5-2
「いやいや、ダメだろ」
次の日。
俺は職員室で、生徒指導兼担任の基樹先生に止められていた。
「ダメっすかね」
「ダメだろ。学校は託児所じゃないんだぞ」
「そこを何とか。前は行けたじゃないっすか」
「前のは特例だって言っただろ。二度は認められん」
基樹先生はハァッとため息をついた。
「良いか、駿河。学校は小さい子にとって、意外と危ないんだよ。お前ら多感な生徒もいるし、お前らみたいなガタイの生徒が走り回ったりしてるんだ。ぶつかりでもしたら一大事だろ。だからいくらご家庭の事情とは言え、特例は認められん。お子さんに何かあったら、学校側は一切責任がとれんからな」
「でも、他に行き場がないんすよ、こいつ」
「事情は親御さんから聞いてる。お前の子らしいな」
「違います」
事情が通っても事実が通っていない。
「とにかく、その子のためにも、お前のためにも、学校に連れてはいるのはダメだ。面倒見てくれる人がいないなら、しかるべき施設に連れて行くかしなさい」
まぁ、分かってはいたけど、基樹先生が言うことはもっともだ。俺も正直ダメ元で頼んだので、納得せざるを得ない。
仕方ない、学校を休んで面倒を見る他ないか。
そう思っていると、龍音が基樹先生の服をちょんとつまんだ。
いつもより一層潤んだ目で、寂しそうに先生を見つめる。
「は、放しなさい」
見つめる。
「放すんだ」
見つめる。
「は、はな、はな……」
見つめる。
最初は白々しく視線を逸らせていた先生だったが、やがて徐々に震え始めたかと思うと、全身を痙攣させ出した。
「先生、大丈夫っすか?」
「あ、あぁ……」
「龍音、放してあげてくれない?」
「詩音といっしょに学校でおべんきょする」
「あが……おごごごご」
「先生? 泡吹いてますけど」
基樹先生はしばらく痙攣したかと思うと、動きを完全に停止した。
「し、死んでる……」
「勝手に殺すな」
生きていた。
しかしながら、基樹先生が龍音の可愛さに情を抱き始めている事は一目瞭然だ。
これはいける。
「先生、こんな可愛くて愛らしい少女に、あなたは託児所で一人、誰かが迎えに来るのを延々と待てというんですか?」
「うぐっ」
「ほら、龍音。俺といっしょに、先生にお願いしよう」
「詩音といっしょにいたい」
「ほら」
「あ……ごごご……ごごぐぐぐうう」
やがて基樹先生は泡を吹いて動かなくなった。
「死んでる」
「殺すな」
生きていた。
◯
「キャー! 超可愛い!」
龍音を教室に連れて行くと、黄色い歓声が一気に沸き起こった。
男女問わず、次々と人が群がってくる。
「やーん、ほっぺぷにぷにー」
「肌キレー! お目めもおっきい!」
「おい! 女子! 俺らにも撫でさせろよ!」
「バーカ、男子の汚い手なんか触れたくないよねぇ?」
秒速で龍音はぐちゃぐちゃになっていた。
「おい、ボロ雑巾みたいになるからやめてくれ」
「この子、たしか駿河君の子だよね? どうしたの今日は?」
「俺の子じゃないから! この前見ただろ! 親戚の子だよ。面倒見る人がいないから、連れてきた。特例で」
「特例とかあんの?」
それにしても物凄い人気だ。人がどんどん集まってくる。
苦笑しながら状況を眺めていると、不意にぐいと襟をつかまれた。
茜だ。
訝しそうな顔で、こちらを睨んでくる。
「ちょっとあんた、どう言うつもりよ」
「どういうって……何が」
「何で龍音ちゃんがここに居るのかって聞いてんの」
「何でって、お袋が今日は面倒見れないから連れてきたんだよ」
「基樹先生は? 怒られるよ」
「篭絡した」
「えっ?」
「篭絡した」
龍音をダシに使うのは我ながら気が引けたが、これも他ならぬ龍音自身のためである。
とにかくこれで、最初の難関は乗り越えた。
「そんな訳で、今日は駿河のご家庭の事情で、一日だけこの子預かることになった。みんな、駿河を手伝ってやってくれ」
「龍音ちゃんって言うんだ! 名前可愛いー!」
「俺がつけたんだぜ」
「えー……」
「何でちょっと嫌そうなんだよ!」
まったく……とは思いつつも。
上手く皆も受け入れられたみたいで内心安堵した。
俺のクラスは、ほとんどが小学校時代からの顔なじみだ。
だからこう言うイレギュラーなことが起こっても割とすんなり受け入れてくれる。
そのノリの良さと、順応性が、今日に関してはありがたい。
龍音の人気は留まる事を知らなかった。
手を振れば振り返すし、目は顔以上に表情を物語る。
何かしてあげると、興味深げに目をキラキラさせる龍音の変化に気付き、いつの間にか皆が夢中になっていた。
休み時間、女子達にほっぺをグニグニされ、ひしゃげたマシュマロみたくなっている龍音を眺めていると、哲が俺の前の席に座った。
「よぉ」
「何だよ改めて」
「何なんだ? あの子」
「俺の親戚の子だよ」
「嘘だろ? お前の親戚とは何度も会ってるけど、全然系統が違うじゃん。目の色とかも」
よく見てやがる。
我が親友ながら、着眼点が鋭い。
「嘘じゃないわよ、詩音のおじいさんが引き取った子なんだって」
いつの間にかそばに居た茜が話に入ってきた。
茜の言葉に、哲は怪訝な顔をする。
「詩音のじいちゃんが? どういう流れだよ」
「それは……」
茜が言葉に詰まる。
「人の家庭の事情をペラペラと話すな。こっちにも色々あるんだよ」
付き合いが長いと、こう言うデリケートな部分も平気で踏み込んでくる。
俺にとって楽な関係だが、聞かれたくない部分を尋ねられることも少なくない。
それでも友達で居られるのは、それだけ長く深い関係と言うことでもあるのだが。
「でも何でお前が、高校に連れてきてんだ」
「連れてく場所がなかったんだよ。父方のおばさんの家は色々関係が複雑だし、後は基本的に遠縁だからな。急に頼んだり出来ない」
「ふーん……」
納得したのかしてないのか、哲は曖昧に頷く。
「なんか隠してるだろ」
俺と茜はギクリと肩を震わせた。
しかし哲は気づいていないのか「うそうそ」と笑った。
「ちょっとお前らがコソコソしてるのが気になってさ。ヤキモチ焼いちゃった」
「厄介な恋人かお前は」
「でも気をつけろよ詩音。あのくらいの歳の子って、すぐ居なくなるからな」
「んなすぐにいなくなるかよ。あれだけ人に囲まれてるのに」
「ごめーん、駿河君。龍音ちゃん、居なくなった」
「……」
「なっ?」
最悪だ。
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