8-3

「おみそ汁おかわり」

「はいはい。龍音ちゃんはジャガイモと玉ねぎのお味噌汁好きねぇ」

「おいしい」


 いつものやりとりにを横目に、俺は味噌汁をすする。

 親父が新聞をパサリとめくる音がして。

 上では寝坊した大樹がバタバタと音を立てていた。


「はい、龍音ちゃん、お味噌汁」

「ありがとう」

「龍音、お前箸づかい上手くなったな」

「みんなが教えてくれた」

「そっか」

「龍音ちゃん、最近言葉使いもハッキリしてきたわよ。子供の成長は本当、早いんだから」


 そう言うお袋は何だか嬉しそうで、母と言うよりは祖母の顔をしていた。

 まだ俺は彼女も出来ていないというのに。


「詩音、あんたまだ調子悪そうね」

「何だ、体壊してるのか」


 親父の言葉にお袋は頷く。


「寝不足なんですって。夜眠れないみたいで」

「ストレスじゃないか?」

「別に大丈夫だよ」


 俺は横で味噌汁を口に運ぶ龍音の姿を一瞥した。

 その姿は、夢の中の女と重なった。


 大量に人が死ぬ夢。

 あれは本当に、ただの夢なんだろうか。


 ……龍。


 龍音はこれまで何度も俺たちを助けてくれた。

 トラックをぶち壊したり、火事を一吹きで消し去ったり、めちゃくちゃな高さから飛び降りたり。

 それらを、龍音はたった五歳でやってのけた。


 じゃあもし大人の龍が、その力を殺戮のために使ったとしたらどうなる?

 夢の中の光景がフラッシュバックした。


 大量の人間が、命を落とす光景。

 あの光景を実現することは、難しくない気がする。


 俺が不穏なことを考えていると、「詩音、龍音ちゃんの幼稚園の様子はどうだ」と親父が言い、ハッと我に返った。


「あ? あぁ……。上手くやってるみたいだよ。ほら、こいつ社交性高いから」

「死んだおじいちゃんに似たのかもしれないなぁ。おじいちゃんもお前も、人に好かれるから。特に子供にはな」

「……知ってるよ」

「ところで詩音。あんた今日、茜ちゃんと一緒に龍音ちゃんの送り迎え行くとか言ってなかった?」

「あー、何か部活あるから行けないって」

「あら、残念ねぇ」


 その時、テレビに見慣れた風景が映った。

 朝のニュースだ。

 通り魔に関する報道をしている。

 女性が一人刺されたのだと言う。

 ニュースが映していたのは、俺の高校の近くだった。


「あらやだ、これ近所じゃない? 怖いわねぇ」


 お袋が不穏な表情を浮かべ、親父も新聞から顔を上げた。


「徒歩圏内じゃないか。ほら、今映ったあのコンビニ、詩音の高校の近くだろう」

「以前事故のあったところよね。物騒ねぇ」


 テレビで映し出されたコンビニは、確かに見覚えがあった。

 龍音がトラックを止めた、あの場所か。


「詩音。龍音ちゃん一人にしちゃダメよ」

「判ってるって」

「おい、それより、そろそろ出ないと、大樹遅刻するぞ」

「あらやだ、大変」


 バタバタとお袋が二階に上っていき、いつもの慌しい日々が始まろうとしていた。


 ◯


「じゃあお袋、出るから」

「はいよ。二人とも、行ってらっしゃい」

「いってきます」


 お袋に見送られ、俺と龍音は家を出る。

 手を繋ぎ、すっかり通い慣れた幼稚園への道を歩く。


 真夏の日差しと、まとわり着く慢性的な眠気と、遠くから聞こえるセミの声。

 頭がガンガンして、気を抜くとおかしくなりそうだ。


 すると、見覚えのある母娘が、俺たちの前を歩いているのが見えた。

 龍音も気付いたらしく「日向ちゃんだ」と声を出す。


「龍音、走ると危ないぞ」


 声をかけるも聞こえていないのか、龍音は目をキラキラさせて近付いていく。

 やれやれと俺はそっとため息をつき、その背中を追った。


「ほら、龍音、挨拶だろ。おはようございますって」

「おはようござます」

「はい、おはようございます。ほら、日向。ご挨拶なさい」

「おはよう、龍音ちゃん」


 お互いに頭を下げあう園児を見て、日向ちゃんのお母さんは静かに笑った。

 この人とも、もうすっかり顔見知りだ。

 若奥様という感じで、大人な雰囲気をまとっている。

 どこか和美姉を思い起こさせる人だ。


 最初は何を話したらいいか分からなかったが、柔和な人だからすぐに馴染めた。

 和美姉やシンジ兄ちゃんと年齢が近いおかげか、話しやすくて助かる。


「龍音ちゃんはいつも元気一杯ね」

「元気すぎて困ってますよ。どんどん走り回って手に負えなくなっちゃって」

「子供は元気なくらいがちょうど良いものよ」


 そこでヒナタちゃんのお母さんは思い出したように口を開いた。


「そう言えば、今朝のニュースは見た? 通り魔がこのあたりに出たらしくて」

「はい。物騒っすよね」

「龍音ちゃん、気をつけてあげてね。もちろん、詩音君も」

「お互い気をつけましょう。こう言うのって声の掛け合いが結構重要ですし」

「詩音君、ときどき高校生とは思えないくらい大人びた事言うよね。同級生とか、モテるんじゃない?」

「え? そんなことないですけど」


 何言い出すんだ、急にこの人は。

 すると、不意に少しだけ体がふらつく。

 連日の寝不足が祟って眩暈がしたのだ。


「大丈夫? 体調悪そうだけど」

「大丈夫です」


 やがて幼稚園が見えてきた。

 入り口のすぐ横に、不機嫌そうな見覚えのある女子高生が立っている。


「茜、何やってんだ、こんなとこで」


 俺が声をかけるも、茜はブスッとした表情を変えない。


「あんたを待ってたのよ」

「へ? 何で? 朝練が入ったって言ってなかったっけ」

「抜けてきたの……」


 そういいながら、茜はチラチラと日向ちゃんのお母さんを見る。

 怪訝に思っていると、日向ちゃんのお母さんがくすくすと笑った。


「ふふ、やっぱりモテるんじゃない」

「そう言うんじゃないっすから」


 このセリフはもう、生まれてこの方一万回は口にしている気がする。


「龍音ちゃんと日向はこっちで先生に預けとくから、一緒に行ってらっしゃい」

「良いんすか?」

「ええ」

「じゃあ、お言葉に甘えて。龍音、授業終わったら迎えに来るから」

「うん」

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