第十七話 天女 壱

 花曇りの空である。

 晃志郎は、昼下がりの町をフラフラと歩いた。

 春とはいえ、陽の光がないと、少々肌寒く感じる。

「おや、赤羽さま、おひさしゅうございます」

 馴染みの口入れ屋である『大塚屋』の前までくると、ひょいと、のれんから手代の善太が顔を出した。

「だんな、赤羽さまがお見えになりました」

 善太は、まるで晃志郎が来るのを待っていたかのように、のれんの向こうに声をかける。

 厄介ごとのにおいがした。

  晃志郎は現在、それほど大きな仕事がしたいわけじゃない。『晃志郎を待っていた』かのような仕事は、骨の折れる仕事の可能性が高い。

 晃志郎は、思わず肩をすくめながらのれんをくぐった。

「ああ、助かりました。赤羽さま」

 まだ何も言っていないのに、清兵衛はホッとしたような笑みを晃志郎に向ける。

 清兵衛の横に、年配の顔色の悪い男が座っていた。依頼人としては珍しい武家の男だ。心労の色が濃い。

「良かったですねえ、右近うこん様。赤羽さまなら、うってつけの人物ですよ」

「清兵衛、俺はまだ、何も聞いておらんし、やるとも言っていない」

 既に決定事項のような清兵衛の態度にあきらめを感じながら、晃志郎は座敷に腰を下ろす。

「右近様、こちらは赤羽晃志郎さま。剣も封魔も超一流でいらっしゃいます。赤羽さま、こちらは市井奉行所しせいぶぎょうしょの与力でいらっしゃる右近新之助うこんしんのすけさまです」

「与力様が、一介の封魔士に何の御用で?」

 市井奉行所というのは、封魔奉行の配下にあって、封魔以外の事件を取り仕切っている役所である。封魔奉行との一番の違いは、与力をはじめとする探索がたの同心たちに、封魔の能力が必要ないということだ。

「その……実は、我が屋敷におこる怪異のことで」

 右近は言いにくそうに口を開いた。

「失礼ながら、封魔奉行所にお届けなさるべきでは?」

 それができれば、わざわざここにはこない。そんなことはわかってはいたが、晃志郎はつい、そう口にする。

「なにぶん、その……娘の将来に関わることなので」

 右近は、封魔士を雇うために、非番の日にわざわざ口入れ屋に顔を出したらしい。

 ふう、と晃志郎はため息をつく。お上に仕える役人ですら、世間への体面を気にして役所に届けない――なんとも言えないものがある。しかも市井奉行の与力ともなれば、封魔奉行の同心たちにも顔はきくはずだ。

「具体的には、何が?」

 晃志郎は話を促す。

「娘が……夜歩きをするのです」

 ぽつり、と、右近はそう言った。

 右近の十五になる娘、『藤』は、二週間ほど前から、夜になるとフラフラと意識のないまま屋敷内を歩き回るようになったらしい。

 そして、屋敷内の木によじ登り、虫をむさぼる様に食べたりする。

 日中は、普通に受け答えをするものの、食欲はほとんどなく、日に日に痩せ衰えていくらしい。

「それで、娘さんのほかには、変わったことはありませんか?」

「……投げ文がありました」

「文?」

 晃志郎は、片眉をあげた。

「娘をもとどおりにしたければ、七日のうちに、ある男を釈放しろと。釈放しなければ、娘は死ぬと書いてありました」

「……穏やかではありませんね」

 与力ともなれば、牢に立ち入ることは可能ではあろう。

「その男はどんな罪状で?」

「スリ、ですよ」

「スリ?」

 晃志郎は、目を見開いた。スリは大した罪にはならない。常習犯で悪質であれば、和良比からの追放ということもあるだろうが、是が非でも釈放させねばならぬというほどのことではないだろう。

