第八十六話 男子高校生は想いを遂げる3

前話のあらすじ


タクシー事故から目を覚ますと俺は汚い廃倉庫のような場所で椅子に縛られていた。足元には大怪我の宏美。俺たちは郷島のワナにハマったのだ。ヤツが突然現れて俺の感情がぐちゃぐちゃに掻き回される。郷島は俺と婚約したと言って、あの日俺が着ていた血染めのサマードレスを見せた。


◇◇◇


「門倉じゅりあちゃんっていう『女の子』を探してるんだ。この近所に住んでるらしいんだけど、君たち知らないかな?」


 あたし――『東條とうじょう 雪緒ゆきお』は、知らないおじさんにそう話しかけられた。今日初めて会った女の子と二人で神社のブランコで遊んでいるその時に……。


◇◇◇


 話は少しだけ遡る。


 その女の子は、ノースリーブで真っ白のワンピース――サマードレスと言うらしい――を着て、ちょっとだけ踵の高い可愛い白のサンダルを履いていた。ストレートの髪を肩よりも長く伸ばしていて、とても女の子らしかった。

 あたしはといえば、親が買ってくる服は決まってTシャツに半ズボン。それも水色や濃紺のいわゆる『男の子カラー』ばっかり。髪なんかちょっと伸びたと思ったら床屋に連れていかれて、勝手にショートにされてしまう。

 でもそれが不満だったワケじゃない。自分がどんな服を着たいのか、どんな髪型にしたいのかハッキリした目標がなかっただけ。

 でも今日、彼女を見てあたしはソレに気がついてしまった。


 その日、あたしは近所の神社の境内にこじんまりと設置された遊具で遊んでいた。一人で遊ぶのは退屈だけど、最近この街に引っ越してきたばかりで一緒に遊べる友達はいない。

 遊具は鉄棒と小さなジャングルジムとブランコだけ。昨日、近所の男の子たちに独占されて近づくこともできなかったブランコに座ってみる。両脚を前後に振って勢いをつけ、前方に向かってジャンプする。男の子たちがワイワイとはしゃぎながらやっていた遊びだ。

 何度か飛ぶうちにコツを掴み、もっと遠くに飛ぼうとブランコの上に立ち上がった時、隣のブランコに見知らぬ女の子がやってきた。白いサマードレスとサンダル、それにストレートの長い髪……。

 あたしと同じようにブランコに立って漕ぎ始め、ブランコを蹴ってキレイに着地した。

 でも残念。彼女が飛んだ距離はあたしよりもずっと短い。

 どうやら大した敵ではないらしい。ここは、あたしがお手本を見せてやろう。

 そう思って漕ぎ始めると、彼女はあたしの正面に立って話しかけてきた。


「ねぇ。ハンデがあるみたいだから服と靴を取り替えっこしない? あとで返すから……」


 『はんで』ってなんだろう?

 知らない言葉が気になったのはほんの一瞬で、それよりも『服と靴を交換』という言葉に心を奪われていた。


「いいよ」


 迷うことなくオーケーすると、彼女はその場で裾を捲り上げて服を脱いでしまった。

 あの可愛い白いサマードレスを着るんだと思うと嬉しくなってあたしも急いで脱ぐ。手渡されたドレスはスベスベした肌触りでとっても軽く、ノースリーブの袖から両腕を通してバンザイしただけで、まるで天女の羽衣みたいにふわりと体にフィットした。

 スニーカーを脱いで彼女のサンダルに足を入れる。生まれて初めて履いたヒールのある靴は、目線がほんの少しだけ高くなって、自分がお姉さんになったみたい。


 サマードレスを着て素敵な気分に浸っていると、あたしのTシャツを着て半ズボンを履いた彼女がブランコに乗った。立ったまま勢いをつけておもむろにジャンプ。驚くべきことに彼女はあたしの記録を軽々と飛び越え、あたしのスニーカーは砂利の上を滑って停止する。なんと彼女はブランコを囲っていた金属の柵をも飛び越えていた。

 そして振り返ると満面の笑みでピースサイン。


 カッコいいっ!


 素直にそう思った。これが、当時はまだ名前も知らなかった『樹里亞じゅりあ』との最初の出会い。


 郷島ごうじま しょうの話を聞いて、霧の向こうに閉ざされていた小さい頃の記憶が溢れるように蘇る。

 自分のことを『あたし』と言っていたことを思い出して複雑な気分になる。たぶん、近所の女の子の真似をしていたのかもしれない。門倉の爺さんが生前に話してくれたことを思い出す。彼の言っていたことは当たっていたのだ。


 そしてあたしたち二人はブランコの前で『誘拐犯』である郷島の父親に声をかけられたのだ。


 『門倉じゅりあちゃんっていう『女の子』を探してるんだ』


 その時まだ樹里亞の名前を聞いてなかったから、当然ながら答えることはできない。

 でも『じゅりあ』という可愛らしい音の響きにあたしは魅了されていた。


「おじさん、君たちのどっちかが『じゅりあちゃん』だって聞いたんだけど、どっちが『じゅりあちゃん』だか教えてくれるかな?」


 カマをかけるセリフとしては稚拙だけれど、小学生にとっては究極の選択だ。

 自分が『じゅりあちゃん』でなければ隣の彼女が当人ということになる。


「お父さんから電話があって、ちょっと怪我をしちゃったから『じゅりあちゃん』を呼んできてくれって頼まれたんだよ。たしか『白い服を着た女の子』だって言ってたかなぁ」


 あたしたちはお互いに顔を見合わせる。

 もし彼女がそうだったら、この服を今すぐ返さなきゃならない。この軽くて素敵なサマードレスも可愛らしい白いサンダルも……。

 でも、彼女は口を開かない。

 お父さんが怪我したっていうんだから早く行ってあげなきゃならないのに、なぜか下を向いて黙ったまま。

 たぶんこの子は『じゅりあちゃん』じゃないんだ――そう思った瞬間、あたしは最高のアイデアを思いついた。

 この服とサンダル、そして可愛らしい名前までもぜんぶまとめて手に入れる素敵な方法を……。


「『じゅりあ』は、あたし……」


 そう言うと、おじさんは優しそうな顔でにっこり笑って片手を差し出した。


「良い子だね。もしかしたらキミが『じゅりあちゃん』かなって、おじさんも思ってたんだ。さぁ、行こうか」


 おじさんと手を繋ぐと、ふと気になった。

 あの子は大丈夫だろうか? もし、彼女が本物の『じゅりあちゃん』を知ってたら大変。

 そっと振り返って見たけれど彼女は俯いたままだった。

 大丈夫。


「あの子はお友達?」


「うぅん。今日初めて会った子」


 おじさんの質問に首を左右に振ると、そのまま手を引かれて車に乗った。


◇◇◇


 古ぼけた公営団地の前に車は止まった。おじさんが助手席に回ってきてドアを開け、シートベルトを外してくれる。


「さぁ、降りようね。もうすぐお父さんに会えるから」


 おじさんのその言葉にびっくりして、出していた足が止まる。

 そうだ。確か『じゅりあちゃん』のお父さんが怪我をして、すぐきて欲しいという話だった。でも、お父さんに会ったら、あたしがニセモノだってバレてしまう。

 どうしよう。

 考えても、この場を切り抜ける良い方法が見つからなくて、ぎゅっと目を瞑ってサマードレスの裾を握りしめていた。


「どうしたの? お父さんと会いたくないの?」


 おじさんの言葉に、つい頷いてしまった。

 するとおじさんは怪しむどころか嬉しそうににっこりと笑う。


「ひょっとしてお父さんが恐いのかな? 大丈夫。ここにはいないよ。お父さんに会うのがイヤなら、じゅりあちゃんがここにいることはナイショにしておいてあげるよ」


 あたしは子供心に安心して、エレベーターのない公営団地の階段を手を引かれながら登った。何階まで登ったのか、灰色のコンクリート剥き出しの階段をずっと見つめながら、ただひたすら登った。

 そのうち、おじさんは燻んだピンク色のドアの鍵を開けた。


「帰ったぞ」


 ドアを開けて呼びかけるけど、中は静まり返っていて返事はない。

 おじさんは気にせずあたしを玄関に入れると急いでドアを閉めて内側から鍵を掛けた。

 投げるように靴を脱ぎ捨てて、あたしの手首をつかんだまま引きずって行こうとする。焦ってサンダルを脱いだけど、揃える暇もなく引っ張られていった。

 おじさんは廊下の突き当たりの引き戸を開ける。

 戸の向こうは六畳ほどの狭いダイニングキッチンになっていて、小さなテーブルと椅子が二つ。それに小さいテレビが一つあった。


「誰? そいつ……」


 後ろから声がして、心臓が飛び出すほどびっくりした。

 振り返ると、自分よりもずっと背の高い男の子が立っていた。白い無地のTシャツを着て、グリーンのジャージの裾を膝のあたりまで捲って履いている。


「翔、いたのか。この子はしばらくウチで預かるから、お前、面倒見てやってくれ」


 『しょう』と呼ばれた男の子は返事もせずに、回れ右をして近くのドアに入ってしまった。

 機嫌が悪かったのかもしれない。小さく舌打ちが聞こえた。

 予想もしなかった展開に驚いていたけれど、自分の嘘がバレなかったことに安心してなんの不安も感じなかった。


「ちょっと用事を済ませてくるよ。それまで大人しく待っててくれ。夕飯はじゅりあちゃんが好きなものにしよう。なにがいいかな?」


 おじさんはニッコリ笑って出かけて行った。

 あたしの好きなもの……。オムライス? それともハンバーグ? どっちが良いかな?


◇◇◇


 「可愛らしい衣装を纏って凶悪なモンスター軍団に立ち向かう純真な魔法少女たち。しかし、十三番目の魔法少女『ボーダー』の裏切りによってチームワークにヒビが入り、彼女たちは一人また一人と襲撃されて壊滅的なダメージを受けてしまう。ボーダーは悪の秘密組織『ドグマチール』によって生み出された改造魔法少女だった。正義の魔法少女たちは、この苦難を克服し悪に立ち向かうことができるのか!


 次回、魔法少女レスリン『復讐のオーバードーズ』……応援してね!」


 アニメが終わってテレビの画面にCMが流れる。それと同時にお腹がグーっと鳴った。

 いつのまにか出かけていた男の子がドアの鍵を開けて帰ってきた。大きな紙袋を開けて中身をダイニングキッチンのテーブルに並べる。


「お前も食べろ」


 あたしは男の子のぶっきら棒な態度が恐くて、テレビの前の床に座ったまま動けないでいた。すると彼は引いた椅子に座布団を二枚敷いて高さを調節してあたしを座らせた。

 黙って目の前に置かれた丸い紙包みを開く。中身は温かいハンバーガーだった。

 男の子を見ると、すでに一つの包みを食べ終えて二つ目にかぶりつくところ。彼に倣ってあたしもハンバーガーを頬張る。大きな紙コップに刺さったストローを咥えて一気に吸い込むと、飲んだことのないシュワシュワする液体が口いっぱいに広がって、ビックリして体がプルプルと震える。


「コーラ飲んだことのないのか?」


 聞かれて、頭を左右に振る。

 それを見て彼は笑った。あたしもつられて笑顔になる。

 きっとこの人は悪い人じゃない。


 それから彼はトランプとかボードゲームとか面白そうなゲームを出してきてあたしに見せた。5歳の子供には難しいものばかりだったけど、遊び方を優しく教えてくれて、あたしが楽しめるようにレベルを合わせて遊んでくれた。

 女の子らしい可愛い服と靴。素敵な名前。そして、自分を『女の子』として扱ってくれる歳上の優しい男の子……。着せ替え人形や縫いぐるみなんてなかったけれど、自分が本当に欲しかったものがここには全部揃っていた。


「名前……なんていうんだ?」


「じゅりあ」


 魔法が解けたらこの楽しい時間が終わってしまう。そうならないように。あたしは仮初めの名前を口にする。


「じゅりあ。俺のことは『しょうくん』って呼べよ」


「うん。わかった。翔くん」


 埃まみれの廃倉庫で郷島の話を聞きながら、それでも目は十年……正確には十一年前のあの日のできごとを見つめていた。

 なにを忘れてしまったのかすら思い出せないあの日の記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。

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