1-3
一時間程して、ようやくお袋から電話があった。
親族の話し合いは、一旦終わりになったらしい。
と言うのも、後日の話し合いに持ち越しだそうだ。
龍の子の処遇も、一時的に仮決定したという。
「どうなるんだろうな、お前」
龍の子は無表情で、俺のことを見上げた。
「もし、施設に入ることになっても、何か助けがほしい時はいつでも言えよ」
そう言うと、龍の子はそっと俺の手を取る。
少しだけ、震えていた。
何を考えているのか読めなくとも、この子も不安なのだ。
当然だ。
まだ幼稚園児くらいの歳なのに、両親がいなくなって天涯孤独なんだから。
これからどうなるのかも分からない。
不安を感じないほうがおかしい。
俺は、せめてもの間と、龍の子の手を握ってやる。
願わくば、この子の行き先に幸があらんことを。
俺たちが祖父の家に戻ると、ニコニコ顔のお袋が俺たちを出迎えた。
「おめでとう、詩音」
「はい?」
お袋だけではない。
よく見ると、背後で親父までニコニコしている。
その顔はまるで仮面をつけたように不気味だった。
何故なら二人とも、笑っているようでまるで笑っていない……無機質な表情をしていたからだ。
「何なんだよ、お袋」
「詩音、おめでとう」
「だから何が」
「今日から、お父さんよ」
んん?
「意味わかんないんだけど。親父はそこにいるだろ」
「一億円と、お父さんよ、詩音」
「はぁ?」
俺は意味が分からず和美姉を見る。
姉貴も意味が分からないのか、眉根を寄せながら首を振った。
すると、お袋はそっと一枚の紙を俺に差し出してくる。
何かと受け取ると、それは遺書だった。
祖父が残した、遺言書だ。
俺はそれを開く。
和美姉とシンジ兄ちゃんも、左右から覗き込んでくる。
《この子は龍の子である。聖とするか、邪となるかは貴殿ら次第である》
その文から始まる遺書は、一番最後にこう綴られていた。
《尚、龍の子は、我が孫にして敏正の子「駿河詩音」の子とする》
「はっ?」
意味が分からず、思わず声が出る。
俺が狼狽していると、お袋は俺の両肩をガシリとつかんだ。
「どこの娘さんと出来た子なんだい?」
悲壮な表情だった。
親父も静かに目を瞑り、頷く。
「詩音……父さん、お前は迂闊にそういう事しないって信じてたんだが」
「いや、ちょっと待てよ」
「詩音、やっぱりそうだったんだ」
和美姉までもが悲壮な表情で言う。
「あんたって子は……茜ちゃんという子がありながら」
「ちょ、待って待って! 違う違う違う! 何で俺の子みたいになってんの!」
「そうとしか考えられないよ。おじいちゃんはあの歳だったし、体力的にも子供を作るのは難しいからね。あんたが人様の娘さんを孕ませて、おじいちゃんに泣きついたんでしょう!」
「孕むとか言うな! もうちょっと息子を信じろよ!」
「あんたが面倒見も良くて、人当たりも良い子だから、女の子にモテるって信じてたのよ」
「そういう信じ方はいらねーから!」
「詩音……あんたも大胆ねぇ」
「和美姉はもうちょっとかばえよ!」
「だってそうだとしたら、合点が行くもの。この子、随分あんたに懐いてるみたいだし、あんた、おじいちゃんと仲良かったじゃない。一億の相続金が、あんた達、親子への選別なんだとしたら……」
「納得すんなよ! 大体、もしそれが事実だとしたら、俺がこの子を作ったのは十二の頃になるだろが! いくらなんでもありえねーだろ!」
「あら、ありえないなんてことは有り得ないわよ。あんたもお母さんと見てたでしょ。十三歳で母親になるやつ」
「お袋、それドラマだから!」
色々とまずい方向に話が流れている。
周囲の親族の視線とヒソヒソ声も痛い。
このままでは彼女が出来る前に父親にされる。
どうした物かと俺が頭を抱えそうになっていると、不意に誰かが俺の服を握り締めた。
見下ろすと、龍の子が俺を大きな瞳で見つめている。
うぅ……そんな目で俺を見るな!
