第十九話 天女 参

 土屋は結界が得意だというだけあって、座敷に入ると大気の揺らぎは全くなかった。

 座敷に集められた右近たちは、ひとところに固まって肩を寄せ合うように座っている。

 晃志郎は彼らから離れた場所で、たらいに酒を張り、懐紙に包んだ星蒼玉をそっと入れた。

「絵を拝見しましょう」

 晃志郎は、掛け軸を紐解き、畳の上にざっと広げ、息をのんだ。

 梅の花が咲き誇る中に、舞うように踊る天女が描かれている。

「……沙夜、さま?」

 そこに描かれた天女の顔は、沙夜に酷似していた。

 長いまつ毛。大きな瞳。そしてふっくらとした唇。すらりと伸びた四肢と、柔らかな微笑。

 柔らかな筆致で描かれたその天女は、美しく、そして妖しい色気で見る者を惹き付ける。

 いけないと思いつつ、晃志郎は思わず絵に魅入りそうになった。

「確かに、似ている」

 龍之介は眉を曇らせて、そう言った。

「しかし、今は、そのことより、封魔が先だ」

 深呼吸を一つ入れてから晃志郎は頷き、掛け軸の上に先ほどのたらいを載せた。

「右近様、これから、いったん結界を解きます。皆様の体内に沁みこんだ星蒼玉を取り除きますので、何があっても動揺なさらぬようにお願いいたします……できれば、いいと言うまで目を閉じていていただけるとありがたいです」

「わかった」

「それから、藤さま。申し訳ありませんが、その護身の呪符を土屋さまにお返しを。それがあると、あなたの体内に残った星蒼玉を取り除けません」

「え? は、はい」

 不安げに、彼女はそっと護符を手放し、震えながら目を閉じる。

「封魔を始めます」

 晃志郎はゆっくりと頭を下げた。

 黒塗りの笄をゆっくりとたらいに沈める。

「舞え」

 晃志郎の言葉に、応えて、たらいから朱金の光が生まれた。

 目を閉じていてもはっきりとわかるほどの、眩い光を帯びた、美しい朱雀がたらいの中から大きく羽ばたき、そのまま、右近たちの身体を通り抜けながら、大きく旋回をした。

 朱金の光の粉を振りまきながら、朱雀がぐるりと宙を舞い、晃志郎の左腕に止まり、ポトリ、とくちばしから黒い塊を吐き出した。

「いいこだ」

 晃志郎はそう言って、黒い塊をたらいの中に沈めた。

 さーっと泡が立ちはじめ、黒い気体が吹きあがっていく。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 晃志郎はゆっくりと九字を切った。

 噴き出した気体が、黒い人影となっていく。肌には何もまとわない滑らかな全裸の女性の姿である。顔はないが、口元の唇だけが艶めかしく紅い。

 気体が吹き上げ終わるのを待ち、晃志郎は抜刀した。

「土屋! 結界だ」

 龍之介が叫ぶ。「承知」そう言うなり、ばっと土屋が扇子を開くと赤銅色の光の粉が舞った。

 はらはらと、土屋の結界の光が右近たちの上に舞い落ちる。

「さて、と」

女は、胸の双丘を艶めかしくゆらし、片手をバッと広げた。闇の刃が、晃志郎に向かって走る。

 晃志郎の刀身が、闇の刃を弾いた。そして、そのまま晃志郎は一気に間合いを詰め、刀を女の胴を切る。

 ガッ

 女が声にならないような呻き声を上げた。切り裂いた場所がジュワッという音を立て、湯煙をあげながら黒く泡立った。

「行け!」

 朱雀がクルリと宙を舞い、溶けていく女だったモノに向かって飛びこんだ。

 瞬間、晃志郎は龍之介に目で合図する。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 晃志郎と龍之介の九字が重なる。

