第六十五話 男子高校生は愛を探してさまよう6

前話のあらすじ


俺を助けて大怪我を負った宏海を見舞うために、避妊薬で気分サイアクの俺は病室で彼の世話をする巨乳女と遭遇する。コイツまさか、宏海の彼女? 俺を敵視する巨乳女とつかみ合いのケンカの果てに、目を覚ました宏海に『妹の真琴』だと紹介される。


◇◇◇


 左上腕骨骨折。左第一~第三指骨骨折。右鎖骨骨折。右尺骨骨折。右第一中指骨および第二~第四指骨骨折。胸骨骨折。右第九肋骨骨折。その他打撲および捻挫、擦過傷多数。

 胸と両腕を指の先までギプスで固められ、首と腰をコルセットで固定されてベッドに寝かされている宏海ひろみ

 彼の怪我の状態を詳しく知れば、妹の真琴まことがあれほど俺に噛み付いたのも理解できる。俺が彼女でもきっと同じことをしただろう。


「見た目はすごい重症だけど、頭や内臓にはほとんどダメージはないんだって。検査と経過観察のために集中IC療室Uに入ってたけど、命には別状ないってお医者さんが言ってた」


 真赤に泣き腫らした目元を押さえて、妹の真琴が宏海の経過を話してくれる。

 ぎこちなく笑おうとする彼女は健気で可愛い。


 俺と同じくらいの身長なのに、中学生とは思えないほど立派な胸がブラウスを持ち上げている。ボディラインの凸凹が目立ちにくいデザインの制服にも関わらず……だ。

 こんな体型で去年までランドセルを背負ってたなんてとても信じられない。ロリ巨乳なんて都市伝説だと思ってた。

 まぁ、胸はデカイけど全体的に骨太でガッシリしてるから、ウエストは間違いなく俺の方が細いけどな。それに首も、二の腕も、手首も、指も、太ももも、それに足首だって……。


◇◇◇

 

雪緒ゆきお……ゴメンな。役に立たなくて……」


 宏海が病室の天井を見つめたままつぶやく。

 振り回してこぼした花瓶の水を片付けるために、真琴はナースステーションに雑巾を借りに行ってしまった。今は俺と宏海の二人きりだ。


 昔の宏海なら俺が大怪我をしたって、そんなこと言わなかった。

 今回の件は俺が勝手に飛び出して行って、勝手にトラブルに巻き込まれて、そして勝手に痛い目に遭っただけ。宏海をトラブルに巻き込んでしまった俺の方こそ謝らなくてはならない。


「俺の方こそゴメン。こんなにピンピンしてて……。さっき初めてお前を見て、ギプスと包帯だらけでビックリしたよ」


「なに言ってんだ! お前の方こそ……」


 そこまで言って宏海が黙る。

 ああ、るちあと同じ反応だ……と気づいてしまう。

 やっぱり宏海も、俺の身体が女になってたことを知ってたのか。

 でも、俺にとってその気遣いは……『もうお前は男じゃない』と言われているみたいでなんとなく辛くて……そして、ちょっとだけ寂しい。


「俺のことはイイんだ。もう痛くもないし全然へーき」


 軽い口調でつぶやく。コレは嘘でも強がりでもない。

 処女に特別な思い入れはないし、自分がそうだったという認識もない。これから先、男と付き合うつもりもないから大した問題でもない。

 それこそ昔から言う『犬に噛まれた』っていう表現がピッタリくる。


 俺が笑顔でそう言うと、宏海のギプスが突然持ち上がってベッドサイドの手すりに激しくぶつかった。硬質な金属音が病室に反響する。

 俺は驚いて宏海を見た。


「良いわけあるか! もっと自分を大事にしろよ! だいたいお前はいつもいつも自覚が足りねぇんだよ!」


 宏海が声を荒げて叫ぶ。

 なんだ? 突然なに怒ってるんだ、コイツ?


