2-5

 病院の待合室にいると、和美姉が血相変えてやってきた。


「詩音! 無事!?」

「俺は大丈夫」

「り、龍音ちゃんと茜ちゃんは? ひ、かれたって……」


 和美姉の顔は、今にも死にそうなほど顔面蒼白だった。


「今、医者にてもらってる」


 俺は、病室の方を指でさす。

 すると、ちょうど茜と龍音が治療室から出て来た。

 二人の後ろから、治療にあたってくれたと思しき医師も一緒に出てくる。


「茜ちゃん! 龍音ちゃん!」


 和美姉が二人の方へと駆け出す。

 俺も後を追った。


「和美さん、来てくれたんですね」

「怪我は!?」

「無傷ですって、私も、龍音ちゃんも」


 茜が微妙な笑顔で言うと、龍音がいつもの真顔でピースする。何だか拍子抜けする顔だ。

 力が抜けてその場に崩れ落ちそうになる和美姉を何とか支えた。

 安心したのか、和美姉はそのまま座り込んで、泣き出す。


「泣くなよ、和美姉」

「だってぇ……私のせいで、二人が死んだんじゃないかって」

「何で和美姉のせいなんだよ」

「龍音ちゃんほったらかして居眠りなんてしちゃったからぁ……」

「和美さんのせいじゃないですよ。これは事故ですから」


 龍音は泣きじゃくる和美姉に近付くと、そっと頭を撫でた。

 そんな龍音を見て、和美姉は「よかったぁ」と龍音を抱きしめる。

 ゴリゴリに力を込めた抱擁に、龍音の骨がメキメキと音を鳴らした。


「和美さん! 絞まってる絞まってる!」

「あ、ごめん」


 和美姉に絞め殺されかけていた龍音は、どこからどう見てもトラックを止められるようには見えなかった。

 すると医者も「信じられません」と口を開いた。


「本当にお二人とも、トラックがぶつかったんですよね」

「えぇ、確かにぶつかりました」


 首肯する茜に、俺も頷く。


「そうですよね。現場の状況的にも、ぶつかった以外ありえないですし……。トラックにも、人とぶつかったような衝撃の跡がしっかりあったそうです。それなのに無傷って言うのが不思議で……。奇跡ですかね」

「奇跡……」


 本当にただの奇跡だったんじゃないだろうか。

 たまたま、トラックの当たり方が良かったとか?

 色々考える。

 

 しかし、あの時見た光景は、鮮烈に今も脳裏に焼き付いていた。


 夢でも、見間違いでもない。 

 あの時、確かにトラックを止めたのは龍音だ。


 事故の目撃者は俺しか居なかった。

 中の運転手はぶつかった衝撃が激しすぎて気絶したらしい。




 けが人もいなかったという事で、警察の事情聴取もそこそこに、俺たちは帰宅することになった。

 病院から出ると、見覚えのある子供と、その母親らしき人物が立っていた。

 事故の原因となった、あの子とその親だ。


 母親は、俺たちの姿を見つけると、その場で土下座した。

 

