5-3
龍音がトイレに行きたがったでクラスの女子が連れて行ったらしい。
龍音を待っている間、すこし化粧直しをして気づいたら、既に龍音は居なかった。
入っていた個室ももぬけの殻だったそうだ。
「ごめん、ごめんってばぁ」
クラスのギャルが半泣きで俺に謝る。
色々言いたかったが、責めても仕方ない。
「もういいから。それで、どこのトイレ連れてったんだよ」
普通に考えて、ここから近いトイレだったら龍音が迷うとは考え難い。
教室のすぐ横だからな。
「三階の、西校舎のぉ」
「めっちゃ遠いじゃねぇか。なんでんなとこに……」
「だってぇ、近くのとこ化粧組が占領してたからぁ、龍音ちゃんびっくりするとおもってぇ」
「あー、なるほど。分かった」
西校舎は特殊教室が集まっている校舎だ。
生徒会室や、生徒指導室、それに図書室。
小さい子供の好奇心を刺激するには十分すぎる場所だな。
「詩音、龍音ちゃん探すんでしょ。手伝うよ」
茜の言葉に俺は「助かる」と返す。
変な場所に迷っていなければいいけど。
◯
俺は
今年で四十歳だ。
教員歴は十五年以上。
自分で言うのもなんだが、生徒からは好かれているほうだと思う。
教師をしていて、今まで多くの修羅場を乗り切ってきた。
ヤンキー高校に配属になり、三年間生徒を欠けることなく卒業に導いたりもした。
俺にとって、教師は天職そのもの。
どんな荒事があったとしても、どんな事件が発生したとしても。
必ず俺は乗り切ってみせる。
俺を慕ってくれる、生徒達のために。
いつも昼休みは、生徒指導室で静かにコーヒーを飲む。
学校の喧騒は、俺にとって癒しのBGMに他ならない。
生徒達の元気な声が、俺の心を癒してくれる。
彼らの声に耳を澄ませながら午後の仕事に意識を向けるのが俺のルーティンだ。
「そう言えばバレー部の備品購入の申請があったな……」
俺は机の上の申請書類に目を通す。
破損したネットの修繕費と、新しいボールをいくつか。
内容に問題はない。
記入された文字は、高校生らしからぬ綺麗な字だ。
書いたのは斉藤か。
斉藤茜。うちのクラスの生徒だ。
男女共に、バレー部は俺の受け持ちだ。
大学時代は色々なスポーツに精通していたこともあり、この高校に赴任してた時、当時の部長に熱心に顧問を依頼されたのだ。
我が高のバレー部はまだ創設して数年程度しか経っていない。
しかし、今年のメンバーはその中でも随一だ。
全国を狙えるレベルだと確信している。
特に女子が強い。
メンバーの斉藤茜は、運動神経と人間性にも優れており、責任感も強い生徒だ。
男子からの人気も高いらしいが、同性からも慕われている。
珍しいタイプだと思う。
しかし、斉藤茜には一つ問題があった。
それは、同じクラスの駿河詩音と仲が良いということだ。
クラス公認のカップルと聞く。
家族間で将来を約束しているらしい。
この駿河が、俺の頭を悩ませる問題児なのだ。
今まではそうじゃなかった。
駿河は素行が良く、教師の言うこともよく聞く生徒だと思っていた。
その認識が歪んだのは、ここ数日のことだ。
何と奴には隠し子がいたのだ。
正確には、本当の子供か分からない。本人は否定している。
しかし、駿河の親御さんがそう言っているのだから間違いないだろう。
事実、今日も件の子供を連れてきたと思ったら、教室で一緒に過ごさせてくれと来たものだ。
先日は特例で認めてやったが、今日は許さない。
俺もまだまだ青いな。
そうだ、俺はただ子供が好きなだけ。
生徒たちを愛している。
決して駿河の子供が可愛かったから許したわけではない。
俺はロリコンなどではない。これはもう、絶対だ。
書類を眺めながら思考していると、チョイチョイと服が引っ張られる。
どこかに引っかかっているのだろうか。
俺は確かめもせず、体を軽く動かす。これで外れただろう。
しかし奇妙な事に、再び俺の服はチョチョイと引っ張られた。
一体どこに引っかかっているというのだ。
チラリと目を向けると、俺の服は引っかかってなど居なかった。
小さな女の子が、俺の服を引っ張っていたのだ。
「おわぁ!?」
俺は思わず椅子から転げ落ちる。
ドスン、バタンと大きな音が響き、机の上の書類群が俺の頭に降り注いだ。
「何故こんな場所に女の子が……」
そこですぐに思い出す。
件の駿河の子供じゃないか。
「道、まよった」
女の子は平然とした表情で俺を眺めてくる。
ぷにぷにのほっぺに、大きなお目め。
愛らしい顔は、俺を真っ直ぐに見つめていた。
そんなつぶらな瞳で俺を見るな!
「どこから入ってきたんだ?」
俺が尋ねると、少女は入り口を指差す。
そうだよね、入り口そこしかないもんね。
「道、わかんない」
「迷子か……」
俺はチラリと時計を
まだ時間はあるが、俺はそろそろ次の授業の準備をしなければならない。
それなら、放送で駿河を呼べばよいだけのことだ。
何てことはない。これくらい、何も焦るようなことではないじゃないか。
「あの、先生? 何やってるんですか?」
不意に入り口から声がしたので、視線を向ける。
斉藤茜がそこに立っていた。
「おお、斉藤。ちょうどいいとこに来たな。いや、駿河の娘が迷い込んでしまってな。今ちょうど、呼び出してやろうと思ってたんだよ」
「それは分かるんですけど、そうじゃなくて」
斉藤が俺を指差す。
一体なんだと言うのだ?
俺が視線を戻した時、事態に気付いた。
俺の手が、いつの間にか少女の頬を包み込み、彼女をひょっとこの様な顔にしていたのだ。
ドクン、と心臓が高鳴る。
何をやっているのだ、俺は。
手を離そうとする。
しかし、まるで吸い付かれたかのように、俺の手は少女の頬から離れない。
「どうなっているんだ……? 呪いか?」
「先生の意思だと思いますけど……」
「そんなバカな事があるか。俺は教師だ。ロリコンじゃない」
「説得力がゼロです、先生」
最も信頼していた生徒からの信頼度がゴリゴリ減っていくのが分かる。
このままではいけない。俺は必死で手を離そうと試みた。
しかし、手は決して少女の頬から離れようとしない。
無意識のうちに求めているというのか?
このマシュマロのような感触を。
「龍音ちゃん、大丈夫?」
「あきゃね」
俺に頬を包まれたまま、フゴフゴとひょっとこ少女は声を出す。
「先生、あの、離してあげてもらって良いですか?」
「すまない、斉藤。俺はもうダメみたいだ。俺を殺して、この子を連れて逃げろ」
「分かりました」
斉藤が拳を振りかぶった直後、俺の意識は途絶えた。
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