第十九話 くぬぎ 弐

 晃志郎たちは、詰め所に戻ると、穴平に呼ばれた。

 奥の座敷に入っていくと、穴平と土屋の他に、見知った年配の男の姿があった。

「右近さま?」

「その節はお世話になりました」

 右近新之助が深々と頭を下げる。夢鳥の呪術の影響を抜け出たからであろう、血色がよくなっている。

「今日は、人さらいの件で、来ていただいた」

「こちらも、手を焼いている状態でございますが」

 右近はため息をついた。三人の前には和良比の地図が広げられている。

 晃志郎と龍之介は地図の前に腰を下ろし、朱色のしるしに目をやった。

「人さらいは、一つの寺に集中しているわけではございません。気になったのは、狙われている女性の流派が、おそらく『均等』なことです」

 土屋の言葉に、穴平は土屋が調べてきたのであろう帳面をめくる。

「つまり、一定の流派で一定人数を集めようとしていると?」

「……そう思います」

 穴平の言葉に、土屋は頷く。

「土屋殿にご指摘いただくまで、私どもは、そこに気が付いておりませんでした」

 右近は苦い顔で、頭を下げた。

「人さらいの風体は、無頼のやから。呪術とは無縁そうな者ばかり。攫われた娘たちは、『魂鎮め』の修業中というほかは、場所、家格等にほぼ共通点はなく、同一の事件とは考えておりませんでした」

「和良比で『魂鎮め』の修業するための寺は、それこそ何十にも及ぶ。最初から関連付けることは難しいだろうな」

 穴平が渋い顔ながらも、頷いてみせた。

「宝仙寺はいかがであった?」

「虚冥が開きました」

 龍之介の言葉に、穴平の眉間に大きな皺が刻まれる。

「穢れだまりです。住職の話では、今朝『穢れ』に気が付いたとのこと。ここのところ急速に穢れがたまる傾向があるらしいです」

「住職や僧侶に格別の落ち度があったとは思えません」

 晃志郎も龍之介の後に口を添えた。

「一晩で、虚冥を呼び寄せるほどの『穢れ』か……」

 穴平の顔がさらに苦くなる。

「住職は、十五年前の『瑠璃の方』の事件のころに似ていると」

 龍之介が続ける。

「陛下の近辺、つまり黄丘で、何らかの出来事が起きているのではないかと」

「むぅ」

 穴平がうめく。

「それから、北浦は呪殺されていたようです」

「……ややこしくなる一方ですね」

 土屋がため息をついた。

「かどわかしについては、ひとつ怪しい場所をみつけました」

 龍之介が、広げられた地図を指で刺した。

「ここは……」

 右近の目が鋭くなる。

「三年前に押し込み強盗のあった、『くぬぎ』という料理屋ですね?」

「そうです」

 龍之介が頷く。

「土壁に、星蒼玉が塗り込まれていました。結界用です。間違いなく、あそこに何かがあります」

「星蒼玉か」

 穴平はふっと息を吐いた。

「三年前の強盗とは、どのような事件なのですか?」

 土屋が、右近に問いかけた。

「くぬぎというのは、かなり高級な料理屋で、格式の高い店だったのですが、ある日、賊が押し入りまして、主人から小者に至るまで皆殺しでした。その手口は残忍で、『金子』目当てというよりは、『恨みの線』が捨てきれない事件でした。しかし、くぬぎの主人、利平りへいは、温厚な人柄で、商いも綺麗でした。そこまでの『恨み』を抱きそうな人物というのは、なかなかおりませんでした」

 右近は、ゆっくりと思い出すように語る。

「使用人は、すべて皆殺しでしたので、中から手引きをしたわけでもないのに、実に鮮やかな押し入り方ではあったため、玄人、しかもかなりの多人数ではないかという見方をしてはおりますが、そこまで組織だった強盗でありながら、似たような手口が繰り返された様子はございません」

