1-4

 

 帰宅した頃には、すっかり夜だった。

 庭にリンドウの花を植えて、ようやく一息つく。


「これで良し。ちゃんと毎日、水やれよ」


「うん」


 そんな話をしていると「兄ちゃん」と大樹が窓から声をかけてきた。


「どした?」


「用事終わった?」


「ああ」


「じゃあ、その子と一緒にゲームしたい!」


 大樹の言葉に、龍の子は俺の顔を見つめる。


「ゲーム?」

「一緒にしようよ! 来なよ!」


 首を傾げる龍の子に、俺は頷いた。


「やってこい」


 大樹が走って二階に行き、龍の子もトテトテと後を追う。

 馴染むの滅茶苦茶早いな。

 龍の子の順応性もさることながら、我が家の許容キャパも馬鹿に出来ない。


 リビングに戻ってソファに座ると「用事は終わったのかい?」とお袋が声をかけてきた。


「どうにか。今日の晩飯何?」


「ハンバーグ。小さい子が来たからね。ちょっと手をかけたよ」


「よくやるよ。出前でもよかったのに」


「初日が出前じゃあ可哀想でしょ? とりあえず、次の親族会までしばらくあることだし、あの子の事とか、おじいちゃんとの関係とか、詳しい事が分かるまでは当分うちで面倒を見るから」


「まぁ、乗りかかった船だ。何となるだろ」


 横に座っている親父の物言いは、随分気楽そうだ。


「あんたら、えらい落ち着いてますね……」


 こう言うのもなんだが、ここまで気楽そうだと何だか裏を勘ぐりたくなる。


「念のため聞くけど、まさかあの子の遺産狙ってないよな?」


 尋ねた瞬間。

 ピクリと、体を震わせる我が両親。

 

「ナニイッテルノ」


「ソウダゾ シオン。ソンナキタナイコニ ワタシハソダテタオボエハナイ」


「棒読みじゃねーか! 結局金かよあんたら!」


「仕方ないじゃないの! 子育てにはお金がいるんだから! あの子は行き場が出来て、うちは暮らしが豊かになる。ウィンウィンなのよ!」


「金が動機なこと自体が問題なんだよ! 大体、養育費の為の一億なのに、奪う気満々じゃねーか! あの子がグレたらどうすんだ!」


「そこはほら、あんたがケアしなさい」


「全部俺任せかよ!」


 どうなってんだこの両親は。

 昔からガメついとは思っていたが、まさかここまでとは。

 散々怒鳴ってぜぇぜぇと息を吐いていると、俺の服の裾を誰かが引っ張った。


 龍の子だった。


「どうした? ゲームつまんなかなったのか?」

「おトイレ」


 なるほど。

 そう言えば今日、一回もトイレ行ってなかった気がするな。


「こっちだよ。お兄ちゃんいなくても、ちゃんと一人で出来るか?」

「うん、大丈夫」

「お手ては一人で洗えるか?」

「うん」


 話していると、お袋が「あらあらあら」と声を出した。


「もうすっかりお父さんねえ」


 お袋の声に、親父も「うんうん」と頷く。


「詩音に預けたら安心だ。万歳、父親。万歳、遺産相続」

「あんたらなぁ!」


 もう滅茶苦茶だ。


 ◯


 その日の夜、俺はいつもより少し早い時間にベッドに入った。

 かなり疲れているのが分かる。

 食事、お風呂、トイレ、歯磨き……龍の子のお世話、全部俺がしたからな。


 昔から、大樹や岬のこともあって、小さな子の面倒はよく見ていた。

 我が家の家系は親族が多いこともあり、親戚の赤ちゃんの面倒なども見る機会が多かったのだ。

 今では赤ん坊のオムツの変え方から、幼年期の予防接種のタイミングまで把握してしまっている。


 だから、世話をすることには慣れているのだが……。

 とは言え。

 

「これからどうすんだよ……」


 そう呟きたくもなる。


 親父とお袋が育てることに反対でなければ、別段問題はないかもしれない。

 俺からしたら、これまでそうしてきたように、妹が出来たつもりで面倒を見てやれば良いだけだ。


 俺は何故か子供に好かれやすい。

 近所のガキんちょも、俺の名前を覚えているくらいだ。

 祖父が俺に託したのも、そう言う俺の性質を察してのことかもしれない。


「とんだ遺産だよ、じいちゃん」


 誰にも届くことの無い声を、俺は発する。


 一億の遺産を相続させたのは、祖父なりに、龍の子を育てる為の筋道を用意したのだろう。真意は分からないが、少なくとも、祖父はあの子を家族として迎えようとしていた。


 ただ、何で父親が俺なのかが納得行かない。


 その時、部屋のドアが開く音がして、俺は目を向けた。

 入ってきたのは、あの龍の子だった。


「なんだ? お袋のところじゃ嫌だったか」


 龍の子は眠そうに目をこすると、しずしずと俺のベッドに入り、俺の服を握り締めた。


「ここがいい。おじいちゃんと同じ匂いがする」

「あんま嬉しくないな……」


 俺は祖父によく似ていると言われていたから、安心するのだろうか。



 ――家族って言うのは、大事なもんだ。人が本当に困った時、最後に支え合えるのは、家族しかおらん。



 家族、か……。

 この子も、もしかしたら家族になるかもしれないんだな。

 確かに、こんなに小さな女の子を、ほっぽり出したくはない。

 出来る事は、可能な限りやってやりたいと思う。


「よし、じゃあ、俺のことはこれから『詩音兄ちゃん』って呼べよ」


「詩音」


「呼び捨てかよ。まぁいいけど。そうだ、お前の名前、何て呼ぼうか。本当に名前無いのか?」


 こくり、と龍の子は頷く。

 名前もなくて、祖父は一体どうやって接していたんだろう。

 疑問を抱いたが、その過去は不明瞭なまま終わりそうだ。


「じゃあ、ちゃんとした名前が分かるまで、何かいい仮の名前をつけよう。何が良い?」


「詩音が決めて」


「俺?」


 龍の子は静かに頷く。


「じゃあ龍の子だから、龍がつく漢字がいいな。でも女の子だし……」


 俺の名前から一文字取るか。


「遺書に書かれていたのは“龍の子”だから“龍”と詩音の“音”で『龍音』と言うのはどうだろう。読みは……たつね、か」


「ダサい」


「酷いこと言うな」


 まぁ確かに江戸時代の人みたいだ。

 他に読み仮名はないかと調べてみる。

 すると、『龍音』と書いて『りと』と言う読みを見つけた。


「じゃあ、龍の音と書いて『りと』。お前は今日から、りとだ」


 俺がそう呼ぶと、龍の子は昼間の時と同じように、目をキラキラとさせてこっちを見てきた。気に入ってくれたみたいだ。


「これからよろしくな、龍音」

「よろしく」


 それが、俺、駿河詩音と“龍の子”龍音の出会いだった。

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