第二十三話 朧の勘助 壱

 水内家の門をくぐると、沙夜は玄関から入り、奥へと声をかけた。

 ご機嫌な顔で源内げんないが、にこやかな顔で現れ、出迎える。

「赤羽殿、よく来て下さった」

 晃志郎は、恐縮する。当の沙夜が気にしていないように見えるのだから、もはや蒸し返す必要はないのだろうが、やはり自分の『失態』をなかったことにはできない。

「谷本殿に代わりまして、沙夜さまをお送りしました。龍之介さまが戻られるまで、こちらで待たせていただいてもよろしいでしょうか?」

 玄関の隅に立ったまま、晃志郎がそう言うと、「それはいかん」と、源内は顔をしかめた。

「玄関に立ったまま待たれては迷惑じゃ。座敷の方へ来て、わしの相手をしなされ」

「しかし……」

「早うしなされ。年寄りには、ここは冷える」

 晃志郎の唇に思わず笑いが洩れる。源内は、言葉に反して背筋もしゃんとしており、活き活きとして、少しも老いたところがない。加えて言うなら、まだ昼下がりであって、それほど気温は低くないのだ。

 しかし、それを指摘してここに居座る理由はなかった。

 晃志郎は源内の言葉に甘えて、草履をぬぐ。

「すぐに、座敷の方にお茶をお持ちしますので」

 パタパタと沙夜は奥へと消え、晃志郎は源内に案内されるがままに、座敷へとあがりこんだ。

 座敷に用意された座布団をよけ、晃志郎は畳の上に直に座る。

「ひさしぶりじゃの」

 にやり、と、源内は笑った。

「その……先日は、大変申し訳なく」

 言いかけた晃志郎を源内は眼で制した。

「殺気のない術を防ぐのは、歴戦の猛者でも難しいことよ」

 源内は腰を下ろすとそう言った。

「それよりも、そのことで護衛代も受け取らぬという赤羽殿の気真面目さには驚いた」

「沙夜さまに傷を負わせた時点で、護衛失格ですから」

 きっぱりと言いきる晃志郎に、源内は微笑む。

「そう言わずに、また、沙夜の護衛を引き受けてはくれまいか?」

「それは……」

 晃志郎は首を振る。

「この度、四門の仕事をさせていただくことになりまして」

 遠慮がちに、口を開く。

「ほほう?」

「まだ、仕官が認められたわけではありませんが」

 晃志郎の言葉に源内の顔が歪む。

「龍之介の奴め。わしは、封魔奉行所にこそ、赤羽殿が欲しいと思ったが……」

 源内は懐から扇子を取り出し、ハシッと軽く膝を打った。

兵庫ひょうごの奴も、興味があれば自分から会うべきなのだ……全く」

 源内は不満げに呟く。

 晃志郎は意味がわからず、ただ、じっと源内を見守るだけだ。兵庫というのは水内兵庫みずうちひょうご、源内の息子である封魔奉行の水内のことであろう。

「……そういうことであれば、無理じゃのう」

 源内はふうっと息をついた。

「谷本は腕がいいが護衛にはむかん男でな」

 座敷の襖の向こうですたすたという足音がした。

「失礼します」と、沙夜の声とともに、襖がすうっと開いた。

「なにもございませんけども」

 沙夜はそういって、茶の入った湯呑と煎餅を晃志郎の前に置く。

「あの……おかまいなく」

 晃志郎がぺこりと頭を下げると、沙夜は畳に手を添えて頭を下げると、すっと部屋を出て行った。

「谷本殿は随分と隙のないお方にお見受けしましたが」

 晃志郎は、源内が煎餅に手を伸ばすのを見ながら遠慮がちに口を開く。

「ああ。しかしのう。いざとなるとあやつは『敵』しか見えなくなるところがあっての」

 源内は苦笑いをした。

「沙夜も、赤羽殿の方が、気が楽であろう」

「それは……どうでしょうか? 気安いからといって、役に立たないのでは本末転倒でしょう」

「役に立たぬは、言いすぎじゃ」

 源内は煎餅をパリッと音を立てて食べた。老いてはいても、歯はすこぶる丈夫のようだ。

「役に立たぬ男を四門が欲しがるわけがない」

「……恐れ入ります」

 晃志郎はそっと頭を下げ、肩をすくめた。

「ご隠居様も、龍之介さまも……そして沙夜さまもそうですが、水内家の皆さまは、寛容すぎではないかと俺は思います」

 嫁入り前の娘が怪我をしたのだ。かすり傷とはいえ、もっと怒るべきだと、晃志郎は思う。

「わしらは皆、そなたの朱雀に魅せられておる」

 ニヤリ、と源内は笑う。

「瑞獣はあくまで瑞獣。俺本人が役に立つ、立たぬは別の話です」