「海に行きゃあ変な水着を着るし、浴衣を着りゃあ駆けずり回るし、変な奴に捕まって連れて行かれたのは何度目だ? もう少ししっかりしないと、いい加減俺だって面倒見きれないぞ!」


 そう言うと宏海はソッポを向く。本人は激しい怒りを態度で表してるつもりだろうけど、寝返りが打てない上に首も痛めてるので、顔をちょっと背けることしかできない。ギプスで固められた腕がパタパタ動く仕草がまるで大きなテディベアみたいだ。


「ぷっ」


 こらえきれずに吹き出してしまう。

 一人でベッドから起き上がれないようなヤツがいくら怒っても、滑稽なだけで恐くもなんともない。


「俺は平気だよ」


 もう一度繰り返す。彼の額に掛かった前髪をゆっくりと掻き上げながら。

 俺は平気。俺は平気。俺は平気。

 そうやって自分にも言い聞かせる。


◇◇◇


 静かな病室に宏海の寝息だけが聞こえてくる。

 彼が眠ったのを見て真琴は安心して帰って行った。今は俺だけしかいない。


 祭りの夜。宏海と言い合いになって俺が駆け出して行った後、宏海はずっと探し回ってくれてたらしい。そこに早瀬から電話がきて俺の窮地を知ったと言う。早瀬は俺の様子や男たちの雰囲気で危険を察したようだ。

 俺が向かった先を聞いた宏海は、暗がりの広場で異様な様子のワゴン車を見つけて夢中で飛び込んできたらしい。


 るちあに聞いた話では、宏海を追って現場に着いたときには、既に彼が男と揉み合ってる最中で、夕夜も男に殴りかかったけどあっという間にノックアウトされたらしい。

 宏海は両腕も指も折られて使えない状況になるまで何度も挑みかかって、最後は男の首に噛み付いたそうだ。

 眠っている宏海の口を無理やりこじ開けると前歯が三本も無くなっていた。

 せっかくのイケメンが台無しだ。


「馬鹿だろ。お前……」


 彼のほっぺたを摘んでぎゅーっと引っ張ってみる。

 欠けた歯は戦いの勲章だ。ベッドに横たわる宏海は普段よりずっと男らしくて格好良く見える。普段も十分カッコイイけどな。

 彼が俺のために戦ってくれたのだと思うと、寝顔を眺めているだけで幸せな気分になってくる。

 樹里亞じゅりあは、誘拐の身代わりになって彼女を助けた俺を好きになったと言ってたけれど、今の俺にはその気持ちがすごくよくわかる。

 『男心に男が惚れて~』ってヤツだな。


 そう言えば、宏海は樹里亞のことが好きだったハズだ。

 彼女はいずれ日本に帰ってくるだろう。俺と別れてフリーになった彼女と、もしかして宏海が付き合ったりすることがあるだろうか。

 彼氏彼女の関係になって二人で登校して、二人でデートして、二人でベッドに横たわる。

 そんな場面を想像をすると、胸に小さな痛みが走った。


 ◇◇◇


 事件の事情聴取でふたたび警察署にきた時、『地方検事の成田なりた』と名乗る女性に会った。彼女は今年の夏の事件の時に、俺を拉致しようとした変質者の起訴を見送った人だった。


「あの時は、あなたが自分の意思で男について行く様子が防犯カメラの映像に残ってたの。幸いにも車に乗せられる前に助けられたから実害もなくて、起訴しても有罪に持ち込めるだけの材料がなかったのよ」


 俺を襲った変質者……名前は『郷島ごうじま しょう』というらしい。ヤツはあれからすぐに起訴猶予処分となって解放されていた。てっきり、今頃は刑務所とか拘置所とか、そういう所にいるものだと思い込んでいた。

 裁判所から証人として呼ばれることもなかったけれど、女子生徒として学校に通うことになったり樹里亞がいなくなったりして、そんなことを気にする余裕もなかったんだ。


「あなたに執着してることや『ジュリア』と呼んだことから郷島のことを調べてみたの。そうしたら十二年前のある事件にたどり着いたわ。昔のことだから知らないと思うけれど、ホテルグループの経営者の娘が誘拐される事件があってね……」


 成田検事と名乗る女の人はそこまで話すと自分で持ってきたコーヒーに口をつける。俺の分も買ってきてくれたんだけど、熱くてまだ飲むことができない。オマケにブラックだし……。

 しかし、彼女が言った『誘拐事件』ってひょっとして……。


「その時の容疑者が当時、ホテルチェーンをリストラされた郷島ごうじま 祐一郎ゆういちろうというのだけど、それが郷島 翔の父親なのよ。祐一郎が誘拐したのは勤めていた会社の経営者の娘で、当時五歳の『門倉かどくら 樹里亞じゅりあ』ちゃん。でも、誘拐犯から連絡はなくて、夜になって拉致現場から三十キロほど離れた路上で樹里亞ちゃんは見つかって無事に保護されたの」


 樹里亞が誘拐された?

