第三話 鳴上村 参
鳴上村は、雷祥山のふもとにある。稲鳴から、北へ向かうその道は、山林となり、人家はほぼ見えない。整備された石畳には、木漏れ日がさしこみ、網目を描いている。風は、やや冷やかで、鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてくる。
道はゆるゆるとした登りとなっている。初夏ということもあって、緑が若々しい。
「この辻を北、ですね」
土屋が頬に汗を浮かべながらそう言った。
道はふたつに分かれている。石畳が整備された北へ伸びる道と、無垢な大地に雑草が目立つ細い山道だ。
「峠をあとひとつ越えれば、鳴上村のはずだ」
龍之介の言葉に、晃志郎は頷いて、東へと別れていく細い道へ目を向ける。
「この道は、金山家の領地に行く道ですね」
山深く伸びた道は木々に行く手を遮られ、どこへ伸びていくのか先は見えない。
「何か感じるか?」
龍之介の問いに、晃志郎は首を振る。見上げた空は、もう夏色で、とても濃い青だ。
「いえ。虚冥の気配は感じませんね。おだやかなものです」
空気は澄んでいる。
「星狩り、か」
このおだやかな風景のどこかで、そのような出来事があるとは想像もできず、晃志郎は軽く首を振った。
新緑の葉が、風に揺れて、カサリと音を立てた。
鳴上村は、山のふもとの小さな村だ。ただ、その寂しい村に似合わず、大きな役所の建物が目立つ。
主要産業は、もちろん『星蒼玉』の採掘である。白川家の領地ではあるが、採掘所の権利は、国と白川家で七、三の割合となっており、経費および、利益も、その割合で計上されている。採掘所は、採掘奉行が仕切っていて、四門同様、皇帝直下にある。四門の駐在所は、この村にはなく、採掘奉行所に出向というかたちで、例外的に奉行の指揮下にあることになっている。
また、星蒼玉の運搬に警護が必要ということもあり、道中奉行所の番所もかなり大きい。
村の産業のほとんどが、星蒼玉の採掘に携わる何かであり、まったくかかわりのない村人は少数である。
米はほとんど育たない。星蒼玉の産出さえなければ、鳥獣を狩り、山菜を採取することが主産業であり、農業は大きく行うことが出来ない土地のため、これほどまでに人が住むこともなかったであろう。
否。利潤の大きい星蒼玉を産出してすら、この程度の小さな村なのである。もとより、人をよせつけない雷祥山なのだ。
晃志郎たちが村に入ったのは、丁度、昼ごろであった。
まずは、採掘所に行くべきか、と山に向かって歩き出したその時、グワンと、大きな振動がおこった。
「虚冥!」
ほぼ、反射で、三人は、その気配に向かって走る。
気配は、村の高台にある、大きな屋敷からであった。
「マズイ」
晃志郎たちは、わずかに揺れ続ける大地を蹴って、走る。
「助けてくれぇ!」
屋敷の広い敷地の中から絶叫が聞こえた。
「お役人を!」
女が叫んでいる。
晃志郎は、使用人が飛び出てきた扉を、迷わずそのまま潜り抜けた。
「龍之介さまは、家人を!」
「わかった!」
晃志郎は、そのまま虚冥の気配へ突進する。
気温がぐんぐんと下がり、中庭の大地がぺきぺきと凍り始めた。
虚冥の気配は、白い壁の土蔵の中からのようだ。開け放たれた、蔵の扉の向こうに、ぽっかりと大きな異界の穴があり、うねうねとこの世のものでない気配がこちらへ這い出てくる。
日はまだ高いというのに、薄暗い闇が蔵から噴き出しており、あたりはぼんやりと霞む。
「土屋さま、結界をおねがいできますか?」
晃志郎は、笄を抜いた。
「虚冥が大きい。多少、広めに張りますよ」
さあっと、晃志郎の背で土屋が扇を抜く。
晃志郎は、土蔵の前に立った。どうやら星蒼玉の原石の貯蔵をしていたらしい。
札で封じられた木箱がいくつも積み重なっているが、ひとつだけ、ぱっかりと蓋があいており、石くれがごろごろと床に転がっている。
這い出して来る虚冥のものの中に、核ともいうべき、わずかに穢れた星蒼玉が見える。
「朱雀!」
きらり、と朱金の光が生まれた。
「行け」
バサリと朱雀は羽をひろげ、虚冥のものの方へと舞う。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女」
