第十二話 白恋大社 壱

  桜の花が青い空に映える。

 湖龍寺の参道は、いつにない賑わいを見せている。

 屋台店を出すものもいる。常ならば静かな佇まいの境内は、喧騒にあふれ、屋台で買った飴を舐っている子供の姿なども見受けられた。

 晃志郎は、本堂にほど近い縁側に座り込み、咲き誇る桜に目を細めていた。

 人が多い状況というのは、晃志郎の現在の『仕事』から見れば、あまり望ましくはない。しかし、美しい桜に集う人たちを見るのは、どこか心が浮き立つものがある。

「沙夜さま」

 晃志郎は、足音に振り返り、頭を下げた。

「お待たせして申し訳ございません」

 柔らかくて、どこかホッとしたような口調で沙夜は頭を下げる。

「いえ。ご予定よりお早いですね。魂鎮めのほうは、いかがでしたか?」

「はい。お陰様で、滞りなく」

 晃志郎の問いにそう答え、沙夜はそっと晃志郎の横に立つ。

「花見客が多いので、はぐれない様に気をつけてください」

 もっとも、はぐれてしまうようでは、護衛失格である。

「はい」と素直に頷く沙夜の顔を見ながら、晃志郎は自分の言葉に苦笑した。

 先日、沙夜を狙った者どもの狙いも身元も、未だつかめていない。その後、特に動きはないようであるが、水内家としては放置もできない。いつもは、封魔奉行所に勤める者が沙夜の護衛をしているらしいが、奉行所が大きな捕り物を控えているということで、晃志郎に護衛の話が回ってきたのである。

 人込みの中を注意深く晃志郎は歩く。沙夜はといえば、晃志郎の一歩後ろをしずしずとついて歩き、賑わう参道に楽しげに見ている。

 屋台店の団子屋から香る、甘い醤油の焦げるにおいが鼻孔をくすぐり、晃志郎の腹がぐうと鳴った。

「あら」

 沙夜が面白そうに晃志郎を見上げた。

「赤羽さま、お腹がすきましたか?」

「いえ。お気になさらず。腹がすいているのはいつものことですから」

 苦笑いを浮かべながら、晃志郎はそう言った。

 美しい沙夜の前で、腹が鳴るのは、なんともしまらないことである。貧乏浪人であることを今さら隠すこともできないが、男として見栄を張ることもできないらしい。

「兄上が、赤羽様を四門に勧誘したいとずっと申しております」

 くすくすと、沙夜が笑う。

「はあ」 

 晃志郎は、どう答えたらよいかわからず、曖昧に頷いた。

「このまえのお仕事は、赤羽様のお力添えがなければ、上手くいかなかったそうで」

「……そのようなことは」

 晃志郎は首を振った。あえていうなら、桃楼閣にがあったぶん、調べが早くなったのかもしれないが、龍之介や、土屋宗一もかなりの腕前である。晃志郎がいてもいなくても、それほど問題ないように思えた。

