第8話 言葉と警告

8-1

 夏になった。


 歩くだけで額から汗がにじみ出る。

 息をするのも億劫に感じるほどの熱気は、ジリジリと俺たちを炙っていく。


 新緑はその色彩を増し、強い太陽の日差しを木漏れ日に変えてくれる。

 どこか遠くから聞こえる蝉の声が、新しい季節の到来を俺たちに証明した。


 時間が経つのが、早く感じる。

 すっかり幼稚園の友達と打ち解けた龍音は、毎日楽しそうだ。

 あれから目立った事件も特にない。


 平穏無事な毎日を過ごせる大切さを、俺は改めて実感していた。


 もうすぐ夏休みか。

 来年は俺も受験だな。


 龍音の世話も良いが、自分のことも考えねばならない。

 働くのか、進学か、迷うところではある。


「詩音聞いた? 龍音ちゃん、もう夏休みなんだって」


 洗濯物を取り込み終えたお袋が、俺を見て言った。


「幼稚園はちょっと長いのねぇ。大樹ももうすぐだし、今年は素麺そーめんが大活躍しそうだわ。龍音ちゃんは、まだ素麺たべたことない?」

「そうめん?」

「そう、ちゅるちゅるってして美味しいんだから。ねぇ詩音?」

「そうだな……」


 テレビアニメに目を輝かせる龍音を眺めつつ、俺はフラつく頭を抑えた。

 そんな俺を見て、お袋が心配そうにする。


「どうしたの? 体調悪そうね」

「最近なんか寝不足なんだよ。変な夢見て目が覚めちまうっつーか」

「夢? どんなの?」

「あんま覚えてないんだ、それが」


 嘘だった。

 本当は覚えてた。

 ただ、それを言えば精神状態が疑われる気がして、言えなかった。


 俺は寝れないでいた。

 寝るのが怖かった。


「明日の送り迎え、一人で大丈夫?」

「ああ、茜が付き合ってくれるって」

「まぁ、それなら安心ねぇ。あんた達、まだ付き合ってないの?」

「そう言うんじゃねーってもう千回は言ってるよ」

「高校二年の夏なんだし、さっさと決めちゃいなさいな。茜ちゃん、性格良くて器量も良くて可愛いんだから、ボヤボヤしてたら他の子に取られちゃうわよ。流行ってるんでしょ? そう言うの。略奪愛だっけ? NTRってやつ?」

「どこで知ったんだよ、そのワード……」


 親が言って良いセリフではない。


 茜が寝取られる、か。

 ってなんだよ。

 疲れていたためか、頭がフラフラして思考が回らない。

 余計なことを考えたくなかった。


「詩音……」


 いつの間にかアニメの世界から現実に帰っていた龍音が、心配そうに俺の顔を見上げていた。


「しんどい?」

「大丈夫だよ、心配すんな」


 俺は龍音の頭を撫でると笑みを浮かべた。

 大丈夫、か。

 大丈夫なんだろうか。

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