晃志郎は、印を結んだ。
「穢れを焼き尽くせ」
朱雀の羽から、きらきらと朱金の光の粉が舞い落ちて、虚冥のものへと降り注いでいく。じわじわと、光が闇を溶かすようにどす黒いうねうねとしたものは身体を失っていった。
朱雀は旋回し、虚冥の穴へと突っ込む。
ぐわっっ
この世のものでないものが、震え、大気が肌を刺す。
晃志郎は、笄を宙に滑らせながら、陣を描くと、開いた穴から、まばゆいばかり光を放ちながら、朱雀が飛び出してきた。虚冥から染み出たものがさあっと消えていく。
朱雀が、ふわりと晃志郎の肩に舞い降りて、そのくちばしから透明な星蒼玉を一つ吐き出した。
「虚冥よ、閉じよ」
晃志郎が、静かにそう告げると、辺りに静寂と、真昼の明るさが戻ってきた。
「相変わらず、見事な技です」
土屋が、ほうっと息をついた。
「なるほど。星蒼玉の出荷の準備をしていたら、箱が落下して開いた、と」
龍之介が、厳しい顔で確認した。
状況を説明する使用人を見ながら、老婦人が困ったように首を振る。老婦人の名は、白川とね。現、白川家当主の母である。すでに老境にはいってはいるが、背筋はぴんとしており、かくしゃくとしている。
「まったく、面目次第もありませぬ」
とねは、自らも使用人たちと同じく、木の床に直に並んで座り、頭を下げた。
ちなみに、とねは、帝の寵愛されている『百合』の方の祖母にあたる。
さすがに、封魔に関しては文句なしの捜査権をもつ四門の人間としても、遠慮せざるえない相手だ。そんな相手に、このように低い姿勢で来られると、かえって居心地が悪い。
「星蒼玉のあるところ、自然に『虚冥』が開くということは、別段珍しいことではない」
龍之介は眉をしかめてそう言った。土屋と晃志郎は、龍之介の隣で控えて座っている。
晃志郎は、とねの後ろで頭を垂れている使用人たちに目をやった。
いずれも若い男である。
「しかし、原石を入れた箱が落下して、簡単に開く、これは問題だな」
「おっしゃるとおりでございます」
とねは、ひたすらに頭を下げる。さすがに、これは、龍之介も気が引けるらしく、困ったように晃志郎と土屋に目をやった。
「一つお伺いしたいのですが」
晃志郎は静かに口を開く。
「星蒼玉の原石の出荷の準備とは、具体的にどのような手順で行うものですか?」
「
とねは、男たちの一人の名を呼んだ。男たちの中では、一番年上であろう男が、ついっと土下座の頭を下げたまま膝を前にすすめた。
「出荷分の箱を出し、札、鍵などに不備がないか確認します」
「鍵?」
晃志郎は三人を見まわす。嘉介の後ろで、一人の男の肩がぴくりと震えた。
「事故は、いつ、起きましたか? 順を追って話してください」
晃志郎の言葉に、嘉介は頷いた。
「蔵の鍵を開け、荷車を蔵の前に置きました。今回は五箱の出荷でしたので、
「なるほど」
晃志郎は嘉介に頷いて、とねに向きなおる。
「札と箱の鍵は、どこで?」
「採掘所の方で処理をいたします。私どもの家ではただ、蔵で保管しておくだけです」
とねの言葉を聞きながら、晃志郎は、男たちを注意深く見る。
「鍵は、こちらにもあるのですか?」
「はい。万が一ということもございますので、当家にも合鍵がおいてございます。ただ、それを使うことは、ほぼございません」
晃志郎は、それを聞いて、ゆっくりと立ち上がった。とねも、龍之介たちも驚いた顔をして晃志郎を見た。
「箱には、鍵がかかっていなかった。そうでなければ、落下で札がはがれたところで、そう簡単に虚冥が噴き出したりはしない」
晃志郎の言葉に、一人の男が突然立ち上がり、部屋から飛び出そうとした。
「待てっ」
晃志郎の腕がグイッと伸びて、男の身体をつかむ。
「うわっ」
晃志郎の足がのび、逃げ出しかけた男の足を宙へと払いあげ、男は、声を上げて倒れた。
「なぜ、鍵が開いていたか、教えてもらおうか」
晃志郎は、ぐるりと男の腕を背にまわす。土屋が懐から縄をとりだし、その腕をしばりあげた。
「名は?」
「三平」
男はギンと晃志郎を睨みながらそう答えた。
「鍵は、持っていないぞ」
三平は、吐き捨てるようにそう言った。
「だろうな……前から、開いていたのだろう?」
晃志郎はふうっと息を吐いた。
