10-5

 

 茜は……?

 茜はどうなった?


 全身から汗が飛び出て、体が震える。

 必死に辺りに目を向けると、白い足が視界に入った。

 その瞬間、体が麻痺をしたかのように、動きが止まる。


 先ほどの男の遺体を思い出した。

 茜が、無残な死に方をしていないという保証はどこにもない。


 もし茜が死んでいたとしたら?

 俺は、その時、龍音を許せるのか?

 優しく、迎えることが出来るのだろうか?

 一切の自信がなかった。


 あれだけ心に誓ったのに、家族だと思っていたのに。

 自分の気持ちが、ボロボロと剥がれ落ちるような感覚に襲われる。これまで心に被せていた鎧が、音を立てて崩れ落ちるのを。


 ゆっくりと光を昇らせる。呼吸が浅い。緊張と疲労で頭がおかしくなりそうになる。手は無意識に震え、歯はカチカチと音を立てた。

 無意識のうちに、死の恐怖を現実に感じているかもしれない。


 見覚えのある模様の浴衣。

 帯、腕、肩……そして顔。

 茜は、そこで倒れていた。

 俺の知っている姿で、先ほど別れた時と同じように。


「茜!」


 すぐに駆け寄って、両手で抱きかかえる。背後からシンジ兄ちゃんがこちらに走ってくる音が聞こえた。


「茜、おい、茜!」


 揺さぶるも反応が無い。顔色が悪く、死んだように真っ白な顔をしていた。

 草で切ったのか、頬や首回りに細かな切り傷がいくつもある。


「落ち着け、詩音」


 理性が吹っ飛びそうになる俺を、引き止めたのはシンジ兄ちゃんだった。

 首元に指を当て、脈を取る。


 だが、反応を見るまでもなく、薄く呼吸していることに気がついて、全身から力がどっと抜けた。腰が崩れ落ちそうになるのを、何とか堪える。


 すると、小さなうめき声を上げて、茜が目を開いた。

 俺と目が合うと、茜は薄く笑みを浮かべる。


「よかった、生きてた……」

「詩音……?」

「大丈夫か。何があった?」

「わかんない……私、どうなってたんだろう」


 茜はそこまで言うと、ハッと目を見開いた。


「私、確か変な男の人に襲われたんだ」

「変な男?」

「たぶん、ニュースでやってた通り魔……」


 シンジ兄ちゃんと目を見合わせる。先ほど見かけた男が、手に持っていたもの。間違いなく、サバイバルナイフだった。


「追いかけられて、刺されそうになって……」


 茜はそう言って、俺の肩を強くつかんだ。


「龍音ちゃんは? ねぇ、龍音ちゃんは!?」

「わからねぇ。龍音、どこにも見当たらないんだ」

「そんな……」


『審判』が下され、厄災がこの世に満ちた。

 その原因は、龍音の命に危険がおよんだからだった。

 茜が刺されそうになって、強い恐怖を抱いて。

 それがトリガーになった。


「とにかく、まずは茜ちゃんの無事を喜ぼう。なぁ詩音」

「俺、最低だ……」

「えっ?」

「一瞬だけ、龍音のこと疑った」

「何のことだ?」

「もし龍音が茜を殺していたらって考えてた。あいつが、ただ人を殺しまくる奴だったら家族として受け入れられないかもって、そう思っちまった。あいつは、ただ茜を守ろうとしてくれただけなのに」

「何言ってんだよ、お前」


 お袋や俺たちだけが無事だったのも。

 茜が生きていたのも。

 全部、龍音が抵抗したんだ。


 力が暴走しても、あいつは俺たちを守ってくれた。

 それなのに、俺はただ恐怖していた。

 龍音にビビッてたんだ。父親になろうって決めたのに。


 俺がうつむいていると、そっと茜の指先が、俺の頬に触れた。


「一瞬だけ、声が聞こえた気がしたの」

「声?」

「龍音ちゃんが、泣く声。詩音の名前、呼ぶ声」


 その声は、俺も聞いた。

 祭りの喧騒の中で、一瞬だけ。


「詩音、私が生きてるのって、龍音ちゃんのお陰なんだよね……」

「たぶんな」




 詩音――




 不意に、誰かが呼ぶ声を聞いた気がした。

 俺は声がした方に、顔を向ける。

 この広場の空間にある、仄かに光る不思議な樹の球体。

 そこに居る。


「龍音だ……」

「詩音、どうした?」

「龍音が呼んでる」

「何……?」

「あそこの、樹の球体。あの中に龍音がいる」

「何でわかるんだ?」

「わからない。でも、何となく」


 行かなきゃ。

 そう思ったけど、体が動かない。

 行っていいのだろうか俺は。

 どんな顔で、あいつと会えばよい?

 あいつをただの殺人鬼だと決め付けた分際で。


「詩音。行って上げて? 龍音ちゃん、きっと待ってる。詩音が迎えに来るのを。お父さんが、抱きしめてくれるのを」

「茜……」

「お父さんが死んだ時、辛かった。大切な人が居なくなったのに、自分には何も出来ないんだって思った。ずっと心に抱えてたし、たぶん今も抱えてる。だから、詩音にはそんな想いはして欲しくない」


 茜は涙を浮かべた。


「大切な人が、何もしないうちに居なくなるのは……嫌だよ」


 龍音の顔が浮かぶ。

 少しずつ色んな表情を見せるようになって、無表情なのに、沢山の言葉を顔で語っていた。

 繋いだ手は小さくて、抱きしめると温かかった。

 その小さな手を、守ってやりたいと思ったのだ。


「シンジ兄ちゃん、茜のこと、任せてもいいかな」

「お前はどこ行くんだよ」

「龍音を迎えにいく」


 まるで訳が分からないという様子のシンジ兄ちゃんは、ふっとため息を吐いた。


「お前、すっかり親父だな。なぁ、お前おばさんの家で言ったこと覚えてるか?」

「芳村のおばさん家で……?」

「『世の中の全部の親が完璧なのかよ』って言ってたんだ。正直、お前がここまで来て何に葛藤してんのか、龍音が何であんな場所に居るのか、俺は全然わからねぇ。でも、こんな異常な状況の中、娘迎えに来るだけでも普通の親超えてるよ、お前は」

「シンジ兄ちゃん……」

「だから死ぬなよ。二人で戻って来い」

「うん」

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