 晃志郎は自嘲気味にそう呟く。

「現に、夢鳥にも、不知火にも後れを取っております」

「まあ、いろいろあるさ。ところで、ここの煎餅は、絶品でな」

 源内はそう言って、煎餅を食べる様に晃志郎にすすめた。

 晃志郎は一礼して、煎餅を口にする。パリッとした食感がなんともいえず、美味い。

「そう言えば……ご隠居は当然、こがらしのことはお詳しいかと存じますが」

「凩?」

 源内の眉が曇る。

「昨晩、四門で夢鳥のねぐらに踏み込んだとき、龍之介さまが相対したのが凩だったそうで」

 晃志郎の言葉に、源内はふーっと息を吐いた。

「それはまた……この上もなくやっかいじゃな」

 源内はゴクリと茶を飲みほした。



 凩がその名をとどろかせたのは、もう十五年も前のことである。

 当時の蓮の帝の側室であった瑠璃るりの方が、帝と心中を図る事件が起きたことになっている。心中は失敗し、瑠璃の方は死亡したのであるが、実は瑠璃の方は『呪殺』されたことは公然の秘密だ。瑠璃の方は帝暗殺のための手ごまに使われた。その恐るべき呪術者が、『凩』である。

 国全体を揺るがす大事であったがため、何人もの人間が捕縛され、そして根気よく取り調べが行われたにも関わらず、ついに『凩』にお上の手がたどり着くことはなかった。

 その後、時折『凩』は大きな事件の裏で暗躍し続けた。

 お上の中枢部に『凩』は保護されているのではないか、という噂もあるが、確証はどこにもない。

 常に暗躍し影をちらつかせていた『凩』であるが、ここ数年、ぴたりと姿を消していた。

「おそらく、凩もかなり老いて、引退したのではないかと、言われておったのじゃが」

 源内は、顎に手をあてて、息を吐いた。

「ご隠居は、呪術者が徒党を組む利点というのは何だと思われますか?」

 晃志郎が、夢鳥、不知火、そして凩が同じ目的で動いている可能性があることを示唆すると、源内の顔がさらに厳しくなった。

「呪術者は基本、自分のためか金のためにしか動くものではなく、めったに共闘などせぬものじゃ」

 その認識は、晃志郎も同じだ。

「もし、彼奴らが徒党を組むとしたら、国政を揺るがすほどの大きな意志が働いている可能性がある」

「国政、ですか」

 話の大きさに、晃志郎は首を振った。

「俺のような一介の封魔士には気が遠くなるようなお話ですね」

「赤羽殿が、無名の封魔士でいられるのも、時間の問題じゃな」

 ニヤリ、と意味ありげに源内は口の端をあげた。

 ガラリと引き戸が開く音がした。龍之介と、土屋宗一が帰ってきたようだった。



「お帰りなさいまし、龍之介さま」

 水内家に住み込みで働いている、茂助もすけが、家の前の庭木を手入れしていた。

「晃志郎は来ているか?」

「へい。ずっとお座敷でご隠居様とお話をされております」

「源ジイと?」

 龍之介はふうっと息をついた。なんのために、一緒に帰してやったのだと、沙夜にうらみごとをいいたくなってしまう。もっとも、嫁入り前の娘と二人きりで用もないのに部屋の中で談笑するなど、律義で奥手な晃志郎ができるはずもない、とも思う。

「わかった」

 龍之介は土屋を連れて、玄関の引き戸に手をかけた。

「赤羽殿は、源内さまと顔見知りで?」

 土屋の言葉に、龍之介は頷く。

「もともとは、源ジイと沙夜が、晃志郎の封魔の現場に居合わせたのが縁だ。そこで、源ジイが晃志郎の朱雀に惚れこんだのさ」

「なるほど」

 土屋は頷いた。

「あれ程の朱雀、簡単に見られるものではありませんからね」

 瑞獣の美しさは、術者の能力に比例する。封魔士の第一線といって良い職場である四門の人間でも、晃志郎ほど美しい瑞獣を操るものは数えるほどしかいない。

「ならば……源内さまは、封魔奉行所にこそ、と、お思いでしたでしょうに」

 土屋にしては人の悪い表情で、ニヤリと笑った。

「だろうな……しかし、まあ、源ジイは、隠居の身だ。決めるのは親父だし、親父は、晃志郎と未だ会ったことがない」

 龍之介はそう指摘する。

「俺だって、自分の目で見るまで、にわかには信じられなかったからな」

 龍之介は苦笑した。熊田屋で、いとも簡単にみせた虚実の呪法。そして、状況を瞬時に把握する能力も、龍之介が常日頃抱いていた日雇いの封魔士の能力の印象とはかけ離れたものだった。

