第十一話 風守 弐 

 庄治郎が、お蝶の棺桶に入れたというのは、木彫りの観音像であった。

 須美が、北浦の『妻』の須美であるならば、木彫りの観音像は霊仙の手によるものかもしれない。

 しかし、観音像は既にお蝶とともに荼毘だびに付され、この世にない以上、確かめようがない。

「その主人の女性というのは、どこの誰かは、見当もつきませんか?」

「さて。商いをなさっていたわけでもなく、田畑を耕すわけでもありませんでしたから、かなりの蓄えがあるか、仕送りなどがあるのは間違いないとは思いましたが」

 霊仙はあごの髭に手を当て、記憶をたどるように目を宙に向ける。

「実際、あの家に人が住んだのは、一年もなかったように思います。家を建てて、すぐに人が住み始めたかと思ったとたんに、あのような事件があったので」

「あの家の所有者はどこに?」

 晃志郎の言葉に、霊仙は苦笑した。

「あの家はどうにもやっかいな話があるようです。役人は詳しく教えてはくれませんが」

「それにしても、あのような呪術があって、放置も無責任な話だろう?」

「それでございます」

 霊仙は大きく頷いた。

「あの土地は、金山家の分家筋のものらしいのですが、そこの分家筋はいろいろとお話がややこしいそうで」

 霊仙はふうっとため息をついた。

「私どもがお話できるような下の方のお役人では、何ともならない状態なのです……そんな状況でありますから、私どもも、あえて四門さまにお届けするのもためらわれまして」

「なるほど」

 下手に上に訴え出ると、面倒ごとに巻き込まれる可能性が高い。

 呪術がからんでいるとなれば、命の危険も考えられる。霊仙の言うことは理解できた。

「ところで、あの家には、赤子がいたのだろうか?」

 廃屋に置かれていた長持にあった産着は、誰のものなのであろう。

「赤子でございますか?」

「須美は、身ごもっていただろうか?」

 霊仙は首を振る。

「細身の女子おなごでしたので、万が一ということはありましょうが、少なくとも私が見た限りでは腹帯が必要な状態ではないように思えましたが」

「そうですか」

 晃志郎の脳裏に、桃郎郭のお連から聞いた言葉が蘇る。

『お蝶ちゃんのお母さまは、お蝶ちゃんを産んですぐに亡くなったらしいです。弟さんとは腹違いだそうです』

 しかし、お蝶は、須美の『連れ子』だと北浦の同僚の鈴木は言った。

 ――お蝶は、須美の子でも、北浦の子でもないのかもしれない。

 確かめるすべはない。しかし、晃志郎には、あの産着は、お蝶のために用意されたように思えてならない。

「ところで、このあたりの道を定期的に食料など運ぶ人足を見かけたことはございませんか?」

 ずっと沈黙を守っていた堀田が霊仙に問いかけた。

「さて、このあたりはたいして人が住んでおりませんからねえ。稲鳴にいくものも、あちらの山から抜ける方が早いですから」

「さようですか」

 そういえば、川からこちらに来る道筋には他の道もあった。そちらを使っているのかもしれない。

「なんにしても、稲鳴相手に商売するより、和良比に行く方が金になりますので、あちらに行く行商人は少ないでしょう」

「まあ、そうでしょうね」

 堀田は、霊仙に同意して、晃志郎の方を見た。

「では、世話になった。術は解いたが、子供らが入っては危険ゆえ、不侵入の陣は残しておく」

 晃志郎はゆっくりと腰を上げた。

 日は、すっかり傾き、空が赤く色づき始めていた。


「四門の詰所に行くか」

 晃志郎は堀田を見やり、風守のにぎやかな街並みを見る。

「敵に筒抜けになるのでは?」

「既に、山中で姿を見られている。その気になれば、どこにいても無駄だ」

「相変わらず、無鉄砲ですな」

 堀田は苦笑したが反対する気はないらしい。

 黄昏の色に染まる鳥居をくぐり、二人は秋虎大社の薬草園のそばにある、小さな建物へたどり着く。

 詰所の引き戸は開いたままになっていて、コメが炊けるにおいがしていた。

 男が、なべにネギを入れている。どうやら夕げの支度をしているらしい。

羽田はねだじゃないか」

 堀田が声をかけた。

「や、実成! え? 晃志郎さま?」

 そこにいたのは、堀田の弟弟子であり、晃志郎の兄弟子の羽田数馬はねだかずまであった。

 ひょろりとして、ひょうひょうとした雰囲気の男だが、焔流でも指折りの使い手だ。目がきつねのように細長く、しかも、かなりのたれ目なので、いつも笑っているように見える。

