第十話 桃楼郭 参

 晃志郎は龍之介を連れて、まず、下男である男たちの控室にむかった。

「女郎たちは、夕刻の顔見せまで時間がありますが、下男たちは、それより少し前から仕事があるので」

 晃志郎はそういって、板敷きの廊下を歩いていく。

「晃志郎さまではありませんか!」

 嬉しそうに声をあげたのは、強面の大男だった。

「やあ、弥吉やきち。元気そうだな」

 にこやかに笑みを返し、晃志郎は、話が聞きたい、と切り出した。

「とりあえず中へ」と、弥吉にすすめられ、晃志郎たちは、下男たちにあてがわれた控室にあがりこむ。

 それほど広い部屋ではないが、火鉢がすみに置いてあり、弥吉の他に、晃志郎の知らぬ若い男がひとり、火にあたっていた。

「晃志郎さまが来て下さった。ああ、これで、常和様は助かります」

 弥吉は、晃志郎を拝むかのごとく、そう言った。ほとんど心酔しているといっていい。

 晃志郎の腕をよく知ればこそなのだろうと、龍之介は思った。

「待て。助けたいとは思っているが、いろいろと難しい問題がある。まずは、話を聞かせてほしい」

 晃志郎は苦笑いを浮かべた。

「まず、聞きたいのだが……お蝶という名の女郎を知っているか?」

「へい。でも、もうここには、お蝶はいませんぜ」

 弥吉の言葉に、晃志郎は龍之介と視線を交わす。

「年季明けか? それとも身受けされたのか?」

 晃志郎の言葉に、弥吉は首を振る。

「ひと月ほど前に死にました。堀で、水死体になって上がったンでさあ」

「な?」

 それでは、庄治郎が役人に絡まれたという不審死の女郎は、お蝶だったのだ。

「堀に落ちたということは、足抜けか?」

「いえ、大きい声じゃあ言えませんがね、お蝶は殺されたのだと思いやす」

「何故そう思う?」

 龍之介の問いに、弥吉は晃志郎の顔を見た。

「龍之介は、俺の相棒だ。常和殿の治療も手伝ってもらっている」

 腕は確かだと晃志郎が言うと、弥吉は値踏みする様に龍之介を見る。晃志郎に相棒など必要ないのではないかというような顔つきだ。龍之介としても、事実その通りだと思うので、あえて何も言わない。

「お蝶は、年季が開けるまであと半月だったンです。年季が明けた後も、ここで下働きをしたいと旦那に言っていたほどで」

 無理をして抜ける理由がない、と弥吉はそう言った。

「殺した奴に心当たりは?」

「さあて。お役人もいろいろ調べにきやしたが、結局、うやむやですよ。ま。女郎が一人死んだところで、お役人はそれほど本気になりゃしませんけどね」

 弥吉は肩をすくめた。

「どんな女だった?」

 晃志郎の問いに、弥吉は首をひねる。

「器量は、まあ、普通ってとこでね。たぶん、武家の出だと思います。よく出入りしていた絵師に入れ込んでいたようですが、その男とどうこうなるつもりはなかったようです」

「ほほう」

 晃志郎は、感情をおさえたまま、弥吉の話を聞いている。

「お蝶の片恋ということか?」

 龍之介が口をはさむ。

「さあて。そういうことはおれんに聞いた方がいい。お蝶と仲が良かったからな」

 弥吉はそう答えた。

「しかし、お蝶と、常和様の病気は何の関係が?」

 不思議そうに、晃志郎の顔を見る。

「関係があるかどうかはわからぬ。しかし、お蝶のことがなければ、庄治郎殿が店を空けることもなかったであろうし、常和殿が座敷に上がることもなかったのだろう?」

 晃志郎の言葉に、弥吉は感心したように頷いた。

 龍之介は平静を装いながら、内心舌を巻く。真面目一本やりのようで、どうして、晃志郎は話術にもたけている。

「よく出入りしていた絵師というのは、今でも来るのか?」

 龍之介は逸る心を抑えながら訊ねた。

「いや、そういえば、お蝶が死んでからは見なくなりやしたね。お蝶の方が絵師に貢いでいたようですし」

「そうか……」

 龍之介は、晃志郎と目を見合わせた。

「お蝶と、常和殿の仲はどうだった?」

 晃志郎は、ふうっと息をつきながら訊ねた。

「悪くはなかったと思いやす。仲が良かったというわけでもありやせんがね。まあ、お蝶としたら同じ武家の出でも、常和様はかなり格上でしたから、遠い人だったのではないかと」

