第二話 鳴上村 弐
和良比の北にのびる街道をたどると、雷祥山がそびえたつ。その山の向こうは、
和良比を出ると、周囲はのどかな田園風景が広がる。街道沿いの要所の村には、封魔四門の駐在所も置かれている。昨今は、虚冥のものは都会のほうが多く現れるようになったものの、以前は『自然に』開いた『穴』から、虚冥が噴き出すことが多かった。
封魔四門は、もともとそれを塞ぎ、国内の封魔の結界を守るためにできた組織であるから、本来は、和良比の外にこそ、権限が大きい役所なのである。
晃志郎たちは、和良比から北へと向かい、
稲鳴の一番大きな建物は、
十五年前の事件の折り、黒沢家はずいぶんと取り調べを受け、霧水神社もかなり痛手を受けたらしい。
取り調べの結果、瑠璃の方は『何モノか』から薬を手に入れ、酒に混ぜ、帝に飲ませたとされている。
幸い、酒の味が変わっていることに気が付いた帝は、酒を吐き、事なきを得たが、瑠璃の方はそのままその酒を服毒。すぐに手当てを受けたものの、意識が戻る前に、呪術攻撃を受け死亡した。
薬は間違いなく瑠璃の方が、混ぜたという証拠がそろっており、『無理心中』ということで落ち着いたのであるが、真実は闇へと葬り去られたといえる。
「しかし、広い」
龍之介は、呆れたような声を出した。
稲鳴でも四門の駐在所は、霧水神社の一角に置かれている。これは、いざというとき、『霧水』流の力を当てにできるという合理的な理由だ。そもそも、和良比のなかの神社は寺社奉行の管轄ではあるが、本来、四門は、五つの神社の流派を束ねる組織でもある。
先ほど、三人が通ってきた門から、ずいぶんと遠い位置に大きな社がある。あちらが本殿であろう。四門の駐在所は、裏門から入って、本殿に向かう途中にある。裏門から本殿へは、グネグネと曲がった上り坂。広い薬草園の間をぬった道だ。魂鎮めで主に使われる薬草が丁寧に育てられている。
「黄央大社は、ここまで広くありませんね」
土屋が呟く。
「黄央大社は、和良比の中にありますから。そんなに大きな場所をとれないですよ」
晃志郎は苦笑いをした。
「樹鱗神社は、和良比の外だから、これくらいあったな」
龍之介は頷いた。封魔の修行をしたものであれば、一度は、本山というべき拠点を訪れることが多い。もちろん、和良比の中には、分社は当然どの流派もあるのではあるが。
「焔大社もこのくらいありましたよ」
晃志郎が懐かしそうに薬草園を見まわした。
「ああ、そうか。和良比の外に出たことがあるというのは、焔大社か」
龍之介が得心したようにそう言った。
「はい。俺は修行自体は、和良比でしたので、ただ行っただけですがね」
「あ、あそこですね」
土屋が小さな建物を指さした。小さい、といっても、和良比の詰所と大差はない大きさだ。モノの大きさを測る尺度が、どうしても違ってしまう。
「龍之介さま、お待ちしておりましたぞ」
するりと引き戸が滑って、中から出てきたのは、四十代くらいの男だった。大柄で、鍛え上げられた体躯をしているが、顔はとても柔和で、人あたりの良さを感じさせる。
「
龍之介は親しげに頭を下げた。
「こちら、
「土屋宗一です」
「赤羽晃志郎です」
ふたりは、丁寧に頭を下げると、桧はニカッと笑って、建物の中へと案内した。
「本部から、早馬で連絡があったのですが、思ったより早かったですな」
「連れの二人が、大まじめでね。団子ひとつ食おうとしないのですよ」
龍之介の言葉に土屋と晃志郎は顔を見合わせた。脇目もふらずに、まっすぐに歩いてきたのは、間違いなく龍之介も同じである。
引き戸をくぐると、そこは広い三和土になっていて、小さなかまどが作られていた。
そして、一段高い位置に、畳のひかれた座敷がある。襖の奥には、さらに駐在している人間の寝所があるのであろう。
「まずは、お茶でも」
桧は微笑み、三人に座敷に上がるようにすすめた。
「何もありませんが、水は、和良比より美味いですよ」
出されたお茶は、香しい香りをしていた。水だけでなく、茶の葉にもこだわって入れたものである。
「して、こっちは何か変わりがあるか?」
龍之介は茶の湯気に顎を当てながら、訊ねた。
「特には。霧水神社の威信をかけて結界を張っていますから。ただ、鳴上村付近の山中で虚冥がよく開くという噂があります」
「道中奉行からも、白川家からも、そのような報告はされていないが」
「白川家の領地ではないのです」と、桧は慌てて付け加えた。
「正確には、道中奉行の管轄でもありません。街道から離れた位置ですから」
桧は、苦笑いをした。
「あえていうなら、
とにかく、誰も住まないような山奥なのだ。
「調べるとしたら、まさに、四門の仕事です。先日、本部に報告したばかりでして」
桧は首をすくめた。
虚冥の調査となると、人手もいる。桧ひとりで出来る仕事ではない。
「本部からの連絡では、近いうちに調査するというお返事でしたが」
桧はそう言って、茶をすすった。
「……近くまで来て、放置は、できんな」
龍之介が嫌そうに顔をしかめた。
「穴平さまは、当然、ご承知だったのでしょうね」
晃志郎は思わず笑いをこらえた。穴平は、特に命じなかったが、桧の話を聞いて、放置できる三人だとは思っていないだろう。つまりは、最初から、それも仕事に含まれていたと考えられる。
あえて命じなかった理由は、『鳴上村』の捜査結果によっては、そちらに手が回らない可能性がある、との判断に違いない。
