10-2

 どこか遠く……ずっと遠くで。

 誰かが、泣く声が聞こえた気がした。

 暗い暗い闇の中で、まるで何かが目覚めるかのように。


 ハッと目を開けると、辺り一帯が闇で覆われていた。

 どうなった?

 状況が飲み込めないで居ると「詩音、大丈夫か?」とシンジ兄ちゃんがスマホのライトをつけてくれる。


 眩しくて一瞬目がくらんだ後、暗闇にシンジ兄ちゃんの顔が浮かんだ。


「俺は大丈夫。岬と和美姉は?」

「こっち。何とか大丈夫」


 見るとすぐ横で和美姉が手を振ってくる。

 何とかみんな無事みたいでホッとした。


「何がどうなってる?」


 シンジ兄ちゃんがスマホを周辺に向けて、初めて状況が分かった。


 俺たちが居た場所だけ、空間が出来ていた。

 ちょうど台風の目の様に、ポッカリと俺たち四人だけが、樹に飲まれずにいる。

 樹は、俺たちを避けていた。


 静止しているのを見ると、とりあえず成長は治まったようだ。

 恐る恐る触れてみるも、何かが起こるという感じはない。

 耳を澄ませてみたが、まるで世界が死んだかのような静寂に満ち溢れていた。


 飲まれた人たちはどうなった?

 まったく分からない。

 束になった樹の根をめくろうとするも、まるで鉄で出来ているかのようにビクともしない。


「大丈夫ですか!? 誰か!」


 声をかけるも、全く反応がない。


 いまここに生きているのは、俺たちだけのようにも思えた。

 色々なことが異常なのに、異常過ぎてまるで現実味がわかない。

 夢の中にいるみたいだった。


 空を見上げてみると、浮かんでいた満月が見えなくなっていた。

 よく見ると、とてつもなく大きな樹が、空を覆い尽くしてしまっている。

 枝葉が生い茂り、この街をすっぽりと覆っていた。

 空がすっかり見えなくなるほどに。


「どうなってんだ、こりゃ」

「生きてるのが不思議だわ」


 シンジ兄ちゃんと和美姉が呆然とした顔で呟く。

 すると、不意に袖を岬に引っ張られた。


「詩音兄ちゃん、龍音達、どうなったの?」


 その言葉に、俺はそっと首を振る。

 分からないことだらけだったが。

 これが、龍音の起こした現象だということだけは分かった。


 俺たちが全員無事だったのが、それを物語っている。

 龍音がそうしたいと思ってくれたんだ。


 俺は恐る恐る樹に足を引っ掛けようとすると、シンジ兄ちゃんが俺の肩をつかんだ。


「詩音、何してんだ」

「何って、登るんだよ。龍音と茜を探しに行く」

「よせ、危険だ! 大体、二人がどこに居るのかも分からないんだぞ!」

「それでも、ジッとなんてしてられないよ」


 言い合っていると、不意に和美姉の携帯が鳴り響き、視線がそちらに集まる。

「わっ!」と驚いた声を上げた和美姉は「母さんから!」と電話に出た。


「携帯通じるの?」

「うん。電波生きてるみたい。……もしもし、母さん? そっち大丈夫!?」


電話を耳に当てながら叫んだ和美姉は、すぐに「そっか、よかった」と声のトーンを下げた。


「よかった、大樹も母さんも無事みたい。でも、家から出られないって」

「出られない?」

「うん。この樹、街中に侵食しているみたい。家の中にまで入ってきてるって」


 その話を聞いて、俺は何となく、以前夢で見たあの光景を思い出した。

 街中が、木々に侵食されたあの光景を。

 今が、あの夢と同じ現象に襲われているのだとしたら……この状況も少しは理解できる気がする。


 そこでハッとして、俺は茜に電話をかけた。

 呼び出し音が鳴るも、誰も出る気配はない。


 すると、不意にどこか遠くから、聞き覚えのある音がした。

 その音は、この静寂の中でよく響いた。


「あれ、これって『糸』じゃない? 昔流行ったやつ」


 和美姉がそう言い、シンジ兄ちゃんも頷く。


「最近リメイクされてまた人気出たってなんかで読んだな」

「茜だ……」

「えっ?」


 二人が俺を見る。


「あの着信音、茜の携帯のやつだ」

「じゃあそこに茜ちゃんいるの?」

「分からない。電話に出ない」


 着信音は、樹の方から聴こえていた。

 普通なら聴こえるはずもないくらい微かな音。

 皮肉にも、死んだような静寂が、その音を届けた。



 ――根の中心へ行け。そこに答えがある。



 一瞬、あの女の声がした気がした。


「俺、行かなきゃ」

「詩音、待て」

「シンジ兄ちゃん、頼むから行かせて欲しい」

「俺も行く」


 驚いて言葉に詰まった。シンジ兄ちゃんは、本気の顔をしている。


「お前だけじゃ心細いだろ。俺も行く。和美は岬連れて、おばさんと合流だな」

「えぇ……この状況で普通バラバラに行動する?」


 呆れ顔の和美姉は、俺たちの顔を見て、やがて口元を緩めた。


「……ちゃんと戻ってきてよ、茜ちゃんと龍音ちゃん連れて」

「分かってるよ」

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