第十七話 男子高校生は白馬の王子に助けられる

前話のあらすじ


 誰だかもわからない男に薬を飲まされて拉致され、拘束されてしまった俺。ここはどこなのか? コイツはいったい誰で、目的はなんなのか? なにもわからないままソイツは俺に男なのかと問いかける。叫ぼうとする俺の口は塞がれてしまった。


◇◇◇


「これでも男だと言い張るのか?」


 悪夢の中で聞いたセリフが、現実になって俺に襲いかかる。

 こう言うのをなんて言うんだっけ?

 『正夢』? それとも『予知夢』?

 いや、そんなことはどうでもいい。


 俺の口には丸めたハンカチかなにかが押し込まれて、出せないようにテープを貼られている。

 無理やり口に突っ込まれた布切れがあまりに大きくて、吐きそうになりながら激しく咳き込む。

 目隠しに圧迫されたままの目に涙が滲む。口を塞いだということは、俺からなにか聞き出すのが目的ではないということか。


「さぁて、今年度の新ミス東陵は、いったいどこまで女の子なのかなぁ」


 コイツの声のトーンが心なしか上がってきている。

 俺を目の前にしてまさか興奮してるんじゃないだろうな。

 そんなことを考えていたら、胸の辺りになにかが当たる感触がある。

 シャツのボタンを外しているのか? 本気で男の裸を見たいのか? 男かどうかなんて、触ればある程度わかるだろう? なにも服を脱がせる必要はないハズ。

 夢の中と違って、俺には立派な胸なんかないぞ!


「ん? この絆創膏はなんだ?」


 シャツをはだけ、タンクトップを捲り上げてソイツは言う。

 最近、乳首が擦れて痛いことが多かったから、わりと頻繁に絆創膏を使っていた。

 胸の辺りの皮膚が冷たい空気に触れて萎縮し、さっき見た夢の映像を蘇らせる。


「この絆創膏。剥がしてもいいかな?」


 え? どうして? 剥がす必要なんかないだろう?

 拒否のつもりで叫ぶけど、俺の声はくぐもったうめきにしかならない。

 胸に指先が当たる感触。その冷たさに驚いて体が硬直する。

 ヤツは俺のうめきを勝手に解釈して絆創膏を剥がし始めた。皮膚が引っ張られる感じがする。

 ちょっと待て。俺は了承してないぞ。

 そんな俺の抗議の声を、わかってるくせに黙殺する。


東條とうじょうくん。君はずいぶん綺麗な乳首をしてるんだね」


 なんだって? 男の……少なくとも男だと言い張ってる俺の……乳首を褒めるなんて、コイツいったいどういう神経してるんだ?

 そう思っていると、ふたたび胸に指の感触。冷たい指先が俺の胸を撫で回している。


 胸を見られるのは慣れている。同じクラスの男子なら体育の着替えでほぼ全員に見られているし、週に何度もブラックベリーフィールズのショーでさらけ出している。おそらく、その辺の男子高校生よりたくさんの人が俺の乳首を見てるハズ。だからそれほど恥ずかしいわけじゃない。

 でも、触られるとなると話は別だ。

 先日、夕夜の家で見たAV女優のぺったんこの胸を思い出す。男優が無骨な指であの胸を鷲掴みにしたり、乳首を乱暴につまんだり引っ張ったりしていた。それは見ているだけでも痛そうな映像だった。

 これから自分も、彼女と同じ目に遭うのかと想像すると、恐怖と嫌悪に包まれる。体が痛みに備えて硬くなるのを感じる。


 痛いのは嫌だ!


 体の硬直が最高潮に達したその時、俺の胸になにかが触れる。乳首に触れるそれは予想に反して暖かくて柔らかいものだった。


「うぐぅっ!」


 硬直していた肺から猿ぐつわを通してうめき声が漏れる。

 瞬間的に全身の筋肉が弛緩して、そしてすぐにまた硬直する。

 息苦しくなって、やっと自分が息を止めていたことを思い出す。酸欠状態の脳が酸素を欲しがって俺に激しい呼吸をさせる。


 ふたたび胸になにかが押し当てられたとき、それがなんだかわかった。


 舌……人間の舌だ。


 生まれて初めての感触だけど、おそらく間違いない。

 樹理亞とキスしたときに、舌を絡めたときの感触に似てるような気がした。

 男に乳首を舐められている。

 『相手に舐められたらおしまいだ』……漫画だったかドラマだったか、そんなセリフをふと思い出す。いや、たぶんその『舐める』じゃないだろうけど。

 あり得ない事態に俺の思考が動転して、正常な判断ができなくなっていた。


 えーと。


 落ち着け俺。落ち着け俺。落ち着け。

 俺は『男に乳首を舐められてる』のか?


 乳首を優しく刺激されたら気持ちいいって夕夜ゆうやは言ってたけど、そんなことはまったくない。いや、どちらかと言うとキモチ悪い。超キモチ悪い。猛烈にキモチ悪い。なんというか、肌にナメクジが這い回ってる感触。

 どうしてキモチ悪いんだ? ひょっとして、乳首で感じるのは女だけなんじゃないか? いや、でも、俺は遺伝子的には女だし、認めたくはないけど体格だって男というより女に近い。

 先日観たAVでは胸の薄い女優が乳首をいじられて喘いでいたから、俺の胸がぺったんこだから感じないというわけではなさそうだ。


 いやいやいやいや。どうして気持ち良くないかという問題じゃない!


 重要なのは、どうしてコイツは俺の乳首を舐めていのるか……だ!

