4-4

 龍音と階段に座ってしばらく泣くと、少しずつ心が落ち着いてきた。

 まるで憑き物が落ちたように、スッと、胸がすく感覚がする。


「さっきはごめん」


 私の言葉を、龍音は黙って聞く。


「詩音兄ちゃんが、あんたのことばっかり構うから。イライラして、酷いこと言ったった」

「岬は、詩音のこと、大好きなんだね」

「な、何言ってんのよ、急に」


 図星をつかれ、ドギマギする。

 そんな私を、龍音は優しい瞳で見つめていた。

 何だか心を見透かされているようで、少し悔しい。


「……詩音兄ちゃんは、私の憧れなの」

「あこがれ?」

「頼りになって、格好良くて、優しくて。私のこと、いっつも助けてくれるから。だから、あんたに詩音兄ちゃんが取られた気がして、悔しかったの」


 私がうつむくと、そっと龍音は私の頭を撫でた。

 自分より年下の子にされているのに、不思議と嫌な感じはない。


「詩音の話するとき、岬、うれしそう」

「そうかな……」


 自分の顔をペタペタと触ってみるも、まるで自覚はない。


「詩音やさしい。いっつも一緒にいてくれる。だから、さみしくない」

「うん……」

「いっつも文句いうけど、おこってない」

「詩音兄ちゃんは、怒らないんだ。ぶっきらぼうに見えるけど、優しい」

「エビフライくれる。だから、私も詩音、すき」

「あんたが好きなの、それ、詩音兄ちゃんじゃなくて、エビフライでしょ」


 何だかおかしくなって、私は笑った。


「ねぇ、龍音。ごめんね、酷いこと言って」

「だいじょうぶ」


 相変わらず、龍音の表情はまるで読めない。

 それでも、さっきまでとは全然違う表情に見えた。

 正体不明で不気味に見えていた龍音が、急に親しげに感じられる。


 二人で歩いていく人を眺めながら、色んなことを話した。

 詩音兄ちゃんたちと遊びに行ったことや、小学校のこと、普段どうやって遊んでるか。

 龍音はその話を、どれも楽しそうに聞いていた。

 私が話すたびに、龍音の目がキラキラと輝いている気がした。


「龍音は、おじいちゃんとどんな風にして過ごしてたの?」

「おままごとと、えほん読んだ。お花もそだてた」

「おじいちゃん、お花好きだったからね。おばあちゃんの影響なんだって。おじいちゃんの家に来る前は、どこにいたの?」

「あんまり覚えてない」

「そっか……そうだよね」

「でも、もりの中にいた気がする」

「森?」

「うん。大きな木がたくさんあった。そこで女の人と一緒にいた」

「女の人?」

「たぶん、お母さん」


 ドキリとした。

 みんながあんなに苦労して探していた龍音のお母さんの情報が、こんなにあっさりと出て来るとは思わなかった。


「お母さん、いっつも色んなことを人に教えてた。毎日色んな人が森に来て、お母さんに色々しつもんしてた」

「偉い人だったの?」

「わからない。みんなおじぎしてたからそうなのかも」

「龍音のお母さんは、政治家とかなのかな」

「せいじか?」

「偉い人のこと。でも、政治家が森に住んでるわけないか。それで、お母さんはどうなったの?」


 私が尋ねると、理人は首を振った。


「わからない」


 龍音は何かを思い出すように、だんだんと視線を遠くする。

 この世界じゃない、もっと別の、遠くの世界を見ているように見えた。


「覚えてるのは、あかいいろ」

「赤い色?」

「森が真っ赤に燃えてて、煙が上がってた。おかあさんにおじぎしてた人たちが、大声出してお母さんにおこってた」

「怒る? どうして?」

「わからない。でもお母さんが何かしたら、その人たち動かなくなった」

「何それ……」


 何だか、胸騒ぎがした。

 これ以上聞いたらダメな気がする。

 その話を、記憶を、龍音に思い出させてはいけない気がした。


「龍音?」


 声をかけると、龍音はハッとした様に意識を戻した。

 少しだけ息が荒い。

 なんだか、怯えたように目が震えて見えた。


「大丈夫?」

「うん……」


 肩を震わせる龍音を安心させるために、私は彼女の頭を撫でる。


「今の話、詩音兄ちゃんには話したの?」

「してない」

「何で話さなかったの?」

「聞かれてないから。あと、岬と話してて思い出した」

「そっか……」


 たぶんみんな、龍音が小さいから覚えてないだろうって思ったんだ。

 でも、龍音は故郷のことをちゃんと覚えてた。

 そして、何か辛い思い出を抱えてる。


 その時不意に「ちょっとお嬢ちゃんたち」と声をかけられた。

 振り返ると、階段の上に変な男の人がいた。

 髪の毛がボサボサで、太っていて、ギチギチのスーツを着た人だった。

 なんだか鼻息が荒くて、汗ばんでいて、気持ち悪い。


「こ、こんな所で何やってるの?」

「別に、ちょっと休んでるだけです」

「迷子かな? そっちの子、体調悪いんじゃないの? 顔色が悪いよ。おじさんが診てあげよう」


 言葉になにやら薄ら寒いものを感じて、私は龍音の手を取った。


「な、何でもありません。もう大丈夫だから、失礼します。行こ、龍音」

「あ、ま、待って……」


 私は龍音の手を引いて、その場をそそくさと立ち去る。

 しばらく歩いてから、振り返って見た。


「やだ、着いてきてる……」


 男の人は、一定の距離をあけて私たちを追いかけてきていた。

 人ごみに紛れたり、同じ場所を上手く迂回したりしたけれど。

 明らかに私たちを追ってきている。


 目が血走っていて、何だか怖かった。

 関わっちゃダメな人だ。それが分かる。


 怖くて手が震えそうになる。

 だけど、手を繋いだ龍音のことを思い出して、何とか耐えた。


「龍音、大丈夫だよ。すぐに詩音兄ちゃんと、ママに会えるから」

「うん」


 その小さい手を握ると、改めて龍音がまだ幼いと言うことに気がついた。

 この子は私が守らなきゃ。

 私がお姉さんになってあげるんだ。


「私にちゃんとついてきなさい」


 男の人から逃げるように、私たちは歩を進める。

 一定の間隔で、男の人は私たちを追ってくる。

 小走りになっても、その距離は何故か開かなかった。

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