「すべてを偶然の一致と思うには、符号が合いすぎていますね」
土屋はふっと息を吐く。
穴平が、三人もの人間を鳴上村の調査に裂いたのは、こうした「ついで」があったからあろう。
桧は、そんな三人の表情を見て、ホッとしたような顔をした。
「……ところで、桧さまは、『星狩り』という言葉を聞いたことはございませんか?」
晃志郎がそう口にすると、柊は、顔をしかめた。
「どこでそれを?」
「寺社奉行の知人からです」
晃志郎の言葉に、柊は首を振る。
「この稲鳴から北は、能力者が生まれやすい、というのはご存知ですね?」
柊は、三人に確認する。
「星狩り、というのは、要するに、まだ幼子である能力者が神隠しにあうことです」
柊はそれだけ言って、茶をすすった。
「二十年ほど前からたまに、おこりましてね。場所は一か所ではありませんし、人数だって、年間で数人というところですので、大きな事件として扱われることはないのですが、地元では、『星狩り』といっております。特に霧水神社は、幼子を預かって指導もしますから、とても神経質ですね」
武家の出でなくとも、霊力の高い子供は生まれる。そう言った子供は、各流派の神社が預かり、ある程度の訓練を施すことになっている。霊力が高い人間は、虚冥をうっかり引き寄せてしまう可能性があるからだ。
晃志郎は、姿勢を正して、桧の方を見た。
「ひょっとして、霧水神社でも?」
桧は、厳しい顔で小さくため息をついた。
「届けは出されておりませんが、霧水神社は、神経質すぎるほど、警戒しているのは事実です」
「雷太も……そうなのかもしれませんね」
晃志郎がポツリと口にする。
「星狩りで集められた人間が、羅刹党のコマになる……あり得る話ですね」
土屋が、片眉をあげながら頷いた。
「羅刹党というのは?」
「嫌な奴らさ」
柊の言葉に、そう答えて、龍之介は話し始めた。
駐在所で、話し終えると、柊の案内で三人は、霧水神社の本殿へと向かった。
四門の人間に乞われれば、神社側の人間は面会を拒絶できない。
通された座敷に現れたのは、中肉中背の二十代後半くらいの男性であった。すらりとして、狩衣をまとい、腰に太刀を下げている。足の運びからみても、かなりのつかい手であろう。
開け放たれた座敷に、風がすうっと流れ、やや傾きかけた陽が斜めに差し込んでいる。
「霧水流を束ねております、
男は丁寧に頭を下げた。
眉目秀麗、とはいえないが、理性を感じさせる瞳である。
――はて。
晃志郎は首を傾げた。どこかで会ったことがあるような、既視感を感じたのであるが、霧水流の長と面会する機会など、なかったはずである。
「水内龍之介です。少し、お話をお聞きしたいと思いまして」
龍之介は丁寧に頭を下げた。
「昨今、虚冥が開いているという噂があると」
「場所の確認が出来ておりませんが、開いているのは間違いないかと」
黒沢は目を伏せた。
「私共独自でも、調査を開始しましたが、調査に行った人間が戻ってきません」
「それは、いつ?」
柊が驚いて目を開く。
「ひと月ほど前でしょうか。山深いところですので、調査が難航しているのか、何事かがあったのか、判断に苦しむところでして」
「確かに……」
山の中に『虚冥』が開くという情報だけでは、調査そのものに時間がかかって当然である。
「なにぶん、金山家との関係もありますので、うちとしても、うかつには動けません」
金山家も、名家である。すでに、瑠璃の方のことで、醜聞をかぶった黒沢家とつながる霧水流としては、不要な争いの火種をおこしたくなくて当然である。
「……ところで、星狩りとは何でしょうか?」
晃志郎は、探るように口をはさんだ。
黒沢の目が晃志郎をじっと見た。何かを思い出すかのような仕草をしたのち、顔をしかめたまま首をすくめた。
「どこでそちらを?」
「柊さまから、『神隠し』と、先ほどお伺いしましたが」
土屋が口を添えると、黒沢は頷いた。
「その通りですよ。ここより北には、能力者が多い。そして、能力者ばかりが、神隠しにあっている」
黒沢が苦い顔をした。
「失礼を承知でお聞きします。霧水神社で、星狩りの被害にあわれたことは?」
龍之介の問いに、黒沢は大きくため息をついた。
「ない……と言いたいところですが」と言い置いて。
「神社そのものというより、私の実の弟が、十五年前にさらわれました」
黒沢の顔は苦い。
「当時、瑠璃の方さまのことがあって、黒沢の家は混乱しておりました。とても修行どころではなくなってしまい、私ども兄弟は、兄を残して和良比の家から出て、この稲鳴へやってきたのです」
当時七つだった、黒沢玄治の弟『
「生きていれば、たぶん、あなた方と同じくらいでしょうか」
黒沢はそう言って、晃志郎たちを見た。
「才ある弟でした。霊力は私より、上。もっとも、あまり熱心ではありませんでしたが」
遠くを見上げ、黒沢はため息をついた。
日が傾き始め、部屋が薄暗くなってきた。ろうそくを持った神人がそっと、部屋の行燈に火を入れていく。
「そうでしたか」
桧は得心した、というように頷いた。
「霧水神社が、幼子たちの警備にことのほか神経質なのは、そんなことがあったからなのですね」
「もう二度と……あんな哀しい想いはしたくないのです」
黒沢はそう呟いて、そっと瞳を閉じる。
行燈の火が、明るさを増しはじめ、夜の帳がゆっくりと舞い降りてきた。
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