第九話 桃楼閣 弐

「お気づきになられましたか」

 ふーっと溜息を吐く。作り笑顔が消え、心労の色が顔に浮かび上がった。

「ここひと月ほど前から、伏せっているものがおります」

「……魂鎮めの部屋だな」

 晃志郎は裏口から見えた部屋の名を口にする。

「晃志郎さまに隠し事はできませんな」

 苦い笑いを庄治郎は浮かべた。

 遊里の女郎たちは、日夜、愛憎にさらされ、虚冥のものの影響を受けやすい。魂鎮めの部屋というのは、女たちが定期的に厄落としをするために設けられた部屋である。常ならば、ひと月にほぼ二日、香をたきつめた部屋で、精進を食べ、祈りをささげていれば、たいていの厄は落ちるとされている。ただし、その日は女郎たちにとって、完全な休養日になってしまうため、廓によっては、そういった日を設けず、体調が悪くなるまで放置する店も存在する。しかし、庄治郎は、そういったことは几帳面な男であった。

常和ときわ殿は、もうおられぬのか?」

 晃志郎の言葉に、庄治郎の眉間に皺が寄った。

「ご相談したいのは、常和のことでございます」

 晃志郎の顔が険しくなる。龍之介の物言いたげな顔に、晃志郎は「常和殿は武家出身だ」と切り出した。

「魂鎮めの能力に非常に優れていて、この廓で虚冥の穢れを見事に浄化させていた女性だ」

 ふむ、と龍之介は頷く。

「他のものならともかく、常和を捨て置くことは、亡八(※八徳を忘れたの意)の私といえども、出来ませぬ」

 庄治郎は険しい顔をした。常和は聡明で美しく女郎としても格の高い『商品』ではあったが、それ以上に魂鎮めの能力を庄治郎は重要視していた。常和は、余程の客がよばぬかぎり座敷には上がらず、魂鎮めの巫女のように扱われていた。桃楼郭に滞在したのは僅かな期間とはいえ、常和が座敷に上がったという記憶は晃志郎にはない。

「常和はこのひと月、床から起き上がることが出来ず、意識は時折戻るものの、食は細り、心の臓が弱っています」

「医者にはみせたのか?」

「病ではない。呪詛であろうとの見立てでございます」

 目を伏せ、庄治郎はそう言った。

「……呪詛とは、穏やかではないな」

 龍之介は眉をひそめた。

「封魔士には相談したのか?」

 龍之介が問うと、庄治郎は恨みがましい目で、晃志郎を見た。

「その辺の封魔士でかたが付くなら、ひと月も放置致しません。私がどれほど、晃志郎さまをお探ししたとお思いですか?」

「俺は別に逃げたり隠れたりはしておらん。あえて言うなら、ここから遠い和良比の東に住んでいるだけだ」

 晃志郎は、困ったようにそう言った。

「それに、俺に頼らずとも、腕の良い封魔士は庄治郎殿ならいくらでも呼べるであろうが」

「……晃志郎ほどの封魔士がそれほどおるとは、俺も思えんが」

 龍之介は思わずそう呟く。晃志郎の術と技を知っているらしい庄治郎から見れば、ほかの封魔士に頼むという選択肢はないのかもしれない。

「何にしても、よくおいで下さいました。お代は、いくらでもお支払いいたしますゆえ、どうかお力をお貸しくださいませ」

 庄治郎は、額をすりつけんばかりに頭を下げた。

 晃志郎は、龍之介の顔を見た。龍之介が苦笑しながら頷くと、晃志郎はふーっと溜息をついた。

「詳しい話を聞こう」

 晃志郎がそう言うと、庄治郎はホッとしたような顔をした。



 ひと月ほど前。常和は不眠に悩まされ、食が細り始めた。そして次第に熱に浮かされるようになった。やがて。肌に青い斑紋が現れ、床についたままの状態になったという。医師の診察も受けたが、病名は特定できず、呪詛、という結論に至ったという。

