郎は明るい声をかけながら、笑顔で歩み寄る。

 あまりに無防備な晃志郎に、見張りは一瞬、迷ったようだ。

 晃志郎はその隙を見逃さなかった。

 だっと走りよると槍を叩き落として、腹に手刀を入れる。ガクンと、見張りは身体を折った。

すかさず、片手で両腕を拘束しながら、見張りの男が意識を失っているのを確認する。

「あいかわらず、お見事ですな」

 いつの間にか歩み寄っていた堀田が、男に縄をかけながらそう言った。

「この中からだな」

 階段を昇ってきた龍之介が男の背にしていた扉を見る。

 どうやら、天然の岩窟に扉をつけたものらしい。頑丈な鍵がかけられている。

「見張りは、鍵を持っていませんね」

 土屋が、男を調べながらそう言った。

「お任せを」

 堀田はそういって、胸から一本の鉄の棒を取り出した。器用に鍵穴に差し込んでカチャカチャと音を立て、あっという間に、錠前を開いてしまった。

「相変わらずの腕前だな」

「……人聞きが悪いですよ、晃志郎さま」

 堀田はニヤリと笑い、ゆっくりと扉を開いた。

 ギギッと音を立てた扉を開けると、薄ぼんやりとした明かりの中で、いくつかの箱が丁寧に積まれているのがわかった。

「かなり多いな」

 龍之介は眉をしかめた。窟内全体に、穢れた星蒼玉の気配がする。

 幸い、というべきか。穢れているだけで、呪術は施されてはいないようだ。

「これだけの量を清めるとなると、なかなかに大変ですな」

 堀田はふうっと息を吐いた。

「実成殿、ここは任せる」

「……そうですな。それがよさそうです」

「晃志郎?」

 不思議そうな龍之介と土屋を連れて、晃志郎は岩窟を出る。

「実成殿は、『清め』に関しては、焔流でも一番といっても良い腕前です」

「しかし」

「あれだけの星蒼玉を清めれば、さすがに先ほどの集落でも勘付くはずです。あまり時間はありません」

 晃志郎は集落の方を指さした。

「奴らが、襲撃者を迎撃にかかれば、ここにいる意味はありますが、ここを放棄する可能性がないとはいえません」

 晃志郎の言葉に、龍之介は得心したように頷いた。

「確かに、先に動かねば、証拠が消される可能性があるな」

「……それで、どうするのです?」

 鳥居をくぐりながら、集落を見下ろす。

「星蒼玉および、術具、そして、星狩りで行方不明になっている者の捜索」

 龍之介が静かに呟く。

「それから、おそらく何人かいるハズの、術者の捕獲だな」

「三人でやるのは、難儀ですね」

 土屋が諦めたように息を吐く。

「この場合は……先手必勝ですよ」

 晃志郎の言葉に、にやりと二人は笑みを返したのだった

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