「あら、やっぱりお父さんが良いのねぇ」
「詩音、ちゃんと娘のこと、大切にするのよ」
ほっこりした顔をするお袋に、和美姉が頷く。
ふざけるな。
「そうだ! DNAだ! DNA鑑定をすれば俺は無実だと証明される!」
「嫌よ、面倒くさい。大体、子供を抱っこしながら言うセリフですか」
「しろよそこは!」
散々騒いだあと、どうにか俺の子供疑惑は解消された。
龍の子や、相続された一億の本格的な処遇はともかくとして、とりあえずは当面うちで面倒を見るらしい。
そうすることで遺産を優遇してもらう手はずになったそうだ。
無茶苦茶にもほどがある。
法律がどうなのかはよく分からないが、祖父の遺志がくまれてないのは何となく察した。
葬儀のあれやこれやを終えて帰る頃には、すっかり日が傾いていた。
親族の皆がそれぞれ帰宅する姿を見送る。
親父は長男の為、最後に鍵の管理やらを任されているらしい。
帰るのは我が家が一番最後になった。
全員、どことなく疲れた顔をしていた。
当然だ。
今日一日で色々ありすぎた。
俺も、何だか色々あって随分疲れた。
「それじゃあ母さん、私達帰るから」
「義父さん、義母さん、詩音君、大樹君、また」
「あんた達、気をつけて帰りなさいよ」
「また家族で遊びに来なさい」
すっかり眠りこけた岬を抱えた和美姉と旦那の秀さんを見送る。
親族は、これで全てだ。
「それじゃあ、うちも帰ろうか」
親父が言うも、俺はふと気付く。
龍の子がいない。
「お袋、あの子知らねぇ?」
「あら、どこ行ったのかしら? さっきまでそこに居たと思ったんだけど」
「おじいちゃんの家を出る前は一緒にいたんだけどな」
親父も首を傾げる。
「ちょっと見てくる。先行っといて。親父、念のため鍵貸して」
「ああ、戸締りしっかりな」
「分かってるって」
家族を置いて、俺は祖父の家に戻る。
鍵を開けて中に入ったが、玄関に靴は無かった。
「おーい、帰るぞー。いないのか?」
声を出しながら家を見回るも、シンとした静寂だけが返って来る。
リビング、キッチン、寝室、書庫。
色々と探したが、とうとう姿はなかった。
「どこにいるんだよ……」
呟くも、反応は無い。
こうして歩き回ると、静かな家だ。
大量の本が、まるで音を吸い込んでいるように思える。
祖父が生きている時は、そんなこと感じなかった。
居心地の良い場所に思えていたのに。
祖父は晩年、どのようにして過ごしていたんだろう。
もし、龍の子を祖父が育てていたとしたら、それは救いになったんだろうか。
何となく歩いていると、見覚えのある縁側にたどり着いた。
昔、祖父と一緒によく語らった縁側。
そこからは、広い庭がよく見えた。
木々が生えていて、庭はちょっとした森の様になっている。
家庭菜園をしている一帯があり、祖父はよくそこで花を育てていた。
俺も手伝った覚えがある。
春先には、毎年綺麗な花が咲いていた。
縁側から庭を何となく眺めていると、視界の端に、見覚えのある後頭部が目に入った。
俺はそっと溜め息をついて、庭に出る。
「何やってんだ」
庭に屈む龍の子に、俺は声をかけた。
彼女はそっと俺を見上げた後、またゆっくりと視線を花壇に戻す。
花壇には、小さな花が咲いていた。紺色の、鮮やかで小さな花。
「おじいちゃんと育ててた」
「リンドウか」
竜の胆と書いて、リンドウと読む。
龍の子、と書いたのはそこから取ったのだろうか。
漢字が少し違うけれど。
「ねぇ」
リンドウから目を離さず、龍の子は小さく言った。
「おじいちゃん、もう会えないの?」
俺はそこで気付いた。
こいつは、無表情なんかじゃない。
ちゃんと、寂しそうな表情をしている。
俺は、ただ気付けていなかっただけなのだ。
彼女の繊細な変化に。
なんて言うべきか、正直迷った。
でも、誤魔化したくなかった。
「ああ、もう会えない」
俺が言うと、彼女は大きな瞳で、俺を覗き込んでくる。
「じいちゃんは、もう死んじゃったんだ」
「死んだら、もう会えないの?」
「ああ。それが“死”だ」
「そっか……」
龍の子は、再びリンドウを眺める。
まるで、祖父との思い出を、反芻するように。
「でも、大丈夫だ。現実で合えなくても、目を瞑れば、いつでも心で会える」
「なんで?」
「心の中に、じいちゃんはいるからな」
「心の中?」
「そうだ。俺らの思い出の中で、じいちゃんは生きてる」
「思い出……」
まるで何かを確かめるように、龍の子は静かに俺の言葉を繰り返した。
風が、ゆっくりと俺たちを撫でていく。
夕焼けが、静かに草木を揺らして、夜の到来を知らせてくれた。
宵の色が混ざった空に、星が瞬く。
「この花、持って帰るか」
「良いの?」
振り返った龍の子に、俺は頷いた。
「うちで育てよう。お前も、一緒にくるだろ?」
頷いた彼女の姿を、俺は確かに見た。
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