第二十話 天女 四
呪術を跳ね返したことで、右近の屋敷の空気が澄んできた。
晃志郎は、屋敷中に札をはり、結界を張る。龍之介は、主として右近の聞き取りを行い、土屋は封魔奉行所へ応援に行くことになった。今まで生かされていたことも考えて、勘助がすぐに敵に消されるとは思わないが、右近の屋敷を解放した時点で、考えが変わらないとも限らない。
すべての後始末が終わるころには、夜はとっぷりとふけていた。
「あの……お代はいかがいたしましょうか?」
右近の言葉に、晃志郎は苦笑した。
本来、封魔の仕事は、四門に直接頼めば、基本、無料である。せいぜい『心づけ』を渡すだけでよい。
駆け出し封魔士の料金でも五百文かかることを考えれば、金銭的にはどう考えてもお上の機関に依頼するほうがお得だ。魔が、社会の底辺に巣食いやすいことと、他人に言いたくないという身内の心情ゆえに、放置されがちな現実を少しでも改善するために作られた制度なのである。
「右近殿は、『四門』の正式調査をお望みでしょうか?」
龍之介が横から口をはさんだ。
正式調査となれば、聞き取り調査以外にも、場合によってはお白洲などにも出なければならない可能性がある。当然、娘の藤に掛けられた呪術についても、公にせねばならない。
「……それは、できれば、御勘弁いただきたい」
お白洲の場に出なくとも、公式文書に子細は残される。嫁入り前の娘が『夜歩き』したなどと、記載されれば、今後の縁談に響かないとも限らない。
「ならば、晃志郎に封魔の代金を払っておけ。そうすれば、この調査は我らが『勝手に』行ったことになる」
龍之介がニヤリと笑うと、右近はホッとしたように息をついた。
右近は、金子を取りに奥の部屋へと引っ込むのを見送ると、「よろしいので?」と、晃志郎は龍之介に問いかけた。
「四門は、奉行所と違って、そのへんは緩い。形式にとらわれていては、巨悪は叩けん」
その通りかもしれないが、封魔奉行の息子である龍之介がそういうと、なんとなく微妙な気分になる。
「では、『心づけ』は俺からお出ししましょうか?」
ニヤリと晃志郎が笑えば、「土屋にだけでいいぞ。俺はいらん」と、龍之介は肩をすくめた。
「金を出すくらいなら、うちに顔を出せ。源ジイがお前に会いたがっておる」
「ご隠居が?」
晃志郎は、好々爺というかんじでありながら、少しの隙のない水内源内の顔を思い浮かべた。
「俺もだが、源ジイは、沙夜の護衛を晃志郎に頼みたいらしい。親父の選ぶ護衛はどうも下心がありすぎていていかん」
「……俺は、護衛失格ですよ」
晃志郎の中でほろ苦い想いが広がる。そもそも、晃志郎とて、沙夜に対して全く下心がないとは言えない。
あの時、沙夜から目を離してしまったのは、一途な想いで守り袋を見つめる沙夜を見ていられなかったからだ。あの程度の術から守れなくて、何のための護衛だ、と思う。
「先日、沙夜さまの護衛についていらっしゃった光刀流(こうとうりゅう)の谷本さまというかたは、なかなかの使い手にお見受けしましたが」
その言葉に、龍之介が思わず顔をしかめた。
「谷本に会った?」
「はい。行平町で偶然に。沙夜さまもご信頼されているように見受けられましたが?」
お互い親しそうに微笑みあい、仲睦まじい様子に見えた。
晃志郎は、自分を青ざめた顔で見つめた沙夜の顔を想い出し、首を振った。
「……それに、沙夜さまも俺の護衛はお嫌でしょうし」
「嫌だったら、弁当を作ったりなどせぬであろうに」
呆れたように、龍之介は呟いた。
「その話は、今度じっくりしたほうが良いな。とりあえず、右近殿が見えたようだ」
ふうっと龍之介はため息をついた。
右近の屋敷の始末が終わって、屋敷を出た頃には、既に亥の刻(22時)を過ぎていた。
「どうしますか?」
晃志郎は龍之介の顔を見た。
盛り場といえども、既に灯を消している時間である。
「
龍之介は呟いた。
山峯町は『
「四門の詰所に顔を出してから行こう。応援があったほうが良い」
龍之介の言葉に、晃志郎は頷いた。
もはや、術を反転させてから、かなりの時間が経過している。いまだ、夢鳥が同じ場所にいるとは限らないが、念には念を入れたほうが良い。
