第二十一話 天女 五

 階段から降りてきた龍之介は、ぐったりと肩を落としていた。表情にも疲労がにじみでている。

『やばね』の使用人たちが役人たちの為にと、客間に灯りと、火鉢と茶を用意してくれた。

 主人は、晃志郎のおかげで大事に至らず、主人の女房が様子を見ている。穴平は、龍之介と入れ替えに、二階の取り調べのため、部下を引き連れて階段を昇っていった。

部屋に一人残った晃志郎は、龍之介に店の者が用意してくれた茶を差し出す。龍之介は、ひとくち茶をすすり、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「お蝶の弟の栄治郎えいじろうをやられた」

「相手は?」

 晃志郎が問う。

「あれは、夢鳥じゃない。かといって、不知火でもない」

 龍之介はふーっと息を吐いた。

こがらしだ」

「え?」

 凩というのは、不知火と同じく、和良比でも有名な呪術者である。もっとも、凩は既に引退したと噂されており、ここ三年ほど、派手な事件などは起こしたとは聞いていない。

「昔、親父の捕り物についていった時、霊波に触れたことがある」

 龍之介の瞳に、珍しく怯えのような影が映る。

「初動に手間取ったのは言いわけだ。俺の手におえる相手ではなかった」

「凩、ですか」

 晃志郎は大きく息を吐いた。晃志郎は凩と直接対決したことはない。しかし、晃志郎の姉『なつめ』の話によれば、おそらく『和良比』随一の呪術師だという。どのように追い詰めても、ひらりと風のように姿を消してしまい、決してしっぽをつかませないらしい。

「夢鳥に不知火、それに凩。呪術師というものは、あまり徒党を組まぬものと思っておりました」

 晃志郎の言葉に、龍之介は苦々しい顔を浮かべた。

「俺もそう思っていたが……どうやら、違うらしいな」

 穴平たちが二階から、遺体ほとけを降ろしてきた。既に家中に呪符の結界は張り終えてあったので、数名の張り番を残して、一度詰所に戻ることになった。

 既に、時は丑の刻(2時)になろうとしている。

「赤羽殿もごいっしょに」

 穴平に言われて、晃志郎はそのまま四門の詰所へとついていく。正直、市井しせいの封魔士の役目はすでに終えており、ついていく義務は全くと言ってない。しかし、拒絶する理由はどこにもなかった。晃志郎は既に、自分がこの事件の大きな網に囚われはじめた予感をひしひしと感じていた。

 四門の詰所に入ると、晃志郎は、龍之介とともに穴平の部屋へと案内された。

 穴平の部屋はそれほど大きくはないが、大きな火鉢と、小さな机が置かれていた。

 春とはいえ、まだ夜中は冷える。温かな火鉢を三人は囲むように座った。

「赤羽殿は、市井の封魔士と聞いているが」

 穴平はギラリ、と晃志郎の顔を見た。

「つまるところ、それは『無職』の『日雇い』だと、言うことかな?」

「相違ございません」

 晃志郎は、思わず苦笑いを浮かべた。封魔士の定職先は、奉行所などの役所か寺社と相場が決まっており、そういったところに仕官しないものは、結局のところ『日雇い』仕事を捜して食っていくのだ。

「ならば、四門で仕事をしてはくれまいか?」

「……ずいぶん、下からおっしゃられるのですね」

 びっくりした晃志郎に、穴平はニヤリと笑った。

「正直に言う。おぬしの力が欲しい。仕官がどうしても嫌だというのなら、期限付きでも構わん。だが、今回の事件を追っていくのに、赤羽殿の力はどうしても必要だ」

 穴平は力強くそう言った。

「かいかぶり――とは言わせない」

 龍之介が口を開きかけた晃志郎に先んじてそう言った。

「しかし、四門で働くには、身分の保証をする保証人が必要なはず」

 晃志郎は慎重に口を開く。他の役所ならともかく、封魔奉行所や四門はことのほか出自に厳しい。

 家柄のはっきりしない人間が勤めるためには、身分を保証する社会的地位のある人間の推薦が必要だ。これまでのような臨時雇いならともかく、そうでないならば書式を整えなければならない。

