4-3

 詩音兄ちゃんがママを助けに行く姿を、手すり越しに眺める。

 危険をかえりみず飛び込む詩音兄ちゃんが、私は好きだ。

 パパも優しいけれど、詩音兄ちゃんからはまた違った優しさを感じる。


 でも、最近詩音兄ちゃんは、すっかりこの子に夢中だ。

 龍音。

 そんな名前をつけられていた。

 どこの誰かも分からない、謎の人。

 

 気に入らなかった。

 当たり前のように優しくされているこの子も、私のことをすっかり放置してしまう詩音兄ちゃんも、みんながすっかりこの子を受け入れているのも。

 

「あんたのせいで、色々とおかしくなった」


 気がついたら、トゲの塊の様な言葉が飛び出ていた。


「詩音兄ちゃんはいっつもあんたのことで忙しそうだし。ママも心配して、おばあちゃんもバタバタして。芳村のおばさんが言ってた。あんたは母親に捨てられたんだって。育てたくないから、おじいちゃんに押し付けて逃げたんだって」


 私の言葉を理解しているのかしていないのか、龍音はぼんやりとした顔を向けた。

 その間の抜けた顔が、また腹立たしい。


「どうせ、全然わかってないんでしょ。そうして知らないフリしてたら、誰かが助けて守ってくれるって思ってるんでしょ。自分の立場、全然知りもしないで」


 泣かせてやろう。

 そんな悪意が心に広がった時。


「しってる」


 ピシャリと水を被せるように、龍音がそう言った。


「知ってるって、何をよ」

「ぜんぶ」


 龍音は、私の目を真っ直ぐに見つめる。


「ぜんぶ、しってる」


 その目は、まるで私の全てを見透かしているかのように見えた。

 龍音が何を知ってるって言うのか、問いたかった。

 でも、問えなかった。


 どんな言葉が返って来るか分からなくて、怖かったから。


 私は気付いてしまった。

 龍音は分かってないんじゃない。

 気づいた上で、全部知らないふりしてたんだ。


 自分が何を言われているのか。

 どういう立場なのか。

 これからどうなるのか。

 なんとなく分かっているくせに、分からないふりをしている。

 この子なりに、気を使って、誰にも心配かけないようにしているんだ。


 不意に、顔が熱くなるのを感じた。

 カッと恥ずかしさが膨れ上がる。


 こんな小さいのに、私よりずっと深く人の気持ちを考えてた。


 私は歳上で、お姉さんなのに。

 何も気付きかないまま、思ったことを、遠慮せず、ただただぶつけていた。

 私は子供だ。

 幼稚園児より、自分勝手で、無遠慮な、バカな子供なんだ。


 龍音の方がずっと大人に見えて、急に差をつけられた気がした。


 恥ずかしさとバツの悪さで、居たたまれない。

 その場に居られなくなり、思わず走って逃げ出してしまった。

 動いたらダメって詩音兄ちゃんに言われてたのに。

 また自分勝手を重ねてしまった。


 でも、あの場に居たくなかった。

 惨めで、龍音のそばに居られなかった。


「はぁ、はぁ……」


 夢中で走って気が付くと、私はどこかのフードコートにいた。

 完全に自分のいる場所が分からなくなる。

 沢山の人がいて、なんだか怖い。


 どこをどう走ってきたんだっけ。

 来た道も分からなくなっていた。

 人ごみがすごくて、それを掻き分けるのに夢中だったから。


 冷静さを取り戻すと同時に、心に恐怖心が宿っていく。

 不安に心が押しつぶされそうになり、私の心を冷やしていく。


「ママ……、詩音兄ちゃん……」


 誰も、私の声には答えない。

 こういう時、どうしたら良いんだっけ。

 頭がまともに働かない。


 すると、不意にギュッと誰かが私の手を掴んだ。


 龍音だった。


「なんであんたが居るのよ」

「おいかけた」

「もう……ほっといてよ」


 見知った顔を見て安心したのか、涙が出てきた。

 心がぐちゃぐちゃで、どういう感情を抱いているのか自分でも分からない。

 でも、手のひらの温もりが、不思議と私を安心させてくれた。


「ほっといてったらぁ」


 グズグズと、私は惨めに泣いた。

 龍音は、黙って私が泣きやむまで、そばにいてくれた。

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