「……あの天女の絵ですが」
ポツリ、と晃志郎は口にした。
「やはり、沙夜さまのような気がいたします」
部屋に散らばった絵はすべて、どこか沙夜の面差しを感じさせた。
「俺は、夢鳥の『絵』をみたのは三度目ですが……今回の絵は、何かが違う気がしてなりません」
「何か、とは?」
晃志郎は苦笑した。
「俺は絵については素人ですが、なんというか完成度というか、情熱のようなものを奴の絵から感じたのは初めてだったので」
「情熱ね……」
龍之介は首を傾げる。
「仮に、沙夜だとして、やつはどこで沙夜と会った?」
「沙夜さまは……『鳩屋』の封魔の現場に居ました。霊視されたとしても不思議はありません」
晃志郎は天女とともに、梅が描かれていたことが、どうしても無関係とは思えないのだ。
鳩屋の事件は、梅が咲き誇る時期であった。
「夢鳥は、沙夜さまとよく似た女性の絵を何枚も描いているようでした。沙夜さまを襲った賊も、その絵を見て、沙夜さまを手に入れようとしたのかもしれません」
晃志郎の言葉に、龍之介は異を唱える。
「それは、飛躍しすぎだろう? そもそも、沙夜はそこまでするほどの美女ではないだろう?」
「そうでしょうか」
星が降るように瞬いている。右近の家から借り入れた提灯の灯りが、明かりの落ちた通りをぼんやりと照らしている。二人の足音だけが、夜の静寂を乱す。
二人の行く先の道に、明かりが落ちていた。
封魔四門の詰所だ。寝静まった町の中で、ぼんやりと灯りを灯している。
「ただいま、戻りました」
龍之介が引き戸を開けると、常ならば当直しかおらぬ座敷に、穴平をはじめ何人かが茶をすすってまっていた。
「山峯町の的屋だと、土屋から連絡は受けたが……」
穴平はそう言って、二人に茶と握り飯を差し出した。
「今、三件ほど見張らせているが、特に動きはない」
山峯町は盛り場が多く、晃志郎の霊視の僅かな情報では、完全に場所が特定できたわけではない。
見張らせているのは、もともと四門の調査で上がってきていたうちのいくつかと、晃志郎の情報が一致した場所であって、そのどれかであるという確証はない。
「飯を食ったら、とりあえず出かけるぞ」
龍之介に言われ、晃志郎は出された握り飯に手を出した。
大きな術を繰り出した後だ。さすがの晃志郎も疲労していたが、ここでやめるわけにはいかない。
晃志郎は、穴平の案内で龍之介とともに山峯町へと向かった。
子の刻(0時)が近づき、山峯町といえども、明かりは消え、ひっそりとしている。ところどころ商家の二階に灯が残ってはいるものの、通りに歩くものはいない。
晃志郎は、神経を集中させ、自らの気の残滓を捜す。一度、霊体としてたどった『道』を捜すことは、似たような町屋の風景の記憶をたどるよりは、確実である。
「三軒ほど先を右に曲がってすぐ、でしょうか」
ぽつり、と晃志郎が言うと、「ならば『やばね』だな」と、穴平が呟き、ついてきた配下の者に他所の見張りをしている者たちへ連絡を走らせた。
右を曲がってすぐのところで、見張りをしていた男が穴平のところへとやってきた。
「大きな荷物などを持った者は見かけておりませんが……なにぶん、亥の刻近くまで人の出入りが激しい場所ですので……」
商人風の格好をした男が首を振る。そもそも人相描きなどもないのだから、簡単な背格好と年齢くらいしかあてにはならない状態だ。余程特徴的でない限り、見逃した可能性もある。
もともと的屋というのは、表向きは吹き矢の的あてという娯楽施設であるが、裏では、その従業員である
「とりあえず、家人に、話をつけよう」
穴平はそう言うと龍之介は頷き、ピタリと閉じられた裏口を叩いた。
しばらくして。
「誰だね」
木戸の向こうから眠たそうな声が聞こえてきた。
「封魔四門である。夜分ではあるが、戸を開けられよ」
龍之介のよく通る声が闇に響くと、ギシギシとかんぬきを外す音が聞こえた。
「な、何の御用でございましょうか?」
眠気がいっぺんに吹き飛んだ、と言う顔の男が引き戸の向こうからひょっこりと顔を出す。
「この店に、『夢鳥』という絵師が滞在しているな?」