「この度は、何とお詫びしてよいか……!」

「いや、ちょっと、大丈夫ですから顔上げて下さい!」


 茜が慌てて言う。

 母親は、泣きながら頭を下げていた。


 子供は、酷く怒られたのだろう。

 泣きはらしたように目を真っ赤にして、こちらの顔を見ずに俯いている。


「誰も怪我してませんでしたし、大丈夫ですから」

「でも……」

「みんな無事だったので。それより、そちらのお子さんこそ、怪我はしてませんでしたか?」

「ええ、そこのお兄さんのお陰で……。雄介! こっちに来て皆さんに謝りなさい」


 子供は母親に呼ばれ、ビクッと体を震わせると、泣きそうな顔で頭を上げた。


「ご、ごめんなさい」


 その声と体は、小さく震えていた。

 俺は茜と目を見合わせると、小さく笑みを浮かべた。


「次からはもうすんなよ」


 頭を撫でてやると、子供はコクリと頷いた。


 ○


「あんた達、災難だったわねー。事故なんて」


 その日の晩飯。

 食卓を囲んで、お袋が呑気な声を出した。

 何故か和美姉の井上一家と、茜までもがここにいる。


「とにかく、怪我がないんだから、良かったじゃないか」


 親父が呑気な声を出す。


「兄ちゃん、昔っから悪運だけは強いよね」

「なんだとー?」


 俺が頭をグリグリといじると、大樹は楽しそうにはしゃいだ。


「茜ちゃんも大丈夫だったの?」


 お袋がおかずを並べながら言う。

 茜は「ええ、おかげ様で」と頷いた。


「じゃあ平穏無事、万々歳ねぇ」

「んもう、母さん。そんな呑気な事ばっか言って。私、電話が来た時は本当に心臓が止まるかと思ったんだからね」

「だから私が帰って来るの忘れてて、家の鍵も閉まってたんだ」

「岬ぃ、ごめんねぇ?」

「もう知らない」


 不機嫌そうな岬に、和美姉の旦那の秀さんは朗らかに笑みを浮かべる。


「岬、ママを許してあげなよ。ママも今日一日、大変だったんだから」

「パパったらママに甘すぎ」


 相変わらずうるさい家族だ。

 黙って飯くらい食ってほしい。


「それで、何でお前が居るんだよ」


 俺は茜をにらむ。


「いや、なんかなりゆきで。今日、うち両親仕事だし、ついでに食べてけばって、おばさんが」

「あら、いいじゃない詩音。一人や二人増えたって。それに茜ちゃんは、どうせ将来家族になるんだから」

「ちょ、ちょっとおばさん!?」


 茜がボッと顔を赤くする。


「ちょっと母さん。茜ちゃん困ってるじゃない」

「ごめんねぇ。茜ちゃんみたいないい子が来てくれたら我が家は安泰だと思って。でも、選ぶ権利くらいあるわよねぇ」

「どういう意味だよ!」


 騒がしい食卓の最中、俺のすぐ隣で龍音はちまちまとスパゲティをすすっている。


「龍音、美味いか?」

「おいしい」

「あら、龍音ちゃん良い食べっぷりねぇ! エビフライもう一つ食べる?」

「ほしい」


 龍音が何か大きな秘密を抱えていることは間違いない。

 普通の子供じゃないんだろうか。

 こうして見ると、どこからどう見ても人間なんだけどな。

 エビフライで頬を膨らませている龍音をつつくと、不思議そうな顔をしていた。



「じゃあ、ご馳走様でした」

「茜ちゃん良いのかい? うちの車で送るけど」

「近いんで。詩音も送ってくれるって言うし」

「詩音」


 和美姉が顔を近づけてくる。


「手ぇ出しちゃダメよ」

「出すか」

「あら、別に良いじゃない! 手出して既成事実作っちゃいなさい! 茜ちゃんもまんざらじゃなさそうだし! あっちのご両親にはお父さんとお母さんも謝ってあげるから」

「母さん! 人様の娘になんて事を!」

「冗談よ、冗談」


 相手にしてられん。

 これ以上ここにいたら婚姻届でも持ってきかねない気がしたので「行くぞ」と歩き出した。

「待ってよ」と茜が追いかけてくる。


 空はもうすっかり暗く、宵に満ちていた。

 まだ春の残り香があるためか、空気は幾許いくばくかやわらかい。雨の季節が近付いてきているのを感じる。


 月が昇っていた。満月だ。

 空に月の光が満ち溢れ、不思議と目が吸い寄せられる。星の姿はなく、夜の昼、という矛盾した光景を連想した。


「何か今日は、疲れたね」

「色々あったからな」

「事情聴取とか、すぐ終わってよかったね」

「まぁ、俺ら被害者だからな」


 しばらく、沈黙が満ちる。

 周囲には俺たち以外誰も歩いていなかった。

 適度な外灯が、暗すぎもせず、明るすぎもせず。俺たちに道を示す。


「あのさ……詩」「お前、どう思った?」

「えっ?」

「龍音のこと。あの時」

「あの時って、トラックの?」

「うん。誰かに言ったか?」

「ううん。何か、言ったらダメな気がして。多分、誰も信じないだろうけど」

「そっか。そうだな」


 内心胸をほっと撫で下ろす。

 茜は、頭の回転が速い。迂闊な行動は、あまりしない奴だ。

 見られたのが茜でよかったと思う。


「龍音ちゃんって、何者なの?」

「わかんねぇ。じいちゃんが遺言書で《龍の子》って呼んでた。《龍の子は、孫「駿河詩音」の子とする》って。ふざけやがって」

「おじいちゃんが詩音に渡した理由は分からないでもないけどね。あんた面倒見良いし、子供から好かれやすいし。でも《龍の子》ってどういう意味だろう」

「意味はわかんないけど、最初は、すごい才能を秘めた偉人の子供とか、そんなのを想像してたよ」


 すると、茜はピタリと足を止めた。俺も釣られて足を止める。


「どうした?」

「いや、ひょっとしたらさ、文字通り……じゃないかなって」

「はっ?」

 俺が尋ねると、茜は強張った笑みを俺に向けた。


「文字通り、龍の子供だったりして……」


 しばしの沈黙。

「ぷっ」

「あははは」

「ないない、そんなこと」

「だよね。ごめん、変な事言って。そんな訳ないか」


 本当に、そうなのか?

 二人して笑ったあと、ふと俺たちは笑みを引っ込める。

 龍の子供?

 まさか、ね?

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