「……表向きは、です」

 右近は口を濁した。

 おそらく、『スリ』は捕えるための口実で、本当はもっと大きな『事件』に絡んでいる人間なのだろう。

 ふうっと、晃志郎は息を吐いた。

「封魔の報酬は五百文から。しかし、事情が事情だけに、色はつけてもらいたいが」

「もちろんです」

 右近は頷いた。

「これ以上はここで、話すことではなさそうだ。屋敷の方へ参ろう」

 晃志郎は、首を振りながら腰を上げた。

「お受けいただけるので?」

 すがるような目で、右近が晃志郎を見上げた。

「……気乗りはせぬが、断ったら目覚めが悪そうだ」

「赤羽さまなら、そうおっしゃると信じておりました」

 にこり、と、清兵衛が笑みを浮かべた。

 ――相変わらず、狸め。

 晃志郎は清兵衛を軽く睨んだ。



 右近の屋敷は、藍前町あいぜんまちの北にある、緑坂町みどりさかまちにあった。

 武家屋敷の多い場所である。与力である右近の屋敷は、決して大きいほうではないが、立派な屋敷であった。

 緑坂町は、昼間でも喧騒とは無縁の場所だ。

 時折、武家屋敷への出入りの商人などが道を歩いてはいるものの、ひとの通りは少ない。

 晃志郎は、屋敷の門をくぐると思わず顔をしかめた。

 ――ある。

 肌がざらつく。呪術の香りに満ちていた。

 屋敷の中の大気がよどんでいる。

 ――参ったな……。

 晃志郎は、奥の座敷に案内されながら、ため息をついた。

 思った以上に大事のようだ。

 しかも、呪術者の要求が金品でないとなると、タチが悪い。

「まずは、お座りください」

 右近が、座敷に座布団を用意して、晃志郎に座るように促した。

「では、先のお話を伺いましょう……場合によっては、俺一人の手にはあまるかもしれません」

 晃志郎は厳しい顔でそう言った。

「拝見しましたところ、かなり強い術が仕掛けられております。もちろん、この術自体を破ることは難しいことではありませんが、この屋敷とお嬢様への呪術を破るだけでは、解決とはならないでしょう」

「おっしゃる意味は分かります。私はただ、藤のあさましい姿をさらしたくはないのです……」

 右近はそう言って目を伏せた。

 市井奉行の与力ともなれば、封魔奉行所に知人も多いだろう。近しい人間にこそ、見せたくはない、それもまた、正直な気持ちなのかもしれない。

「それで……釈放をしろというスリは、どのような男で?」

 晃志郎は、声を潜めた。

おぼろ勘助かんすけという男です。スリ以外に、かっぱらい、かどわかしなど、なんでもやるどうしようもない男です」

 右近は顔をしかめた。

「一応、スリ容疑で引っ張りましたが、実は遊女殺しの疑いがありまして」

「遊女殺し?」

 晃志郎は眉を寄せた。

「ひと月ほど前、『雪思路ゆきしろ』の堀に遊女の死体が上がりました。ほぼまちがいなく、勘助の仕事です」

「な?」

 晃志郎は目を見開く。

「……まさか、その遊女というのは、桃楼郭のお蝶では?」

「ご存じなので?」

 右近は驚いた顔で、晃志郎を見つめる。

「……勘助という男は、市井奉行の管轄の牢に?」

「そうですが」

 ――マズイな。

 晃志郎は舌打ちをする。ここで、呪術に介入を始めれば、間違いなく、勘助は消される。いや、今、勘助が消されていないのならば、勘助にはなんらかの『価値』があるのであろう。

