1-2
《この子は“龍の子”である。聖となるか、邪となるかは、貴君ら次第である》
祖父が残した遺言書には、確かにそう書かれていたらしい。
身元不明の子。
その子のことを、祖父は“龍の子”と呼んだ。
祖父の遺産は全部で二億。
一億は、親族で分配。
そして、残る一億は……“龍の子”に相続されていたのだという。
「すごいことになったわね」
祖父の家の近所のファミレスで、和美姉は言った。
「一億よ、一億。おじいちゃんも思い切ったことするもんだわ」
「子供の前で金の話すんなよ」
そう言ったのは、従兄弟のシンジ兄ちゃんだった。
「でも本当に総司朗さんの子なら、この子、お前らのおばさんに当たるわけか。とんでもないな」
ファミレスに来たのは弟の大樹、従兄弟のシンジ兄ちゃんに、姉の和美姉、その娘の岬。
それから……龍の子。
俺たちは、改めて“龍の子”に目を向ける。
視線に気付いたのか、“龍の子”は不思議そうに首を傾げた。
シンジ兄ちゃんは母の姉の息子で、二十七になる社会人だ。
バイク屋で勤めていて、俺たちにとっては本当の兄みたいな存在だった。
姉の和美姉は大人っぽくてしっかりしている一児の母。
スタイルがよくて色気があり、昔から謎の母性を漂わせていて、よくモテた。
旦那の秀さんは、親族会に参加している。
和美姉の娘の岬は、我が強く物言いも強い小学生の女の子だ。
俺のことはよく慕ってくれていて、言うことを聞いてくれる。
弟の大樹は岬と同じ歳で、今年で九歳になる。腕白だが、俺の言うことはよく聞く奴だ。
「それにしても、よく懐いているわねぇ」
しみじみと、何だか微笑ましい顔をして、和美姉は俺に言った。
「まるで兄妹みたい」
「だな」
「冗談はやめてくれ」
シンジ兄ちゃんと和美姉の言葉に、俺はげんなりする。
「そんなこと言って、もしうちで引き取ることになったらどうすんだよ」
「あら、いいんじゃない? あんた昔から、子供には好かれやすいたちだったじゃん」
「そりゃそうだけどさ……」
俺には、反抗期らしきものが存在しない。
昔からよくお使いや家事手伝い、弟達の世話をよく両親にさせられていた。
特に小さい子には好かれやすく、大樹や岬が俺に懐いているのもそのせいだろう。
多分それは、祖父に似たのだと思う。
「私がいなくなって、いい加減あんたも寂しいでしょ? 父さんや母さんも言ってたじゃん。『家が静かだ』って」
「それとこれとじゃ話が別だろ」
「大樹だって、妹が欲しいわよね?」
「えー、僕、弟がいい」
「言っとくけど、この子お前のおばだからな?」
そこまで話すと、シンジ兄ちゃんが首を傾げた。
「って言うかこの子、そもそも何歳だ?」
その言葉に釣られるように、全員が“龍の子”に視線を向ける。
メロンソーダを飲みながら、視線に気付いた“龍の子”は少しポカンとした表情を浮かべた後、指を五本立てた。
「五歳か……」
「えっ!? 今のそうなの?」
俺と和美姉が同時に声を出す。
「そうだろ、どう見ても」
「五歳ねぇ。……養育費の為の一億かしら」
「和美姉、子供の前でそういう話すんなよ」
「あら、でも気になるじゃない。一億って適正価格なのかしら。そもそも、子供の養育費ってどれくらいかかるんだろ」
「調べるか……」
シンジ兄ちゃんがスマホで検索をかけると、すぐに答えが出た。
「国立大学なら三千万、医大で六千万ってところか……」
「あら、最低でも四千万もお釣りが出るってこと?」
「つまり、この子一人うちで引き取れば、一千万くらいはもらえるかもしれないのか」
「子供の前でそういう話やめてよね」
「自分が言い出したんじゃん」
「お金の話は生々しいのよ。これだから、男はデリカシーないんだから」
「理不尽だ……」
「詩音兄ちゃん! 私、アイス食べたい!」
「はいはい。すんませーん、注文良いっすか」
「詩音いいわよ、私が頼むから」
「別に良いよ、こんくらい。大樹は何か食べるか?」
「僕、スパゲッティ」
「何でケーキの後にスパゲッティ食べんだよ」
「だってお腹減ったんだもん」
「お待たせしました。ご注文は何にされますか?」
「僕、スパゲッティ!」
「私、アイスクリーム!」
「あぁ、あとホットコーヒー三つと……」
そう言えばこの子は何食べるんだ。