 俺が身代わりに誘拐されたって聞いてたけど……。


「彼女が発見された時、白いサマードレスを着ていたのだけど、それが鮮血で染まっていたそうよ」


 そう言われて、以前樹里亞に聞いた話を思い出す。

 一人で歩いていて保護された子供が樹里亞だと名乗れば、すぐに誘拐事件の被害者だとわかる。おそらく、俺は樹里亞として警察の事情聴取を受けたのだろう。

 そして、門倉の家も俺のことを樹里亞として連れて帰ったのだろう。警察に嘘をついたのか、あるいは地元の名士としての特権を行使したのか詳しいことはわからないけれど、当時風当たりが強かった会社の評判をこれ以上落とさないために、別の子供が身代わりになって誘拐されたことを隠そうとしたのかも知れない。俺は門倉の爺さんの狡猾そうな顔を思い出す。

 でも、鮮血って……。


「被害者の門倉 樹里亞さんって、あなたのクラスメイトよね。十二年前の誘拐犯の息子が、今度は被害者のクラスメイトに執着して追い回すなんて、どういうことなのかしら」


 そう言って、成田検事はテーブルに頬杖をつく。

 俺を誘拐した犯人の息子が郷島ならば、監禁された家で俺と郷島は会っているのかもしれない。父親が俺を樹里亞だと言って家に連れて帰ったのなら、それをそのまま信じていたとも考えられる。

 だけど今の俺を見て、あの時の少女だとわかるものだろうか?


 しかし、そんなことよりももっと気になる事がある。露澪さんの話にもチラッとそんな言葉が出てきたような気もするけど、どうして俺は『血に染まったドレス』を着ていたのだろう?


「樹里亞は、かの……仲のいい友達です。それで、ええと……彼女が着てたドレスが……」


 そこまで言って、口ごもってしまう。

 聞いてしまっても良いのだろうか? 両親や樹里亞が俺になにも言わずにそっとしておいた事実を、記憶が封印されたままの状態で知っても構わないのだろうか?

 でも、聞かずにはいられない。


「鮮血って……血に染まってたって。いったいなにがあったんですか?」


 成田検事は突然俺が切り出した質問に面食らった様子だが、迷路に嵌ってしまった自分の思考に道標を示されて話しやすかったのだろう。女の子にこんな話をするのは気がひけるんだけど……と前置きをした上で話してくれた。


「警察が郷島 祐一郎の家に踏み込んだ時、彼は刃物で自分の首を切って死んでいたの。息子の翔が呆然として血だまりの床に座り込んでいたらしいわ。誘拐はしたものの、罪の重さに耐えられなくなって自殺したのね」


 自殺……。

 目の前で刃物で首を切るところを見せられたら、幼い子供にとっては深刻なトラウマになるだろう。俺が記憶をなくしてしまったというのも、それが原因なのかも知れない。

 しかし、犯人は当日の樹里亞がサマードレスを着ていたことを知っていたのだから、彼女が家を抜け出すところをなんらかの方法で監視していたのだろう。そこまで用意周到に計画した誘拐を単なる罪悪感で中止するものだろうか。しかも、自分の命を絶ってまで……。

 もしかして、自分が死んでいく情景を子供に見せることが復讐だったのか?


「今度こそ郷島を起訴できるわ。これで、あの異常者を法廷に引きずり出す事ができる。だけど……」


 そこで成田検事は唐突に言葉を切る。

 彼女の視線はテーブルの上をしばらくさまよってから、上目遣いに俺の瞳を覗き込んだ。


「医師の診断によるとあなたは確かに強姦されているわ。でも、残念ながら郷島を強姦罪に問う事はできないの。それはどうしてかと言うと……東條とうじょう 雪緒ゆきおくん。あなたが男性だからよ」


 彼女の言ってることがわからない。

 俺が男だから……だって?


