第十三話 白恋大社 弐

 晃志郎は沙夜を伴い、社務所の表側ではなく、裏側へ回る。

「あの、こちらは、お参りの方はご遠慮していただきたいのですが」

 裏口から出てきた巫女がやんわりと晃志郎にそう言った。晃志郎の目は、いつになく厳しい。

「お参りではありません。先ほど、そこに座っていらっしゃった、巫女様と直接話がしたいのですが」

「何の御用で?」

 巫女に不審な色が浮かぶ。

「欠片をお持ちのようなので、お話したいとお伝えください。きっとそれでわかります」

 晃志郎の言葉に、巫女は首をひねりながら、社務所に入っていった。

 ほどなく、して。一人の巫女が出てきた。先ほどまで、座っていた女性である。

 長い黒髪を、後ろを水引で束ねている。年は、二十手前であろう。

 潤んだ眸に、ふっくらとした唇。女は、晃志郎を挑戦的に見上げている。その眸に得も言われぬ大人の色香を感じ、沙夜の胸にもやりとしたものが広がった。

「誰? 私に何か、御用?」

「俺は赤羽晃志郎。封魔士だ。……星蒼玉の欠片を、私用に使うのは、白恋大社の巫女として良くないと思ってね」

「別に、誰にも迷惑をかけてはいないわ」

 彼女はそう言いながら、晃志郎の後ろに立つ沙夜に目をやった。睨みつけられている、と沙夜は感じた。

「名は?」

文乃ふみの

 彼女は挑むようにそう言った。

「おぬしは無意識かもしれないが、おそらく、欠片は闇に染まっている」

 晃志郎の言葉に、女は「何を馬鹿な」と言いながら、袂に入れていたお守り袋を取り出した。

 彼女は中身を取り出そうとして、顔を青くした。

「嘘……」

 身体が震えあがっている。

「私、何もしていないのに」

 文乃は、首を振る。

「赤羽さま?」

 沙夜は、険しい晃志郎の顔を見上げる。『仕事』の顔だ。

「このひとの傷に残った残滓は、おぬしのものだ。力の行使が無意識だとしても、出るとこに出れば、罪は免れぬ」

 沙夜は自分の腕に目をやる。

 それほど大きな傷ではない。殺気がこもるほどの霊力が働いたわけではないというのに、晃志郎は、残滓を嗅ぎ分けたという。

 文乃が信じられないと言う顔をするのも、無理はないと思った。

「それを、貸せ」晃志郎は手を伸ばすと、文乃からお守り袋を奪い取った。

 キュッと絞られた口を開けると、沙夜は、首筋がチリッと痛むのを感じた。

 晃志郎は迷わず、ころりとそれを掌に転がした。袋から、小指サイズの濁った色をした石が出てきた。

「穢れた星蒼玉……」

 目を見開いた二人の女の前で、晃志郎は黒の笄を抜き、石の上にかざした。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 そしてそのまま九字を斬る。