「ふむ」

 晃志郎は顎に手を当てた。

「常和殿の身受け先の相手は、どんなかただ?」

 弥吉は、迷うような顔を見せた。

「どこの誰か、ということまでは聞かぬ。他言もせん」

 晃志郎の言葉に、弥吉はホッとしたような顔をし、声を潜めた。

「身分の高いお武家さまです。誠実そうな方で、常和様を愛おしそうに見るおひとでした」

「常和殿は何か言っておったか?」

「あっしらには、特には何も」

 弥吉は首を振る。

「常和殿を訪ねてきた『客』とやらはどんな奴だった?」

「神経質そうな男でした。身なりは良かったです。ふらりときて、常和様の名を挙げました」

 弥吉がそういうと、部屋の片隅に座っていた若い下男が「あっしがいけなかったンです」と、口をはさんだ。

「銀次」

 弥吉が何か言いかけるのを、晃志郎は目で制した。

「そうか。常和殿に、その男の顔をおぬしがみせたというわけか」

「へえ」

 銀次は目を伏せた。

「旦那様は不在で、大番頭さまも思案にくれておりやした。あっしは、常和様にお客様かどうか確認してもらえばいいと大番頭さんに提案したのでございやす」

「常和殿はなんと?」

「少し迷ったようなお顔をされましたが、客で間違いないから、とおっしゃいました。今思えば、顔が青かったような気がしやす」

 銀次は俯いた。深い後悔に捉われているようだ。

「常和殿というのは、みなに慕われていたのだな」

 龍之介がふうっと息をついた。

「常和殿と一番親しかった人間は?」

「そうですねえ、あやめでしょうか」

 弥吉が首を傾げながらそう言った。

 晃志郎は、弥吉と銀次に礼を言って、立ち上がる。

「女郎たちにも話が聞きたい。案内してくれるか」

「晃志郎さまなら、案内は不要でございましょう?」

 弥吉の言葉に、晃志郎は肩をすくめる。

「手を抜くな、弥吉。俺は、部外者だ」

「晃志郎さまが、何かあくどいことをするとはとても思えませんし、万が一、何かなさろうとするならば、この桃楼郭でそれを止められるものはおりませんよ」

 弥吉はにやにやと龍之介に笑いかける。

「晃志郎さまは、昔から女郎部屋が苦手でね」

「なるほど」

 にやりと、龍之介は笑った。

「女郎は百戦錬磨ですからな。晃志郎さまも油断すると、ひんむかれかねません」

 くくくっと笑う弥助に、晃志郎は眉を寄せた。

「からかうのはやめろ、弥吉。四の五の言わず、案内しろ」

「へい」と、弥吉は首をすくめ、廊下へと歩み出た。




 甘くたきつめられた香のかおりに、脂粉のにおいが混じる。

 晃志郎と龍之介は、弥助の案内で、女郎たちが化粧部屋として使っている部屋へと連れて行かれた。

 たいていの女郎は、ここで化粧をし、通りに面した部屋へと移動する。

 主の眼鏡にかない、高級女郎ともなれば、自分の部屋を持ち、『客』がそこへ訪れる形を取るが、そうなれる者はほんの一握りである。

 女たちは下男が連れてきた二人の若い男を遠慮のない視線で観察している。

「あの白粉をはたいているのがあやめ、そっちで茶を飲んでいるのがお連ですよ」

 弥吉は、ふたりにそう告げる。

「お連、あやめ、こちらのおふたりがお前たちに話を聞きたいそうだ」

「待って。今、手が離せないから」

 あやめが叫ぶ。

 ならば、と、晃志郎たちは、奥で優雅に茶をのんでいるお連の方へと足を向けた。

 お連は、ほっそりとした線の細い女であった。大人しそうな顔立ちで、やや陰鬱な印象を受ける。

「封魔士の晃志郎と申す。こちらは、龍之介だ」

 簡単に、晃志郎は名乗った。

「まず、お蝶と言う女について聞きたい」

「はい」

 お連は顔を曇らせた。

「お蝶は武家の出だそうだな」

「はい。それほど大きなおいえではないようですが、よく、お家の再興をしたいと言っていたわ」

女子おなごの身で、お家の再興を?」

「ええ。腹違いの弟さんがいたみたい」

「ほう」

 龍之介が面白そうに口を歪めた。

「でも、お蝶ちゃんが死んでも、遺体を引き取りにも来なかったの。結局、お蝶ちゃんのお弔いは旦那様がお寺にお願いしたのだけど、酷い話よ」

 お連は憤慨したようにそう言った。

「確かに、ここに売られた時点で、肉親の縁は切れているのかもしれない。でも、お蝶ちゃん、ずっと弟のことばかり気にかけていたのに」

「弟は、ここに来たことはあるのか?」

 晃志郎が尋ねると、お連は首を振った。

「さすがにないわ。それにお蝶ちゃんだって、見せたくはなかったと思うから。でも、弟さんは、どこかのお家の養子にもらわれていたらしくって、その家の雇われの絵師ってひとが、しょっちゅう顔を出していたの」

