第十一話 桃楼郭 四

 晃志郎たちは、先ほど庄治郎と話した奥座敷へと案内された。

 夕刻が近づき、部屋はまだ明るいものの日は斜めから差し込んでいる。

 襖を開けると、庄治郎が、晃志郎たちを出迎える。上座に、上等な着物をまとった武家の男が蒼白な顔で座っていた。 

 年齢は二十代半ばといったところか。実直で、誠実そうな男だ。

「封魔士の赤羽晃志郎さまと、お連れ様の龍之介さまです」

 庄治郎は、座っていた男に、ふたりを紹介した。

「作事奉行の桑原相馬くわばらそうまと申す」

 男はそう言って、頭を下げた。

 作事奉行とは、和良比の城や城下の造営や修繕をつかさどる職務である。封魔奉行の下にある職種であるが、無事に勤めあげたものには、立身出世の道が開ける役職である。

 庄治郎が必要以上に、この男に気を使うのも理解できた。遊里に封魔はなくてはならぬものだ。作事奉行は、商売をやっていくうえで、良い関係を結んでおかねばならぬ役職である。

「作事奉行の身で、女郎を身受けとは随分と思いきったことを」

 龍之介がぼそりと呟く。

 常和がどれほど高潔で、聡明な女であろうと、苦界に落ちた女である。そのような女を手元に置くことは、立身出世の道に陰りともなりかねない。

志乃しのは」

 言いかけて、桑原は首を振った。

「こちらでは、常和、でしたな。彼女は、私の許嫁だった女です」

 辛そうに、桑原は口を開いた。

「もう五年も前になりますか。彼女の父、谷口宏成たにぐちひろなりは、公金の使い込みの罪で切腹しました。谷口家は家財を没収されました。婚約は当然破棄され、我が家との縁は切れましたが……私は、ずっと彼女が忘れられずにおりました」

 桑原は視線を下に落とす。

「彼女が、苦界に身を落としたのは知っておりました。彼女の母は、尼となり仏門に入りましたが、谷口家にはかなりの借財があり、彼女は自らすすんで身を売ったと聞いております」

「借財?」

 晃志郎は、首を傾げた。あやめの話では、使い込んだ公金の返済のために身を売ったという話だった。

「私は、縁がなかったものと諦め、仕事に打ち込みました。そして、昨年、今の作事奉行の仕事を拝命して……知ったのです。彼女の父、谷口宏成は、無実だということに」

 桑原の手がギュッと握りしめられた。

「当時の私は、未熟で、お上の裁定を疑うこともなく、谷口さんを救うことはできなかった。彼の名誉を取り戻すことはできても、命を取り戻すことはできない。せめて……志乃だけは幸せにしてやりたい」

「常和殿を身受けして、その後、どうなさるおつもりで?」

 晃志郎は鋭い目で、桑原を見た。

「いずれは妻に迎えたいと思っております」

「なるほど。常和殿に会いに来た、あなたの『いとこ』とやらに、心当たりは?」

柳陣内やなぎじんないだと思います。身受けの話をどこからか聞きつけ、猛反対をされておりますから」

「そのいとこ殿というのは、どういったおひとで?」

 晃志郎は、龍之介と目を合わせる。

「陣内は、今、勘定奉行にお仕えしていて、奉行の娘を嫁に迎える話がでており、身内の醜聞を恐れている。谷口さんとは知らぬ仲でもないのに、薄情な話だ」

「では、常和殿とも面識がある?」

「ええ。陣内は、谷口さんの配下でしたから、あっても不思議はないですが」

「ふむ」

 龍之介は考え込むかのように顎に手を当てた。

「それで、桑原さまが常和殿を身受けするというのは、『同情』と『贖罪』の気持ちからでしょうか」

「それは違う。今日の今日まで、私は、志乃だけを想い、妻も娶らずに来たのだ!」

 桑原は、声を荒げた。

「……失礼を。あなたが、そのお覚悟であれば、常和殿は助かるやもしれません」

 龍之介は静かにそう言った。

あるじ、酒と、たらい、それから柊の枝を用意してほしい。それと、香を」

 龍之介の指示を受け、庄治郎が慌ただしく使用人を呼びつける。

「場所は、どうする?」

 晃志郎の問いに、龍之介はニヤリと口の端を上げる。

「俺は常和殿に集中したい。返しは晃志郎に任せるから、場所は広い方が良いだろう」

「……別段、無理に俺の顔を立てなくてもいいのだが」

 困ったような顔をする晃志郎に、「お互い様だ」と、龍之介は笑った。




 広い座敷の真中に、床がのべられ、常和が横になっている。

 障子が閉められ、既に部屋の四隅の行燈に火が入れられているが、まだ仄かに夕日の残光が障子の向こうに残っており、それほど部屋に闇は落ちていない。部屋には、香がたきつめられている。