「わしが保証人になろう」

 穴平がニヤリと笑う。

「……それで不足なら、源ジイに推薦文をかかせる」

 龍之介が口を添えた。

 もはや逃げられない、と晃志郎は観念する。

「俺は……封魔の現場でしか、役に立たない男ですが」

「四門に必要なのは、まさしく、封魔の現場で役に立つ奴だよ」

 穴平はそう言って、煙草の盆につぃっと手を伸ばした。



 軽く仮眠をとったのち、晃志郎は用意された粥をすすると座敷の隅に座った。

 それほど大きくない座敷には、十人ほど集まっており、龍之介や奉行所から帰ってきた土屋の姿もあった。

「それで、土屋、勘助とやらはどうであった?」

 穴平の言葉に弾かれたように、土屋は背筋をピンと伸ばした。

「市井奉行所の見立て通り、お蝶殺しを吐きました。現在は、封魔奉行所の結界の間で保護されております」

 土屋の話では、日が暮れて間もなく、勘助は呪術攻撃を受け始めた。封魔奉行所では、その事実を、勘助に見せつけたらしい。

「……ずいぶんと危険な賭けをしたものだ」

 穴平が呟く。

 見せつけた、というからには、命を守る最低限の術だけ施して、放置したということだ。

「勘助は、夢鳥を名乗る絵師から金貨三枚で、お蝶殺しを請け負ったらしいです……時期的には、鳩屋の一件とほぼ同じ頃か、と」

 土屋はゆっくりと説明をする。

「お蝶は、熊田屋の若旦那である平太と、夢鳥をつないだ人物です。夢鳥は、鳩屋で術に失敗したため、自分に繋がる線を消そうとしたのだと思われます」

 現在の段階の調べでは、勘助は、賭場で夢鳥に出会ったらしい。それ以上の調べは、奉行所と四門が協議しながら行っていくということになっている。

「奉行所と四門にまたがるというのは、厄介だな」

 穴平は険しい顔になる。

「また、水内に苦労を掛けるな」

 世間が思っているほど、役所の連携は良好というわけではないらしい、と晃志郎は思った。

「それで、水内、昨日の女はなんと?」

 穴平の言葉に、龍之介の顔は険しくなった。

「なにぶん、恐怖にかられていて、あまり話にはなりませんでしたが……殺された男は北浦栄治郎きたうらえいじろう。お蝶の弟でした。栄治郎は養家から出奔したのち、賭場や盛り場を転々としていたのち、一年半ほど前から『やばね』の用心棒のようなことをしていたようです」

 龍之介は息をついだ。

「夢鳥は、一年ほど前にふらりと栄治郎が連れてきたらしいです。『やばね』の主人が美人絵の収集に凝っているそうで、『友人』の支援をしてほしいと言ったようです」

 龍之介はふうっと息をついた。

「栄治郎は、基本、昼間は『やばね』でぶらぶらして、夜は情婦である矢取やとの『おみな』と過ごすというような暮らしでした。夢鳥は、『やばね』にいる時は、基本的には絵を描いていたようですね。頻繁に昼夜問わず出かけて帰らぬこともしばしばで、『やばね』の使用人とは付き合わず、栄治郎と主人としか接点を持たなかったらしいです」

「主人の様態が安定したら、もう少し話がきけるかもしれぬな」

 穴平は渋い顔でそう言った。

「栄治郎は、姉は養い親に売られたと信じており、ひどく木野の家を憎んでいたそうです。ただ、お蝶の身売り先などは、一切知らないようにみえた、と、『おみな』は言っておりました」

 お蝶は、弟の幸せを願い自ら身を売ったというのに、その想いは全く伝わっていなかったのか、と晃志郎は苦いものを感じた。

 もちろん、自ら望んだとは言うものの、お蝶が身売りしたのは、養親からの無言の圧力を受けての行動だったのかもしれない。『平静』を装いながら、お蝶は陰で悩み、苦しみ、そして泣いたのかもしれない。十歳ともなれば、姉の隠した感情を敏感に感じることができたのかもしれない。

「仕掛けられましたね」

 晃志郎はボソリ、と呟く。

「栄治郎の遺体に、星蒼玉の痕跡はなかったのですか?」

「……遺体の損傷が激しく、まだ、確認が出来ん」

 呪術者たちは、闇に落ちた星蒼玉を欲する。ひとの憎しみや妬みなど昏い感情に染まった星蒼玉には、巨大な虚ろを引き寄せることが可能だ。呪術者たちはしばしば、憎しみをあおり、体内で穢れた星蒼玉を育て、対象の死とともにそれを回収する。