「……これはどういう顔合わせで?」

 羽田は、細長い目をめいいっぱいに開いて、二人を見た。

「話せば長くなるが」

「それでは、飯を食いながら聞きましょう」

 羽田は鍋にみそを溶き入れながら、二人に部屋に入ってすわるように言った。

「まさか晃志郎さまが、四門の探索方に仕官なさったとは」

 くすくすと羽田は笑う。

「なりゆきだ」

 晃志郎は湯気を立てている飯をかきこみ、そう言った。

「光昭さまには、内緒だそうだ」

 面白そうに実成がそういうと、羽田は細い目をさらに細めた。

「……でしょうねえ。お知りになったら、さぞや驚きになられるかと」

「その話はもうやめよう……それにしても、羽田殿がここに配属ということは、かなりこの地は重要視されているとみて間違いないのだな」

 その問いに、羽田は答えず、肩をすぼめるにとどめた。

「それで、山中の集落に定期的にモノを運ぶ人足がいたと思うのだが」

「そうですね。少しお時間をいただければ調べはつくかと」

 食事を終えた羽田は、食器を下げて、湯呑に茶を入れながら答えた。

「近いうちにこちらは人員を増員するという話を将軍の方からいただいております。『山中に開く虚冥の調査』のため、ということだそうですが」

 くつくつと羽田は笑う。

「そちらの調査となれば、金山家も否とは申せません。なにしろ稲鳴や、鳴上村から、調査の催促が何度も和良比に届けられておりますから」

「秋虎大社は、どうだ?」

 晃志郎はほんの少し、声を潜めながらそう訊ねる。

「完全に無縁、とは言いきれませんが……秋虎流の教え長の金山連也かなやまれんやさまは、裏表のない方ゆえ、まず関与はされていないと思います」

「連也さまは、私も存じておりますが、企てのようなものをするのであれば、羅刹党のようなまわりくどいことはせず、堂々と反旗を翻すくらいのことはするお方ですよ」

 堀田が苦笑しながら補足した。

「連也さまは本当に気性がきっぱりとしておりまして、金山家の本家筋とうまくいっていないという噂もあります」

「なるほど」

「とはいえ、本家の当主僚造さまは、もともとは分家からの養子というご出身。連也さまのほうが年上と言うだけでなく、お血筋的にも、連也さまのほうが、本来は『金山家正当』ですから、連也さまに強くは言えないのでありましょう」