「星蒼玉は、大気にさらされるほど過敏になる。封印をやぶってすぐ、その原石を反応させたとなれば、お前はかなりの術者だ」
「どういうことでしょうか?」
とねが口をはさむ。
「おそらく、箱の鍵は、ずいぶん前から開いていたと思われます。調べてみればわかると思いますが、星蒼玉の原石の量は、目減りしているはずです」
龍之介が苦笑しながら答えた。
「星蒼玉は、大地に埋もれているときは、特に何の反応もしないのが普通です。掘り出した瞬間から、ふれた人間の影響を受け始める……ゆえに、すぐに封じます。寺社で清めて、そうやって安定させてから、切り出して、我ら術者の道具となります」
ふーっと龍之介は息を吐く。
「この三平という男ひとりでやったことか、複数の人間が噛んでいるかは、現状、不明ですが、鍵を開け、札を外したのは、ずいぶん前。何回か、蔵を開けるたびに、こっそり原石を懐に入れていたのでしょう。最初は、よかったが、何度も触れるたびに、星蒼玉が穢れ、虚冥を引き寄せたと思われます」
「そんな」
とねはガクガクと震える。
「ああ。なんてことだろう」
屋敷に納めていた星蒼玉の原石が横領されていたとなれば、立派な犯罪である。
白川家の管理責任が問われ、名門の名に傷がつく。帝のそばに孫娘がつかえているとなれば、なおのことだ。
とねの顔が青ざめた。
「なんにしても、蔵に入ることのある使用人全員に話を聞かせていただこう」
龍之介は厳しい顔で、そう告げた。
虚冥が開いたということで、採掘所から慌てて帰宅した
聞き取り調査の結果、三平という男の他に、
ふたりとも、わずかな金に目がくらんでの所業であったが、かなりの常習犯であり、彼らに金を払っていたのは、定期的におとずれる『穴熊』とよばれる商人であることがわかった。
「しかし、水内どのがいらっしゃったのは幸いでした」
取りあえずの調べが終わり、白川家の座敷で茶の振る舞いを受けながら 脇村は、目を細めてそう言った。すでに日は傾き始めている。
「このあたりは、もともと場が不安定で、虚冥が開きやすい。すみやかに対応していただいたおかげで、被害が拡大することもなかった」
脇村は、ひょろりとした体躯の三十代の男だ。なんとも冴えない顔をしているが、四門の中でも、かなりの実力者である。流派は、秋虎流。みごとな虎を操ることで有名だと、土屋がそっと晃志郎に耳打ちする。
「まあ、被害が少なくて良かった。ただ、術を使ったのは俺じゃなくて、こっちの晃志郎だが」
龍之介が苦笑を浮かべながら、そういうと、脇村は晃志郎の顔を見て首を傾げた。
「……どこかで、お会いしたことはないでしょうか?」
「いえ。ないと思いますが」
晃志郎は答える。脇村との接点など、どう考えてもない。
「術者の介入のない虚冥というのは、久しぶりでした。うまく閉じられてよかったです」
「和良比では、そうなのでしょうね。こちらでは、『突発事故』のほうが圧倒的に多いのですが」
脇村は首をすくめる。星蒼玉の採掘の際、虚冥が噴き出したりすることは、かなり頻繁にあるらしい。
「それにしても、横流しとは……」
脇村はふうっと息を吐いた。
「あの二人だけ、だと思われますか?」
龍之介が脇村に問う。
「採掘所や、採掘奉行側でも何人かいる可能性がある。もしそうなら、相当な数の星蒼玉が流出しているだろう」
「参りましたね」
龍之介がそういうと、脇村は「増援がいる」と呟く。
「二人は、採掘奉行所で預かり、再調査をさせてもらうが、それ以前に、星蒼玉の横流し組織があると仮定するなら、まずいな」
村に似合わぬ、大きな役所があるとはいえ、封魔と武術、双方を兼ね備えた探索のできる人材というのは、貴重である。脇村の呟きは尤もなものだ。
「その組織が、星狩りとかかわっている可能性もありますね」
土屋がふうっとため息をつく。
「それは……否定したいところではあるがな」
龍之介は首を振った。
「次から次へと、問題が拡大していく気がするのは、俺の気のせいだろうか?」
「穴平様は、どこまで想定されていたのでしょうね」
晃志郎はそういって、そっと首をすくめたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます