10-6

 茜をシンジ兄ちゃんに任せて、俺は球体に近付く。

 多分これは、この樹のコアだ。


 そんな場所に、何故道が通じていたのか、少し考えた。

 まるで誰かがこうして入れるように作られた道みたいだと、そう思っていた。

 それは恐らく、正しいのだと思う。


 これを、もし龍音が作り出したのだとしたら……。

 この道は、あいつが持つ、外との繋がりなのかもしれない。

 龍音は、助けを求めてる。

 誰かに来てほしいって心で願ってる。だから道を作った。

 この樹は、龍音の心そのものなんだ。


 龍音はまだ、人とつながりたいって思っている。

 まだ間に合う。


 何本もの枝が絡まるようにして、球体の形を生み出した物体。

 近くに行くと、今度ははっきりと聞こえた。

 子供の……龍音の泣く声が。


 俺は球体の方へと歩いていく。

 その時、何かがヒュッと、横から風を切るのが分かった。

 思わずその場に倒れこむ。


 頭の上を、鞭の様なものがかすめた。

 鞭じゃない。

 樹だ。

 樹が俺に攻撃してきたのだ。


 まるで球体を守ろうとするように、樹が周囲から伸びてきている。

 コアを守ろうとしていた。防衛本能なのだろう。

 近付くと間違いなく無事では済まない。

 あの男みたいに、俺も無残な死に方をするかもしれない。


 体が震えるのを、俺は深呼吸して止めた。

 ここで逃げたら、あいつを拒んだら、最後まであいつの味方でいてやれるのは、この世界にはいなくなる。


 龍音は、家族だ。

 もう間違えない。


 龍音が一人ぼっちだった姿を知っている。

 無表情なのに、どこか寂しさを見せていた姿を知っている。

 だから、迎えに行く。


 走り出した。

 様子を見ていた木々が全方位から一斉に襲いかかってくるのが分かる。

 正面から来た樹を、身をひねってかろうじてかわした。

 すると横から来た樹に対処出来ず、肩がかすった。

 浅かったが、体がえぐられるのがわかった。


「あぐっ!」


 よろけた所を、足元に来た枝が俺の腿を貫いた。

 激痛が走り、俺は叫んだ。


「詩音!」


 叫んだシンジ兄ちゃんに「来んな!」と制した。


 痛みを超えて、俺の伸ばした手が球体に届く。

 周囲を囲む樹を、全身を使って引きちぎった。

 かなり本数がある。でも進むのは無理じゃない。

 折れた枝が俺の指に刺さっても、構わず続けた。


 樹をちぎる俺の手のひらを、さらに枝が貫いた。

 三本、四本、五本。

 樹が俺を突き抜けていく。

 徐々に力負けして、体が動かなくなった。


「いやぁあ! 詩音!」


 茜の声が、どこか遠い。


 でも近くから、声が聞こえる。

 龍音の声だった。


 龍音……!


 最後の樹を取り除くのと、正面から太い樹が俺の心臓を正確に貫くのは、ほぼ同時だった。

 体が痙攣し、口から血を吐いた。

 意識が飛びそうになる。視界が真っ白になる。


 寒い。

 体が、酷く冷える。

 口から、鼻から、血が流れる。

 視界が暗くなる。


 ◯


 真っ暗だった。

 その中に、一人だけ、光を纏った少女の姿が浮かんでいた。


 大粒の涙を流して、わんわん泣いている。

 その声だけが、聞こえていた。

 大切な、守らなくちゃダメな女の子。


 動けない。

 それでも、俺は暗闇の中、手を伸ばした。

 必死に伸ばしたその指先は、確かに触れた。


 暖かい。

 少女の涙が、俺の指に掛かる。

 伸ばした手は、龍音の頬に触れていた。


 ハッと、意識が戻った。

 夢じゃない。

 大粒の涙を流して、わんわん泣く、龍の鱗に身を包まれた少女がいる。

 仄かな光に包まれる龍の鱗が、光源となり、彼女を包む。

 たった一人、寂しそうに立ち尽くして。

 いっつも無表情だった顔を、真っ赤に泣きはらして。


 俺は無理やり手を動かした。

 全身から血が吹き出る。

 胸を貫かれていた。

 傷口が広がり肉がえぐれる。

 それでも、俺は無理やり前に進んだ。


 俺は龍音の頬をそっと手のひらで包むと、強く抱き寄せた。


「大丈夫だ、ここにいる」


 龍音の鳴き声が、まるで子守唄のように響く。

 抱きしめた龍音は、温かかった。


「詩音……詩音……」

「迎えに来たぞ。帰ろう、龍音」


 抱きしめた龍音が、静かに頷く。

 死ぬほど痛いはずなのに、不思議と、痛みが和らいだ気がした。


 何かが軋む音がしたかと思うと、俺の心臓を貫いていた樹が、灰の様に溶けて消えた。

 俺たちを囲んでいた木々が、同じようにして次々と朽ちてゆく。

 まるで氷が溶けるように、樹が崩れ始め、大きな光に包まれた。

 光が、俺たちを包んでいた。

 それは、祝福のようにも思えた。


 龍音は泣きやむと、涙目の大きな瞳で、俺の顔を見つめる。


「怖かったな」

「詩音……」

「ずっとそばにいる。いつも一緒だ。みんな待ってる。だから、帰ろう」

「うん」


 感覚が全くない。

 寒さももう感じない。

 たぶん俺は、もうすぐ死ぬのだろう。


 でも、もう大丈夫だ。

 きっと大丈夫。


 俺はそっと目を瞑った。

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