 全ての準備が済むと、部屋には、桑原と龍之介、それに晃志郎だけが残った。

「常和さん、聞こえますか?」

 酒の満ちたたらいに柊の枝を浸し、龍之介は常和の右側の頭の傍らに座る。

「桑原さま、彼女の手をあなたの額に押し当ててください」

 桑原は言われたとおりに、常和の傍にすわり、右手を取った。

 晃志郎は、その様子を見ながら、黒塗りの笄をぬく。

「声に出さずとも構いませんから、名を呼び続けてください」

 龍之介は静かにそう言うと、数珠を取り出した。それを、柊の枝に絡ませる。

「彼女を助けたくば、何があっても、良いというまで彼女を呼び続けてください」

 龍之介の言葉に、桑原は頷いた。

 それを見て、龍之介は、晃志郎に視線を一度だけ投げて、柊の枝を常和の額に載せた。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 静かに、龍之介は九字を斬る。

 青い鱗の蛟が常和の額の中に溶けた。

 龍之介は瞼を閉じる。どす黒い瘴気が常和の中に渦巻いている。

 暗い闇の中に、小さな灯がある。灯はどんどん小さくなっている。

「斬」

 蛟が、長い尾で鋭く闇を叩いた。

 ザシュッと、音がして、幕が破れたかのように光が差し込むと同時に、闇が幕の外へと噴き出していく。

『志乃……志乃』

 光の向こうから、桑原の声が聞こえてくる。

 蛟は、身体を大きくゆすり、渦巻く瘴気を外へと追い出し続けた。



 龍之介が瞼を閉じると同時に、晃志郎は、笄を構えた。

 ほどなくして。常和の身体から、闇が噴き出した。

「招魔」

 晃志郎は、笄で宙に陣を描く。そこにむかって闇が集結していった。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 九字を斬り、魔と常和を切り離す。