「実は……常和には、身受けの話が出ておりました」

 やまいのため、現在、話は保留となっている。

「お相手の名は?」

「……とある、お武家さま、とだけ申しあげましょう」

 庄治郎は苦しげにそう言った。相手はかなり身分の高い人間らしい。

 そうでなければ、庄治郎が簡単に常和を手放すとは思えない。

「馴染みの客か?」

「どうやら、常和の昔馴染みの方のようでした」

「常和殿がこちらに来る前の知人、ということだな?」

 晃志郎は顔をしかめた。常和は、かなり名のある家の出身だろうと推測していた。

「常和殿とやらは、身受け話はどうとらえていたのか?」

 龍之介は庄治郎の顔を覗きこむ。

「もったいない、と。ただ、決して、意に染まぬというわけではないように見えました」

 そうでなければ、お断りいたしました、と庄治郎はきっぱりそう言った。

「常和がおかしくなったのは、身受け先の親戚筋の方が押しかけてきてからです」

「親戚?」

 龍之介は眉をひそめる。

「なぜ、そのようなものを面会させた?」

 普通に考えて。女郎を身受けする側の家の親戚がわざわざ面会に来るなどあり得ない。そもそも、身分が高い武家ならばなおのこと、廓の女を身受けしても、自分の家の中に迎えることはなく、外に囲うことのほうが圧倒的に多い。一度苦界に身を落とした女に対して、世間の目は冷たいのだ。

「……知らなかったのでございます。確かに私の落ち度でございました」

 庄治郎はふーっと深い息をついた。

「ちょうどそのころ、うちの女郎が一人、死にまして」

 雪思路にめぐらされた堀で、水死体として上がったのだ。

「不審死ということで、役人に随分絡まれましてね。そんな事情で、ちょうど私が留守の時に、『客』として常和を指名したらしいのです。」

 常和は、沿道の客に顔を見せるような、いわゆる『顔見せ』の場所には出ない。常和の名を知るものは、庄治郎のめがねにかなった客だけのはずであった。

代理うちのものも、座敷にあげるかどうか迷ったようですが、常和が自分で会うと言ったようで……親戚筋だと言うのは、同席した禿が漏れ聞いたことで、その時、私どもは知らなかったのでございます」

「常和殿は、きっと相手をご存じだったのですね」

 晃志郎は、首を振った。ひょっとしたら。こうなることも、見越していたかもしれない。

 もしそうなら。救うのは困難を極めるな、と晃志郎は小さく呟いた。



 魂鎮めの間は、香がたきつめられていた。

 床の間には、素朴な八体の土雛がおかれている。

 穏やかに笑ったその人形の背にはそれぞれ、「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」と書かれていた。

 障子がしめられているものの、部屋は、まだ明るい。部屋の中央にのべられた床に、美しい女性が青白い顔のまま、眠っていた。

 晃志郎と龍之介は庄治郎に促され、布団の傍らに腰を下ろす。

 女は、晃志郎の記憶より随分と痩せている。白い透き通るような肌のあちこちに、青い斑紋があり、呼吸は随分と弱々しいものであった。

「これは、俺より、龍之介のほうが向いていそうだ」

 一見して、顔をしかめたのち、晃志郎はそう言った。

 龍之介は、困ったように顔をしかめたが、常和の様態を見て、ふーっと深く息をついた。

「これだけの呪詛を受けながら、魔の影響が外に出ていない。このひとは、自らの身体で、魔を封じ込めている」

 龍之介は目を細めながら、常和の傍らに進み出て、脈をとった。指に伝わる感触が弱々しい。

「このひとは、助けられることを善しとしていない。魂がこの身を離れる前に、このひとを身受けするという方を呼びなさい。その方の想いが強ければ、助かるかもしれぬ。そうでなければ、呪詛は返せてもこのひとは死ぬ」

「しかし……」

 庄治郎は険しい顔をする。

「命数はもって、三日。いつ死んでもおかしくはない」

 龍之介は静かにそう言った。

「こ、晃志郎さま」

 庄治郎が助けを求めるように、晃志郎を見る。

「龍之介のたてに間違いはない」

 晃志郎の言葉に、庄治郎は深くため息を吐いた。

「一刻ほどなら、待とう」

 龍之介は庄治郎の顔を見る。常和の身受け先はかなり身分の高い武家のようだ。庄治郎の眉間のしわが、身受け先との関係のむずかしさを物語っている。

「しかし、先方の都合もありますし……」

「来る気があるかどうか確かめることくらい出来よう?」

「さ、さようでございますな」

 龍之介の言葉に、庄治郎は救いが見えたように頷く。

「場合によっては、深夜でも早朝でも構わぬ。ただし。命数を伸ばすことはできぬことだけは伝えよ」

「わ、わかりました」

 庄治郎は、慌てて腰を浮かす。

「庄治郎殿。待つ間、他の者たちとも話がしたい」

 晃志郎の言葉に、庄治郎は頷く。

「まだ、日が暮れるまでには時がございます。女郎たちも手が空いておりましょう。どうぞご随意になさってください」

 慌てて部屋から出て行く庄治郎の後姿を見やりながら、晃志郎と龍之介はお互いに目を合わせ、首をすくめた。

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