8-5
隣近所の家がすべて破壊されている中。
祖父の家だけが、綺麗に残っていた。
大量の血の足跡は、家の中へと続いている。
ドアノブに手形があった。
血の手形だ。
ドアに鍵は掛かっていない。
ギィと軋む音がして、俺はそのまま中に入る。
足跡は縁側へと続いていた。
そこに、女が一人、座っていた。
夢で見たあの女だ。
「やっと来た」
女は俺を見て笑みを浮かべた。
深く、身体の奥深く……。
魂に響き渡りそうな不思議な声だった。
「待ちくたびれた」
女は裸で、血まみれだった。
明らかに異常な情景なのに、何故か恐怖感がない。
「お前は誰だ」
何を言うべきか迷って、ようやくそう言った。
すると女は、何故か少しだけ悲しそうな顔をした。
女は俺の問いに答えることなく。
「ずっと呼んでた」とだけ言った。
「呼ぶって……どういう意味だ」
「そのままの意味だよ。私はお前を呼んだ。お前はここに来た」
「俺に変な夢を見せたのもお前か」
「そう。私が呼んだから、お前は寝ている間にこっちにきた」
「じゃあ、今も俺は寝てるってことか?」
女は頷く。
「繋がりが深まって、お前はいつもより深く眠った。だから、今かなり実体に近い形でこっちに来ている」
俺が見ていた夢は、正確には夢ではなかった。
俺の意識だけが、この女に呼ばれていたらしい。
幽体離脱に近い状態だったのかもしれない。
「なんで俺をここに呼んだ? 何がどうなってる?」
「ここに来た時点で、薄々は気づいているはずだ」
女の言葉に、俺は静かに息を吐きだす。
「ここは……未来なのか?」
女は頷いた。
「龍には、時と空間に干渉する力がある。お前の祖父が龍と繋がったように、お前もまた龍と繋がった。だから私は、お前を呼ぶことが出来た」
「繋がるって……どうして?」
「知恵だ」
女ははっきりと、そう言った。
「お前の祖父と、お前は龍の知恵を持っている」
「知恵?」
「そうだ」
女は俺を見る。
「お前はそれを、祖父から受け継いでいるはずだ」
「どういうことだよ」
「説明している時間はない。それより、お前には伝えたいことがある」
「伝えたいこと?」
女は静かに頷いた。
「もうすぐお前たちの世界に災厄が訪れる。災厄となるのは……あの子だ」
呼吸をするのを、一瞬忘れる。
心臓の鼓動がドクンと脈打った。
「放っておけば、何千、何万もの人間が死ぬだろう。そして、あの子は人類から敵として認識され、人を殺すようになる」
「あの夢で、あんたがそうしていたようにか」
俺が何度も見てきた夢。
この女が、人を殺している姿。
あれが、人と龍が争う現状を示しているのなら。
龍音は今、この世界のどこかで、人を殺しているのだろうか。
「そうだ」
明瞭な声だった。
「避けられないのか?」
「無理だ、必ず起こる」
「何故分かる?」
「見てきたからだ。私はあの子のことをすべて知っている」
「じゃああんたは、やっぱり龍音の母親なのか……?」
しかし彼女は、それには答えない。
ふと見ると、俺の足元が消え始めていた。
徐々に足首から体が消えていく。
「時間か」
女は静かに口にした。
「なぁ、俺はどうすれば良い? 俺をここに呼んだのは、ただそれを伝えるためだけじゃないはずだ」
「根の中心へ行け。そこに答えがある」
「根? どう言う意味だ? 根って、樹の根のことか? どの樹だよ」
「いずれ分かる」
女はそういうと、そっと視線を外した。
「あの子はまだ小さい。今ならまだ、救うことが出来る。殺戮の世に行かなくても済むように。そうすればあるいは……」
「それって――」
その時、ほのかに身体がよろめくのがわかった。
意識が遠のく。声が出なくなる。
「お前だけだ」
女は言う。
「あの子を救えるのは、お前だけだ」
何でそんなこと分かるんだよ。
俺はそんな、大した奴じゃないのに。ただの高校生だ。
それ以上でも、それ以下でも無い。
すると、不意に首の後ろに手を回された。
夢で見た光景と、全く同じ光景が俺の前に広がる。
そして女は俺に口づけをした。
口づけを……した?
何で俺にキスした!?
ファーストキスじゃねーか!
どぎまぎしていると、女は薄くイタズラっぽい笑みを浮かべた。
初めて見た、人間っぽい表情だった。
「ちょっとした手向けだ。龍の口付けは祝福の力を持つからな。それに、いずれ私とお前を繋ぐ橋になる」
俺とこいつを繋ぐ? どういう意味だ? 意味が分からない。
視界が、だんだんぼやけていく。
意識が飛ぶ瞬間、俺は確かに耳にした。
「頼んだよ、詩音」
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