6-4

「施設には入れさせない」


 俺が言うと、ギョッと芳村のおばさんが目を剥いた。


「おばさん、さっき龍音が赤の他人だって言ったよな。違う。龍音は家族だ」

「詩音君、自分が何を言ってるか分かってるの?」


 芳村のおばさんは、嘲笑を浮かべる。

 ガキが現実も知らずに、勢いだけで何か言ってると思っているのだろう。


 分かってる。俺だってバカじゃない。

 自分が自立もできていない子供だと知っている。


 遺産なしに龍音を育てることもできないし。

 芳村のおばさんがただ遺産欲しさだけで言ってるわけじゃないってことも、山のように問題があるってことも。

 少しくらいわかっている。


 でも俺は、ここで龍音を見捨てるような自分でいたくない。

 龍音を見捨てて、何事もなかったかように生きる自分になりたくない。


 家族とはなんだろうと、ずっと考えていた。

 俺と龍音はどんな関係なのだろうと、ずっと迷っていた。


 言葉や立場や状況じゃない。

 一緒にいることが自然なら。

 お互いの心に絆があるのであれば。


 もうそれは、家族だ。


 龍音のためじゃない。

 祖父のためでもない。

 これは俺のための決断だ。


 俺の将来の話を、龍音の居場所を。

 俺たちのこれからを。


 当事者無視で話してんじゃねえ!


「詩音君、子育てってのはあなたが思ってるほど簡単じゃないの。入学の手続き、しつけ、怪我の心配だってあるし、遊んだりなんて当然できない。君みたいにまだまだ遊び盛りの子には無理よ」


「役所とかの手続きは、確かに無理かもしれない。俺はまだガキだし、自分でもそれはわかってる。でも、大樹や岬だって俺が面倒見てきた。オシメの変え方やミルクの飲ませ方だって知ってる。子供育てるためにやらなきゃダメなこと、少しはわかってるつもりだ」


 俺はそっと、息を吐き出す。


「俺は、子供を育てるのが不自由だなんて思ってない。人の環境や状況が変化するのは当たり前だ。それに適応して自分を変えていくもんだろ。龍音を育てるために制約が発生するなら、俺がそれに合わせるよ」


「そんなこと出来るわけないでしょ」


「何で決めつけるんだよ。じゃあ、世の中の全部の親が最初から完璧に子育て出来るのかよ。あんたはどうなんだ、おばさん。最初から全部知ってたのかよ、全部出来たのかよ」


「そう言う問題じゃないわ。君にこの子を育てるだけの経済力があるの? 何かあった時、助けることは出来るの? 責任も取れないのに勢いだけで無責任なこと言うんじゃありません。大人っていうのはね、自分で責任を取らなきゃならないの。君はまだ、それが出来ないでしょう?」


「確かに俺は未成年だから社会的に責任を取ることは出来ないかもしれない。一人で育てられるほど、子を持つのが甘くないこともなんとなくわかってる。だからじいちゃんは遺産を残したんじゃないのか? じいちゃんなりに、龍音を置いていくことに責任を取ろうとしたんだろ? 俺たちに、少しでも苦労かけないように。俺はその遺志を汲みたい。無下になんて、したくない」


「何を知ったようなことを……」


「一億あれば、じいちゃんだって俺らに任せず、里親を探すことも、施設を見つけることも出来たはずだ。龍音が大人になるまで、道筋を立てられたと思う。でもじいちゃんはそれをしなかった。俺たちに託したかったんだ。龍音を、育ててやってくれって」


 俺はおばさんから目を逸らさない。

 重い沈黙が満ちていた。

 誰も俺たちの言葉に、口を挟めない。


 龍音がそっと、俺に身を寄せる。

 おばさんはそんな俺たちをしばらく真顔で見つめた後


「……父さんみたいね」


 と、不意に漏らした。


「よく似てるわ。普段は大人しいのに、決めたらもう曲げないところ」


 何の話だろう。

 誰もが困惑していた。

 でも、おばさんは気にすることなく続ける。


「……それで、必ず成し遂げるの」


 俺はその言葉に、耳を傾ける。


「詩音君」


「はい」


「……これから進学して、将来やりたい仕事について、恋人が出来て、結婚して。そんな未来の可能性が全部なくなるのかもしれないのよ。それでもいいの?」


「知ってるよ」


 もしこれがただの祖父による酔狂だとしても。

 俺が、ただ巻き込まれただけだとしても。

 龍音を見捨てた先に得た可能性を、俺は一生許せはしない。


 ここで俺が引いたら、龍音の味方は世界で一人もいなくなっちまう。

 だから、俺は絶対に引かない。


 芳村のおばさんは、しばらく何かを確かめるように俺の目を見る。


「その子はヤクザの娘かもしれないし、とんでもない厄介ごとを運んでくることもある。その時傷つくのは、あなたと、あなたの大切な人たちと、そしてその子自身。あなたは今、その責任を取る決断をしたってこと。家族を巻き込んで、ひょっとしたらあなたの大切な人を傷つけるかもしれない、そんな決断よ」