「あっ」

 淡い光が発光した。光が消えていくと、そこには、透明な星蒼玉が煌めいていた。

 まだ、完全に闇に落ちてはいなかったとはいえ、一瞬で浄化された星蒼玉を、文乃は驚愕の表情で見つめる。

 神職についているものならば、星蒼玉の浄化というものが、いかに困難かは骨身にしみて知っていることだ。

「星蒼玉は、虚冥と現を結ぶものだ。決して、願いを叶える道具ではない」

 晃志郎は、言いながら袋にそれを戻す。

「星蒼玉で何を願おうとした?」

 晃志郎は、否を言わさぬ口調で、睨み付ける。

「ある方の心が欲しかった」

 文乃は俯く。

「呪詛に頼っても、手に入れたかった」

 晃志郎の目が険しい光を帯びる。

「呪詛で、人の心は手に入らない。そんなことは、巫女ならば知っているはずだ。それに……このひとを傷つけたことはどう説明する?」

 文乃は追い詰められたような目で、晃志郎を見上げる。

「妬ましかった……幸せそうにあなたと歩くこの人が」

 沙夜は自分の顔に熱が集まるのを意識した。晃志郎はといえば、何を言われたのかわからぬというような顔をして、一瞬、首を傾げたのち、再び険しい顔になった。

「星蒼玉は、早々に元の場所に戻せ。大方、神社の術具職人衆から手に入れたものであろう?」

 呆れたように星蒼玉の入った袋を、晃志郎は握りしめる。

「男と歩いている女性にことごとく嫉妬しているようでは、あっという間に闇に落ちる」

 ため息をつく晃志郎に、それは違う、と沙夜は思った。

 彼女は、男と歩いている女性にことごとく嫉妬しているわけではないと、沙夜は確信している。

 そうでなければ、あの場で、何人も怪我人が続出していたはずである。少なくとも、沙夜は、晃志郎と並んで歩くことで、気持ちが浮き立っていた。しかし、晃志郎はそうではなかったのであろう。そう思うと、沙夜の心は暗い海へと沈んだように重くなった。

「ね。私、ここを追い出されたら行き場がなくなるの。お願い。見逃してくれない?」

「俺は役人ではない。しかし、役人には後で話はする」

 晃志郎の目は依然として厳しい。おそらく、沙夜に怪我をさせたことに責任を感じているのだ。

「赤羽さま、深い傷ではありませんし……」

 言いかけた沙夜は、次の瞬間、絶句した。

 文乃が、晃志郎の頭に手をまわし、唇を合わせたのだ。晃志郎の目が驚愕のあまりに見開いている。

「な?」

 慌てて晃志郎は文乃を引き離した。文乃は、挑戦的な笑みを沙夜に向けた。

「黙っていてくれるなら、抱かれてもいいわ」

「反省していないなら、これは俺が神主に渡す」

 晃志郎は、無表情のまま、そう言った。



 夕闇の中、沙夜は晃志郎の背を見つめながら、歩く。

 あの後、晃志郎は、取り付く島もないほどあっさりと、文乃との話を打ち切った。

 追いすがる文乃の聞く耳を全く持たず、そのまま神主と話をつけた。朗らかで人好きのする晃志郎の笑みは消え、厳しい表情のままであった。

 口付けが晃志郎の意志ではないことはわかってはいても 沙夜の心は苦かった。

 文乃は美しく、大人の女の色香が漂っていた。脳裏に鮮明に浮かび上がる二人の姿に、沙夜の胸は痛んだ。

 晃志郎は、あの後、ずっと無言のままだ。

「赤羽さまも、おなご相手の時はご油断なさるのですね」

 藍前町の水内家の屋敷の前についた時、沙夜は思わず、そう呟いた。

 沙夜は、口づけのことを言ったつもりであったが、晃志郎はそうは取らなかったようだった。

「申し訳ございませんでした」

 晃志郎は頭を深く垂れた。

「今日のことは俺の失態です」

 沙夜は慌てた。思いつめたような晃志郎の顔に、動揺する。

「赤羽様、とりあえず、屋敷へ」

 気を取り直して、誘おうとする沙夜に、晃志郎は硬い表情のまま首を振る。

「龍之介さまか、源内さまをお呼びいただけますか?」

 門の外に立ったまま、晃志郎は動こうとしない。

「……でも、護衛のお手当てもお支払せねばなりませんし」

「沙夜さまにお怪我を負わせて……お代を頂くほど、俺は厚顔ではありません」

「赤羽さま……」

 この時、沙夜は、不用意な自分の言葉が晃志郎を刃のように責めていたことに気が付いた。

「護衛の身で俺は、あの時集中力を欠いておりました。あの程度の術を防げぬようでは、話になりません。沙夜さまのご指摘通り、俺は油断しておりました。返す言葉もございません」

 晃志郎は首を振った。沙夜は、どうしてよいかわからず、ただ、晃志郎の暗い瞳を見つめる。

「おや、晃志郎じゃないか。どうした、沙夜、入ってもらえ」

 ちょうど帰ってきたのであろう。道の向こうから龍之介が二人に声をかけた。

「兄上」

 沙夜は、救いを求めるように龍之介を見た。

 晃志郎は、ただ、黙って頭を下げる。

「どうした、晃志郎、中で話さんか?」

 晃志郎の顔にいつもと違うものを見て、龍之介は首を傾げる。

「そうか。では、外で聞こう」

 ポンと晃志郎の肩を叩き、龍之介はついて来い、という仕草をした。

「兄上?」

「ちょっと、飲みにでかける」

 心配するな、と、龍之介は沙夜に笑いかけた。

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