第十四話 白恋大社 参

 晃志郎は龍之介の案内されて、屋敷からほど近い、蕎麦屋『伝助』という店に入った。

 伝助という名の店主と女房が切り盛りする小さな店で、こぢんまりとした店だ。顔なじみらしく、龍之介は草履を預けると、そのまま二階へと昇っていく。二階は襖でいくつかに区切られた座敷になっており、行燈に火がともっていた。

「一献、頼む。つまみも適当に見繕ってくれ」

「へえ」

 女房がにこやかに頷いて、階段を降りていくのを見送り、龍之介は、晃志郎と向かい合わせに座った。

「申し訳ございません」

 晃志郎は床に擦り付けんばかりに頭をさげた。

「沙夜さまに、怪我を負わせました」

 沈痛な面持ちでそう告げる。

「沙夜が? そんなふうには見えなかったが」

 龍之介は首をひねった。

「右の腕に。深い傷ではありませんが、完全に俺の失態です」

 殺気はなかったとはいえ、全く気が付かなかった。

 あの時。恋する眸で守り袋を選んでいた沙夜に、目を向けるのが辛かった。そのような感情に心を動かされては、護衛失格である。

「相手は?」

 龍之介は、晃志郎の目を見ながら、そう聞いた。

「白恋大社の巫女です。星蒼玉の欠片を持っていました。無意識に沙夜さまに嫉妬したのが要因だと思います」

「無意識ね……」

 星蒼玉は、人間の暗い感情に反応する。感情の強さや、個人の資質によって差異はあるものの、かなり鬱屈とした感情が渦巻いていたことが想像された。

「何故、巫女が星蒼玉を?」

「おそらく、願いを叶えるまじない程度のつもりで手にしたようですが」

「願い?」

「男の心が欲しいと言っていましたが……どうでしょうか。あまり、言葉に実のない女でしたから」

 晃志郎は思わず眉をしかめる。

「ほう」

 龍之介の目が細くなった。

「愛しい男の心を手に入れたいと言った舌の根の乾かぬ内に、俺に色仕掛けで口止めをしようとする。何を考えているのやらさっぱりわからない女でした」

「色仕掛け?」

 龍之介の顔が面白げに歪んだ。

「はあ。突然、口を吸われて、抱かれても良いなどと」

 晃志郎は肩をすくめた。

「口を吸われた? 沙夜の前で?」

 龍之介の驚いた様子に、晃志郎は苦笑した。

「見た目の良い女でしたから、俺など、簡単に籠絡できると思ったのでしょう」

 目の前で護衛対象に怪我を負わせるような男である。甘く見られても仕方がない。

「ただ、例のかどわかしの連中とは違うと思います。術に殺気はありませんでした。問題は、巫女が星蒼玉をどうやって手にしたかということでしょう」

 晃志郎の言葉に、龍之介は眉を寄せた。

「無意識で、沙夜を狙った?」

「その文乃という女が言うには、俺と沙夜さまが歩いていたことが気に入らなかったらしいです」

 どこまで本当のことか、わかったものではないけれど、と晃志郎は首を振る。

「……それは、その女が、単に、晃志郎に惚れたのではないのか?」

「は?」

 龍之介の言葉に、晃志郎は「まさか」と苦笑した。

「仮に、俺に惚れたからと言って、沙夜さまを狙う理由にはなりません」

「ともに歩いていたのだろう?」

「誰がどこから見ても、お姫さまと護衛の浪人ではありませんか」

 晃志郎の言葉に、龍之介はため息をついた。

 階段を昇る足音がして、女房が酒を運んできた。

 龍之介は酒を受け取ると、晃志郎に盃を薦め、自らは手酌で酒を煽った。

「それで、沙夜の傷は?」

