第六話 鳴上村 六

話が終わると、堀田は山歩きや店を空けるための準備をするからと、晃志郎に夕刻にまた来るようにと告げた。

晃志郎は、ふらりと村の中を歩く。

『北浦、もしくはその女房は何者かに追われていたのではないか』

 脇村が口にした疑念をふと思い出す。

 北浦がこの地を離れたのは、十三年も前。二人を覚えている人間は、そんなにはいないかもしれないが、皆無ではないだろう。

 晃志郎は道中奉行所の番所へと向かった。

 道中奉行所の番所は、宿場街から近く、かなり大きい。四門と違い、役人の数も、十人はいたはずである。もっとも、星蒼玉の運搬に付き添うことが多いため、常駐している人数はそれより少ないのではあるが。

 晃志郎は四門であることを名乗り、北浦とその家族が住んでいた住居がどこかわからないか訊ねてみた。古いことなので、わからないかと思えば、案外、簡単に場所がわかった。

 道中奉行の家族で駐在している役人は、今も昔もほんの少しだけ庭のある一軒家の借家に住むらしい。

「大家は代替わりをしましたが、ご隠居も存命中ですよ」

 その言葉に励まされ、晃志郎は大家の住居を訪ねることにした。

 龍之介や土屋と合流することも考えたが、土屋はともかく、龍之介はどこにいるかも不明である。

 どのみち、夕刻には採掘奉行所で会うことになっている。

 大家の家は、白川家と比べられるものではないが、それなりに大きなものだった。数少ない農家の一つのようで、家の周囲に畑が広がっている。

咲き誇るつつじの垣根がこんもりとしており、庭にはいると、鶏が鳴きながら走っていくのが見えた。

「おや、どちらさまで?」

 土のついたタケノコを大八車に載せていた男が、晃志郎を不思議そうに見た。

「四門の赤羽と申します。お聞きしたいことがございまして」

「お役人さまが何の御用で?」

 男が迷惑そうに顔をしかめた。

 晃志郎は、相手の警戒心を解くために、柔らかな笑みを浮かべる。

「十三年前に、こちらで家を借りていたという役人の家族について、おうかがいしたいのです」

「……ずいぶんと、前のお話ですな。バさま、バさま!」

 男はそう言って、家の中へ声をかける。

 初夏の日差しが眩しい。

 ヒューヒョロロという声に見上げれば、トンビが空を舞っていた。

「何かよんだか?」

 縁側から、老婆が顔を出した。腰が曲がり、皺が刻まれ、しみの浮いた顔だ。

 しかし、その目はしっかりと晃志郎をとらえている。

「バさま、こちらのお役人さまが、聞きたいことがあるそうだ」

「はて? このワシにか?」

 老婆は不思議そうに晃志郎を見た。

「ご無礼していいかい?」

 そう断って、老婆は腰を下ろす。

 晃志郎もそれにならって、縁側に座った。

「十三年前に住んでいた、道中奉行の役人であった、北浦誠治郎とその家族について知りたいのです」

 晃志郎は、単刀直入に口を開く。

「北浦さま?」

 老婆は、首を傾げる。

「女房の名は、須美。十歳のお蝶という娘と、四歳の栄治郎という息子がいました。記録によれば、五年くらいこちらの借家に住んでいたようなのですが」

 晃志郎はジッと老婆が記憶をたどるのを待った。

「おおっ、せいさんか。太吉、お蝶ちゃん、覚えておろう」

 老婆は、先ほどの男を呼ぶ。男は仕事をしていた手を止めた。

「ああ」

 太吉と呼ばれた男は、手を止めた。年齢的には、二十代半ば過ぎ。お蝶より少し年上だろう。

「お蝶は、須美の連れ子だったらしいですが、家族仲はどうでしたか?」

 晃志郎の問いに、老婆は少し首を傾げた。

「そうなのかい? そんな感じには見えんかったけど」

 ということは、特に問題ない家族であったのであろう。

「ああ、でも」

 老婆は思い出したように顔を上げた。

「お蝶ちゃんと栄ぼんとは、扱いが違うた気もする。男子おのこ女子おなごの違いといえば、それまでだけども」

「そういや、おばさん、お蝶ちゃんが遠出すると、すごく怒ったな」

 太吉が思い出したように呟いた。

「年下の栄ぼんは、山で他の子供と遊んでも良かったが、お蝶ちゃんはこのあたりだけしか許してもらえなかったみたいだ」

「身体が弱いということは?」

「それは、なかったと思う。平気で木登りもする女子おなごだった」

 桃郎郭でも、お蝶の健康に問題はなかった。もちろん、木野の家でも彼女の健康に対する不安は全くなかった。

「鳴上村を出て行くことになったのは、風守かざもりの親類のところに行かねばならなかったと聞きましたが」

「へぇ。そうだったと思います。なんか突然、決まったみたいだったような」

 老婆はそう言った。

「挨拶に来たと思ったら、須美さんと子供たちはすぐに出立してねえ。誠さんだけ、引継ぎがあったから、慌てて後から追いかけなすったみたいですよ」

「……そんなに急に?」