「ああ、お蝶が入れ込んでいたという?」

 龍之介がそう言うと、お連は「まさか」と言った。

「お蝶ちゃんは、その弟の為に、絵師に便宜を図っていただけよ。お客に絵師を紹介して、絵を描かせてあげたり、時には金子きんすを用意したりしていたわ」

 お連はため息をついた。

「騙されているンじゃない? って、言ったこともあるけど、お蝶ちゃんは弟の為に一生懸命だったの。お家再興は無理でも、弟が養家で苦労しないようにってね」

「弟の名とかは聞いているか?」

「さあ。それ以上は知らないわ」

 お連は、そういって。

「お蝶ちゃんは、絶対、あの絵師に殺されたのよ。お役人にもそう言ったけど、全然、取り合ってくれなかった」

「何故そう思う?」

 晃志郎の目が鋭くなる。

「あれだけ頻繁に通っていたのに、お蝶ちゃんが死んだらパタリと来なくなったのよ。それに……お蝶ちゃん、あの日、誰かと大門の辺りで待ち合わせをしていたようなの。待ち合わせをしそうな相手って、あの男しかいないわ」

 お連の顔が義憤に歪む。

「絵師とは、どんな男だ?」

「身なりは良い武家の男よ。ちょうど兄さんたちくらいの年だったわ。イイ男には違いないけど、暗い目をした男よ……確か、夢鳥とか言っていたわ」

「夢鳥ね」

 晃志郎は、その名を呟く。

「話は変わるが、常和殿に身受け話があることを、お前たちは知っていたか?」

「ええ。常和姐さんは、想い人に身受けされるって評判だったから」

「想い人?」

 お連は頷いた。

「女郎の夢よね。あのころは、もう、その話題で持ち切りだったわ」

 うっとりと夢を見るように、お連は呟く。

「……夢鳥とやらが、常和殿の身受け話を聞いた可能性とかはないか?」

 考えすぎかもしれぬが、と、晃志郎は言い添える。

「私、話したと思う」

 化粧が終わり、近づいてきたあやめが、そう口をはさんだ。

「常和姐さんのイイ人がちょうどお見えになった時、たまたま帰り支度をして出てきたその男と、私、少しだけ話したの」

「あやめ姐さん!」

 お連の抗議めいた声に、あやめは目をそらせた。

「話したと言っても……常和姐さんの名もお客様の名も話していないわ。今度、身受け話があるって言っただけよ?」

 あやめの声が震えている。晃志郎と龍之介の話を聞いているうちに、そのことに思い至り、怖くなったのであろう。

「あやめさん、ゆっくりお話を伺っても?」

 晃志郎は、あやめに座るように言った。

「常和殿の身受け先が、想い人と言うのは本当ですか?」

 龍之介があやめを落ち着かせるように丁寧に尋ねる。

「姐さんはあまり自分のことを話す人じゃありませんが……幼馴染だと聞きました」

 ぽつり、とあやめはそう言った。

「後から訪ねてきた『客』については、何か聞いていませんか?」

「姐さんは、何も。ただ、禿のはなしでは、幼馴染さんのいとこだと……」

「いとこね」

 龍之介は、ふうっと息をつく。

「常和殿の過去について、聞いたことはあるか?」

 あやめは少し俯いた。

「姐さんのお父上は、公金の使い込みの容疑で切腹、家財は没収となったそうです。姐さんは、お父上の上司に、父上の使い込んだ金を返すように言われ、身を売ったと聞きました」

「家財没収のうえ、身売りまで?」

 晃志郎は違和感を感じた。常和の父がいくら使い込んだかは知らぬが、切腹をして、家財まで没収しているのに、さらにその娘を身売りさせるというのは、行き過ぎな気がする。

 龍之介も同じように感じたらしく、そっと眉をよせた。

「臭うな」

「……そのあたりに、根っこがありそうだ」

 晃志郎と龍之介が、目で頷き合う。

「晃志郎さま!」

 ドタバタと、大慌てで廊下を走る音がした。

 すらりと、襖を乱暴に開いた音に振り返ると、一郎太が肩で息をしている。

「晃志郎さま! 旦那様がお呼びですっ! お客様がお見えです」

「どうやら、先方は常和殿に本気のようだな」

 晃志郎は、そう言って腰を上げた。

「厄介な匂いがプンプンしてくる気がするのは、俺だけか?」

 龍之介がそう呟くと、晃志郎も「俺もそう思う」と相槌を打った。

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