「……思うに、赤羽殿は、もともとはいずこかの名家の出身ではないでしょうか」

 土屋が思慮深げに口を開く。

「先日、『封魔が嫌で家を出た』と聞きました。瑞獣はもちろん、あの術はどう考えても、どこかで修行した人間のものです」

「確かに。自己流では、ああはいかん」

 晃志郎の技や術は、基本に忠実で、無駄がない。もともとの資質の高さもあるであろうが、単純に霊力が高いだけではなく、熟練度が高い。

「……なんにしても、負けず嫌いで、正義感の強い男だからな。夢鳥や不知火とやりあって、引くに引けなくなったのであろう」

 龍之介はくっくっと笑った。

「任官の審査は通りましょうか?」

「通るさ。封魔の腕を見たら、家柄などどうだってよくなる。問題は、晃志郎に続ける気があるかどうかだけだな」

 龍之介はそう言って、そっと首をすくめながら、座敷へと足を向ける。

「晃志郎、待たせたな」

 襖の向こうに、声をかけ、つぃっと襖を滑らせる。

 座敷の上手には、顎に手を当てて、険しい顔をした源内。下手には、なぜか座布団を脇に避けて畳に直に座っている晃志郎がいた。

「お役目、ごくろうさまです」

 晃志郎は、そう言って頭を下げた。

「わしは、席を外した方が良いか?」

 源内がそう言って、龍之介を見る。知的な好奇心を刺激された目をしていた。

「別に。沙夜、土屋と俺にも茶を入れてくれ」

 龍之介は大きな声で廊下の向こうへと声をかけた。

 そして、座布団を二つ用意して、土屋に座るように声をかける。

「ああ、疲れた」

 そう言って、龍之介はどっかりと胡坐をかいた。

おぼろ勘助かんすけに会ってきた」

 そう言って、龍之介は険しい顔になる。

「封魔奉行所に護送する前に、ちらりと顔を見たときとは別人のようであった」

「……?」

 朧の勘助が、市井奉行所から封魔奉行所の預かりとなったのは、昨日のことである。

「まず、髪が白髪にかわっていて、顔色がすこぶる悪い。罪人とはいえ、やりすぎだ」

 龍之介の目に、憤りが浮かぶ。

「親父が何を考えているのかよくわからん」

 むぅっと唸りながら、龍之介は深く息をついた。

「朧の勘助も、自分が殺される可能性があるなどとは思っていなかったようですからね。そのこともあって、恐怖も多かったことでございましょう」

 土屋は苦い顔で口にした。

「それで、何かわかりましたか?」

 晃志郎は、龍之介の不満には触れず、先を促した。

「勘助は……お蝶を殺した時、お蝶の持っていた金品などを強奪していた」

 龍之介はふうっと息を吐いた。

「もっとも、それも織り込み済みで、賭場で、換金する約束だったらしい。ただ、勘助は二品、そのままくすねて、懐に入れた」

「それで?」

「自らの身の安全が確保されるまで、それ以上は話さぬ、の一点張りだ。無理もない」

 龍之介の言葉は苦い。

「しかし、身の安全の保障など、無理でございましょう。牢から解き放ったところで、どうにかなるものでもないことは、勘助もわかっているのでは?」

 晃志郎はそう言って、首をひねる。

「それに……勘助の犯した罪は人殺しです。あまり、譲歩はせぬ方が良いのでは?」

「……それは、そうなのだが」

 龍之介は、首を振る。

「勘助の身辺を洗いましょう。自白の件は、奉行所にお任せしてはどうですか?」

 晃志郎の言葉に、土屋がびっくりしたように目を見開いた。

「赤羽殿は、思ったよりずっと冷静ですね。ちょっと意外です」

「そうでしょうか?」

「封魔の現場では、俺より向こう見ずなくせに」

 龍之介はそう言って、軽く首を振った。


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