「俺らガキ同志は、全然、挨拶できんかったものもおる。うちは、大家だから、一応、顔を合わせたけれど、ろくに話もできんかった」

 太吉が思い出したようにそう言った。

「須美さんや、お蝶さんと親しかった人を知りませんか?」

 晃志郎の問いに、老婆は首を傾げる。

「須美さんは、人当たりは良いひとじゃったが、あまり横のつながりをもとうとはしなかったようだが……ああ、でも、そこの薬屋のおかみの美知みちとはそれなりにつきあいがあったようだね。未知さんとこの娘っ子が、お蝶ちゃんと同じ年でね。ふゆって子でねえ、これがまた器量よしで」

 老婆は、お蝶の話を忘れたかのように、ふゆが、いかにして良縁に恵まれたかを語り始めた。

 晃志郎は、辛抱強く話を聞く。ところどころ相槌を打ちながら、ふゆが、見初められて和良比の商家に嫁いでいったということを聞き出した。晃志郎が礼を述べると。

「ところで、せいさんがどうなすったので?」

 今さらのように老婆が疑念を口にした。

「事件に巻き込まれて、一家ともども亡くなりました」

 晃志郎は静かにそう言った。

「なんと!」

 老婆と太吉が目を丸くしている。

「不幸な事件でした。是非にとも解明したいと願っております」

 晃志郎は、頭を下げて、そのまま二人を背に歩き出す。

 不幸な事件。晃志郎は、自分の言葉を噛みしめた。

 実際には、家族はそれぞれバラバラに死を迎えているから、ひとくくりにしていいものではないのだろう。

 誠治郎は土砂崩れに巻き込まれ、お蝶は絞殺、栄治郎は呪殺された。須美については、どこでどうなったのか、定かではない。北浦の一家に何があったのであろう。

 晃志郎は、教えられた薬屋の暖簾をくぐった。

 通りに面していない軒下に、たくさんの薬草が吊るされているのが開け放たれた窓から見える。

入り口はたたきになっていて、膝丈くらいの高さの板の間にやや年配の女性が座り、机の上で書きものをしていた。

「封魔四門の赤羽と申します。こちらの美知さまにお話をお聞きしたいのですが」

 女性がちらりと晃志郎を見た。

「美知は私ですけど」

 女は、筆を置き、着物の袖を整える。

「北浦誠治郎の女房、須美と親しかったと聞いていますが」

「北浦?」

 一瞬、誰のことかわからないというような顔をした。

「お嬢さんと同じくらいのお蝶という娘がいた」晃志郎は言い添える。

美知は記憶をたどるように、首を傾げたのち、ポンと手を打った。

「ああ、須美さんね。でも、もう何年も音沙汰はないですよ」

「この村にいた時の様子を教えていただきたいのです」

 晃志郎は、すかさずそう言った。

「人当たりはいいですけど、付き合いがいい人ではなかったわ。特に、村の外から来る人に会うのが嫌いでしたね。祭りなんかも、こなかったし」

 美知はそう言って、顎に手を当てた。

「子供のしつけはすごく厳しくて、しっかりしたひとだったけど。特に、お蝶ちゃんには、とても厳しかったわ」

「ほう」

「とにかく、危険な遊びとか、遠出とか、びっくりするほど叱っていたわ。弟の栄治郎ちゃんは、わりと奔放に育てていたのに」

 美知は未だに納得いかぬ、という顔だ。

「一度、どうして? と、訊ねたことがあるのだけど、武家の女として立派に育てなければとしか答えてくれなかったわ。仲良くはしていたけれど、須美さんは、やっぱり武家の奥さまだから、私のような商人の女房とは違うのでしょうね」

「お蝶は、須美の連れ子だから、誠治郎に遠慮があったとか?」

 晃志郎の言葉に、美知は首を傾げた。

「どうかしら? お蝶ちゃんは北浦の旦那にとても懐いていて、旦那も可愛がっていたわよ。言われなければ連れ子だなんて誰も思わない、立派な親子だったから」

 単純に男と女の違いというには、あまりに須美の二人の子供の扱いが違っていたようだ。

 須美は、自分や、お蝶が人目につくのを嫌がっていたが、栄治郎についてはそうではなかった。

「北浦の一家は、風守の親類のところへ行くと言ったそうですが?」

 美知は「はい」と頷いてから、ふうっと息を吐いた。

「もう、十年以上も前ですので、言ってしまいますけど」と、言い置いて。

「一応、親類が病気だからと挨拶で須美さんは言っていたけど、私、違うと思うのです」

「違うとは?」

 美知は、今さらのように辺りを見まわし、少しだけ声を落とす。

「この村にだって、たまには旅芸人が来るのです。私、その旅芸人に、須美さんのことを聞かれて」

「どのようなことを?」

 晃志郎は先を促す。

「その旅芸人は、遠目で須美さんを見たみたいで。あちこちお引越しされているみたいだから、この村以外のお知り合いがいてもおかしくはないのだけど、どんな関係かは言わなくって。 それで、須美さん、すごくお綺麗な方だったから、ひょっとしたらやっかいな男性なのかもと思って……」

