5-5

「詩音。さっきの話、聞いた?」

「俺には内緒だとかなんとかってやつ?」

「良い? この事を他言したら許さないわよ。死人が出る、そう思いなさい」

「死ぬって、誰が……」

「私よ」

「お前かよ」


 意味不明だ。


「私と龍音ちゃんが図書館に居た。その一切の記憶を、海馬から消しなさい。さもないと、龍音ちゃんの母親は私ということにして、あんたの学生生活は台無しになる」

「自分の人生も割とやばいぞ」


 何言ってんのかわかってんのかこいつは。

 三人で教室に戻るとワッと歓声が上がった。

 みんな心配してくれていたらしい。

 安堵の声が聞こえてきた。


「やっぱり父親だよね、子供の行く場所がわかるんだ」

「ありがとー! 駿河君! 龍音ちゃんよかったぁ!」

「見つけたのは斉藤らしいぞ」

「え、じゃあやっぱり茜がお母さん?」

「お母さんすごいねー!」

「おか、お母さんじゃない!」


 一瞬にして喧騒が広がる。

 最早いちいち訂正するのも疲れて、俺は黙って席に座った。


「詩音」


 龍音が声をかけてくる。


「どした?」

「がっこう、おもしろい」

「そりゃ良かったよ」


 チャイムが鳴った。


 ◯


 午後の授業は家庭科だ。

 それも、よりにもよって調理実習。

 幼い龍音がいる時にはやりたくない科目の一つだ。


 家庭科室で、簡単な調理工程を先生から説明される。

 最悪なことに油を使うらしい。

 

「龍音、いいか? 危ないから、ここでおとなしく見学しとけよ」


 俺たちの班の一番近く、油が飛んだりしない位置に龍音を座らせる。

 俺が言うと、龍音はコクリと頷いた。

 やんちゃだが聞き分けが良いのが救いだ。


「なんかくさい」

「あー……ちょっとガス臭いか?」


 クンクンと鼻から息を吸うと、ガス特有の臭いがする。

 気のせいだろうか。


「まぁいっか。とりあえず、ここで待っとけよ」

「わかった」


 包丁を使い、ジャガイモの皮を取っていく。

 だが龍音のことが気になってあまり集中出来ない。


「駿河君、包丁使うのうまいね」


 クラスメイトの三科さんが俺の手元を見て感心したように言った。

 この人は茜と同じバレー部で、茜の親友だ。


「そう?」

「詩音は家の手伝いしてるからな」


 何故か哲が得意気な顔をした。


「茜も負けてられないね。奥さんになるなら」

「ま、何馬鹿なこと言ってんの! ……痛!」


 茜が顔を真っ赤にすると同時に、ザクッと嫌な角度で包丁が指を切った。


「痛ぅ……」

「茜、大丈夫?」

「大丈夫、ちょっと切っただけ」

「くだらん茶番に乗せられてるからだよ。見せてみ」

「いいよ、別に」

「いいから見せろって」


 少し強めに言うと、茜は渋々と言う感じで手を差し出してきた。

 傷口が大きく、かなり血が流れている。


「……あぁ、結構深いな。先生、茜怪我したんで保健室連れてっていいっすか!?」

「あら大丈夫? 構わないわよ」

「詩音、大丈夫だって」


 拒む茜に「いいじゃん」と俺は言う。


「どっちみち俺も保健室行きたかったしな」

「何で?」


 首を傾げる茜に、俺は龍音を顎で指す。


「詩音、おしっこ」

「なるほど……」

「さっき皆にジュースがぶ飲みさせられてたから」

「駿河君、茜のこと、ちゃんと面倒見てあげてね」


 切実な顔をした三科さんに「任せとけって」と俺は返した。


「昔からガキ共の面倒見てるから、怪我の治療は結構得意なんだ」

「近所の子供と一緒にしないでよ……」

「また詩音が茜の女心傷つけてるよ」

「傷ついてない!」


 やんややんやと騒がしい教室を出て、俺たちは同時にため息を吐いた。


「……ごめん」


 しゅんと頭をうな垂れる茜に「気にすんなよ」と俺は返しておく。


「こう言うのはお互い様だろ」

「うん……ありがと」


 保健室は、家庭科室からそう遠くない。

 渡り廊下を歩いて、階段を降りるとそこが保健室だ。

 部屋に入るも、保険の先生は見当たらなかった。

 仕方なく俺は、近くにあった救急箱を用いて治療に当たる。


「あ痛たたた……」

「指先パックリ行ってるな。バレーしばらく出来ないんじゃね?」

「えぇ……もうすぐ大事な試合なのになぁ」


 裂けた傷口が痛々しい。

 この状態でバレーでもしようものなら、一瞬で血まみれになりそうだ。

 

 茜が消毒した指を眺めていると、不意に龍音が茜の指をぱくりと咥えた。

 突然の事態に、俺と茜は目を剥く。


「おい龍音、何やってんだ」

「なめて、しょうどく」

「あはは、龍音ちゃんくすぐったい」

「消毒はもうやってんだよ。ほら、口開けろ。うがいもしろ」


 龍音が茜の指から口を離す。

 そこで見た光景に、俺と茜は言葉を失った。

 

 傷が、消えていたのだ。

 すっかりと、綺麗に。

 

「嘘……?」


 信じられないという様子で、茜は指先を何度もなぞる。


「全然ない、傷」

「マジかよ……」

「なめて、しょうどく」


 よく分かっていない様子の龍音に、俺と茜は困惑した顔を見合わせる。


「ねぇ詩音、これも龍音ちゃんの……?」

「わかんねぇ。でも、そうとしか――」


 その時だった。

 

 ジリリリという、大きな非常ベルの音が鳴り響いたのは。

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