「たぶん痕は残らないと思います。念のため、傷口はしっかり清めました」

 そう言ったものの、晃志郎は、帰り道、終始俯いていた沙夜の姿を思い出す。

「……痛みは、相当あるのかもしれません。沙夜さまは、お屋敷につくまで、ずっと辛そうにしておいででしたから」

 晃志郎の言葉に、龍之介は微妙な顔をした。

「沙夜は、何か言ったか?」

 晃志郎は自嘲めいた笑みを口元に浮かべる。

「俺は、女子おなご相手の時は油断すると。たぶん、呆れておいでです」

 実際は、相手が女だったからではなく、沙夜に気を取られて仕事を忘れたからであるが、どっちにしたところで、職務中に油断したことには違いはない。

「沙夜さまはお優しいので、お口になさることはないかもしれませんが、俺は、護衛失格です」

「ふうん」龍之介は、怒るでもなくそう言って、盃に口をつけた。

「しかし、巫女が星蒼玉を私物化となると、白恋大社の管理体制を問わねばならんな」

 龍之介は手酌で酒を注いだ。

「晃志郎、明日は空いておるか?」

 晃志郎は肩をすくめた。予定はなく、せいぜい口入屋に顔を出そうと思ったくらいだ。

「朝、詰所に顔を出せ」

 龍之介の言葉に、晃志郎は頷く。

「まあ、飲め。おぬしのような男でも、『油断』することがあると知って、俺はかえって嬉しい」

 ニヤリ、と龍之介はそう言って笑う。

 晃志郎は、あまりにも寛容な態度の龍之介に戸惑いながら、盃を飲みほした。

「それで、お蝶の件はどうなりましたか?」

「気になるか?」

 面白げに、龍之介の顔が歪む。

「一応、乗り掛かった舟ですから」

 晃志郎がそういうと、ニヤリと龍之介は口角を上げた。

「お蝶は、北浦という浪人の娘だということがわかった。十年ほど前に、北浦は事故死。母は既になく、お蝶の弟がまだ七つと幼かったこともあって、二人は親類に身を寄せたらしい。だが、身を寄せた先の台所も厳しく、それから三年後に、お蝶が自ら十六で身を売ったというのが本当らしい」

「……それで、その弟とやらは」

 晃志郎の言葉に、龍之介は渋い顔になった。

「養い親と上手くいかず、二年ほど前に出奔したらしいのだ。山峯町やまみねまちあたりの盛り場にいるというのは、だいたいつかめたのだが」

 山峯町というのは、和良比の外から流れてきた住民が多い地区である。人の移動が多い地域のため、足取りを追うには難しい地域だ。

「では、お蝶は、それを知らずに金をせびられていた……ということですか」

「ああ……おそらく、弟のほうだ。養家の家の方は、お蝶のおかげで急場をしのいで、現在は金をせびらねばならぬほど、困ってはおらぬ」

 龍之介は答えた。

「それで、弟の名は?」

木野栄治郎きのえいじろうだ。ひょっとしたら北浦と名乗っている可能性もあるが」

 探索には今しばらく時間がかかるだろう、と龍之介は告げた。

「俺で手伝えることがあれば、いつなりともお声をおかけください」

「もちろん、当てにしている」

 ニヤリ、と龍之介は笑う。

「沙夜の件は、沙夜本人にも事情を聞いておく。俺が思うに、沙夜は晃志郎を護衛失格とは思っていない気がするけどな」

 焼いた烏賊に箸をのばしながら、龍之介はそう言った。


 翌朝。

 晃志郎は、龍之介とともに白恋大社を訪れた。

 境内を掃き清めている巫女の中に、文乃の姿を認め、晃志郎は眉を寄せた。もっとも、晃志郎は、神主に彼女が星蒼玉を持っていたことを告げただけであるから、それですぐに放逐される、というものでもないだろう。