 美知は大きく息を吐いた。

「そのあとで、こっそり須美さんにそのことを話したの。そうしたら、須美さん真っ青になって……その翌日には、村を出るって挨拶に来たの。どう考えても無関係じゃないけど……聞いてはいけない気がして」

「その後、その旅芸人は?」

 晃志郎の問いに、美知は思い出しながら答える。

「須美さんたちが出て行って、数日後に村を出ました。あれからあの芸人さんが来たことはありませんね」

「どんな人かは覚えていますか?」

「さあ? 三十代くらいのすらりとした男で、いくつかの手妻をみせていましたよ。ああ、そういえば、目が細くて、鋭かった気がします」

 当時、三十代だとすれば、今は四十代くらいであろうか。いずれにしろ、須美はその男が現れたことで、逃げるように村を出たのに間違いない。とすれば、向かった先も、風守ではない可能性も出てきた。

 和良比に戻るまでの間、北浦の家族はどこで、何をしていたのだろう。

「ところで、どうして今さら、須美さんのことを?」

 不思議そうに美知が晃志郎を見る。

「北浦誠治郎は十年前に和良比で死亡しました。事件に巻き込まれましてね」

 晃志郎はそう言って、軽く首を振った。

「この村を出てから、和良比に戻るまで、北浦の家族がどこにいたのかわかりません。しかも、和良比に戻った時、既に須美は死亡していたらしい、ということしかわかっていないのです」

「須美さんが、亡くなった?」

 美知は、思わず口を手で押さえる。

 晃志郎は、美知に礼を述べると店を出た。

 初夏の日差しが眩しい。

 ぴーひょろろろ

 晃志郎の心境とは別に、のどかなトンビの声が響いていた。



「勝手に動いて、申し訳なかったです」

 採掘奉行所で、龍之介たちと合流した晃志郎は頭を下げた。

「いや、おかげで、謎が解けた……いや、深まったと言うべきか」

 龍之介が苦笑を浮かべる。

 奉行所の同心たち用の座敷に座り、脇村、奉行の結城も交えて、晃志郎たちは、それぞれの成果について報告をする。

「何にしろ、須美という女、間違いなく誰かに追われていたようだな」

 脇村がボソリと呟く。

「はい。ですから、風守に行くといったのは嘘で、別の場所に行った可能性もあります」

 晃志郎の言葉に土屋の顔は険しさを増す。

「先に出立した子供と、誠治郎が一緒に和良比に戻ってきていることを考えて、家族は間違いなくどこかで合流してはいます。しかし、漠然としすぎで、どこかはさぐりようがありませんね」

「ああ」と、龍之介が頷く。

「過去の虚冥が開いた記録を確認しましたが、十年前から、今日ほど頻繁ではないにしろ、山中で虚冥は開いております。それから、星蒼玉の採掘記録と、道中奉行の運搬記録をつき合わせてみましたが、ここ数年、運搬量が誤差範囲ながら目減りしている傾向がありますね」

 一日、資料に目を通していた土屋は、ふうっとため息をついた。

「間違いなく『星蒼玉』の『横流し』が行われていた証拠ではないかと」

「それだけ調べるのは、ごくろうだったな」

 結城のねぎらいに土屋は「いえ」と首を振った。

「横流しは、採掘の運搬に携わる人足を中心に行われていた。白川家だけではなく、道中奉行が日雇いしている人足にも声をかけていたようだ」

 結城が村の地図を広げた。

「買取をしていたのは、『穴熊』という商人だが、自身は神出鬼没らしい。採掘所から少し離れたこちらの材木小屋に部下がいて、そこで売買が行われていた」

 結城の顔が厳しく引き締まる。

「昨夜のうちに逃走を図ったようで……山中で死亡を確認された。呪殺だ」

 結城の言葉に、脇村が苦い顔をした。

「私と、水内殿で、調べましたが、おそらく殺された時刻は、昨晩から今朝にかけて。遠距離からのものです。すでに術の痕跡を追うことは適いませんでした」

 遺体は現在、採掘奉行の同心が調べているらしい。

「この件に関しては、お奉行と脇村さまにご一任して、我ら三人、明日より山へ入ろうかと」

 龍之介は、面々を見まわし、結城の方へと目を向けた。

「そうしてくれ。北浦とその家族についての引き続きの調査はこちらでしよう」

 せめてそれくらいはしよう、と結城はニヤリと笑った。

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