 ピッタリと合わさった九字に合わせるかのように、黒い液体のなかに一人の男の姿が浮かび上がる。

 武士だ。整ってはいるものの、暗い、鋭い目をした男である。

「我が名を持って命ずる。反転せよ」

 二人の言葉に合わせ、世界が朱と青の光に輝いた。

 晃志郎は、眸を閉じる。朱雀に意識を合わせ、周りを霊視た。

 賑やかな盛り場の灯りが道に漏れている。的屋まとやだろうか。その薄暗い二階の一室に、散らばった絵が散乱している。同じ女性の絵だ。

 絵筆を持つ男の目が憎々しげに朱雀を見る。

 ぐわっ

 男が咆哮し、力を放出した。朱雀が旋回して力を巻き上げるようにする間に、青い蛟が男の体内へと飛び込んでいった。

 ゴフッ

 男が、吐血した。

「晃志郎、戻れ!」

 龍之介の声に弾かれ晃志郎は意識を引いた。男の力がその背を追いかけてくる。

「散れ!」

 土屋の声がして、赤銅色の光の粉が降り注ぐ。

 呪詛の念が、粉で作られた幕の向こうで渦巻いているのを、晃志郎はヒリヒリと肌に感じた。

「虚冥よ、閉じよ!」

 晃志郎は、そう叫ぶと、ゆっくりと目を開いた。

 部屋は、行燈の光に照らし出され薄ぼんやりとしていた。

 たらいには、大きな蒼く透き通った星蒼玉が一つと黒塗りの笄が沈んでいる。

「深追いしすぎました」

 晃志郎は、首を振った。

「……術は完全に返したというのに。手ごわい奴だな」

 龍之介は首を振った。

 反転の術は完全に決まったというのに、反撃の余力があるとは、相当な手練れである。

「しかし、見つけました。あれはたぶん、山峯町やまみねまちです」

 晃志郎はそう言いながら、朱金の鳥の絵が戻っている笄と、星蒼玉を拾い上げた。

「右近様、もう、よろしいですよ」

 晃志郎の言葉に、五人は目を見開いた。

「赤羽殿、なんだか身体が軽くなったような気がします」

 右近新之助が嬉しそうにそう言った。

「封魔は終わりましたが……犯人の後ろに組織があります。ここから先は、我ら、四門にご協力を願います」

 龍之介が有無を言わさぬ口調で、そう告げた。

「封魔、四門」

 その言葉に右近は驚いて目を見開く。

「申し訳ございません。事件が俺の手に負えないものだったため、右近さまの許可を得ずに、四門に通報した俺をお許しください」

 晃志郎は右近の前に歩み寄り、丁寧に頭を下げた。

「しかし、術を破っても、根が残っていれば何度でも狙われます……残念ながら、俺には根を払う力はありませんから」

「いえ……私も封魔の現場を何度か拝見したことはございましたが、実はほんの少しだけ目をあけてしまいました。赤羽殿の朱雀ほど美しい瑞獣を見たのは初めてでございます……赤羽殿が、必要と感じたのであれば、それは正しいご判断だと思います」

 右近はホッとしたように笑った。

「そう言っていただけると、俺としてもありがたいです」

 晃志郎は頷いて、右近に丁寧に頭を下げた。

「では、俺はこの辺で……と、帰るつもりじゃないだろうな、晃志郎」

 龍之介は晃志郎の手から星蒼玉を受け取りながら、口をはさむ。

「帰りはしません」

 苦笑いを浮かべ、晃志郎がそう答える。

「なら、なおさらダメだ。ひとりで夢鳥を追うのは、いくらお前でも危険すぎる」

 龍之介の言葉に晃志郎は困惑する。

「しかし……」

 術を返した以上、夢鳥の体力は削られているのは間違いないが、ねぐらを変える可能性が高い。

 見つけた場所に、早く乗り込まねば、深追いした意味がなくなる。

「お前の仕事は、右近新之助様から頼まれた封魔の仕事だろう? 夢鳥を追いかけるのは、後始末がすんでからが筋だ」

「……そうですね」

 晃志郎は大きく息を吸って頷いた。

 龍之介の言うとおりだ。晃志郎は四門の人間ではなく、右近に雇われた封魔士なのだ。優先すべきは夢鳥ではなく、右近家の人間たちなのだ。

「俺は……本当に、ダメな男ですね」

 晃志郎は小さく呟いた。

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