「……自分だけの問題じゃないのはわかってる。お袋が市役所に行くのにバタバタしたり、和美姉が面倒見てくれたり、お金の問題だってある。実際、幾らか人に迷惑もかけてる。それでも、俺はこいつに帰ってくる場所を作ってやりたい。誰の娘でも、どんな生まれでも、龍音に罪はない」


「覚悟は出来てるのね?」


 俺は頷いた。

 芳村のおばさんは、そっと息を吐くと、親父の方を向いた。


「兄さん」

「は、はい」


 親父が飛び跳ねる。


「ずいぶん強情に育てたわね」

「い、いやぁはは、親が緩いから、その反動かな」

「芯があってしっかりしてる。この子、いい大人になるわよ。兄さんと違って」

「いやあはは、えっ?」

「父さんと同じだって思ったの。ほら、覚えてる? 父さんって昔は仕事人間だったけど、事故に遭って死にかけてから人が変わったでしょう。家族のこと、急に大切にするようになった」

「あぁ……そう言えばそうだったかなぁ」

「家族を大切にするようになってから、不思議と仕事も上手く行くようになって、駿河家はここまで大きくなった。たぶん、その教えは詩音君に全部継がれたのね。この子、自分が決めたことは、やり切ってしまうタイプよ。父さんと同じように」


 そして彼女は、そっと肩をすくめると、こう言った。


「認めます、その子――龍音ちゃんが駿河家に入ることを」


 唖然とした顔で、その場にある大人達が目を丸くする。


「い、遺産分配はどうする?」

「遺言書の通りで良いわ」


 おばさんはそう言うと、そっと棚に飾られた祖父の写真を見た。


「父さん、変わったわね。変なことしない人だと思ってたけど」


 おばさんはそう言うとふっと笑った。


「でも、家族を大切にする人だから。らしいっちゃらしいか」


 おばさんはまっすぐ龍音の方を向く。


「龍音ちゃんは、お父さんの代わりが詩音君で良いの?」


 すると龍音はゆっくりと首肯した。


「詩音がいい」

「そっか……」


 緩やかな笑みを浮かべるおばさんの顔。

 どこか、憑き物が落ちたようにも見えた。


「父さん、昔から子供に好かれるところあったけど、それは私たちには全然受け継がれなかったわね」


 芳村のおばさんは、俺にそっと視線を移す。


「そりゃそうよね。孫に継がれてるんだから」


 その笑顔は、今まで見たこともないくらい、優しいものだった。


 ◯


 その後、話し合いはつつがなく進み。

 祖父の遺産は無事全てしっかりと分配された。

 祖父の家は、うちが管理することになった。


「詩音、おつかれ」


 ポン、と肩を叩かれる。


「シンジ兄ちゃん」

「芳村のおばさん、よく乗り越えたな」

「あったり前じゃ……あれ?」


 笑おうとしたが、膝が震えて思わず体がガクッと崩れた。

 最大の難所を切り抜けた。

 そう思ったら、急に立っていられなくなった。


 まるで激しい運動をした後のように、緊張の糸がブツリと切れ、どっと疲れが押し寄せる。

 我ながら、知らないうちに相当気を張っていたらしい。


「おい、大丈夫か?」

「へ、へへ、何とか」


 膝をつく俺の前に、トコトコと誰かが歩いてくる。

 龍音だった。

 俺の前に、心配そうな顔で立っている。

 そっと手を伸ばすと、その頭を撫でた。


「もう大丈夫だ、龍音。お前はどこにも行かなくて良い。今日から正式に、俺の家族だ」

「じゃあ、詩音とずっといっしょ?」

「ああ」

「おじいちゃんみたいに、どこか行ったりしない?」

「どこにも行かない。お前は、うちの家族だ」


 その時だった。

 龍音の大きな目に、大粒の涙が浮かび上がったのは。


 そうか。

 龍音は、ずっと我慢していたんだ。

 頼れる人が居なくなって、心細くとも。

 ずっとずっと、たった一人で、堪えていた。

 俺たちと一緒にいた、その間も。


 こんな小さな体で、頼りもなくて。

 施設に入れるだの、お金がどうだの、たくさん汚い言葉で傷ついて。

 それでも、龍音は泣かないで、ずっと堪えていた。


 俺はずっと、龍音が聞き分けの良い子だと思っていた。

 でも違う。

 いい子にしていないと、どこかに連れて行かれるかもしれないから、龍音は必死で聞き分けの良い子になっていたのだ。


 俺はバカだ。

 どうしようもない、馬鹿野郎だ。

 気がつけば、龍音を抱きしめていた。

 温もりが、俺に伝わってくる。


「お前は俺の家族だ。ずっと一緒だ。うちにいて良いんだ、龍音!」


 俺の言葉がたがを外したように、龍音は声を出して、珠のような涙をこぼして、泣き出した。

 その涙は止まる事なく、まるでこれまで龍音が我慢して来た感情を洗い流すように見えた。


 改めて心に誓おうと思う。

 例え龍音が龍の子だとしても。

 どれだけ強靭な力を持っていたとしても。

 それが世界を壊すようなものだとしても、構わない。


 俺だけは、こいつの味方で居よう。

 だから絶対に。

 この温もりを離したりはしない。

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