「いくら凩とはいえ、水内さまがやすやすと後れを取るとは思えません。考えられるのは、既に前から星蒼玉をしこまれ、術者とつながりが強かった可能性が高い」

 龍之介は晃志郎の言葉に、僅かに頭を振る。

「……何にしても、死んでしまってはどうしようもない。周辺を洗うしか道はないな」

 穴平は、ポン、と膝打った。

「この機会に皆に話しておく。今日から赤羽晃志郎殿に四門で働いてもらうことにした。まだ上の許可は取れてはいないが、そんなものはどうだっていい」

 急にその場にいたものの視線を向けられて、晃志郎は戸惑った。

 昨夜、晃志郎が『不知火』の術を打ち破ったことはすでに周知の事実である。視線の先の表情は、皆一様に、ホッとしたものが浮かんでいた。

「封魔の術と剣術以外は、あまりお役に立てませんが」

 晃志郎の言葉に龍之介は苦笑した。

「晃志郎の能力は四門の封魔士の中でも超一流だ。俺が思うに、晃志郎に足りないのは、『女心』を解する能力だけだ」

「は?」

 キョトンとした晃志郎をみて、一同が笑いに包まれた。



 一夜明けて、『やばね』は平静をとりもどしたようではあったが、店は臨時に休業することになった。

 再び店を訪れた晃志郎と龍之介を迎えた、店の主人の甚八じんぱちの顔色は、ほぼ健康を取り戻したように見える。甚八は、四門の役人たちが家の中に張り付いているのを、疎ましく感じてはいるようだったが、さすがに、わが身を襲った恐怖の記憶も新しく、出て行けと言う気はないようだ。

 甚八はふたりを座敷に迎え入れ、座布団と、茶、それに茶菓子を用意した。

 他の四門の役人はともかく、命の恩人である晃志郎に対しては、礼を尽くすつもりであるらしい。

「夢鳥を、支援していたらしいが?」

 龍之介の言葉に、甚八は頷いた。

「金額的に支援したわけではありません。絵の好きな友人、知人に紹介したり、美人絵の版元などに、彼の書いた絵を渡したりしただけですよ」

「その絵は、まだありますか?」

 晃志郎に促され、甚八は使用人を呼び、大きな箱を持って来させた。

 甚八が朱塗りの箱を空けると、肉筆画が丁寧に納められていた。絵には夢鳥の落款が押されている。

「ただの、絵ですね――術は感じません」

 晃志郎の言葉に龍之介が頷いた。

 そこに描かれていたのは、風景画や、動植物、それから、美しい女の顔だ。

「おあきだ」

 晃志郎が目を止めたのは、鳩屋『おあき』の絵だった。他の者と違うのは、彩色がされておらず、墨だけで描かれている。

「『下絵』だな」

 龍之介は絵を覗きこみ、そう言った。熊田屋に飾られていた「おあき」の絵に酷似している。

「夢鳥は、頻繁に出かけていたようだが、心当たりは?」

「さあて」

 甚八は首をひねる。

「絵師ってのは、気難しいらしくってね。なかなか気安く話すことはなかったのですよ。私の紹介した版元は『てまり』というんだが、先方は気にいってくれたのだがね、あまり条件が合わなかったようで、それほど出入りはしていなかったようです。そうそう、冷黄堂れいおうどうという骨董屋にはよく通っていたようですが」

「冷黄堂、ね」

 それは、闇商売の噂の絶えぬ店の名だ。龍之介の眉が曇る。

「最近の夢鳥、もしくは栄治郎に変わったことはなかったか?」

「そうですねえ」と、甚八は首を傾げた。

「夢鳥さんは、ここのところ、同じ女の絵ばかり描いていたのが不思議といえば、不思議でしたが」

 言いながら、甚八はポンと手を叩いた。

「そういえば、一度だけ、すらりとしためっぽう綺麗な姐さんが訪ねてきたことがありましたね……確か、、とか言う名前だったかと」

「すず?」

 甚八は頷いた。

「へえ。夢鳥さんが来て間もないくらいだったかと。それはもう、魂が抜かれるかと思うくらい美しい女子でした」

「ほう」

「もっとも、後にも先にも、一度きりですがね」

 甚八は女の面影を思い出して、残念そうにそう言った。


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