 そもそも、境内の掃除は彼らにとっては大切な修行であり、務めである。罪を犯した巫女が、清掃活動をしていたところで何の不思議もない。

「あの女です」

 晃志郎は文乃を指さした。

「ほう。なかなかの別嬪だな」

 沙夜が割り切れぬのも無理はないと、龍之介は呟く。

 文乃が、晃志郎の姿に気が付いて動きを止めた。

「文乃殿」

 晃志郎に名を呼ばれ、文乃はビクンとした。そして、晃志郎の隣の龍之介の姿を見て、青ざめる。

 昨日の話から、龍之介が役人であることを察したのであろう。

「封魔四門の水内だ。少々、話がしたい」

 単刀直入な龍之介の言葉に、文乃は怯えたように頷き、他の巫女に話をつけ、無言でやってきた。

 昨日の不遜なまでの妖艶さは消え、怯えきっているようにみえる。晃志郎は、自分と龍之介の『格』の違いを感じ、肩をすくめた。最初からこの態度であったなら、晃志郎はあの場で事をおさめていたかもしれない。

「どこで星蒼玉を手に入れた?」

「あれは……私が仕事で浄化を任されたものです」

 文乃は、晃志郎の顔をちらりと見た。相手が四門の役人だからであろう。ことば遣いも随分と違う。

「そちらの、封魔士様には遠く及びませんが、私もこの白恋大社で星蒼玉の浄化の担当をしております。石は、その時に手に入れたもので……もちろん、穢れてなどおりませんでした」

「なぜ、持っていた?」

「返すつもりでした。願いが叶えば」

 文乃は、神妙に答えた。

「願いとは?」

「ある人の心が欲しかっただけ」

「では……なぜ、晃志郎に色目を使った? お前が欲しいのは晃志郎の心ではないのだろう?」

 龍之介の眼光に、文乃は怯んだような顔をみせた。

「……悔しいじゃありませんか。ひとりの女だけしか目に入らない男がいるなんて」

「は?」

 文乃の言葉に、晃志郎は自分でも呆れるほど間抜けな声を出した。

「大社に詣でに来る男性は、連れの女性だけ見ているわけではありません。女を腕にまとわりつかせたまま、私達巫女に色目を使ってくる男は少なくない……」

 文乃は、目を伏せた。

「この封魔士様は、連れの女性にのぼせて、周りが見えなくなっているわけでもないのに、目に映しているのはひとりだけですもの。そう思ったら、悔しくて」

 文乃の言葉に、龍之介は思わず晃志郎を見る。晃志郎はといえば、肩をすくめ、呆れたように口を開いた。

「……俺は、あのひとの護衛だ。当たり前だろう」

 晃志郎はそう言いながらも、自分が沙夜の言動に気を取られて周りがみえなくなっていたことを自覚し、さらにため息をついた。

「お主の想いびととやらは、かなりの遊び人のようだな」

 龍之介は文乃を眺め、そう言った。

「まあ、それが誰かということは、どうでも良い。それより、『星蒼玉』で呪詛をしようと思ったのは何故だ?」

「術具の職人から聞きました。天子様のご寵愛の百合様は、『星蒼玉』でできた簪をお輿入れの際にお持ちになったと」

「……それは、星蒼玉を使って作った、魂鎮めのための術具のことだ」

 晃志郎が呆れて口をはさむ。

「でも、百合様が正室の涼香様を差し置いて、ご寵愛を得たのは『呪術』だという話です」

「そのような世迷言、誰から聞いた?」

 龍之介のあまりに険しい表情に、文乃は怯えた顔を見せた。

「……彩色師の慶次けいじです」

「おぬしが、その噂を信じた根拠は?」

 晃志郎が、鋭い目で口をはさんだ。

「百合様のご生家である、白川しらかわ家の保有する雷祥山らいしょうざんは、星蒼玉を多く産出しております。そして……昨今、白川家は、術者を雇い入れているという噂を聞きました」

 星蒼玉は、術具には欠かせぬ材料である。もちろん、封魔などでも得ることはできるが、多くは古い岩穴などから掘り起こされる。封魔のほどこされた都市、和良比を一歩出れば、そこには、この世に虚冥があふれた時代の名残が残っており、星蒼玉は、そうした場所から発掘されるのだ。

 ふう、と、晃志郎は息を吐いた。

「文乃、お主、『運び屋』だな?」

 ぱっと、文乃の顔が変わった。脱兎のごとく逃げようとするのを、晃志郎はぐっと腕をつかんで捕える。

「慶次とやらの話はたぶん、本当だろう。沙夜さまの件も嘘はない。だが……」

「そうだな、想い人とやらの話は嘘だな」

 龍之介は苦笑した。

「嘘じゃないっ」

「お主、男の視線を浴びるのに慣れているのだろう?」

 龍之介は面白げに言った。

「晃志郎が、お主を一顧だにしなかったことで、沙夜に嫉妬した。そんな女が、呪術を使ってまで、一人の男に執着するとは思えないし、そもそも、呪術で人の心が得られるなどと勘違いするほど、無知ではなさそうだ」

 文乃は、ムッとしたように龍之介を睨み返した。

「詰所で話を聞こうか。抵抗するのであれば、縄をかけるが、どうする?」

 龍之介の言葉に、文乃は諦めたように、そっぽを向いた。

「ついていきますよ。痛いのはごめんです」

 吐き捨てるように文乃がそう言った。

 晃志郎は、その時、初めてこの女の素顔が見えた気がした。


 四門の詰所に文乃を連れて行き、晃志郎は龍之介と別れた。

――そろそろ、金になる仕事をせねば。

 昨日の沙夜の護衛代をふいにしてしまったことは、自業自得とはいえ、かなり大きな損害である。

 今日、明日の生活に困るというわけではない。しかし、このままズルズルと四門の仕事のおこぼれに預かるわけにもいかない。もちろん、龍之介は本気で晃志郎を四門に仕官させたいようなので、晃志郎を邪険に思ったりはしないであろうが。

 なじみの口入屋である『大塚屋』へ向かう途中、晃志郎は、空腹を感じて、角地にある「かめや」という飯屋に入った。昼の時間にはまだ、少し早いため、店内はまばらだ。値段は、十文程度で腹がいっぱいになるという、いわゆる庶民の店であり、訪れる客は、町人が中心である。

 晃志郎は、のれんをくぐり、注文を告げた。

四門の詰所で別れを告げた時も、龍之介は、沙夜の話は一切しなかった。

――俺は、相当、沙夜さまに嫌われたようだ。

 護衛代についてはもとより貰うつもりはないものの、晃志郎は『沙夜は怒ってなどいなかった』という言葉をどこかで期待していた自分に気が付く。

 沙夜の怪我で、龍之介の晃志郎への信頼が薄れることはなかっただけ、マシなのであろう。

「おまたせいたしました」

 晃志郎の前に、注文した品が運ばれてきた。

 無意識に膳を手にして、晃志郎はふと顔を上げ、絶句した。

 二十代半ばの、見知った女の顔だ。

「あ……」

 声をあげかけた晃志郎に、食事を運んできた女は鋭い目で制した。

「晃志郎のだんな、お久しぶりですね」

 くすり、と、その女が笑うと、周囲にいた常連客が「なっちゃん、知り合いかい?」と声をかけた。

「ええ、ここに来る前の職場の常連さんだったひとよ」

 晃志郎は、言葉に詰まって女をただ、見返す。

 女の視線にただ、気圧され、晃志郎は「久しいな」とだけ、返した。

 晃志郎は女を狙っていると思われる常連客達の視線を浴びながら、無言で食事をかきこんだ。

 そして、逃げるように勘定を支払おうとして立つと、女はにこやかな顔で晃志郎の顔を見て、向きなおる。

「だんな、また、ご贔屓に」

女が晃志郎の手につり銭と一緒に無理やり何かを握らせた。そして、肩を叩きながら、小声で「手を貸してくれたら、兄上には黙っているわ」と囁く。

晃志郎は、何も答えず、店の外に出た。

 掌に、紙の感触がある。晃志郎はため息をつき、紙を開いた。

『今宵、戌の刻 白恋大社』とあった。

――今日は、金にならない仕事ばかりだ……。

 憂鬱な顔で、晃志郎は「かめや」を後にした。

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