最初に話して以来、全然声を出さないから意思疎通が取れない。
俺が龍の子を見ると、ちょうどチョコパフェのページを見ながら、龍の子は目をキラキラと輝かせていた。
大きな瞳一杯に、チョコパフェの写真が映りこんでいる。
「チョコレートパフェも一つ」
俺が頼むとガバッと龍の子がこちらを見上げた。
いいの? と瞳が物語る。
つかみどころがない子に見えたけれど、なんだかんだ普通の子供だな。
俺は少しだけ微笑んで、そっとイタズラっぽくウインクしておいた。
龍の子の大きな瞳が、ますますキラキラと輝き出す。
「それにしても詩音、一千万ももらうとか、図々しすぎだろ」
「えっ、でも一千万くらい良いでしょ。一家で分けりゃ良いんだし」
「でも、そんな風にお金が理由で育てたら、愛情のない冷めた家庭になるわよ。この間もそれで事件になってたし」
「どうせドラマの話だろ、それ」
「正解」
「私知ってる! 火曜日十時のやつだよね!」
「岬、夜十時は寝ろ。ガキなんだから」
「詩音兄ちゃんは私のこと子供扱いしすぎ!」
「子供だよ、お前は」
「俺から言わせれば、お前も子供だよ、詩音」
「シンジ兄ちゃんまでそんなこと言う」
「ま、一緒に暮らしてたら愛情だって芽生えるわよね。詩音、女の子だからって手出しちゃダメよ」
「俺はそんなロリコンじゃない」
「でも、見て御覧なさいよ、この子の顔」
和美姉の言葉に釣られて、皆が龍の子の目を見る。
パッチリ二重で、綺麗な琥珀色の目をしていた。
不思議な魅力があり、吸い込まれそうになる瞳だ。
目鼻立ちはスッと通っており、同年代の子から好かれることは容易に想像がつく。
「可愛いでしょ。この子、絶対べっぴんさんになるわよ。女子高生とかになろうもんなら、そりゃもうモテちゃうわ」
「なにそれ。自分がモテてた時のこと重ねてんの?」
「ま、それもあるかもね。経験者は語る、よ。この子からはお姉ちゃんと同じ匂いを感じるわ。思い出すわね。来る日も来る日も、沢山の男友達から誘われた時のこと。男女間の友情は成立してくれないのかなぁ、なんて大学時代に悩んだりしてさ」
「何十年前の話なんだか」
「五年前よ!」
「おーいお前ら、姉弟喧嘩は外でやれ」
「お待たせしました、ブレンドコーヒーでございます」
「ああどうも」
テーブルに置かれたコーヒーを口に運んで、俺はふと思い出す。
「……でも今考えたらおかしいと思ってたんだよな。じいちゃん、ここ数年はあんまり家に呼んでくれなくなってたし、正月も一人で過ごしたいって言って、集まり流れたじゃん。あれって、この子のこと隠してたんだな」
「でも、それってここ二、三年のことでしょ。もしこの子が本当に五歳なら、少なくとも五年前からその兆候がないとおかしくない? いくらなんでも五年も隠し通すの無理だと思うんだけど」
「母親が逃げたんじゃないか? 今まで母親のところで生活して、育てきれなくなって総司朗さんに渡してきた。それなら辻褄があう」
「ああ、たしかに。それなら納得できるかも。おじいちゃん、何だかんだ資産家だったし。おばあちゃんが亡くなってからはご近所づきあいも少なかったみたいだから」
「総司朗さん、堅物そうだったけど、浮気とかすんのかな」
「あら? ありえなくはないんじゃない? おじいちゃんだって男なんだし。おばあちゃん亡くなってから十年独りだったんだから、こう劣情的なものが溜まってグァーッとさ。ありえなくはないでしょ」
「昼ドラの見すぎなんだよ、和美姉は」
「なによぉ」
和美姉はムッと頬を膨らませる。
その様子を見ていたシンジ兄ちゃんが、ふと気になったのか「そう言えばこの子、名前なんて言うんだ?」と言った。
「名前?」
確かにそう言えば、まだ聞いていなかったな。
全員が龍の子に目を向ける。
すると龍の子は、フルフルと首を振った。
「どうしたんだろ? まだ小さいから分からないのかしら?」
「でも五歳だろ? 流石に自分の名前くらい言えるんじゃないの?」
「岬の時はどうだったんだ?」
「三歳くらいで名前自覚してた気がする」
しかし龍の子は、再びフルフルと首を振った。
うん?
俺とシンジ兄ちゃんと和美姉は、顔を見合わせた。
まさか、名前無いの?
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