10-3

 いざ樹を登ると、さほど高さはなく、すぐに上に乗る事ができた。

 そこから見た祭りの道は、すっかり木々に飲み込まれている。屋台と同じ高さまで、大量の樹が侵食していた。


「津波の跡みたいだな」


 和美姉を引っ張り上げながらシンジ兄ちゃんが言う。


「津波じゃなくて、樹だけどね。……下の人たち大丈夫かしら。上に人が乗ったら潰れちゃったりしない?」

「怖い事言うなよ。……この樹の強度なら大丈夫だと思うけどな。とりあえず、一端大通りまで出るぞ」

「えっ? ここで別れて進むんじゃないの?」

「足元のこと気にして進めるかよ。迂回して広い通りから回った方がいい。それに、俺に少し考えがある」

「考え?」

「半分賭けだけどな」


 何が言いたいのか分からなかったが、とりあえずはシンジ兄ちゃんに従うことにする。

 大量の樹に侵食された不安定な道を、俺たちは歩いた。

 最初は人を踏んでいるような気がして抵抗があったが、やがてその考えも諦めに至った。四の五の言っていられない。


 家屋が、建物が、樹に侵食されているのが分かった。

 建物の壁にまで樹が伝い、そこから伸びた葉が、蔦の様になっている。

 生えている葉は奇妙な形をしていて、何の種類なのかは分からない。


 町が一瞬にして死に絶えたように感じられた。

 俺たち以外に生きている人の姿が一切見当たらない。


 やがて祭りの通りを抜けて、駅前の大きな道へとたどり着いた。

 大量の樹がバラけて広がっており、ようやくアスファルトに足をつけることができる。


 そこから見える道路にも、蔦の様に樹が走っていた。

 道が割れて根が顔を出している場所もある。

 俺たちが思っている以上に、町を樹に侵食されていた。


「誰もいないね……」


 和美姉が言う。

 道路にはいくつもの車があるが、乗っていたであろう人の姿は見当たらない。

 俺は何気なく近付くと、息を飲んだ。


 車に樹の人型があった。

 運転していた人に大量の細い樹が巻きついたのだ。

 人の形をした、不気味な樹の人形が運転席に座っている。


 全員が言葉を失った。

 飲まれた人が、生きているのかどうかも分からない。


「やばいな……」

「ねえ、詩音。本当にいくの? こんな状態だったら、もう二人共――」

「和美姉」


 俺は和美姉に言葉を被せる。

 それだけで、意思が伝わったのが分かった。


「……ゴメン」


 歩いていると、時々、樹がヘビが蠢くようにずるずると動いた。

「ヒッ」と、岬が小さな悲鳴を上げる。


「これ、多分生きてるよね……」


 世界はやがて、この樹に飲まれるんじゃないだろうか。

 そんな想像が、俺たちの頭の中をよぎった。


『審判』


 その言葉が、頭に浮かぶ。

 何がトリガーになったかは分からない。

 でもたぶん、龍の審判が、この世界にも降り注いだんだ。

 かつて龍音の世界を破壊したように。


 やがて小さな建物が見えてきた。

 シンジ兄ちゃんは、そこに用があるらしい。


 建物の裏手に回ると、駐輪場にバイクが置かれていた。

 それを見てシンジ兄ちゃんが指を鳴らす。


「シンジ兄ちゃん、これ……」

「屋台やる時に一階に停めさせてもらってたんだ。どうにか引っ張り出せそうで良かったぜ」


 シートを開けて、シンジ兄ちゃんは「つけとけ」と俺にメットを渡す。


「乗れ。裏道知ってる。来るまでに見たけど、まだ通れそうだった。和美と岬も、ここまできたら大丈夫だろ」

「シンジ兄ちゃん、ありがとう」


 頭を下げると、シンジ兄ちゃんは乱暴に俺の頭を撫でた。


「馬鹿。二人助けてから言え。和美も、くれぐれも気をつけてな」

「気をつけろったって、あんなのが迫ってきたらどうしようも無いでしょ」


 鍵を回すと、バイクはエンジン音を鳴らし始める。

 俺はシンジ兄ちゃんの後ろにまたがった。


「詩音」


 和美姉と岬が、こちらを見つめてくる。


「あんた……男の面構えになったね。大人の顔だよ」

「何言ってんの、この非常時に」

「男、見せてきなさい」

「あたりまえじゃん」

「じゃあ行くぞ!」


 シンジ兄ちゃんがアクセルを捻り、一気に風が全身にぶつかってくる。

 和美姉と岬の姿が、一気に遠ざかる。

 樹の根の中心。

 そこに、きっと二人は居る。


 ◯


 大通りに沿ってバイクを走らせ、俺たちは樹の本体に向かう。

 遠くから見ても分かるほどの異質な巨大さを持った樹。

 暗くてその樹の姿をはっきりと望むことは出来なかったが、周囲に巨大なヘビの様なものが蠢いているのが分かった。


 ヘビじゃない。

 樹だ。

 樹が意思を持っているかのように蠢いている。

 それらは数千、数万と連なり、一本の巨大な樹木となっていた。

 蛇のようなその動きに呼応するかのように、根がアスファルトを走る。

 地面に龍が走っているといわれても、違和感のないほどだ。

 生きているかのように蠢く樹は、中心に近付くにつれ攻撃的になっているように見えた。


「シンジ兄ちゃん!」

「分かってる! 来るぞ! しっかり捕まっとけ!」


 その途端、地面が大きくひび割れ、樹の根がヘビの様に俺たちの進行方向に現れた。

 シンジ兄ちゃんが、上手くハンドルを切ってそれを交わす。

 後ろを振り返ると、何本もの根が、俺たちを追いかけてきていた。


「まるでアナコンダの巣だな!」

「本体に近付くやつを敵だと思ってるんだ!」

「捕まったら死ぬな、こりゃ」


 十字路の交差点で、左右から木々が押し寄せるのを何とか突っ切る。

 その先はもう樹の幹だ。


「何だよ……これ」


 シンジ兄ちゃんの声に、俺も息を飲む。


 何本もの木々が巨大な樹の幹と根を形成し、俺たちの視界を埋め尽くしていた。

 どれくらいでかいか分からない。

 大通りどころか、直径だけで数百メートルはありそうだ。

 背後からは樹の根が押し寄せてくる。


「どうしろってんだよ!こんなの!」


 シンジ兄ちゃんが叫んだ。


 その時、俺は樹の根に、ほんのわずか、中に入れそうな隙間があるのを見つけた。

 バイクでギリギリ通れそうな隙間だ。俺は思わずそこを指差す。


「シンジ兄ちゃん! あそこだ! あそこから中に入れる!」

「馬鹿言え! あんなの、入った瞬間に押しつぶされるに決まってんだろ!」

「どの道このままじゃやられる! 一か八かだよ!」


 シンジ兄ちゃんは一瞬黙った後「くそっ!」と言ってバイクのハンドルを切った。


「突っ込む! ふっとばされんじゃねぇぞ!」


 根が押し寄せる。完全に囲まれた。

 シンジ兄ちゃんは半ばやけくそでアクセルを捻る。

 物凄いスピードでバイクは根の隙間に突っ込んだ。途端、追いかけて来ていた木々が動きを止める。この隙間までは流石に追って来れないらしい。


「マジかよ! 入ったぞ! 助かった!」


 シンジ兄ちゃんが喝采した。


「このまま進もう、奥に続いてる」

「おう!」

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