第二話 男子高校生はストリップする

「じゅりあねぇ、大きくなったらユキオくんと結婚するのぉ」


 公園のブランコに腰掛けた少年に、少女がそう宣言する。

 彼女はたんぽぽで作った可愛い花冠を両手で大事そうに捧げ持ち、その花冠よりもさらに可愛い笑顔で俺を見つめていた。


「ユキオくんの方が可愛いんだから、ユキオくんがお嫁さんね」


 そう言って、彼女は俺の頭に花冠を載せる。

 その時、俺は何と言ったのだろうか。いくら記憶をたどってみても思い出せない。


 ◇◇◇


「ちょっとー。遅刻よ、雪緒ゆきお! 先週も遅れてばっかりだし、そんなんじゃクビになるわよ!」


 無垢で可愛かった樹里亞じゅりあは、小学校、中学校と順調過ぎるほど成長して、今や170センチに届きそうな長身とナイスバディを制服に包む、ファッションモデル系女子高生へと進化していた。前方に突き出した胸は制服を持ち上げ、長く伸びた脚は単なる膝上スカートをスーパーミニにしてしまっている。

 著しく成長を遂げたのは身体だけではない。愛らしかった丸顔は顎が尖り、目尻が長く切れ上がって、強烈な視線で他者を圧倒する超絶美人に変貌していた。


 対して俺はと言えば……幼い頃から『お嫁さん』になることを夢見る女の子と違って、男というものは結婚を意識しない。男の世界を形作る要素は『冒険』と『闘い』であり、どちらも『結婚』の対義語だ。俺自身も、結婚なんて大人になればいつか勝手に起こる、それほど興味を惹かれないイベントのようなものだと思っていた。

 しかし、そんな悠長な考えは、成長とともに焦りへと変わっていく。

 可愛かった幼なじみは、気づいた頃にはとても魅力的な大人の女性になっていたのだ。それに比べて俺は大して背も伸びず、相変わらず筋肉の少ない子供のような体型のままだった。

 樹里亞と並んで歩くと、俺は彼氏どころか弟のように見られてしまう。

 いや、弟に見られるのならまだ……。


 それでも、高校に入学して俺はある種の確信を得た。先輩たちの男らしい顔つきや体格。そして低い声を目の当たりにしたのだ。ちょっとスタートが遅れたけれど、自分もこの三年間で長身の男らしい男に成長するに違いない。

 そして樹里亞と結婚する。幼かったあの日の彼女の夢を実現してやるんだ。


 俺は、そんな妄想が叶う未来を純粋に信じていた。

 あの、新ミス東陵コンテストまでは……。


 ◇◇◇


 結論から言えば、新ミス東陵の栄冠は俺の頭上に輝いた。

 あのヤジを飛ばした男子生徒――西陣にしじん先輩の隠れファンだったらしい――の主張はメチャクチャで、まともに取り合う必要もないものだった。

  それでも、やれ『詐欺師』だの『卑怯者』だのと言いたい放題叫ぶ男に、さすがの俺もブチキレた。

 今まで、俺はこの見た目のせいで『男らしくない』と言われてきた。『女にしか見えない』とも言われた。でも、『卑怯者』だなんて一度だって言われたことはない。


「これでも女だって言うのかぁ?!」


 怒りを抑えられなくなった俺はブラウスのボタンを引きちぎり、パッドが詰まったブラをズリ上げた。観衆の前にさらけ出される真っ平らの胸。

 これが女の胸に見えるかぁ? どうだっ!


 シーンと静まり返る会場。


 ふと、我に返って辺りを見回す。あれ? ひょっとして俺、やらかした?

 そう思った直後、遅れてパラパラと拍手が起こり、次第に会場が大きな喝采に包まれた。みんな立ち上がって俺に拍手を送ってくれる。

 会場の空気に気圧されたのか、自分の間違いに気付いたのか拡声器男はそのまま黙り込んでしまった。


 勝った!


 俺は嵐のようなスタンディングオベーションを全身に浴びながら、完全な勝利の余韻に浸っていた。


 ◇◇◇


 翌朝、教室に入ると親友の宏海ひろみはすでに登校していた。最大サイズの机と椅子を使っていながら、それでも窮屈そうに座る宏海を俺は羨ましそうに眺める。


「いいなあ。宏海。その身長、俺に少し分けてくれ」


「いいけど、高いぞ」


「いくらだよ?」


「1センチで1万だな。税別だ」


「10センチだと10万円か……」


 10万くらいだったら必死にバイトをすれば何とかなりそうだ。

 なぁんて、くだらない妄想だけど考えるのは楽しい。

 樹里亞は女のクセに170センチある。対する俺は158センチ。10センチ増えれば……えーと、168センチになるから……。


「全然足りないじゃないかー!」


「何がだよ!」


 宏海が呆れて突っ込む。

 いや、待てよ。宏海から買うから足りなくなるんだ。樹里亞から買えば彼女は160センチになるから、差し引き俺が8センチ高くなる。それなら多少ヒールが高い靴を履かれたって見下ろされる心配はない。


 俺って頭いい!


 根拠不明の妄想に頬がだらしなく垂れ下がる。

 ちょっとだけ幸せな気分で視線を上げると、能面のような宏海の顔がそこにあった。


 ◇◇◇


「昨日のニュースでやってたな。新ミス東陵」


 クラスメイトの柘植つげ夕夜ゆうやが俺たちに話しかけてきた。ヤツは俺と同じく帰宅部である。俺はバイトが忙しいだけだが、夕夜が部活動をしないのは別の理由があった。


東條とうじょう、可愛かったぜ。美少女アイドルかと思ったよ」


「るちあより可愛かった?」


 夕夜の皮肉に褒められても嬉しくはない。俺は意地悪な顔をして反撃する。

 『るちあ』は隣りのクラスの女生徒だ。フルネームは柘植つげ るちあ。夕夜と同じ苗字だが親戚ではない。るちあは夕夜の彼女だった。このカップルは中学時代から恋愛関係にあったらしい。小学生の頃からの付き合いがもうすでに6年目も続いている。そのせいなのか、まるで熟年夫婦みたいに落ち着いていて、周囲からつけられたあだ名は『柘植夫妻』。

 同じ幼なじみだというのに、現在の俺と樹里亞の関係とはまるで違ってうらやましい。


 俺の言葉に夕夜の表情が急に険しくなる。眉間にシワを寄せ、口が『バカヤロウ』の形に動いた。


「なになに? 私がどうしたの?」


 噂の主、柘植るちあが教室にやって来た。毎朝夕夜と一緒に登校して自分のクラスに寄って席にカバンを置くとすぐにこっちにやってくる。


「ねぇ、るちあ。夕夜がね、新ミス東陵の俺より、るちあの方が百倍可愛いってさっ」


 夕夜の心情を勝手にデコレートして代弁してやる。俺をからかった奴へのささやかな仕返しだ。

 言われた彼女は夕夜をじっと見つめたまま動かなくなる。その間、十数秒。かと思うと、今度は慌てて後ろを向いてうつむく。彼女の顔は見えないが耳まで真っ赤になっていた。


 なに? このカワイイ生き物!

 素直で大人しくて恥ずかしがり屋で、これだけ可愛いのに彼氏一途だなんて! 付き合って6年にもなるというのに! そしておまけに巨乳だ。

 るちあのあまりのピュアさに俺はめまいを感じてよろめく。

 樹里亞ではこうはいかない。


「おはよぉー」


 噂をしたわけじゃないが、今度は樹里亞が教室に入ってきた。


「雪緒、テレビ観たわよ。踊ってる雪緒、可愛かったわね」


 俺はついさっき垣間見た柘植夫妻の様子を思い出す。そして、彼我の幸福量の差を再確認するために、自分の幼馴染に向かってこう言ってみる。


「俺よりも樹里亞の方が可愛いよ」


 周囲の空気が一瞬にして凍結する。

 これは想定の範囲内だ。そして、次に彼女が口にする言葉は『なんか悪いモノでも食べた?』だ。間違いない。

 樹里亞とはそういう女なのだ。


 ところが今朝の彼女はいつもとちょっと違っていた。一瞬だけ俺の瞳を見つめ、そしてすぐに俯く。

 まさか、樹里亞が俺の言葉で恥ずかしがってる?

 唖然としている俺に、ゆっくりと顔を上げた彼女は上目遣いで視線を送る。

 そして、囁くようにこう言った。


「『百倍』が抜けてる……」


「お前。いつから聞いてたんだよ!」


 ◇◇◇


 その日の放課後。俺は担任教師に呼ばれた。


 うちのクラスの担任は須藤すどうという科学を担当する二十代の男性教師で、正確には夏休みから産休に入ったベテラン女性教師の代わりをしているだけの、本来は副担任だった。


「ナンスカ? 先生」


 俺の質問に答えず、須藤は質問を返す。


「東條。お前一体なにやらかしたんだ?」


「え? いや、その、俺。何もしてないですよ!」


「何も……ってお前、何もしてなきゃぁ、こんな時期に急に呼び出されたりしないだろ?」


 確かにその通りだと思ったが、本当に思い当たることがない。それっきり俺はなにも言えなくなった。


 須藤に連れられて来た部屋は校長室だった。ノックしてドアを開けると、ソファーに中年男が二人座って、何かの書類に目を通していた。ストライプのスーツを着た禿頭が副校長。ベージュのジャケットを羽織ってピンクのシャツにノーネクタイが学年主任だ。

 顔を上げてこちらを見た学年主任は、須藤に身振りで座るように指示する。俺たちが座ると、副校長が顔を上げて俺と須藤を交互に見た。その顔はとても穏やかで優しそうだったが、目元は笑ってはいない。


「ああ、なるほど。きみが東條くんかあ」


 そう言って副校長は一人で納得している。一体なんなんだ? コレ。


「ちょっとこれを見なさい」


 そう言ってテーブルの上に置いてあったノートパソコンをこっちに向けた。

 液晶ディスプレイにはインターネットブラウザが起動していて、どこかのウェブサイトが表示されている。そのサイトには動画が掲載されていた。


「あれ? この動画は……」


 再生された動画は、先日の東陵祭のクライマックス。新ミス東陵コンテストの様子だった。そう言えばステージの上からもスマホやビデオカメラを構えている人物が何人か見えた。


「副校長先生。これがどういう……?」


 展開が読めない須藤がたずねる。副校長は答えず、学年主任がノートパソコンを操作して動画を先に進める。ちょうど新ミス発表のシーンだ。


「ここからだよ」


 学年主任が言う。

 スポットライトがステージの上を激しく動き回り、内蔵スピーカーから音が割れたファンファーレが鳴り響く。そして、司会者が俺の名を発表する。

 そこで、拡声器を通したヤジが飛ぶ。カメラはヤジを飛ばした生徒を探して激しくブレる。それに応戦する俺の怒声が聞こえ、カメラは慌ててステージの上に戻る。

 ズレたピントが合う。上半身にズームアップ。

 そして、ステージの上でキレた俺がメイド服のブラウスを脱ぎ捨てる……。


 この動画がなんだと言うのだろう? ひょっとして、この先の映像に何かあるのかもしれないと思って画面を凝視していたが、ヤジの主が黙り込んで拍手が沸き起こり、そのまま動画は終わってしまった。


「わからなかったかね?」


 そう言って学年主任が動画を少しだけ戻す。ステージ上の俺がブラウスを脱ぎ捨てて、ブラを外す。そこで俺は違和感に気がついた。

 露出した胸の先端部分に、モザイクがかけられていたのだ。ちょうど乳首をボカすように処理されていた。


「ぎゃはははははははは!」


 俺は思わず爆笑してしまった。

 テレビでは出場者が踊ってるシーンとトロフィー授与のシーンしか放映されていなかったけど、こんなどうでもいいシーンも含めてわざわざ動画サイトにアップするなんて、暇なヤツがいたものである。

 しかも、ご丁寧に男の乳首にモザイクまでかけて……。

 女装のイベントとして有名だから、あの場にいた観客が俺を女だと間違えるハズはないだろう。だとするとモザイク処理は、動画を観た者に勘違いをさせることが目的なのか? いずれにしてもたちの悪いイタズラだ。


「笑い事じゃないんだ。東條くん。おかげで今朝から学校の電話が鳴りっぱなしだよ。どこで番号を調べたのか、学校行事で破廉恥なイベントを行ったという抗議の電話がね」


 副校長が額に手を当てながら言う。電話の応対に悩まされて疲労の色が顔に深く滲んでいる。


「スミマセン。まさかこんな事になってたなんて……。あとでしっかり指導しておきますから……」


 そう言って須藤は頭を下げながら、俺の頭に手を置いて無理やり下げさせる。

 俺が動画をアップロードしたわけじゃないのに、なんで謝らなくちゃならないんだ?

 首にぐっと力を入れて抵抗する。この太鼓持ちのサラリーマン教師め。


「いやいや、違うんだよ。須藤先生」


 副校長が否定する。


「抗議の電話は正直、驚いたけれど、まぁ、対外的な問題は私達の仕事だからね。来てもらったのは抗議の件じゃない。実は、この動画を見た医師だと名乗る男性から学校に電話があってね……東條くんを診察したいと言うんだよ」


 教頭の話は要点が見えず、俺も須藤もキョトンとした顔で話の続きを待った。


「私も何がなんだかわからなくてね……診察したいという理由を尋ねたんだ。ところが、これは個人のプライバシーに関わることなので、本人でないと話せないらしい。東條くんはある特殊な病気を患っている可能性があって、放っておくと大変なことになるかもしれないと言うんだ」


「俺が病気ですか?」


 自分はたしかに小柄で痩せているけれど、今までずっと健康だったハズだ。医者なんて学校の健康診断でしか顔を合わせたことがない。

 それに、その医者だと名乗る人物は動画サイトにアップされた小さくて短い映像だけを見て、俺を病気だと言っているのだ。それをそのまま信じるのは無理がある。


「本当に病気かどうかはわからない。この医師も『可能性がある』としか言っていないよ。でも、この人は、都内の大学病院に所属していて、その病気の研究の第一人者なんだそうだ。診察のために大学の医療センターに来てくれと言っているよ。大学病院にこいと言うんだからイタズラではないだろう。念のため一旦ウチへ帰ってご両親と相談してみてくれ」


 ◇◇◇


 そうして俺は、動画サイトの映像を見ただけの医師から、トンデモナイ話を聞かされることになる。

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