「都合が良い時は四門の詰所に顔を出してくれと、言っておりました」

 沙夜は唇を綻ばせる。どこか誇らしげでもあった。

「今日の護衛も、兄が強く父に赤羽さまを推しまして」

「それは……沙夜さまには、申し訳ありませんでした」

 晃志郎は苦笑した。龍之介は、晃志郎の封魔の腕に惚れこんでいる。なんとか晃志郎を水内の手の中に入れておきたいと思ってのことだろう。

「俺のような、粗野な男の護衛では、安心できないでしょうに」

「赤羽さまは、粗野ではありません」

 怒ったように沙夜は口をとがらせた。

「しかし、いつもはお奉行の配下の方が護衛をなさっていると」

 沙夜の言葉にドキリとしながら、晃志郎は平静を装ってそう言った。

 沙夜は美しい眉を寄せた。

「赤羽さまの方が、ずっとお強いですから、私は赤羽さまの方が安心です」

 信頼しきった瞳で見つめられ、晃志郎は戸惑った。

「まあ、強いか弱いかと問われれば、弱くはないとは自負しておりますが……」

 剣の腕も、封魔の腕も、奉行所の人間にひけをとるものではないとは思う。

 ただ、沙夜の唇からそう言われると、胸が騒いだ。

「あの、赤羽さま」

 湖龍寺の参道を抜けると、沙夜は足を止め、晃志郎の顔を見上げた。

「どうなさいましたか?」

 沙夜は頬を染め俯いて、躊躇いながら口を開く。

白恋大社びゃくれんたいしゃに寄っていきたいのですが」

「白恋大社?」

 晃志郎は、驚いて、沙夜の顔を見る。

 白恋大社は、縁結びの神で有名で、和良比の女子おなごたちがひっきりなしに訪れているという評判だ。

 帰り道の寄り道として、それほど遠いわけではないし、辺鄙な場所でもなく、護衛として反対する理由はない。

 しかし。

「なぜです?」

 晃志郎は、つい、そう口にした。

「何故…って。私が、恋愛祈願をしたいというのは、おかしいですか?」

 消え入りそうな沙夜の声に、晃志郎は慌てた。

「いえ。あの……沙夜さまほど美しい方なら、神に頼らずとも良さそうですから」

 晃志郎の言葉に、沙夜は真っ赤になった。

「赤羽様は、お世辞がお上手ですね……」

 世辞ではないのだが、と晃志郎は思ったが、沙夜のような年代の女性がそういったことに興味を持ったりするのは、自然なことであろうし、同年代の女性達と話題になったりもするのだろう。

 晃志郎は、「いいですよ」と頷いた。

 白恋大社は、坂道を上った先にある。先ほどの湖龍寺の参道のような賑わいはないが、若い女性の姿が多く見受けられた。

 中には、男性と仲睦まじく詣でに来たと思われるものたちもいる。一瞬、自分と沙夜もそのような関係に見えるかもしれないという考えが浮かび、晃志郎は慌ててその考えを振り払った。

「……縁談がいくつか来ておりまして」

 沙夜が、意を決したように切り出す。

「はあ」

 頷きながらも、晃志郎の胸は一瞬、冷えた。

「私、どうしたら良いかわからなくて」

 沙夜はすっと晃志郎の顔をみつめる。そんな目で見つめられても、晃志郎の方がどうしたら良いかわからない。仕事中にもかかわらず、胸がざわつく。

「お奉行はなんと?」

「父は……私の意志を尊重するとは、言ってくれております」

 沙夜はそういって、俯いた。

「ならば、そのようにお悩みにならずとも。沙夜さまなら必ず、良縁にめぐまれましょう」

 参道の坂道を上りながら、晃志郎は自分に言い聞かせるようにそう言った。

「赤羽さまのおっしゃる良縁と言うのは、水内の家にとってでしょうか。それとも、私にとってでしょうか?」

 呟くように沙夜はそう言った。

 晃志郎は返答に困る。沙夜の気持ちは理解できた。良家の子女である沙夜には、町娘のような自由さはないのかもしれない。

「……沙夜さまは、既に意中の方がおられるのですか?」

 言いながら、急に自分の中で沙夜が遠くなるのを感じた。

「え?」

 沙夜はびっくりしたように目を見開き、頬を染めた。

「そのようなことは……」

 晃志郎の視線に気が付き、慌てて視線をそらす。

 否定しながら顔を真っ赤にする沙夜の姿は、逆に、彼女の心に誰かが住んでいることを推測させた。

 大社の境内に入り、拝殿に向かいながら、晃志郎の心が波立った。

 夢見るように柏手を打つ沙夜から一歩下がるように立つ。衿から覗き見える、白いうなじに目がいって、晃志郎は慌てて視線をそらした。

「お守りを買いたいのですが」

 恥ずかしげに告げる沙夜に頷き、社務所へと向かう沙夜に従う。

 社務所には、若い女性が列をなしている。中には、男女睦まじく絵馬を買い求める姿もあった。

 油断、というべきだろうか。

 晃志郎はいつになく集中力を欠いていた。祈るような眸で守り袋を選ぶ沙夜から、思わず目を離していた。

「あっ」

 社務所で買い物を終え、嬉しげに守り袋を持つ沙夜の顔が突然、苦痛に歪んだ。

「沙夜さまっ」

 晃志郎は慌てて、彼女を人の列から引き離した。

 そして、そのまま彼女の右の袖をめくり上げた。沙夜の美しい右腕に、鋭利な刃物を当てたかのような切り傷が走っている。

 幸い、深い傷ではない。

 晃志郎は自らの着物を切り裂いて、沙夜の腕に押し当てた。

「痛みますか?」

「だ、大丈夫です」

 沙夜の顔が赤く染まる。

 傷の痛みより白い腕を晃志郎にさらしている恥辱のほうが勝っているようだったが、晃志郎は護衛中に、集中力を欠いていた自分を自覚しゾッとした。

 晃志郎は、沙夜の傷口の手当てを終えると、瞼を閉じ、傷口に手をあてる。

「沙夜さま、少し、お時間をいただいてもよろしいですか」

 沙夜が頷くのを確認し、晃志郎は彼女を伴って、社務所の方へと足を向けた。


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