 まさか、俺の性別がバレてしまったのか?

 そう言えば、年末の生理騒ぎ——騒いだのは俺だけで、その被害者も俺だけだったが——から一ヶ月経つのにまだ次の生理が来ない不安定な状態で、念のためにトランクスの下に生理用ショーツを履いているんだけど、昏睡してる間に脱がされてそれを見られたのかも!

 もしもその中身まで見られていたら……。


 そんなことを考えてる間もヤツの舌は俺の胸元を這い回る。

 俺のホントの性別がコイツにバレているということか。やっぱり、そうとしか考えられない。誰が好き好んで男の胸をいじろうとするものか。


 マズイことになった。


 コイツが誰だかわからないが、性別の秘密を知られたら大変だ。

 学校側に知られたら、性同一性障害とかじゃない俺は、女子の制服を着て女生徒として通学させられるかもしれない。もしそんなことになったら、今まで頑張って築いてきた男としての地位や信頼を失うことになる。

 下手したら、ブラックベリーフィールズのバイトでストリップをやってたことがバレて退学になるかもしれない。

 俺は『女装が得意な男』であることを買われて、高額のバイト料をもらっているのだ。これが女だったとバレてしまったら、俺がクビになる程度では済まない。未成年の女子にストリップをさせていたとなれば、店は営業停止。店長兼オーナーのジーンさんは刑事責任を問われることになる。

 そうなったら俺はジーンさんに殺される。

 でも、俺が一番恐れてるのは、樹里亞じゅりあに知られることだ。俺の体が女だとバレてしまったら、幼い頃の彼女との約束を果たすことができなくなってしまう。

 それだけはどうしても避けなくてはならない。


 俺がそんなネガティブスパイラルに陥っている間も、ヤツのペロペロは続いている。

 だから、気持ち良くないんだってば。良い加減に止めろよ。この野郎っ!

 猿ぐつわをされているので、俺がいくら叫んでも伝わらない。


「うーん、君はちょっと反応が悪いなぁ。ひょっとして未開発なのかな?」


 未開発ってなんだよ? 俺の胸は新興住宅地かよ!


「じゃあ今度はコッチの具合を調べてみよう」


 ヤツははそう言った。

 そして、俺のズボンのベルトを外そうとする感触。ベルトのバックルのカチャカチャと鳴らす音。

 嘘だろう? 女だと知っててそこまでやるのかよ。犯罪だぞ、それ!

 ホントにシャレにならない。

 今度こそ本気で暴れた。でも、やっぱり縛られた手足はどうにもできない。

 まさか、俺は女としてレイプされるのか?

 嘘だろう?


「うゔぅー!」


 でも、俺の叫びはくぐもった呻きにしかならない。


 ドガーン!


 その時、けたたましい破壊音が部屋に轟いた。

 ヤツの手が慌てたように俺から離れる。

 ああ、きてくれた。


「なにしてやがんだ! この野郎!」


 目隠しされて見えないけれど、お前の声を聞き間違えたりしない。

 俺の親友。宏海ひろみがドアを蹴破って空き教室に飛び込んできた。


「誰だ? 君は!」


「うるせぇー! この野郎。てめぇこそ誰だ! 雪緒ゆきおになにしてやがる!」


 行けー、宏海! そんなヤツ、殴れ! 蹴れ! ブッコロセー!


「ぐぁっ!」


 下品な男の悲鳴が響く。

 勝ったな。さすがは元ヤンキー。ケンカでは頼りになる男……宏海。

 最高だ! 格好良いぞ! 今ならキスされても構わない!


 大きくて優しいけどちょっとだけ乱暴な手が俺の頭に触れる。そしてゆっくりと俺の目を覆っているものを解いてくれた。

 窓ガラスから差し込む眩しい西日の向こうに見慣れた宏海の涼しい笑顔が……ない?!

 俺の目隠しを解いたのは、見知らぬ男子生徒だった。


 誰だ、コイツ?

 宏海はどこへ消えた?


 室内に素早く視線を巡らせると……いた! ここはなにかの部室だろうか? 部屋の隅に倒れている図体のデカイ男子が。両手を後ろで縛られて、俺みたいに猿ぐつわをされていた。

 ということは負けたのが宏海なのか!

 なにしに来たんだ、お前! せっかく格好いいと思ったのに! 戦闘員かよ! 雑魚キャラかよ! チュートリアルのモンスターかよ!

 助けに来てくれた恩も忘れて俺は大声で宏海を罵倒する。

 いいんだ。どうせ猿ぐつわされてて、なに言ってるかわかんないから。


「残念だね。東條くん」


 ホントだよ。期待したのにこの結末とは。なんてこった。


「せっかく君を無傷で返そうと思っていたのに、彼に見られてしまったから、そういうワケにはいかなくなってしまった。君には申し訳ないけれど口封じのために犠牲になってもらうよ」


 は? なんだって? じゃあ宏海が来なければ俺は助かっていたの?

 目の前の見知らぬ男はデジカメを構えている。

 宏海のせいで俺はこれからコイツにレイプされて写真を撮られるの?

 そんな馬鹿な!


 ふたたび俺は絶望のフチに立たされる。


「それは困ります。大槻おおつき先輩」


 突然、女の声がした。

 目の前の男は俺の背後……おそらくこの部屋のドアがある辺り……に視線を向けたまま硬直していた。

 縛られたままの俺は声の主を見ることはできない。でも、俺にはわかる。

 これは、俺の大切な幼なじみ……樹理亞の声だ。

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