龍の子、育てます。

龍の子、育てます。

第1話 忘れ形見

1-1

 祖父が死んだ。

 高校二年の、春が終わる時だった。

 

 享年八十五歳。

 それが、祖父の一生だ。

 

 父方の祖父、駿河総司朗は、物腰穏やかな優しい人だった。

 いつも笑顔で、ニコニコしていて、本を読んでいる姿は凛としていた。

 メガネをかけて真剣な表情で本を読む祖父の姿が、俺は好きだった。

 こんな聡明な人になりたいと、密かに憧れを抱いていた。

 

 祖母が死んでから、祖父は本の海の中で生活していた。

 広い屋敷で、自分の身長よりも高い本棚に囲まれ、何千冊と言う本の海の中を漂う祖父は、さながら膨大な本の海を泳ぐ魚だった。

 

 俺はその家に、よく遊びに行っていた。

 本を読んだり、家族や友達の相談をよくした。

 俺の話を、祖父はおかしそうに聞いてくれていた。




 祖父の死を報せたのは、俺の背丈の半分も無いくらいの、小さな女の子だった。

 



 お経を唱える坊さんの声を聞きながら、その少女は黙って祖父の遺影を眺めていた。

 黒い服に身を包み、感情が読めない無表情な顔で、その子は祖父が笑っている写真を黙って見つめている。


 別れ、と言う感じではなかった。

 ただ、眠っている人を眺めるように、漠然とその子は祖父を見ていた。

 

和美姉かずみねえ


 親族席に座る俺は、隣にいる姉の和美姉に耳打ちする。


「何? 詩音しおん

「あの子、結局誰なの? 近所の子?」


 それにしては、何だかお袋達の様子がおかしい。

 葬儀だというのに、視線は祖父ではなく、その少女に集まっている。

 加えて、親戚のおじさんおばさんたちも慌しく動き回っていた。

 葬儀らしい湿っぽい空気はあまりない。


 和美姉は、少し周囲に視線を向けた後、そっと俺に耳打ちする。


「それがね、あの子、おじいちゃんの隠し子らしいのよ」

「えっ?」




「家族って言うのは、大事なもんだ」


 いつだったか、祖父が言っていた。


「家族?」


「そうだ。詩音、家族を大切にしなさい。家族の繋がりがちゃんとあれば、何が起こってもやり直せる。私はそれを若い時に教えてもらった」


「よくわかんないよ。そう言われても」


「いずれ分かる」


 祖父はそう言うと、縁側に座り、空に向かって遠い視線を投げた。


「私がこんな立派な家に住めたのも、家族の繋がりを大切にしてきたおかげだ」


 そして、祖父は俺の頭を撫でた。


「お前がひ孫を連れてくるまで、死んでられんなぁ」




 そんなことを言っていた祖父だったが、ちゃっかり自分は子作りをしていたわけだ。


 あの歳で隠し子? マジかよ。

 にわかには信じがたい。


 でも、じゃああの女の子は何なんだろう。

 さっぱりわからない。


 俺は祖父の何を知っていたんだろう。

 遺影に映る祖父の笑顔だけが、妙に俺の心にむなしさを満たしていく。


 何気なく遺影を眺めていると、不意に袖をちょいちょいと引っ張られた。

 見ると、件の少女が、いつの間にか俺の前に立っていた。


「ねえ」


 それが、最初に聞いた少女の声だった。


「おじいちゃん、どうなったの」


「眠ってるんだ。これからずっと、眠り続ける」

「ねむる?」


「そう」


 俺は頷く。


「今までがんばってきたから、その分これからお休みするんだ」


「おきないの?」


「もう起きない。これからじいちゃんは、お墓に入るんだ。そこで、長い間、静かに眠るんだよ」


「ねむる……」


 言葉を咀嚼するように、少女は静かに言葉を繰り返した。

 死と言うものを理解していなくとも、何となく、二度と会えないことだけは察してくれたのだろうか。


 でもその表情は、酷く無機質に思えた。



 葬儀が一段落つく頃、何やら騒がしい親族をよそに、お袋は「詩音」と俺に手招きした。


「あんた、和美達と近所のファミレスで時間潰してなさい」


 そういってお袋は一万円を俺に手渡してくる。


「何で? 遺言書の開封があるんじゃないの?」


「それがね、ここだけの話なんだけど……」


 お袋は俺に耳打ちする。


「おじいちゃんの遺産ね、半分が『あの子』に相続されてたらしいのよ」


「えぇ……?」


「それで、お母さん、今からお父さんや芳村のおばさんたちと話し合いがあるから。その間子供たちの面倒お願い。それから、あの子も」


「マジかよ……」


 少女の姿を見て、俺はそっと溜め息をついた。



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