龍之介の口調は、有無を言わせぬ圧力がある。
「へ、へい。二階の奥に……」
「手間は取らせぬ。案内しろ」
男は、青ざめた顔で役人たちを中に入れ、裏の勝手口を開いた。
暗い土間は、炊事場と兼用になっており、板張りの床の向こうに階段が見えた。
「階段右の一番奥です」
男は、震える声でそう言うと、怯えながら奥の部屋へと走っていった。おそらく、店の主人に報告に行ったのであろう。
「行くぞ」
龍之介に促され、暗い階段を、晃志郎は龍之介のあとに続いた。手にした提灯の灯りがぼんやりと前を照らす。
階段を昇ると、板張りの通路が右と左に伸びていた。
息を潜めると、どこかの部屋からか、女の喘ぎ声が洩れてくる。
龍之介は一瞬眉を曇らせたが、右側の端の部屋の襖の前に立つと、じっと耳を凝らす。
シン、と静まり返っている。絵の具の香りをわずかに感じた。
龍之介に頷かれ、晃志郎は襖をすらりと開けた。
提灯に照らし出された部屋の中は、雑然としていた。
散らばった、何枚かの絵。吐血したと思われる赤黒い血の跡。
それらは、晃志郎が霊視した時からなにひとつ手を加えられていない。
「逃げられましたね」
晃志郎は首を振った。
「おそらく、呪術道具だけを持って、逃げたのでしょう」
それほど多くはないものの、衣類などはそのまま残っているようだ。
不意に、晃志郎は首筋にチリリとした嫌な感触を感じた。
「まずい!」
晃志郎は叫び、部屋を飛び出した。
「晃志郎!」
慌てて龍之介が晃志郎の後を追う。
「二階はお願いします! 俺は、一階に!」
晃志郎は階段を転がるように降りた。
「ぐわっ」
先ほど戸を開けた男の横で、階段を見上げていた寝間着姿の男が急に苦しみ始めた。
「だ、だんなさま」
主人の突然の様子に、男がオロオロと背をさするが、苦しみは止まらないようだ。
「朱雀!」
晃志郎は笄を抜いて叫んだ。
キラリと朱金の光りが辺りを照らす。ぞわりとした闇の塊が男の身体に沁みこんでいくように見えた。
――時間が足りないっ!
技を反転させるだけの余裕がない。晃志郎は、瞬時にそう判断した。
「断糸」
晃志郎の言葉とともに、眩き光が弾けた。
目を焼くような朱金の輝きが、一羽の瑞獣の姿に収束していく。
「下がって」
晃志郎は、突然現れた瑞獣に度肝を抜かれた男にそう告げ、苦しむ男の前に立つ。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
晃志郎の九字に合わせ、男の身体に沁みこんだ黒い塊がべろりと男から剥がれ、床へ流れ出した。
「焼き払え!」
晃志郎の命に応え、朱雀が朱金の光りの粉を振りまきながら、黒い塊の中へと飛び込むと、部屋全体が朱金の光に包まれた。
「虚冥よ、閉じよ」
晃志郎の言葉とともに、闇が再び舞い降りて、女のすすり泣く声が二階から聞こえてきた。
晃志郎は、使用人の男に、明かりをつけるように頼み、『やばね』の主人を手近な座敷に運び込んで横にする。行燈の光りの下、主人の額に浄化の紋様を筆で描いた。
幸い、命に別状はないようだ。
「男がひとり、やられた」
穴平が、二階から降りてきて、ぽつりと言った。
「情事の最中だったのであろう。ふすまが開かぬようになっておって、手間取った」
晃志郎は肩をすくめた。
「今、水内が女に事情を聞いている」
「そうですか」
晃志郎は使用人に、寝具を持ってくるように頼み、懐紙で呪符を作っていく。
「夢鳥にここまで余力があったとは……」
穴平はそう言うと、晃志郎は首を振った。
「違いますよ、穴平さま。今のは、夢鳥ではありません。少なくとも、俺が対峙したのは、不知火です」
「不知火って、あの不知火か?」
穴平は目を見開く。
「間違いありません。あの霊波は、不知火のものです」
晃志郎は断言した。
「では、夢鳥は、不知火と組んでいる可能性があるということか?」
「まず、間違いないと思います」
晃志郎の言葉に、穴平は苦々しく眉をよせたのだった。
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