「あの場所を狙ったということはございませんでしょうか?」

 晃志郎の言葉に、右近は目を見開いた。

「場所、でございますか?」

「くぬぎという店は、いつからあそこにあったのでしょう?」

「十年くらい前からでしょうか。くぬぎという店自体は、もともと別の場所にあったのですが、商いを大きくするために、あの地に移転したと聞いております」

「その前は?」

 右近は首をひねる。

「確か、間中さまのお屋敷があったはずです」

「間中さま?」

 間中家といえば、現皇帝の正妻である涼香の実家で、名門中の名門だ。

「間中さまは、一時、やりくりが苦しくなられた時期がありまして、その時にあの地にあった別邸をお売りになられたようです」

「ああ、そう言えば間中さまは二十年ほど前に、所有なさっていた星蒼玉の鉱山を閉鎖なさって経済的にご苦労なさっていたな」

 穴平はあごに手を当てる。

「今は、そのあとに始められた生糸産業が軌道に乗ってかつての勢いを取り戻したが、一時は、たいへんだったのだろうな」

 間中家は、古くから蓮の国の政治の中枢で関わってきた。その財力を支えていた星蒼玉が産出しなくなって、没落の危機があったことは、かなり有名な話である。

 しかし、この二十年の間に、間中家当主、間中兼盛まなかかねもりは領地で生糸産業をはじめとする、さまざまな産業を興して、その財力を立て直していった。

 現皇帝の正妻が間中家から選ばれたのも、兼盛のその類まれな手腕を買われたといっても過言ではない。

 皇帝の側室である百合の実家の白川家の財力が、星蒼玉の産出に支えられているのは、ある意味皮肉な関係である。

「間中家の別邸、ですか」

 晃志郎は、首を傾げた。

「では、ある程度、呪術に強い造りをしている可能性はあるわけですね?」

 名家の屋敷となれば、外からの呪力を受けにくい形に造ることは常識である。

「間中様のお屋敷であったというなら、星蒼玉を保管できる構造の建物があった可能性も高い……大きな呪術を行っても外に漏れないほどの堅牢さがあっても不思議はないかもしれません」

「しかし、間中様の別邸であったのは、もう十年以上前の話だぞ?」

 穴平が異を唱える。

「もちろん、くぬぎという料亭を開いた折、屋敷に手を加えていない保証はございません。しかし、可能性はございます」

「実際に、堅牢であったかどうかはともかくとして、あそこに呪術結界があるのは事実です」

「……なるほど」

 穴平は、眉を寄せ唸る。

「くぬぎには、チンピラから二本差しまで、かなりの人数の無宿者がたむろっているそうです。その全てが事件にかかわっているとは限りませんが、かどわかしに関わっている輩がいるのはまちがいないでしょう。そして、呪術もからんでいる、となれば」

「羅刹党ですね」

 晃志郎の言葉を受けた、土屋の顔が険しい。

「穢れだまりが起きている現状から見て、虎金寺よりも組織だったものがあそこにあるかもしれません」

「だとしたら、一筋縄ではいかぬな」

 穴平の眉間に深いしわが刻まれる。

「赤羽どのと水内さまがおっしゃる通り、くぬぎに何かあるのは、間違いないと思います。しかし、かどわかしは和良比全域に及んでおります。ただ一か所、というわけではないかもしれません」

「まだ、ほかにあると?」

「可能性はあると、考えておいた方がよろしいかと」

 土屋は渋い顔で頷く。

「まったく……もし、そうだとしたら、羅刹党というやつは、とてつもなく大きな組織だ」

 穴平が大きくため息をつく。

「四門だけでは手に負えんかもしれん。だが……国の中枢にかかわっている可能性があるとなると、どこに彼奴等の手が伸びているかも判別がつかん」

「市井奉行所、少なくとも私は全面的にご協力いたします。もっとも、呪術に関しては全く役に立ちませんが」

「あてにしております」

 右近の申し出に、穴平が頭を下げる。

「さしあたって、三年前の押し込み強盗の調べについて詳しく教えていただきたい。土屋と水内は右近殿といっしょに市井奉行の資料をもう一度当たってくれ。赤羽は、早急にお寺社の知人とやらにつなぎをとって、『穢れだまり』についての詳細を聞いてきてくれ。寺社奉行所に直接聞いても良いが……お寺社は一枚岩ではなさそうでな」