「さて。お前の相手は俺がしよう」

 晃志郎が腕を伸ばすと、キラキラと朱雀がその腕に舞い降りた。

「行け!」

 朱雀が、その闇の塊に飛び込んでいく。

「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」

 晃志郎はゆっくりと九字を斬る。闇の塊が、神経質そうだが、どこか桑原と似た面差しの男を映す。

 そして、その男の背後に、別の男が重なっている。顔は見えない。

「我が名を持って命ずる。反転せよ」

 晃志郎の言葉に、世界が朱金に輝いた。

 何者かの絶叫が聞こえてきた。



 龍之介は、壊れないように小さな灯を注意深く、蛟の身体で抱き上げるように、光の方へと運んでいく。

『志乃、行くな…逝かないでくれ、志乃』

 桑原の声が響く。灯が小さく震える。

「萌芽更新」

 龍之介の言葉に、小さな灯が膨れ上がるように大きくなり、キラキラと煌めいた。



「ふう」

 龍之介は、息を吐いた。

 常和の呼吸がゆっくりと落ち着き、肌に赤みが差し、青い斑紋は消えている。

 桑原は、常和の手を握ったまま、気を失っている。龍之介の術に協力という形ではあるものの、桑原はかなりの精神力を消費したのだ。無理もないだろう。

「お見事です」

 晃志郎がニコリと笑った。

「そちらの首尾は?」

「反転は成功しましたが……」

 晃志郎は言葉を濁す。

「ひとりは、柳という男でしょう。術は返った感触はありましたが、もうひとりの術者の位置はつかめませんでした。――しかし、夢鳥ではありません」

 龍之介と二人きりなので、晃志郎の言葉遣いは敬語に戻っている。このあたりの律義さは、キマジメな晃志郎らしい。

「あの霊波の感触は、たぶん、不知火しらぬいです」

 晃志郎の言葉に、龍之介は眉を曇らせた。

「不知火?」

 不知火というのは、和良比で暗躍する有名な呪術師だ。決して、しっぽをつかませないことで有名で、封魔奉行も、封魔四門も手を焼いている。

「二度ほど、奴の術を破ったことがありますから、間違いありません」

「不知火の術を破った?」

 不知火の術は、返すどころか、破るだけでも難しいとされている。

 今回は、柳という素人に手を貸したに過ぎないだろうから、それほどでもなかったが、本気の不知火であれば、ここまで簡単に術を返すことはできなかったであろう。

 龍之介は、思わず身震いがした。

「封魔四門の人間でも、一人で不知火とは相対したりはしない」

「……俺は、いつも一人ですから」

 晃志郎は、苦笑する。

「それに、今日は、龍之介さまがいらっしゃったので随分と楽でした」

「晃志郎は、思った以上に規格外だな」

 ふうっと、龍之介は息を吐いた。

「何にしても、この事件は……お奉行に委ねるべきでしょうね」

 晃志郎は、きらりと透明な星蒼玉を龍之介に渡した。



 

「まさか、お奉行様のご子息とは思わず……大変なご無礼を」

 庄治郎と、桑原が頭を下げている。龍之介は居心地が悪そうだ。

 晃志郎は、モノも言わずにただ、座っている。

 自らの身分を明かすことを龍之介は渋ったが、相手が不知火であったことを考えれば、封魔奉行の介入を回避することは好ましい結果にはならぬ、との晃志郎の言葉を最終的には受け入れた。

 常和は、意識を取り戻したが体力が落ちており、しばらくは安静が必要であるとの医者の見立てだ。

 今は、桑原の傍らで横になっている。

「しかし、晃志郎さまもお人が悪い。四門に仕官なさったのであれば、後見くらいさせていただきたかった」

 庄治郎は、そう言って晃志郎を睨んだ。役人は好きではないが、晃志郎さまは、このまま世に埋もれてしまう人間ではないと思っていたと、庄治郎は言った。

「いや、俺は別段、四門に仕官したわけではない。ただの臨時雇いだ」

 晃志郎の言葉に、龍之介は苦笑した。

「俺も、晃志郎の腕が市井の封魔士であるのは惜しいと思っているが……晃志郎は頑固でな」

 晃志郎は、困ったように首を傾げた。

「しかし……どうして、不知火が……」

 桑原が疑念を口にする。

「おそらく、谷口家に罪をかぶせた連中であろう。言いたくはないが、柳と言う男は、黒だな」

「柳さまが?」

 龍之介の言葉に、常和は驚きの声をあげる。床に伏した身体をおこした。ふらつく常和を、桑原がそっと支える。

「柳に、何を言われた?」

 龍之介の問いに、常和は俯いた。

「私のようなものを見受けしては相馬さまの出世の妨げになる。しいては、父のことで再仕官に苦労した柳さまの縁談も破棄されるやもしれぬと」

 常和は目を伏せた。

「相馬様から父は無実だとうかがいましたが、遊里に身を売った私の穢れがなくなるものではありません。私は、柳さまに相馬さまから身を引きます、と申し上げました。すると、丸薬を一粒、渡されました」

「それを飲んだのか?」

 龍之介に問われ、常和は頷いた。

「丸薬には呪術が施されていると、ひとめでわかりました。丸薬にこめられた穢れを私の体内で浄化することが出来れば……遊里の穢れはすべて払われ、柳さまは相馬様とのことを認めてくださると」

 常和は苦しそうにそう言った。

「愚かな行為だと理解はしております。でも、もし、この里ですごした五年の穢れが払われるのなら……と」

「……バカな。勝手に身を引くなど……許さぬ」

 常和を支える桑原の手に力が込められる。

「ならば、常和殿の穢れは、払われた」

 ニコリ、と晃志郎は笑う。

「晃志郎さま」

 常和と桑原がそっと頭を下げる。

「では、龍之介さま、帰りましょう」

 ひょいと、晃志郎が腰を上げる。

「お待ちください、晃志郎さま、まだお礼が」

 庄治郎が慌てて晃志郎を引き留める。

「ならば、封魔の報酬は五百文。値引きはせぬぞ」

「……相変わらず、欲のないことで」

 ふう、と庄治郎はため息をつく。五百文は、最低料金だ。しかも駆け出しの封魔士がつける値段である。相手が不知火だったと考えるなら、明らかに安すぎる。

「龍之介さまも、それでよろしいので?」

「四門の俺が、報酬を貰うわけには参らん。晃志郎に渡してやれ」

 苦笑いをする龍之介に、庄治郎は首をすくめた。

「まったく。払っても良いと思う相手に限って、貰おうとせぬ」

 苦々しく呟く庄治郎をみて、常和と桑原がクスリと笑った。

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