9-6

 言えなかった。

 もうちょっとだったのに。

 私は思わず頭を抱えると、天を仰いでふぅと息を吐いた。空には満月が浮かんでいて、とても綺麗だ。


 お祭り、思い出の場所、人気ひとけも無い。


「最高のシチュエーションだと思ったのにぃ……!」


 悔しくて思わず地団駄踏んでしまう。そして足が痛くて、思わず悶える。

 痛みで頭が冷静になり、私はそっと視線を落とした。


「言ってたらどうなってたかな」


 詩音のあの表情、多分何となく察してた。

 龍音ちゃんが居ないのは事実だけど、ていよくかわされてしまった気もする。


 かわすということは避けたということで、それはすなわち迷惑だったということで……。


 詩音は私のことを、何とも思っていないのかもしれない。

 告白のテンションが冷めて来るにつれ、考えれば考えるほど悪い印象が脳裏に浮かぶ。

 ネガティブな思考が頭を占める。


「次、どんな顔して会えばいいんだろ」


 なんだか辛い。

 どんよりと重いため息を吐いていると、不意に誰かが私のすぐ横に座った。

 見ると、龍音ちゃんがそこにいた。


「龍音ちゃん、どこに行ってたの?」


 私は驚いて声を出す。


「おトイレ。でも無かった」

「ああ……なるほど。ここらへんトイレないもんね。詩音が探しに行ったけど、会わなかったんだ?」


 龍音ちゃんは静かに頷く。まぁ、仕方ないか。


「おいで、ちょっと歩いたところに公衆便所あったから、連れてってあげる」

「うん」


 夜道を龍音ちゃんと歩く。

 一歩踏み出すごとに足が痛んだけれど、トイレぐらいまでは行けるだろう。

 カランコロンと下駄の音が夜闇に溶ける。


「茜、げんきない?」


 龍音ちゃんが、私の顔を覗き込んで首を傾げた。

 そのまっすぐな言葉に、一瞬心臓がドキッとする。

 この子には、何でもお見通しだ。敵わないな……と感じる。


「ちょっとね、落ち込んじゃって」

「なんで?」

「うん。……私ね、さっき詩音に告白しようとしたの」

「こくはく?」

「好きですって言おうと思ったの。でも、言う前に逃げられちゃった。それで、私、詩音に嫌われてるんじゃないかって思っちゃったんだ。って、これじゃあただの愚痴だね」


 私が苦笑すると、龍音ちゃんは繋いだ手をキュッと握り返してくれた。


「詩音は、茜のことすきだよ」


 彼女は、私の目をまっすぐに見る。


「茜のこと、だいすきだよ」


 その言葉は、多分何よりも純粋で、嘘偽りもなくて。

 ただただ純粋に、私の気持ちを安堵させてくれた。


「ありがとう」


 龍音ちゃんには、不思議な魅力がある。

 何もかもを見透かしているかのような、心を包まれるような魅力が。


 龍と言う種族だからじゃない。

 龍音ちゃんという一人の女の子が持つ魅力なのだと、私は思う。


「詩音に会ったら、もう一回、ちゃんと伝えてみようかな」

「うん。詩音よろこぶ」

「だと良いね」


 歩いていると、ふと道路にあるカーブミラーが目に入った。

 私たちの後ろを、男の人が歩いている。

 夏なのに長袖で、全身が黒い服。

 頭にキャップを深く被っていて、妙だな、と何となく感じた。


 道を曲がると、その人も曲がってくる。


 不意に、数日前テレビでやっていた通り魔事件が頭をよぎった。

 確か犯人の特徴は、全身が黒い服をした若い男性だったはずだ。

 一致している。

 偶然だと良いのだけれど、なんだか気味が悪い。


「龍音ちゃん、ちょっと道変えても良いかな?」

「……? うん」


 少しだけ早歩きで、痛いのを我慢して歩いた。


 道を曲がって、曲がって、また曲がる。

 ちょうど一周して元の道に戻ってくる形だ。

 私の勘違いなら、もう後ろには誰もいないはず。


 振り返ってみてみると、誰もいなかったのでホッとした。


 当然、前にも人の姿はない。

 やっぱり、私の自意識過剰だったみたいだ。

 そっと胸を撫で下ろす。


 すると歩くのが早かったのか、龍音ちゃんがつまずいてこけてしまった。


「いたい……」

「大丈夫? 立てる? 怪我してない?」


 よろよろと立ち上がる龍音ちゃんに向き合う形で膝小僧を見てみる。

 どうやら大丈夫みたいだ。


 不意に、私の前に誰か立つのが分かった。

 嫌な気配がして、恐る恐る顔を上げる。


 先ほどの男性が、すぐ目の前に立っていた。


 口を端から端まで、大きく笑みを浮かべ。

 焦点の合わない茫漠とした瞳で私たちを捉えている。

 右手に、何か持っているのが分かった。

 暗くて見えづらかったけれど、外灯に反射するそれは、明らかに刃物だ。

 サバイバルナイフの類だと気がつく。


「な、何ですか? 何か用ですか……?」


 私は、龍音ちゃんを守るように抱きかかえて尋ねた。

 私を見下ろす男と、龍音ちゃんが視界に入る。

 状況が飲み込めていないであろう彼女は、呆然とした顔をしていた。


 逃げなきゃ。

 そう思うけれど、恐怖で身体が動かない。


「茜、大丈夫?」


 龍音ちゃんも異常に気付いたのか、不安そうに私の顔を見た。

 男が一歩、私たちに近づく。


「よ、寄らないでください」


 ようやく振り絞った声は、震えていた。

 そんな私を見て、男はニタニタ笑う。


「君……良い顔してるね」


 ヘヘヘ、と笑いかけられる。


「僕、こ、こう言うの好きなんだ」


 不気味な笑い声が私の脳裏を満たしていく。


「お、女の子が、絶望する顔。お、怯えたり、恐怖に歪む顔。み、見てるだけで、さ、最高に、こ、興奮する。へへ、えへへへ」


「り、龍音ちゃん、逃げて……」


 私が言うも、龍音ちゃんは身動き一つしない。

 そこで私は、異常に気付いた。


 龍音ちゃんの目が光っている。

 今までないくらい、はっきりと。

 そしてその目は、人間の物ではなかった。


「龍音ちゃん……?」


 私が声を出すのと。

 龍音ちゃんが男に向けて手を伸ばすのは、ほぼ同時だった。

 そして、彼女がそっとこぶしを握り締めた時。


 地面から、巨大な樹が生え、私たちを飲み込んだ。

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