「名家というのは、面倒だな」

「さようでございますな」

 呟いた晃志郎をちらりと見ながら、堀田が頷いた。

「会ってみたいな」

「連也さまにですか?」

「ああ。どのようなおひとか会ってみたくなった」

 羽田はニコリと笑った。

「四門の人間が会いたいといったら、あちらは拒めませんよ……ただ、もう遅いですね。連絡は入れておきますから、明日にいたしましょう。今日はどちらにお泊りで?」

「まだ、宿はとっていない」

「では、せまいですが、こちらにお泊りを」

「私は部外者だが?」

 堀田がくすりと笑う。

「兄弟子を放り出すほど、強心臓ではありませぬゆえ、ご安心を」

「心臓に毛が生えているような男が何を言っている」

 堀田の言葉に、羽田は心外だというように大きく息をついた。



 四門の人間が会いたいといえば、拒むことはできないということもあろうが、早朝、会いたいという要望を伝えに行った羽田は、金山連也を伴って帰ってきた。

 年齢は、もう七十近いであろうが、背筋はしゃんと伸びていて、髪の毛が白いこと以外は、身体の衰えを感じるものは何もない。やや頑迷な印象を受ける面構えではある。

「おや?」

 連也は、晃志郎を見るなり、じっと顔を見つめた。

「どこかで会ったことがあるかね?」

「いえ……お初にお目にかかります。赤羽晃志郎と申します」

 連也はなおも不思議そうに、晃志郎を見ながら首をひねる。

「どうぞ。お茶をお入れします」

 堀田は、連也に座布団を出し、茶の用意を始めた。

「儂に話とはどのようなことかね?」

「ひとつは、虎金寺のことで」

 晃志郎は姿勢を正した。

「十年前、虎金寺で事件があり、その後、金山家は、虎金寺と縁を切られました。昨今は、魂鎮めを大社の方で行っているとの話ですが」

「……もともと、どちらも封魔の技。寺であろうが、神社であろうが、構わぬではないか?」

「ごもっとも。しかし、そのせいで、神社本来の『封魔』の仕事がないがしろになってはおられませんか?」

 晃志郎はまっすぐに連也の顔を見た。

「ここに来る途中、穢れた星蒼玉で施された古い呪術が放置されているのを見ました。大社のおひざ元で、虚冥が開いたままになっているのは、いかがなものかと」

「どういうことかね?」

「周辺の住人の話では、役人に話すも、放置されたままだったそうです。もちろん、大社には、積極的に封魔をする義務などはありませんが」

 連也は、睨みつけるように鋭い眼光を晃志郎に向けた。

「もちろん、封魔の仕事を担うのは、我ら四門。職務怠慢を謗られるのは我らの方だとは承知してはおりますが、もう何年も、役人の方からそのような案件はこちらに連絡は来ておりません」

「我らが握りつぶしているとでも?」

「そこまでは申し上げてはおりません」

 晃志郎は、まっすぐに連也の老獪な眼光を見返す。

「虎金寺で問題があれば、縁を切り、切り捨てる。役人は、虚冥が開いていても放置する。大社そのものより、厄介ごとは触れなければ良いとしている金山家の態度の方が問題ではないかとは、申し上げますが」

「天下の金山家に、意見するとは怖いもの知らずめ」

 ニヤッと連也は口の端をあげた。

「儂にそのような口を聞いて、職を失う、とは考えないのかね?」

「……もとより、ついこの間までは、その日暮らしの市井の封魔士でしたし、気ままな独り身。命さえ失わねば、別にかまいませぬ」

「ふっ」

 連也は笑みを漏らし、声を立てて笑い始めた。これには、晃志郎も驚いた。

「気に入った。実に面白い漢だな」

 連也は楽しげにそう言って、膝を打つ。

「お主のような人間がおるなら、この国も捨てたものじゃない……」

「……恐れ入ります」

 晃志郎は頭を下げる。堀田が、湯呑をそっと連也の前に差し出すと、連也はくったくのない笑顔で湯呑を受け取り、茶を口にした。

「では、ひとつお聞きします。金山領の山中で、虚冥がたびたび開いております。これについてはどのようにお考えかと」

「懸念はしておる……既に、知っておるかもしれぬが、儂は本家と折り合いが悪い」

 連也の顔が渋いものになった。

「大社も一枚岩とは言えん……儂は、年をとった。目が届かん部分も多くなったのは事実だ。あいにく儂には子がない。教え長を誰に継がせるべきか、未だに決められぬ」

「時期当主は、金山才蔵かなやまさいぞうさまか、山平善八やまひらぜんぱちさま、と噂されておりますね」

 羽田が口をはさむと、連也は苦い顔のまま頷いた。

 金山才蔵は本家である金山僚造の次男坊で、山平は連也の愛弟子の一人だ。

「大社の大義を考えれば、秋虎流は、金山家から切り離すべきなのだろうが……それも、難しい。悩ましいところよ」

 ふうっと息を吐き、晃志郎に目を向ける。

「そなた、流派は?」

「焔流です」

「なるほど。その気性は、流派ゆえ、かもしれぬな」

 眩しそうに連也は目を細める。

「失礼ですが、羅刹党という名に心当たりはありませんか?」

「名は聞いたことがある」

「金山領山中の虚冥は、羅刹党が噛んでいるとみて間違いないかと思われます」

 晃志郎はまっすぐに連也を見た。

「つきましては、連也さまに、調査のご協力をお願いできればありがたいのですが」

「儂に?」

「四門とはいえ、皇帝陛下のご母堂のご実家の領地とあれば調査には配慮も遠慮も致します。連也さまは、信用に足る方とお見受けしました。連也さまならば、見つけられる事実もあるかと」

「儂を信用するとな?」

 連也は再び嬉しそうに口の端を上げる。

「委細承知した。くたばりそこないのジジイではあるが、四門に全面的に協力しよう」

「ありがとうございます」

 頭を下げた晃志郎の横で、ほっとしたように羽田がふぅっと息を吐いた。


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