「それって、どういうことなんですか?」


「それは私が聞きたいわ。どういうわけか、戸籍上あなたは男性ということになってる。でも、強姦罪で起訴するためには被害者が女性でなくてはならないの。あるいは被害者が性同一性障害で、戸籍の性別が女性に変更されている場合ね。学校に問い合わせてみたら、あなたは性同一性障害の疑いがあって、カウンセリングを受けながら女生徒の制服で通学していると聞いたわ。でも、診察した医師によると、性転換などはしていない完全な女性だと診断された。いったいこれはどう言うことなの?」


 成田検事が複雑な顔で俺を見つめた。

 俺は、昨年の学園祭の映像から自分のホントの性別がわかった経緯を彼女に話した。

 未成年だから、性別をどうするかまだ決めていなかったこと。最初は男性になるつもりでいたけれど、性別S 適合R 手術Sの副作用を聞いて二の足を踏んでいたこと。付き合っていた女の子と結婚したかったから戸籍をそのままにしておいたことを説明した。

 でも、それが樹里亞のことだとは言えない。

 成田検事は俺の話になにも言わずに頷いている。やはり、俺みたいな症例は他にもあるみたいだ。


「強姦罪にならないって、いったいどうなるんです?」


「強姦罪に問えないからと言って無罪にはならないわ。被害者が男性なら『強制わいせつ罪』が適用されるの。でも、強姦罪なら三年以上の有期刑になるところだけど、強制わいせつ罪では六ヶ月以上、十年以下の懲役刑だと刑法に定められているわ。本来なら最短でも三年は刑務所に入る受刑者が、半年で出られてしまうのよ」


 そんな。いくら努力しても男になれなかった俺なのに、襲われたら今度は『女じゃないから』と言って罪が軽くなるなんて!


「もう一つ、注意しなければならないのは、この事件が裁判員制度で裁かれるということよ。知ってると思うけれど裁判員制度って、国民から無作為に選ばれた裁判員が被告の有罪無罪、それから量刑を議論で決める制度なの。最近は性同一性障害みたいに障害としてメジャーになったものに対しては理解が深くなってきたけど、同性愛とか女装趣味なんかの性的マイノリティに対しては未だに根強い偏見を持ってる人が多いのよ」


「性的マイノリティって? いったいなんの関係が?」


 裁判員制度って、被害者の心に寄り添って犯罪者を裁くことができる素晴らしい制度だと思っていたのに、その実情はどうやらそうでもないらしい。


「強い偏見を持ってる人の中には、今回の事件そのものが『女装趣味の男の子が男を誘惑したせいで起こったこと』と思い込んでいる人もいる。もちろん、性的マイノリティの理解のために裁判員への説明は行われるけれど、それも裁判所側の思想や理解度に左右されてしまう。裁判員があなたに対してネガティブな印象を持ってしまうと、それが被告として裁かれる郷島の量刑にも関わってくることになるわ。被害者感情だけで量刑を考えるのは正しいことではないけれど、偏見によってそれが左右されるなんてあってはならないことなのよ」


 俺が女じゃないと強姦罪が適用されないばかりか、刑がさらに軽くなることにもなるだなんて、そんなバカな!

 そして成田検事は俺の顔を指差した。


「あなたの事情は十分理解した上で言わせてもらうけれど、東條 雪緒『さん』。あなたには今日このまま役所に行って戸籍の性別の変更手続きをして欲しいの。スムーズに変更できるように私の方でも出来る限りの便宜を図るわ。郷島の起訴期限までに被害者の性別を女性にして、ヤツを強姦罪で起訴したいのよ。協力してくれるかしら」


 話の途中から、なんとなくこんな展開になるんじゃないかと思ってた。


 俺の身体はもう完全な女になっていて、学校にも女子の制服で通ってる。でもそれは女装の延長線上というか、俺にとっては女子高生のモノマネをしている感覚だった。しかし、男であることの最後の証明でもある戸籍を書き換えてしまったら、自分はいったいどうなってしまうのだろう。

 身体が女だから戸籍を『女性』に変更するのは容易いけど、一旦変えてしまったら性別S 適合R 手術Sを受けない限り、もう『男性』には戻せない。


 でも……。

 樹里亞と別れてしまった今、俺が男である必要なんて果たしてあるのだろうか。

 逡巡する俺に成田検事が畳み掛ける。


「郷島にはおそらく余罪があるでしょうね。アイツを野放しにしていたら、あなたみたいに辛い思いをする女の子がこれからも増えていくことになるわ。よく考えて。『正義』のためにあなたに協力して欲しいのよ」

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