「お嬢さまに異変が起こる前、こちらの屋敷で、何か変わったことはございませんでしたか?」

「特には……ああ、親類が一度、こちらへ」

「親類?」

「妹の夫で、義理の弟です。沢桐多門さわぎりたもんという勘定方の人間ですが」

 右近は首を傾げる。

「妹が子を産みまして。その報告に」

 沢桐という男は、とても好人物らしい。少なくとも右近の話を聞く限り、悪印象は持てなかった。

「何か、こちらにお持ちになったということは?」

「絵をいただきました。美しい天女の絵で。娘がとても気に入りまして、娘の部屋に飾ってあります」

 ――絵か。

「沢桐殿は、おひとりでこちらへ?」

 晃志郎の問いに、右近は首を傾げた。

「いえ、勤めの途中によられたとのことで、下役の男性と一緒でした」

「その方は、屋敷の中に入られましたか?」

 晃志郎の言葉に、右近は思い出すように言葉を紡ぐ。

「ええ。お茶をお出ししました。ああ、そういえば、厠をお貸ししました」

 晃志郎は大きくため息をついた。

「この家におすまいなのは?」

「私と、妻と、娘。あとは、身の回りの世話をしてくれている『松吉』夫婦です」

 右近の言葉をに晃志郎は頷いた。

「一刻ほど、お時間を頂いてもよろしいですか?」

「時間?」

「準備に時間がかかります。少し、出かけてきます」

 晃志郎はそう言って、腰を上げる。

「赤羽どの?」

「俺が戻るまで、ものを口にせぬように、この家にお住いの方々に徹底をしてください。それから、娘さんは決して屋敷から出さぬように」

 晃志郎は何か言いたげな右近を目で制して、屋敷を出た。

 急ぐ必要があった。



 四門の詰所より、封魔奉行所の方が圧倒的に近い場所にあったが、晃志郎は右近の屋敷から出ると、四門の詰所へと向かう。身体につきまとう呪術の香りを、幾多の寺社の敷地を通りながら薄めていく。

 払ってしまうのは簡単であるが、不用意に払えば、術者に気付かれる恐れがあるからだ。

 念には念を入れて、つけられていないかを確認したのち、晃志郎は、四門の詰所の扉をくぐった。

「失礼いたします。赤羽晃志郎と申しますが……」

 障子紙のはられた引き戸をあけると、座敷には土屋宗一つちやそういちが茶をすすっていた。

「赤羽殿?」

 びっくりしたように、土屋は晃志郎を見る。

 初対面の時は、うろんなものをみるような目であったが、今の土屋には、そのような感情は見えない。

「例の、夢鳥の件で、至急お手配を願いたく参上いたしました」

 晃志郎は、話が早い、と土屋にそのまま口を開く。

 土屋は晃志郎の話を聞くと、大慌てで、上司に報告に行った。

 しばらくすると、ぽってりと腹の出た中年男を連れだって、土屋が戻ってきた。

「探索方 目付け、穴平あなひらと申す」

「赤羽晃志郎と申します」

 穴平は、晃志郎の顔をじっと見た。何度も首を傾げる。

「赤羽殿とやら。どこかで会ったことはないか?」

「いえ。ございませんが」

 晃志郎は素直に答えた。

 それでも、穴平は記憶をたどるように首を傾げる仕草をして、諦めたようにふうっと溜息をついた。

「まあよい。それどころではないからな」

 穴平は晃志郎に向きなおった。

「手配が済んだら、右近の屋敷に、水内を行かせる。それまで待てそうか?」

「いかほど、かかりましょうか?」

 晃志郎の問いに、穴平は首をひねった。

「そうだな、とりの刻(18時すぎごろ)には、なんとかなる」

「娘の藤は、夜になると呪術の影響を受けるらしいので、できれば日暮れ前に願います」

「わかった……土屋」

 穴平は頷き、傍らの土屋を呼んだ。

「赤羽殿に手を貸せ。一応、封魔四門の名は伏せろ」

「わかりました」

 土屋宗一は生真面目に頭を下げた。



「土屋さまは、黄央流きおうりゅうでしたっけ」

 右近の家に戻りながら、晃志郎は、土屋の生真面目な顔を見ながらそう言った。

 封魔には、五つの流派がある。それぞれ得意分野が違うが、黄央流は、ことのほか結界に強い。

「そうです。瑞獣も一応使いますが、主に結界用員ですね」

 土屋は、苦い顔で笑った。

 そういえば、熊田屋の時も、土屋は結界を一手に引き受けていた。

「その腕、かなり頼りにしております」

 晃志郎の言葉に、土屋は不思議そうな顔をする。

「光栄ですが、赤羽殿ならば、私の力など必要ないのでは?」

 嫌味ではなく、本当にそう思っているようだ。

「赤羽殿は、四門に仕官する気はないのですか?」

「俺に、敬語は不要です」

 晃志郎は首を振って自嘲めいた笑みを返した。

「俺では、四門は務まりませんよ」

 ふーっと息を吐く。

「俺は、かなりいい加減な人間ですから」

 晃志郎は首をすくめた。

「土屋さま、俺はね、封魔が嫌で家を出た男です」

 それだけ、ってわけでもないですが、と言いながら、晃志郎は苦笑した。

「それなのに、結局、封魔でしか食っていけない。実に、矛盾した男なのですよ」

 土屋は、晃志郎の言葉に複雑なものを感じたのか、それ以上は何も言わなかった。

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