「承知いたしました」

 国の中枢で何かが起きているとすれば、どこに羅刹党が潜んでいるかわからない。ことに、役所をまたぐ事件となれば、捜査にも慎重を期する必要がある。

 晃志郎は身の引き締まる思いで、頭を下げた。



 緑坂町でなつめにつなぎを頼んだが、まだ日暮れには早い。

 この辺りは武家屋敷が多く、昼間でも人通りは少ない方だ。夏が近いだけあって、少し歩くと体が汗ばむ。

 緑坂という名のとおり、坂道の多い地形であるが、和良比の中心、黄丘より下るゆるやかな斜面になっている。

──間中家のお屋敷は、確か緑坂にあったはず。

 特に思うところがあったわけではないが、晃志郎は坂を上っていった。

道沿いの柳の枝が小さく揺れている。

 やがて、大きな屋敷が見えてきた。

──ここかな?

 門扉を確かめようと思った時。

「赤羽殿ではありませんか?」

 晃志郎は、背に声をかけられた。振り返ると、谷本茂綱が立っている。谷本は、口元に笑みを浮かべ、親し気な表情をしていた。

「これは、谷本さま」

 晃志郎は、ゆっくりと頭を下げる。

「仕事中ですか?」

「いえ、違います」

 答えながら、谷本から声をかけられたことを不思議に思う。

 親しげな表情を作っているが、谷本の目は相変わらず油断のない光を放っている。

「少し、よろしいか?」

「はい。かまいませんが」

 頷きながら、晃志郎は谷本と連れ立って歩き始めた。

「赤羽殿には、お話しておこうと思いまして」

 谷本は口角を上げながら、晃志郎に語り掛ける。

「なんでしょう?」

 正直、谷本と二人だけで話すのはこれが初めてに近い。水内家で偶然会ったことはあるが、晃志郎のことを谷本が覚えていたことに驚きを覚える。

「実は、お奉行に沙夜さまを妻にしたいと願い出ました」

「え?」

 晃志郎の胸がひやりとした。

 ただ、目を見開いて、挑戦的な笑みを浮かべた谷本の顔を見つめる。

「それは……」

 本来ならば形式だけでも祝辞を述べるべきだろうが……晃志郎は言葉に詰まった。

 谷本は奉行である水内兵庫のお気に入りだと聞いている。沙夜の護衛をずっと勤めている谷本なら、沙夜としても見知らぬ相手に嫁ぐよりは心安いだろう。龍之介は谷本を苦手としているようだが、それは大した障害にはならない。

「何故、俺に?」

 刺すような胸の痛みを感じながら、晃志郎がようやく口にしたのは、別の言葉だった。

「さて。なぜでしょうな」

 ふっと余裕ありげに谷本が微笑む。

「貴殿とは、いずれ剣を交えたいと思っております」

「……」

 谷本の目に、冗談や社交辞令ではないものが浮かんでいる。

「今とは申しませんよ。いずれ、機会が巡ってくれば、ですよ」

 どこまで本気なのか。

 谷本は、にやりと口をゆがめ、「では」と告げると、晃志郎に背を向けた。

──沙夜さまが、嫁ぐ……。

 いつかそうなるとはわかっていた。魂鎮めの儀式はじきに終わる。儀式が終われば、早々に縁談がまとまるのは間違いない。

 

『赤羽さまのおっしゃる良縁と言うのは、水内の家にとってでしょうか。それとも、私にとってでしょうか?』


 かつて白恋大社で、沙夜は自分の縁談についてそんな疑問を口にした。

 心に決めた男性がいると匂わせながら。

 あれは、谷本のことだったのだろうか。

 去っていく谷本の背を見ながら、晃志郎はしばらく立ち尽くす。

 風が柳の枝を、小さく揺らし続けていた。

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